三章 京都府京都市『茨木童子、鵺、そして百鬼夜行』④

 翌日の午後一時、ビジネスホテルの一室。

 私が物音で目を覚ますと、部屋の景観が一変していた。部屋の壁という壁には梵字、五芒星、九字の描かれたお札が、所狭しと張られていた。


 ……こんな呪いの小部屋で就寝した記憶はない。これは夢だなと思い、私は二度寝を決め込もうとするが寧音に声を掛けられる。


「あら縁ちゃん、おはよう」


 見やると、寧音は現在進行形で部屋の壁に札を貼っていた。

 私は呻く。


「……何なんですか? これ」

「結界を張っているのよ。怪異が入ってこれない様に。陰陽術と法術を合わせた、豪華な多重結界よ」


 寧音がそう言い終えると、廊下扉を開けて蒼子が顔を見せる。


「葛城さんに話をつけてきた。手伝ってくれるってさ」


 作業をしながら寧音が応じる。


「へぇ。人間は歳を取ると変わるものねえ。あの公務員、昔は陰陽寮が何を言っても協力してくれない堅物だったけど……。あ、こっちも蒼子の刀を用意したわよ」


 言って寧音が蒼子に細長いものを投げて渡す。それは仰々しい装飾の施された刀であった。

 寧音が付け加える。


「解っているとは思うけど。その童子切は陰陽寮が国から借りパクしてる国宝だから。壊さないで返却して頂戴ね。大事なことだからもう一度言うわよ。それ国宝だからね?」


 蒼子が苦笑する。


「善処するよ」


 童子切とは。忙しなくしている二人に声を掛けるのも憚られ、私はスマホで調べる。どうやら刀の名前であり、天下五剣の一振。伝承で酒吞童子や茨木童子と戦った逸話を持った国宝らしい。




 陽が落ち、夜が訪れ、そして夜二十一時を迎えた。

 準備を終えた蒼子と寧音。蒼子はいつもの白いモッズコート姿で帯刀、寧音は錫杖と何やら無骨で大きな弓を背負っていた。

 寧音が私に言う。


「いい、縁ちゃん。この部屋には結界が張ってあって、怪異は入ってこられないわ。ただ妖術で鵺は雲に変化する事ができるし、茨木童子は他人に化ける事ができる。だから私達が帰るまでは絶対に扉を開けないでね。わかった?」


 一人残される事に不安を感じながら、私は蒼子に視線を送る。すると蒼子は微笑む。


「大丈夫だよ。今晩で全て終わらせるから。縁は安心して寝ていてよ。――――それじゃ僕らは悪鬼滅殺に往こうか」


 言葉の最後は寧音に向けられたものだった。寧音は軽く伸びをする。


「鵺と茨木童子を斃したら、次は百鬼夜行を突き止めないといけないし。三連戦はキツいわねえ」

「なに。一試合でハットトリック決めれば終わりだろ」

「蒼子、あんた本当にポシティブよねえ」


 蒼子と寧音が部屋を出て行き、私は一人残される。

 静かになった部屋で何もすることがない。寝てしまおうと思いベッドで横になるが眠気は訪れない。仕方なく私はテレビの電源を点けた。




 それは夜二十三時頃の出来事。

 突然、部屋のチャイムが鳴った。私は驚いて身を強ばらせる。

 廊下扉の向こうに人の気配があった。そして声があがる。


「すいません。フロントの者ですが、お伝えしたい事がございまして……」


 それは聞き覚えのない男性の声。露骨に不審だ。怪異というか強盗の可能性もあり、私は無視を決め込む。

 暫く部屋のチャイムが連続して鳴ったが、暫くして諦めたのか、廊下から人の気配が消えた。




 時は過ぎ、時刻は深夜十二時を回る。

 テレビを見ながら、私がうとうととしていた頃だ。

 私のスマホが鳴る。どうやら電話らしい。電話をかけてくる人間なんて蒼子ぐらいしか思いつかず、私は寝ぼけ眼をこすりながら深く考えずスマホを取った。

 電話越しからは予想通り、蒼子の声が聞こえてくる。


「――ああ、縁か? そっちは何事もないかい?」


 私は応じる。


「……何の変わりもないけど。蒼子は大丈夫なの……。寧音さんは?」

「――その話だけど、ちょっとドジってしまって。部屋の前まで逃げ帰ってきたんだけど、扉が開けられないんだ。悪いんだけど開けてもらってもいいかい?」


 言われて気づくが電話越しの蒼子の声は、エコーの様に廊下からも聞こえていた。私は廊下扉のドアスコープで外を覗く。

 すると廊下には、蒼子が倒れていた。全身が真っ赤で血塗れだ。

 まどろんでいた私は一気に覚醒、動揺する。


「蒼子ッ!?」

 慌てふためきながら、私は廊下扉を開けて外に出る。廊下には先ほどの光景がそのまま広がっており、血塗れの蒼子を抱き起こした。

 蒼子が咳き込みながら空笑いする。


「……流石に少し無謀だった。実は寧音が閉じ込められてしまって。せめて寧音だけでも助けたいんだけど、手伝ってもらえないかい?」


 断る理由はなく、私は首肯した。

 八岐大蛇が囁く。


『落ち着けよ。酒だけ持っていけ。最悪、全部喰い殺せばいい』




 血塗れの蒼子に肩を貸しながら、私はビジネスホテルの外に出た。真夜中の京都に変化はなく、至る所で奇怪な魑魅魍魎が溢れている。

 蒼子に言われるまま歩き、そして京都駅の付近にある雑居ビルの一角。古びた鳥居の前で足を止めた。そして蒼子が言う。


「……この奥に井戸があって。寧音がそこに落ちた」

「寧音さんが井戸に? なんでまた井戸なの?」


 蒼子は何も答えない。

 鳥居を潜ると、周囲の景色が切り替わるように変わる。雑居ビルの一角だったはずが、登山道の様な場所に私は立っていた。

 周辺には朱い鳥居が乱立し、無数の提灯がそれらを照らしている。

 その道を暫く進むと開けた場所に出た。そこには蒼子の言う通り、蓋のついた古い井戸と思しきものがある。石造りで、無数のお札が貼られている。蓋にはヒビが入っており、半分割れかけていた。

 蒼子が井戸を指さす。


「……この井戸の蓋を壊してほしい。強い封印が施されていて、僕じゃ壊せないんだ。でも縁なら、八岐大蛇で壊せると思う」 


 言われて、私はその井戸に触る。


 ……どうなんだろう。私の素手では無理だ。八岐大蛇なら出来るのだろうか。


『そりゃ壊せるけど』『この井戸、閻魔府に繋がってない?』『現世と冥界を繋ぐ井戸』『え、本気で壊すの?』『閻魔大王、激怒な案件では』『また叱られるの?』『酒が呑みたい』


 珍しく八岐大蛇は否定的だった。

 私が困惑していると、蒼子が私に抱きついてくる。そして耳元で囁いた。


「縁、大好きだよ。頼むよ」


 思考が止まる。

 私は蒼子のためなら、何でもしたかった。蒼子に嫌われたくはない。

 八岐大蛇に言われてホテルの部屋から持ち出した缶ビールを一気に飲む。目が覚めるほど苦くて不味い。


 空になった缶を投げ捨て、私は井戸の蓋を思いっきり――――――殴りつけた。

 すると、いとも簡単に塩の塊が割れるような音を立てて蓋が割れる。


 数秒の静寂。

 それを打ち破る様に、地底から地鳴りが響きはじめ、次第にそれは大きくなっていく。そして井戸から噴水のように、真っ赤な液体が吹き出した。赤い雨となったそれを私は頭から被る。


 それは血だった。ぬるりとしていて錆の匂いがする。

 そして井戸から血肉と骨が混ざったような異形が、続々と這い出してくる。数が多すぎて、もはや数えられない。


 ……一体なんなんだろう……。


 状況が理解できず私が立ち尽くしていると、近くで人間の声がした。


「あーあ、やっちまったな。俺さ思うんだけど。オレオレ詐欺とか振り込め詐欺みたいなのって、どうして皆引っかかっちまうんだろうな。あんだけ注意喚起されているのに、未だにかなりの人間が引っかかっちまう。ま、慌てて平静を欠いちまうんだろうな……」


 先ほどまで蒼子が立っていた場所には、革のライダースジャケット着た少女がいた。茨城雅羅である。蒼子の姿はどこにもない。

 ここで私は、今の蒼子は茨城雅羅が化けていた事に気づく。頭の中が真っ白になった。

 茨城がゲラゲラと嗤う。


「お前、枢木縁って言うんだろ。悪いけど、ホテルの受付を襲って電話番号とか漁ったわ。お勤めご苦労さん。これで無事、めでたく大惨事の完成だ。百鬼夜行と相成ったぜ」

「いぇい! 鵺ちゃんも、これで完全復活です! いやー五百年ぶりぐらいのシャバの空気はいいですねえッ!」


 宙から黒いワンピースの幼女、鵺が降ってきた。

 茨城が半眼になる。


「お前、復活しても見た目は変わらないんだな」

「見た目ですか? やろうと思えば、猿とか狸とか虎とか蛇に変えられますけど可愛くないので。なんていうか人間の幼子ぐらいの姿が、一番可愛いですよね。なによりも美味しそうですし」


 そして鵺が私に顔を向ける。


「いやー八岐大蛇パイセンも、ありがとうございます! お礼に私も八岐大蛇パイセンが、表に出る手助けをしてあげますね!」


 と鵺が小走りに私へ駆け寄り、そのまま私に顔面を突き出してきた。

 鵺に接吻される。

 突然すぎて私は硬直、何の抵抗もできない。鵺の唇から流し込まれた唾液は、深い血の味がした。舌の奥が痺れはじめる。そして数秒後には、その痺れは全身に広がっていた。

 立っている事ができず、私は地面に崩れ落ちる。


 ……とにかく、ここから逃げなければ。


 私は立ち上がり逃げようと試みるが、数歩歩いたところで地面に倒れ込んでしまう。痺れて足に感覚がなく、力が入らない。

 背後の鵺が明るく嗤う。


「貴女はもう何もできませんよ。私が呪って病気にしてあげましたので! ちなみにそのまま人間でいた場合は、あと六時間ぐらいで死にます! 勿論、現人神となって八岐大蛇と化せば、私の呪いなんて簡単に解けますので。このまま病死するか、八岐大蛇となって暴虐の限りを尽くすか選んで下さいねっ。後者の方が絶対面白いですよ! 私と一緒に、鴨川に沢山の人骨を流して遊びましょうよぅ」


 そう言い鵺は可愛くウインクして――――そのまま首が刎ねられた。


 鵺の首が宙を舞う。


 同時に茨城に一升瓶が飛ぶ。茨城はそれを裏拳で叩き落した。

 それは一瞬の出来事。

 生首となり落下しながら、鵺は元気そうに口を動かす。


「えー嘘、ひっどーい! 不意打ちで女の子の首を刎ねるなんて! こんな所業、鬼でもやりませんよっ。誰ですかっ!?」


 いつの間にか、私の隣には不機嫌そうな顔の黒巫女が出現していた。

 抜刀しており、黒巫女は鵺と茨城を睥睨する。 


「……お前ら、随分と好き勝手やってくれたね」


 茨城がゲラゲラと嗤う。


「お、鬼一佑雁じゃん。今はお前も怪異で鬼一佑雁ではないんだっけ? その節はどーも」


 鵺は落ちてきた首を、自分の腕で受け止めた。そして首が喋る。


「貴女が件の黒巫女ですね! どれだけ強いのか知りませんが、百鬼夜行は完成しました! さすがに、もうどうしようもないと思いますよ! その上、完全復活した私と茨木童子まで敵に回して戦うなんて、さすがに絶対無理の不可能な話です!」


 鵺は自分の首を頭に戻す。そして虚空から引きずり出す様に闇色の槍を生み出し、その矛先を黒巫女に向けた。

 黒巫女が刀を構えた。そして鵺、茨城、井戸より湧く魑魅魍魎と交戦するが、やはり多勢に無勢であった。斬っても斬っても無限に井戸から湧き続ける血肉と骨の異形。次第に黒巫女の表情が険しくなる。


「うぅん、これは不味いな。何か手を考えないと」


 そう黒巫女が独りごちると、鵺が口を開く。


「黒巫女! 良い事を教えてあげましょうかっ! 百鬼夜行や私達を止める方法は一つだけありますよ! その子を八岐大蛇にしちゃえばいいんです! そうすれば百鬼夜行も私達も全部殺されて止まるかもですが! ま、その後は百鬼夜行よりも、もっと大惨事になるでしょうけど! あははははははははははははは―――――」


 壊れたように嗤う鵺。

 黒巫女が私を一瞥、懐から人型を取り出し口元に寄せてから放る。その人型、式神は膨張して人間の形を作り、分身の様にもう一人の黒巫女となった。

 式神の黒巫女が私を持ち上げて背負う。そして言った。


「さぁ逃げるわよ。貴女がいると黒巫女も戦いにくいってさ」


 私の返答を待たず、式神の黒巫女が井戸に背を向けて走り出した。

 遠ざかっていく井戸。背後では黒巫女が死合いを展開している。

 黒巫女が斃しきれない異形達は、私達と同様に外へ向かって動いていた。襲い来るそれらを避けながら、私を背負う式神の黒巫女は駆ける。

 少しして背後から、雷鳴のような爆音が轟いた。


「なんて頑丈な。黒巫女の居合いでもあの井戸は壊せないか……」


 と式神の黒巫女が呻く。

 鳥居を潜ると元の世界、京都駅付近の雑居ビル街へと景色が変わった。京都駅周辺は先ほどとは打って変わり、異形の数が急増して異世界と化していた。もはや人間の土地ではない。そこら中に怪異が跋扈している。

 先ほどの鵺や茨城の言葉もあり、私はようやく、自分がとてつもない過ちを犯してしまった事を漠然と理解する。

 私が蓋を壊した井戸。あれが寧音の言っていた、現世と冥界を繋ぐ場所だったのだろう。百鬼夜行の発生源。その蓋を壊した事で魑魅魍魎が悪化した。


 ……私のせいだ。


 蒼子になんて言えばいいのか解らない。合わせる顔がない。

 式神の黒巫女の背で揺られながら、私は悔恨に押しつぶされる。

 もう本当に嫌だ。どうして私は、やることなすこと全て裏目にでるのか。

鵺が言うには、六時間後に私は呪いで死ぬという。今度こそ、蒼子に見限られてしまうかもしれない。そんな事になるぐらいなら、六時間を待たずに今すぐに死にたい。


「……今度こそ、蒼子に嫌われちゃうかな……」


 私がそう小さく嗚咽を漏らす。すると式神の黒巫女が言う。


「あら、大丈夫よ。蒼子は貴女を嫌いにはならないわ。最後は絶対に何とかしてくれるから。蒼子を信じてあげて」


 違和を感じる。その口調は明らかに、以前に話をした黒巫女ではない。この式神の黒巫女は一体誰だ? その正体に直感めいたものを感じ、私は訊く。


「……貴女、もしかして鬼一佑雁さん……?」


 式神の黒巫女は何も言わない。

 魑魅魍魎の溢れる京都市街を往く。しばらく進むと、大きな四車線道路の中央で、錫杖で怪異を殴り倒している寧音の姿があった。蒼子はいない。

 私を背負った黒巫女は寧音の付近に着地。

 錫杖を振り下ろした姿勢で、寧音が驚きの声をあげた。


「く、黒巫女ぉ……?」


 私を地面に下ろしながら、式神の黒巫女は早口に言う。


「寧音、この子をお願い。あと蒼子に伝えて。冥土通いの井戸の封印が解かれてしまったわ。大惨事になる前に食い止めるわよ。井戸は黒巫女が何とかするから、表に湧いた怪異と、あとできれば茨木童子と鵺を引きつけてくれると助かる」

「ちょ、アンタ鬼一佑雁よね!? 生きていたの? そういう話は自分で蒼子に言いなさいよ!」


 式神の黒巫女が首を左右に振る。


「いえ残念だけど死んでいるわ、一年前にね。いい加減、死んだ人間の事は忘れろって、蒼子に言っといてよ」

「だから自分の口で言ってよッ! でもアンタがそんなこと言ったら、蒼子は泣いちゃうわよ」


 肩をすくめて、式神の黒巫女が小さく笑う。


「あら嫌よ。私だって蒼子と会ったら、泣いちゃいそうだもの。だから寧音に頼んでいるんじゃない。それじゃよろしく」


 用は済んだとばかりに、式神の黒巫女は忽然と姿を消した。元の人型に戻り、それはゆっくりと地面に落ちる。


「私はアンタ達のお母さんじゃないのよ! 喧嘩した姉妹がお母さんを間に挟んで会話するみたいなムーブすんの止めてよッ! このバーーーーーーカッ!!!!」


 最後に寧音が、そう叫んだ。

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