三章 京都府京都市『茨木童子、鵺、そして百鬼夜行』②

 私、枢木縁と蒼子の旅は続く。


 日が丁度、頭上を通過した頃。走行中のフィアットの中は、どことなく話しにくい空気で満ちていた。

 おずおずと運転席の蒼子が言う。


「……ねえ縁。僕、何か気に触ることを言ったかい?」

「……いや別に……」


 私は窓の外を眺めながら応えた。

 実際のところ蒼子は何も悪くない。単純に私が捻くれて、話しにくい空気を作っているだけである。私が全て悪い。


 自分の精神年齢の低さを感じ、本当に嫌になる。早く死にたい。

 私の心には先日、寧音に言われた言葉がずっと突き刺さっている。蒼子にとって、私はただの足手纏いであり、死んでも差し支えのない人間で、単純に鬼一佑雁という少女の代替という話。何の異論もなく、私は確かに価値のない人間だ。

 蒼子が優しすぎるせいで忘れていたが、それは自分が一番よく解っており今更動揺する話ではない。そのはずだ。

 ……なのにどうして。こんな苦しいんだろう。

 私なんて早く死ねばいいのに。


『……何でそんなに卑屈なの?』


 突然、八岐大蛇の一つが囁いた。


 そんな事を言われても解らない。私だって好きでこんな卑屈で、駄目な訳じゃない。自分が嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で仕方が無い。早く死にたい。

 思考がまとまらず、私は深呼吸する。

 目の奥、喉の奥が辛い。視界が滲む。

 蒼子が言う。


「次のSAに寄るから。次の目的地も決めないといけないし。せっかくだから何か甘い物でも食べようよ。ゆかりんは、何が食べたい?」


 私は何も答えない。




 高速道路のSAに寄り、蒼子は次の行き先を決めるため御神籤を引いた。


 『京都府京都市』『百鬼夜行』


 この結果に蒼子が顔を顰める。

 直後、蒼子のスマホが鳴った。電話らしく蒼子が出る。会話から察するに、相手は寧音のようであった。

 初めはいつもの様に軽い調子で話をしていたが、蒼子の口調は次第に厳しいものとなる。


「……茨木童子の腕が奪還された? どうして場所が割れた。とりあえず僕も一度、京都へ戻る」


 電話を終えた蒼子は、いつになく顔を青くしていた。

 蒼子が私に向く。


「京都で不味い事が起こっているみたいで、これから向かう。ちょっと今回はかなり危ないから、縁は都内で暫く待っていてほしいんだけど……」


 私は視線を合わせず答える。


「……蒼子の側にいると怪異に狙われて殺されるって話なら、東京にいても同じじゃないの? 狙おうと思えば狙えるし」


 蒼子は色々と察したらしく、弱々しく失笑する。


「寧音から聞いたのかい? 全く、お喋りで困った僧侶だな」




 私達はそのまま京都へフィアットを走らせる。東名高速道路に渋滞はなく、夕方頃に京都へ入った。

 蒼子は走行中にフィアットの運転席の窓を明け、人型を宙に放る。


「――――匂陣」


 その詠唱に呼応、人型は意思を得た様に遙か上空へと飛翔していく。

 蒼子は言う。


「僕の周辺を上空から式神に見張らせる。それでさっきの話だけど。縁は、寧音からどこまで話を聞いているんだい? 今更、隠すような話でもないからね。説明するよ」


 私は応じる。


「……一年前の京都の神隠し事件は『酒吞童子』って怪異で、沢山の人間と陰陽師が死んだって辺りまで……」

「酒吞童子。大江山絵巻に描かれた物語の怪異で、鬼の統領だ。一年前に蘇って人間に憑いた酒呑童子は、本当に狡猾な怪異でね。彼らはまず、いずれ討伐にやってくるだろう陰陽師や僧侶を狙って神隠しを行った。その後は神仏に対抗するため、自身の妖力を蓄えようと数多くの一般人を神隠しに巻き込んだ……被害者の数は推定で千人以上。その内の半分も死体は出てきていない。死体の身元の特定が難航していて、一年たった今でも、京都市は臨時の遺体安置所を設置したままだ。その酒吞童子には仲間が何人かいて、それも斃したんだけど、その内の一人『茨木童子』だけは腕を斬り落としたところで逃走された。その腕は封印してあったんだが……どうもそれが消えたらしい。茨木童子に奪還された可能性が高い。……向こうも僕を恨んでいるだろうから、確実に襲われると思う。だから京都に着いたら別行動になる。それだけは理解してほしい」


 肯定せず、私は疑問を返す。


「蒼子の周りの人達って、本当に皆いなくなっちゃったの?」


 少しの間をおいて、蒼子の表情が曇る。


「……あぁ、みんな神隠しに遭った。友人も家族も全員ね。死体で出てきた人もいれば、いまだ行方知れずの人もいる。……全部、僕のせいだよ」

「酒吞童子って結局、蒼子が斃したの?」

「……いや、違う。最後は鬼一佑雁っていう僕の友人が斃した。僕じゃ力が足りず、及ばなかった。彼女に助けてもらって、僕は惨めに泣いていただけさ」


 そう自嘲する蒼子。私は何も言えない。

 蒼子がフィアットで向かった先は、市街の外れにある小学校の廃校だった。入り口には『京都市、臨時遺体安置所』という簡素な看板がついている。

 廃校に入ると、玄関先の受付には市役所の職員と思しき人達がいた。

 現れた蒼子を見て、受付の奥から初老の男性が顔を出す。


「草壁さん! 丁度、連絡をしようとしていて。実は昨夜、何者かに遺体の一部が持ち去られまして……」

「寧音から聞いたよ。それで、寧音もここに来ているのかい?」

「ええ、道明寺さんなら中にいますよ。先ほどまで警察が現場検証をしていて、それに立ち会ってもらいました」


 初老の男性は葛城と名乗った。京都市の職員で、神隠し事件の対策本部部長という役職にあるらしい。

 葛城が肩を震わせる。


「……私も祖父が坊主だったせいか、いわゆる霊感があって。最近、夜になると町中に、変なモノが見えるんですよ。……まさか一年前と同じような事にはりませんよね……」


 蒼子はこれに答えない。廃校の中へと入っていき、私もその背中を追う。廃校の奥、元々は体育館として使われていた建物だろう。そこには無数の遺体収納袋が並べられていた。奥の方が荒らされており、警察の現場検証の後らしくキープアウトのテープが張られていた。

 そしてそこに立ち尽くす道明寺寧音の姿があった。

 蒼子が寧音に声を掛ける。 


「茨木童子の腕が消えたのは間違いないのかい?」


 寧音は青い顔をして答える。


「残念ながら間違いないわ。簡単に解らないよう、身元不明の遺体収納袋の内に混ぜて封印していたんだけど。それが見事にとられたわね……」


 顎に手を当てて蒼子が唸る。


「そもそも封印された腕を取り返して利益があるのは茨木童子だけだし。奪還されたと見て間違いなさそうだね……」

「ねえ蒼子。貴女、パスポートってもってる?」

「……パスポート? 海外に行くときのやつかい? 作っていないけど。またどうして?」

「恥も外聞もない話をするけど、貴女、今すぐ海外に逃げたほうがいいわ。茨木童子とまともに対峙して生き残っているのは貴女だけ。絶対に報復にくるわよ。……それにこの話もそうだけど、今、京都で非常事態宣言が出ているってニュース、知ってるでしょ? あれは感染病でも化学災害でもなく、夜になると京都のどこからか沢山の魑魅魍魎が湧いてるのよ。今はまだそこまで強くないけど、このままいけば百鬼夜行になるわ。たぶんこれも茨木童子と無関係じゃないわよ。命がいくつあっても足りゃしない」


 蒼子が苦笑する。


「僕は逃げないよ」


「……一年前はもっと沢山の術者がいたわ。陰陽寮も機能していた。でも、今はもう誰もいない。それでも戦うの?」

「勿論。何よりもここで逃げたら佑雁に笑われる」

 即答する蒼子。これに寧音は、「ま、アンタはそういう奴だわ。本当に馬鹿ねえ」と大きく溜息を吐いた。


 蒼子が私を一瞥する。


「寧音、一つ頼みがある、縁を預けたいんだ。面倒をみてやってほしい」

「それは構わないけど。……蒼子、貴女はどうするの?」

「茨木童子が報復を狙ってくるなら、それを真っ向から受けて斃すのみさ。向こうは妖術で他人に化けるから、戦うなら僕一人の方がいい。一年前の雪辱を晴らしたいのは茨木童子だけじゃない、僕も同じさ。確かに一年前と事情は違うけど、僕自身も一年前とは違う」


 と蒼子はシニカルに笑った。




 蒼子が一人で去り、体育館に私と寧音が残された。

 寧音がぼやく。


「確かに茨木童子は妖術で他人に化けるから。同士討ちを避けるためにも、ソロが無難なんだけど……。私よりも蒼子の方が強いし……。ただ私もイチ大人としては、未成年の蒼子を一人で戦地に送るのは胸中複雑というか、こうなったのって不甲斐ない大人達の責任よね……。まぁみんな神隠しで死んじゃったんだけど……。ねえ縁ちゃんは、どう思う?」


 突然、話を振られて私は困る。


「……いや……どうって言われても……」

「まぁそういう訳だから。しばらく蒼子の代わりに私が同行するから。よろしくね。色々やりにくいとは思うけど、状況が状況だし仲良くしましょう。まず親睦を深めるためにご飯でも食べに行きましょうか。京都は祇園に良いBARがあって……」

「いや飲み屋じゃん」


 先日の件もあり、寧音とは非常にやりにくい気持ちがあったものの、私に拒否権はなかった。

 連行されるように寧音のハーレーの後ろに乗せられ、ヘルメットを被らされる。京都駅に駐車した後、奈良線京阪本線に乗って祇園まで移動。私も飲み屋は良くわからないが(というか未成年だ)いわゆる、オーセンティックバーな店に入った。

 古い洋風な造りの薄暗い店内。カウンターの奥にいた店員は、寧音と私を見て驚く。


「今日はお子さんと一緒ですか?」

「マスター。錫杖でぶん殴られたいの?」


 そんなやりとりの後、寧音は注文した酒を飲みながら私に言う。


「ところで。さっき話に出た百鬼夜行って知ってる? 画は見たことあると思うんだけど」


 寧音は自分のスマホ画面を私に見せてくる。そこに表示されているのは、とても古くさい、沢山の妖怪達が行進している絵巻の画だ。

 私は呑んでいたウーロン茶をカウンターに置く。


「たぶん、昔どこかで見たことはあるかも……」

「要するに深夜、妖怪や鬼などの異形が群れで町を跋扈するって話ね。間近で見たら絶命すると言われているわ。昔の貴族なんかは遭遇を避けるために夜の外出は控えたなんて話があるわね。ニュースで知っていると思うけど、最近の京都で起きている異変はこの百鬼夜行の前兆よ。異形が人間を襲って魂を奪っているって話ね。霊感のない人間には、外を歩いていたら突然、昏睡状態に陥った風に見える訳」

「……この一番後ろの太陽みたいなのは何なの?」


 と、私はスマホの画面に映る絵巻を指さす。

 百鬼夜行の絵巻、妖怪の行進の端には赤白い太陽の様なものが浮いていた。

寧音が言う。


「ああ、それは諸説があってね。太陽という説や、あるいは『空亡』っていう最強の妖怪だ、なんて話もあるわね。……今のところ京都にはその絵巻みたいな妖怪ではなく、出てきているのはそれ未満の異形なんだけど。このまま悪化すると非常に不味いわ。……まぁ縁ちゃんも、夜になれば嫌でも視えるわよ」


 BARで食事をとった後、私達は再び京都駅に戻る。

 非常事態宣言で外出禁止、避難勧告が出ているものの法的な拘束力はなく、駅前には仕事帰りのサラリーマンや観光客と思しき多少の人出があった。

 そして寧音の言うとおり、私が異変を捉えたのは夜の二十時頃だった。ベンチでスターバックスの珈琲を飲みながら京都の駅前を眺めていると、唐突に肉塊の様なものが地面から湧いた。そして宙から人骨らしき骨が生える。

 歩いている人達が、その異形に気づいた様子はない。仕事帰りのサラリーマンは、肉片や骨に絡みつかれながらも歩き続けていた。


 ひどく、気持ち悪い光景。

私が絶句していると、寧音が缶ビールを片手に口を開く。


「……ったく。非常事態宣言で避難勧告と外出禁止が出ているのに、サラリーマンも観光客も平然といるわよね。本当に馬鹿だわ。……結局は人間って、目に見えるものでないと、怖がることすらできないんでしょうね。……縁ちゃんなら見えると思うけど。たまたまあの魑魅魍魎が見えちゃったり、心が弱かったりであの異形に飲み込まれちゃうと、ニュースで言うところの意識不明の重体になっちゃう訳。この程度なら、まだ殆どの人間が気づかないレベルなんだけど……」

「いや、どうしてこんな事になってるの? 何があったの?」

「たぶん予想だけど。どこかで現世と冥界が繋がって、それで向こうから魑魅魍魎が入ってきてるんだと思うのよ。京都には冥土通いの井戸や一条戻り橋みたいな、冥界と繋がるとされる場所が沢山あって。把握している場所は全部調べたけど異常なかったのよね。……もしかしたら私達人間が知らない穴が、どこかにあるのかも……」


 外出禁止の二十一時が迫り、私達は予約していたビジネスホテルに駆け込んだ。寧音は酔っ払ってボールペンが持てる状態ではなく、私が代わりにチェックインの書類を記入する。


 ……絶対にこんな大人にはなるまいと、私は心に誓う。


 屋内に怪異の姿はなく、部屋にも問題はない。ひとまず安堵した。

 寧音と同室というのも中々やりづらいが、文句を言える立場でもなく私は黙って就寝の準備を始める。

 外着のままベッドで横になった寧音が、


「……嫌な感じね。本当もう誰も死んでほしくないわ……。人間は年功序列、順番に亡くなっていくべきで。子どもから死んでいくなんて絶対におかしいわ……」


 と呻いた。たぶん寝言だ。

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