三章 京都府京都市『茨木童子、鵺、そして百鬼夜行』③
彼女、茨城は右腕に力を籠める。
一年前に草薙蒼子に斬られ、封印されていた右腕を奪還。回復を終えた茨城は、五体満足に戻っていた。
場所は京都駅付近、雑居ビルの狭間にある異界。
茨城は意気揚々と目前にある井戸を、思いっきりぶん殴る。衝撃で周辺の地面が陥没する。
妖術を用いた茨城の打撃は、大型トラックも一撃で吹っ飛ばせるほどの威力があった。通常の井戸なら跡形もなく木っ端微塵だろう。
しかしながら、その冥界に通じる井戸は壊れない。ビクともしなかった。
鵺が残念そうな顔になる。
「うーん、やっぱり駄目ですかぁ。何か別の方法を考えないといけませんねえ」
茨城が肩をすくめる。
「別の方法って一体何があるんだよ。しっかし、さすが閻魔大王の封印だな。俺程度の怪異じゃ、勝負にならねえ」
「ですねえ。閻魔大王と同等、神仏みたいな格式の怪異ならワンチャン……そういえば最近冥界で、八岐大蛇パイセンが転生して人間になってる、って噂を聞いたんですが。ご存知ありません? 八岐大蛇ぐらいの格式なら壊せそうな感じがします」
……パイセン? ああ、先輩の逆さ読みか。茨城は頭を振る。
「しらねーよ。それが本当でも、どこにいるかも解らねーし、何歳かも解らない。それに都合良く近くに居ればいいが」
休憩しようと屈み、茨城は煙草を吸おうとしたところで切らしている事に気付く。
茨城は言う。
「ちょっと煙草、自販機で買ってくるわ」
「あ、暇なので私もついて行きますっ!」
***
私、枢木縁は蒼子が死ぬ悪夢を見て、ベッドから跳ね起きた。
酷い動悸がする。気がつくと汗がびっしょりだ。
時刻は深夜二時過ぎ。隣では寧音が静かな寝息を立てていた。
寒気がするほどの嫌な予感。思わず私は自分の肩を抱く。
頭の中で八岐大蛇の一つが囁く。
『近くに白いのがいる。このままだと病死するけど、いいの?』
……白いの。恐らく蒼子の事だろう。このままで、良い訳がない
蒼子にスマホでメッセージを送るが応答はない。八岐大蛇が誤った発言をしたことはなく、本当に蒼子は付近にいるのだろう。
妙に生々しい夢を見たせいで、いても立ってもいられず私は蒼子を探しに外へ出ることを決意する。ジャケットを手に取った。
***
茨城は、鵺と共に深夜の京都駅を歩く。
さすがに歩いている人間は他にいない。しかし倒れている人影はあった。みすぼらしい格好で大きなリュックを持ち、いかにも家出してきたと思しき子どもである。地面から真っ赤な顔の鬼が腕を伸ばし、その子どもの首根っこを掴んでいた。
夜に出歩いていたところ怪異に襲われ、魂を取られようとしている。そんな状況の様だ。
茨城は躊躇わず鬼を踏み潰した。一瞬で斃す。
すると子どもは意識を取り戻したらしく、目を開いた。
子どもの無事を確認すると、茨城は舌打ちする。
「事情は知らねーけど、死にたくなきゃ早く家に帰えんな。帰れないなら警察にいけ。後なるべく暗がりには行くな。電気の当たっているところだけ歩け」
この子どもは、怪異が見えてしまった人間なのだろう。半泣きになって震えていた。
鬼から助けてもらった礼を言った後、子どもは駅の方へと駆けていく。
隣の鵺がからかう様に言う。
「あれあるぇ? 茨城はもしかして、人間を助けちゃう系の怪異です?」
「俺の信条として、社会的弱者はむしろ助ける主義だ」
「えー意外ッ! 一年前はむしろ、少年少女を狙って神隠しで殺し回っていませんでしたっけ?」
返答せず茨城はうぜえなコイツと鵺を睨んだ。そして再び、歩き出す。
鵺が話を変える。
「そういえば現代では、あんまり藁人形の呪いをやってる人間って見ませんね。絶滅したんでしょうか。藁人形呪いって、とっても強いと思うんですけど」
「……解らねーけど。藁人形って強いのか?」
「強いですよッ! 私、室町の時に安倍晴明に襲われた事がありまして……」
「へえ。お前が襲ったんではなく、襲われたんだ」
「そうなんです! 人間を病死させて遊んでいたら突然、襲ってきて! 酷い話ですよね!」
「お、おう。そうだな」
「で、その時に安倍晴明が藁人形を使っていたんですが、あれ相手に呪いをかける事もできますが、その逆で、自分への呪いとか衝撃を藁人形に移すみたいな事もできるようで。とても厄介でした! 私、生まれ変わったら陰陽師を目指したいです! ドーマンセーマンみたいなッ!」
「それなら早く冥界に帰れよ」
***
私は外に出る。
予想していた通り、深夜の京都市街は異形の魑魅魍魎で溢れていた。肉塊が、骨が、人魂が跋扈している。
それらの異形は私に気づくと、少しずつ距離を詰めてきた。
『うざい消えろ』
頭の中で八岐大蛇が一喝する。するとその異形達は、逃げる様に消えていく。
***
茨城の背筋が凍る。凄まじい妖気を感じた。
鵺も当然それに気づいたらしい。
「……ええっと。今の妖気、完全に格式が神仏ですが。まさか八岐大蛇パイセンでは?」
妖気のした方に視線を向け、茨城は唸る。
「今の京都駅の方か……?」
***
私は京都駅の付近で、蒼子の姿を探す。
嫌な予感が止まらない。今この瞬間にも、蒼子が死んでしまうかもしれない、そう考えると気が気でない。焦燥感に駆られて、私は叫ぶ。
「蒼子ッ!」
***
「今あっちで声がしましたッ!」
「あ? 八条口の方か?」
***
柱の向こうで足音が聞こえた。人の気配を感じて、私は駆け出し――そしてぶつかる。
「えっ?」
***
「はっ?」
茨城は柱の陰から飛び出してきた人影と衝突した。その人物と驚きの声が重なる。
出会い頭の衝突。それは少女であったが、一目見て茨城は棒立ちとなった。
圧倒的な妖気――その少女は紛う事なき、八岐大蛇だった。
少女の風貌は至って普通だ。長い黒髪に陰キャそうな雰囲気、家で引きこもっていそうな見た目も普通の人間である。しかし怪異も素足で逃げ出す程の強烈な妖気が、普通であることを否定していた。茨城程度では、逆立ちしても勝てない。
茨城は内心で絶叫する。
――――はああああああああああああああああああッ!? なんで八岐大蛇と、こんな恋愛漫画の導入みたいな遭遇してんだ俺は。意味わかんねええええええええッ!?
鵺の判断は光速だった。アクロバティックな動きで八岐大蛇の少女の前に踊り出て、鮮やかに土下座を決める。
「八岐大蛇先生! 私達は敵ではありませんッ! お願い殺さないでッ! 私は鵺という怪異です! まずは話だけでも聞いて下さい!」
「……」
八岐大蛇の少女は無言。というかドン引きしていた。
突然現れた黒いワンピースの幼女が土下座しているのだ。冷静に考えて困惑するのが当然かもしれない。
とは言え、茨城には鵺の行動も納得できる。それぐらい少女の妖気は強大だった。
……これもしかして、俺も土下座した方がいいんじゃねーの?
茨城がそう考え始めたその時、真上に霊力を感じて反射的に飛び退いた。
茨城と鵺が元いた場所に、何かが着弾して炎上する。火が消えて現れたのは金色の蛇である。本物ではなく霊体の蛇、鬼神だ。
――――陰陽師の式神、か。
茨城が気づくと八岐大蛇の少女は離れた位置に移動しており、立ち塞がるように白い人影があった。真っ白い装束にモッズコート、そしてコンバットブーツという和洋折衷な風貌。
知っている顔だ。白い陰陽師。思わず茨城の口元が緩む。
「よぉ草薙蒼子。久しいなぁ、会いたかったぜ」
蒼子は何も喋らない。一年前と何も変わらず、澄ました顔をしていた。茨城は苛々する。
と、八岐大蛇の少女が蒼子に駆けよって抱きつき、すすり泣く。
状況が謎で茨城は疑問に思う。少なくともあの少女は蒼子と関係があり、友人なのか恋人なのかは不明だが親しい仲であるらしい。その様子を見る限り、少女は間違いなく八岐大蛇であるが、まだ覚醒、神懸かりはしておらず普通の人間だ。今ならまだ誰でも殺せる。
……あんだよ。ビビって損したぜ。茨城は安堵の息を漏らした。
蒼子が二、三、耳打ちすると八岐大蛇の少女は離れていく。
それを見て茨城はゲラゲラと嗤う。
「あんだよ草薙蒼子。一年前、お前の親兄弟、友人や知人は全員神隠ししてやったのに。まだ懲りずにお友達がいるのかよ。おめーも本当に馬鹿だな。お前のせいで、またお友達が消えちまうぞ」
煽るが蒼子は表情一つ変えない。短く茨城に宣戦布告をする。
「次に消えるのはお前だ、茨城雅羅。悪鬼は滅殺する」
その澄ました蒼子の顔に、茨城は苛立ちを隠し切れない。腸が煮えくりかえりそうになる。
茨城は頭を乱暴に掻く。
「やっぱさ、なんつーか。俺はお前が本当に嫌いだわ。なんつーか見るだけでムカつくんだよな。お前みたいに、生まれながらにして格好良くて、金持ちで、親も家族もまともで、不自由もなく生きてきたから何の劣等感もなく人格も良くて。言葉一つにしても、おめーらとは違うぞみたいな教養めいた戯れ言ばかり。その上、あたかも自分は社会の勝ち組ですよ、みたいに澄ました面しやがって。そんで実際に勝ち組ときたもんだ。あー本当にムカつくわ。マジで殺してやりてえ。ま、お前みたいな生まれた時からの人生の勝ち組に、俺みたいな社会で何にも失うものがない敗者のクズの気持ちなんて解らないだろーけどな」
それは茨城の劣等感だった。
幼少の頃から貧困にあえぎ、犯罪しか生きる道のなかった茨城からすれば、同じ年頃で蒼子の様な裕福な育ちの人間には憎悪しかない。とても憎い。できるだけ苦しめて殺してやりたい。
その境遇、憎悪は酒吞童子も一緒だった。だからこそ一年前、茨城達は蒼子と鬼一佑雁を苦しめるために、その周囲の人間を徹底的に狙って神隠しで殺した。
茨城は唇を舐める。
……さっきの八岐大蛇の少女、あれが殺されたら、草薙蒼子はどんな顔すっかな。見てみたい気がする。
茨城は拳を蒼子に突き出す。
「それじゃ再戦といこうじゃねーか。お前に右腕を斬られたせいで、この一年、本当に苦労したんだわ。今度こそ殺してやんよ」
茨城は地面を蹴り、十メートル近い間合いを一瞬で詰めた。蒼子は腰からスタンロッドを抜く。
茨城の突き出した拳を蒼子がスタンロッドで受ける。その威力を殺しきれず蒼子は後方へ吹っ飛んだ。
受け身をとりながら、蒼子が忌々しげに吐き捨てる。
「全く。相変わらず人外な動きだな……!」
「人外はお互い様じゃねーか。稀代の天才陰陽師さんよォッ!?」
皮肉を返し、茨城は再び襲いかかる。
***
私は蒼子に言われたとおり、少し離れた場所へ移動。
蒼子が茨城雅羅と呼んだ少女、あれが件の茨木童子が憑いた人間らしい。革のライダースジャケットを羽織った少女の動きは、完全に人間離れしていた。浅草の鬼婆を思い出す。
茨城は主に近接戦を挑み続け、それに対して蒼子が距離を取ろうとする。
蒼子は後退しながら人型を放る。
「――――白虎!」
呼び出された式神、白虎が茨城に牙を剥いて飛びかかるが、茨城は拳で弾き返す。
式神一体では不足と判断したのか、蒼子が続いて人型を三つ放る。
「――――朱雀! 騰蛇! 玄武!」
三つの人型はそれぞれ火の鳥、巨大な蛇、首の長い亀の式神と化し茨城を包囲した。
茨城が口笛を吹く。
「まてまてまてまて、四つ同時に式神を出す陰陽師なんか見たことねーし! 化け物かよ。お前、絶対に怪異に向いてるぜ。お前も怪異になりゃいいんだよ」
「冗談。死んだ方がマシだ」
蒼子の声を合図に、式神達が威力を発揮する。周辺が火の海と化し、続けて地面が陥没、最後に上空から滝のような水の塊が落下した。茨城を燃やして潰して押し流す。水から這い出た茨城に向かって、最後に白虎が飛び込んで頭突きを当てた。
吹っ飛んだ茨城は、付近の商業施設一階のショーウインドウを突き破り、破壊しながら内部へ転がっていく。
少しして、茨城は笑いながら五体満足な様子で姿を見せた。
普通の人間なら三回ぐらい死んでいそうな威力。しかし、それでも茨城を仕留める事はできない。
私は固唾を呑んで見守る。
と、そこで蒼子の背後の闇から白い手が伸びるのが見えた。
それは小さい、幼少の子どもの様な腕。
さきほど鵺と名乗った幼女の姿がない事に気づき、私は叫ぶ。
「蒼子ッ! 後ろに鵺が!」
顔も向けず、蒼子が肩越しにスタンロッドを背後へ突き刺す。後ろから目隠しする様に、飛びかかろうとした鵺に電流が刺さった。電気で暗闇が弾け、闇に潜んでいた幼女、鵺が姿を現す。
「あーーーーーん。惜しかったですぅ。邪魔が入らなければ終わっていたのにっ!」
鵺が私を睨み、再び闇に溶ける。
すると、その時だった。道路の向こう側からサイレンが聞こえた。ややあって赤灯を回したパトカーが現れる。
破壊された商業施設からは警報が鳴り響いており、これだけの大事になれば警察も騒ぎに気付くだろう。数台のパトカーが現れて警察官達が姿を見せる。全部で二十人ほど。
舌打ちして両腕を下ろし、茨城は肩をすくめる。
「まー今日はここまでってか。俺も一応は人間で、下手に銃弾を受ければ致命傷だしなー。それじゃ草薙蒼子、またなー」
茨城の隣に現れた鵺が、元気よく告げる。
「それじゃ今宵はこの辺りでっ! また次の夜にお遭いしましょー!」
身を翻す茨城。そして鵺が、大きく息を吸うのが見えた。
蒼子が私に鋭い声を飛ばす。
「縁、耳を塞げッ!」
私は両手で両の耳を覆う。次の瞬間、鵺が大声で鳴いた。
警察官の一人が卒倒、それがまた一人と連鎖していく。両の足で立つ警察官がいなくなった頃、茨城と鵺の姿は忽然と消えていた。妖気も感じない。
蒼子が慌てて警察官に駆け寄って手首の脈、呼吸などを確認して……首を左右に振った。
「……駄目だ。もう死んでいる」
蒼子は他の警察官も確認するが、二十人全員が既に事切れているようだった。
私は戦慄する。
……鵺って怪異、やばくない?
警官達が倒れている旨を通報した後、私と蒼子は警察の到着を待たず、その場を離れた。
私が宿泊していたビジネスホテルへ戻る。
すると丁度、私を探しに出ようとしていた寧音と鉢合わせとなった。
蒼子が事情を話すと、寧音が私に激昂する。
「縁ちゃんアンタね! 状況を知っているのに、どうして一人で外に出るのよッ!?」
まぁまぁと、蒼子がフォローに入った。
「あんまり怒らないでやってくれ。正直、鵺がいるとは思わなかった。僕一人だとやられていたかもしれない」
寧音が目元に抑えて、ロビーにあったソファに座る。
「つまり今回の怪異は『茨木童子』『鵺』『百鬼夜行』か。最悪な怪異の三本立てな訳ね。豪華すぎて鼻血が出そうになるわ」
蒼子が顎に手を当てる。
「茨木童子だけなら僕一人で戦うのがベストだったんだけど、鵺がいると話が変わる。寧音も加勢してほしい」
「そりゃ私は構わないけど……」寧音が私を一瞥する。「縁ちゃんはどうする? この流れだと、絶対に狙われるわよ」
「うーん、一緒に行って守りながら戦うか、縁には結界の中で籠城してもらうかのどちらかかな」
「そうね。その二択になるわね」
と言って蒼子と寧音は、二人揃って私を見つめた。
私は勇気を振り絞って告げる。
「……私も一緒に行きたい」
少しの間、蒼子と寧音は考える素振りをした。そして、
「却下かな」
「却下ね」
と蒼子と寧音の声が重なった。
私の留守番が決定する。
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