三章 京都府京都市『茨木童子、鵺、そして百鬼夜行』①
「―――現在、京都府では非常事態宣言が発出されており、夜間外出の禁止、及び避難勧告が出ています。現在、京都府では―――」
真夜中の京都市。街の至る所に設置された防災スピーカーが、無機質なアナウンスを流し続けている。
最近、京都では突然、昏睡状態に陥る人が多発。政府は化学災害または感染病の可能性があると調査を進めるが依然として原因は不明。発生は全て屋外、そして夜間であり、被害を避けるために政府は京都府に非常事態宣言を発出、二十一時間以降の外出禁止、及び避難勧告を敷いていた。
だが霊感のある人間は気付いている。
この異変は感染病や化学災害ではなく怪異だ。夜になると鬼や妖怪などの魑魅魍魎が現れ、人間を襲っているのだと。
少女、茨城雅羅(いばらぎがら)は魑魅魍魎が蔓延る夜の京都を往く。
長身痩躯で朱を帯びた黒髪、革のライダースジャケット、口には火のついた煙草があった。そして特出すべき事に、その少女には右腕がない。隻腕である。
そんな風貌の茨城は、JR京都駅付近、人気のない雑居ビルの狭間で足を止める。
そこには人々から忘れ去られた、朽ちた小さな鳥居がある。
茨城は煙草を吐き棄て、火を踏み消す。
「ったく。ここが怪異の発生源かよ。街中が妖気で溢れているから見つけるのに苦労したぜ、木は森の中に隠せってか」
鳥居をくぐると視界が一転。闇を湛えた森林が広がり、登山道が現れる。
空や地面、至る所に鳥居や明かりの点いた赤提灯が物理法則を無視して生えている。到底、現実の景色とは思えないその空間。
これは異界だ。
現世と冥界の狭間にある霊的な空間である。霊感のない人間が迷い込めば最後、二度と出てはこれずに神隠しとなる。
迷わず茨城は登山道を昇り始めた。
茨城は『茨木童子』という鬼の怪異が憑いた人間で、怪異には呑まれず結果として人間のまま超人的な身体能力と妖術を獲得していた。
茨木童子とは、平安時代の物語で京都を荒らし回った鬼である。妖怪、酒吞童子の臣下として暴れ周り、結末としては武将、渡辺綱らによって撃退された。
現代に復活した茨木童子、茨城は一年前、同じく酒呑童子の怪異がついた仲間らと神隠し事件を起こしたものの、最後は陰陽師と黒巫女によって討伐された。命からがら逃げのびた茨城はその後、隠れ潜む生活を送っていた。最近、京都で発生している異変に興味を抱き、暇潰しでその発生源を探し、この異界を見つけて今に至る。
茨城がしばらく歩くと、開けた広場に辿り着いた。中央には古い石造りの井戸が蓋をされた状態で鎮座している。井戸とその周辺には多数の霊力を放つお札が貼られ、何重にも呪術的な封印が施されていた。
よくよく見ると、井戸の蓋は亀裂が入り割れかけている。
茨城は異変の原因に検討がつく。
「あぁ、なーるほどね。この井戸、幽世と繋がってやがんのか」
井戸の蓋の割れ目を覗くと、血のような空が広がり夥しい数の鬼や妖怪、魑魅魍魎達の姿が見えた。
現世と冥界を繋ぐ井戸。その封印が経年劣化で弱まり、隙間から微弱な魑魅魍魎が現世に出てきているのだろう。
京都には『冥土通いの井戸』がある。平安時代の小野篁という役人が現世と冥界を井戸で行き来していたという伝承だが、この井戸もその内の一つの様だ。
すると、茨城は背後から声を掛けられる。
「こんにちはっ! 貴女、茨木童子さんですよね!」
答えず茨城が振り向くと、黒いワンピースの幼女が立っていた。人間で言えば幼稚園児ぐらいの風貌であるが、その姿は半分、夜の闇に溶けていた。とても強い妖気を放っており、明らかに人間ではない。
最大限の警戒をもって茨城は応じる。
「……なんだ、てめぇ。この井戸から出てきたのか?」
「そうです! 閻魔大王の封印が緩んだので、あわよくば現世に復活しようとやってきました! いやー、冥界はご飯も不味ければ殺して遊ぶ人間もいませんし。もう暇で暇でー」
「そうか。あばよ」
話をする義理もなく茨城は回れ右をする。異変の原因を見つけただけで興味は満たされた。もう何の用事も無い。
幼女が慌てる。
「ちょっと待って下さいっ! 話ぐらい聞いて下さいよー。私、封印のせいで、半分しか現世に出てこれていないんです! 女の子の話ぐらい聞くのが人情では? この鬼! 悪魔!」
茨城は失笑する。
「……いや、俺は半分、鬼なんだが。あと俺は一応人間だ。怪異の名前で呼ぶのは止めろ」
「では何とお呼びすれば?」
「茨城でいい。茨城県の茨城」
「茨城県……? ああ、昔の常陸国あたりの土地ですね。承知しました! それで茨城! 一つお願いがあります! この井戸の封印を壊してもらえませんかっ! 私、完全に現世に戻りたいんです!」
……そらきた。大体そう頼まれるだろうと予想していた。
茨城は幼女を睨む。
「それをやって、俺に何のメリットがある?」
「勿論ただでとは言いません! 取引です! 一年前に斬られた貴女の片腕が封印されている場所を教えします! 片腕では、生活するのも人間を殺すのも不便でしょ?」
「……お前、冥界にいた割にはやけに詳しいじゃねえか」
「ここの封印は何年も前から少しずつ緩みかけていまして! ここ暫く現世の様子は窺っていたので、私は割と情報通です! 一年前、酒吞童子率いる貴女達が、陰陽師と黒巫女に討伐されたのも、勿論存じています!」
嫌な思い出を掘り返され、茨城は舌打ちする。
一年前の神隠し事件にて茨城は陰陽師、草壁蒼子に片腕を切り落とされていた。取り戻せれば妖術で再生でき、五体満足に戻れる。魅力的な提案であった。
幼女は楽しそうに手を叩く。
「それに、この井戸を壊すのは茨城にとっても悪い話ではありません! 冥界には当然、一年前に斃された酒吞童子もいます! 主君を現世に甦らせるチャンスですよ!」
ちっ、酒呑童子の名前を出されると弱いな。そう茨城は内心で呻く。
茨城は孤児であり、幼少の頃は貧困に喘いでいた。学校には通えず、似たような境遇の仲間達と犯罪グループをつくり窃盗、強盗、詐欺で日銭を稼いで生活をしていた。
当然、守るべき家族や世間体なんてものはなく、何をしても社会で失うものは何もない。故に茨城は、社会的に『無敵の人間』だった。好きに生きて、自由に死ぬだけである。
しかしそんな茨城の唯一の弱点、それが酒呑童子だ。酒吞童子の憑いた人間は犯罪グループの古い仲間で、茨城の一番の理解者であった。
出来ることなら冥界から救いたい、という気持ちは強い。
……この幼女は何者だ? 茨城は幼女を観察する。その妖気から確実に名高い妖怪、怪異に間違いない。ややあって茨城に憑いている茨木童子が、その正体を見抜く。
「てめぇ、鵺だな?」
鵺とは平家物語にて、平安時代に清涼殿を襲った正体不明の妖怪だ。人間を病に陥れ、誰も対処できなかったところ、最終的には源頼政に討伐された伝説の怪異。
幼女が口元をつり上げる。
「あるぇ、ばれちゃいました? 一応これでも正体不明がアイデンティティなんですが。あ、私の事は可愛く清らかに『鵺ちゃん』って呼んで下さいねっ!」
幼女、鵺は小首を傾げて可愛くウインクする。
……あーなんかコイツ面倒くさいタイプだな……と思いつつ、茨城は話を進める。
鵺の提案には懸念があった。それは件の『荒廃神社の黒巫女』だ。この井戸を壊せば、黒巫女が黙ってはいない。一年前、酒吞童子すらも斃した巫女を、どう対処するかが課題だ。
それを問うと、鵺はきょとんとした顔で、
「例の黒巫女ですか? 何の問題もありません。この井戸の封印がなくなれば、冥界から魑魅魍魎が無限に湧いて『百鬼夜行』が起きます。もう人間や黒巫女一人で何とかできる話ではありませんよ。京の都自体が、滅茶苦茶になります! それに――――」鵺は彼岸花の様に嗤う。「――封印がなくなって私が完全に復活すれば、黒巫女ぐらい返り討ちにしてあげますよ! 何を隠そう私、実はかなり強いんですよ!」
まな板の様な胸を張る幼女。
茨城は考える。確かに黒巫女に対抗しうるほど、鵺の妖気は強烈だ。もう一度、井戸の隙間を覗く。相も変わらず向こう側では数多の魑魅魍魎が、こちら側へ這い出ようと虎視眈々と機会を窺っていた。
百鬼夜行が起これば、間違いなく人間の陰陽師だろうが黒巫女だろうが多勢に無勢、一溜まりもないだろう。
勝算は十分で、悪い話ではない。
……片腕さえ取り戻せれば、一年前に右腕を切り落としてくれたあの白い陰陽師、草壁蒼子にお礼参りもできるしな……。
茨城は鵺に手を差し出す。
「わーったよ。面白そうじゃねーか。鵺、その話に乗ってやる」
鵺が嬉しそうに茨城の手を握り返した。
「そうこなくっちゃ! 私が復活できれば、また沢山の人間を殺して遊べますし。人間から畏怖や信仰を集めれば、私達怪異の存在はより強くなります! 第一、現代は人間の数が多すぎるんですよ。だからこんなに、人間達にとっても生き辛い世界になっているんです。少し間引いた方が人間のためです! という訳で、昔みたいに鴨川に沢山の死体を流して遊びましょ!」
かくして。
最悪とも言うべき怪異が始まる。
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