終章 日出ずる国の彼方『荒廃神社の黒巫女』①
それは彼女、草薙蒼子が小学生の頃の話。
実家が地元の名士、格式の高い神社の子どもだった蒼子は、元々霊的な才能に溢れていた。だが霊的な才能は、良くも悪くも怪異を呼び寄せる。才能がある蒼子自身に危害はなくとも、その回りの人間は別だ。
小学校五年生の時、今月二回目のクラスメイトの葬式に母と参列した後、蒼子は駅のプラットホームで電車を待っていた。母が構内のコンビニに行くと言い出し、蒼子はプラットホームに一人残される。
一人になった途端、堰を切ったかの様に嗚咽が漏れた。
……もう友達のお葬式なんて、出たくない。
普通の人間に怪異は見えない。なので怪異に襲われて死んでも、突然死、事故死として扱われるのが通常だ。今回亡くなったクラスメイトも同じである。蒼子が咎められることはないが、自分のせいで怪異が寄り、定期的に友人が死んでいる。その事実が、たまらなく辛い。
涙が止まらず、立っていられなくなった蒼子は駅のプラットホームにへたり込む。
「……もう、喪服なんて着たくないよ……」
そう蒼子が呟くと突然、近くでソプラノの声があがる。
「それなら、せめて普段だけでも白い服を着ましょうよ。白で喪服の黒を帳消しにするの。それで少しは、気が晴れるかもしれないし」
気がつくと何時の間にか、隣に少女が立っていた。
その人物の名前を蒼子は知っている。同学年で隣のクラスにいる、鬼一佑雁である。
佑雁はスマホを蒼子に向ける。そして写真を撮る効果音が響いた。
鬼一佑雁は微笑む。
「ごめんなさいね。貴女、草壁蒼子さんよね。電車を待っていたら、貴女があまりにも可愛い顔を台無しで泣いていたから、思わず写真をとりたくなっちゃった。……後でちゃんと消しとくから、許してね」
言いながら佑雁は蒼子に、撮った写真を見せる。
プラットホームにへたり込んで、泣きじゃくる蒼子の顔は、とても酷いものだった。自分のことながら、蒼子は笑ってしまう。
佑雁が続ける。
「どうして草壁さんが泣いているのかは解らないけど。……呪術と一緒で、楽しさも、悲しみも感情は他人に伝染するわ。だからできる限り、負の感情は自分で留めないといけないの。……要するにね、貴女が泣いていると、私も悲しくなっちゃうわ。だから泣かないで」
佑雁は微笑んで、蒼子に手を差し伸べる。
それが草壁蒼子と、鬼一佑雁の出会いであった。
蒼子は思う。
……縁は僕の事をよく格好良いと言うけど。実は僕も泣き虫なんだ。我慢しているだけで。
今では蒼子にとって、枢木縁は大事な友人の一人であった。
何故、草薙蒼子はここまで枢木縁に入れ込むのか。
佑雁と縁。
確かに当初、幼馴染の佑雁と同じ読みの名前だったから……というのも否定はできない。
しかし主要因は違う。
縁と初めて出会った、あの駅のプラットホーム。あそこで縁はへたり込んで泣いていた。その時の縁の酷い顔が、涙ぐむ目が、昔の自分に重ねて見えた。昔、佑雁が撮った写真の自分と全く同じ顔をしていた。この泣いている子は、昔の自分だと思ってしまった。それが切欠で、蒼子は縁にとても強く感情移入している。
蒼子にとって枢木縁は鬼一佑雁の代替ではない。
昔の自分だ。
佑雁が昔の自分を救ったように、今度は自分が枢木縁を救う番である。蒼子は、そう考えていた。
蒼子は枢木縁、鬼一佑雁の両方が唯一無比の大事な友人だと思っている。
―――だからこそ。必ず、絶対に、どれだけ時間がかかろうとも――――助けてみせる。
***
それは八岐大蛇の一件の後日談。
元々非常事態宣言で避難勧告もあり、八岐大蛇の市街破壊による死傷者はいなかった。
もう殆ど奇跡である。
事後処理を寧音と葛城に任せ、私、枢木縁と蒼子はフィアットで、その場所に向かっていた。
それは日出ずる処の彼方。
雲一つない晴天の下、フィアットは深い深い荘厳な杜を行く。
やがて道路が途絶えた。行き止まり。周辺には新緑の瑞々しい木々が聳え、その下には塞の神、道祖神の石像が多数、置かれている。
フィアットを駐車した蒼子が、助手席の私に言う。
「それじゃあ、縁ここで待っていてくれ。この先は僕一人で行くよ」
その言葉を無視して、私もフィアットから降りる。
「蒼子、水臭いよ。私も最後まで付き合う」
しばらく腕を組んで蒼子は考えていたが、やがて根負けした様に溜息を吐いた。そして蒼子と私は二人揃って歩き、杜の道なき道を往く。
道祖神の石像を超え、その先にある朽ちた鳥居をくぐる。
すると周辺の景色が塗り替えられるように一転。
新緑の木々が消え失せ、周辺には見渡す限りの満開の桜が広がっていた。
蒼子曰く。ここは現世と冥界の狭間、異界らしい。
私と蒼子は苔で埋まりそうな石畳の上に立っており、目前には朽ち果てた大きな木造の鳥居が出現していた。古の桜並木の参道。それが杜のさらに奥へと伸びている。
この参道は、鳥居はいつ頃に造られたものなのか。三百年前、五百年前、もしかしたら千年以上前かもしれない。
……私は蒼子と旅をして、思ったことがある。
廃虚、史跡、人の消えた集落、そして寺社仏閣。荒廃した日本の原風景に、とてつもない魅力を感じる。
……たぶん私はその風景を通して、そこに在る『歴史、寓話、他の世紀の人間達』との交わりを感じているのだ。それは精神的な旅行とも言えるかもしれない。
私の趣味は小説で、もし蒼子との旅が終わったら、それをテーマに小説を書いてみても面白いかもしれない……なんて思う。
桜吹雪の舞う参道を暫く進んでいくと、数多の灯籠に挟まれた長い階段が現れた。それを昇っていくと神社の本殿が見える。
一言で言えば、その神社は荒廃していた。今にも本殿は崩れ落ちそうだ。
するとここで、境内で掃除している人影を見つける。その顔を見て、私はぎょっとした。
それは鵺だった。
作務衣を着て竹箒で境内を掃いている。先日とは違い、一切の妖気は感じない。
鵺の方も私に気づく。すると物凄い勢いで私の足に縋りついてきた。そして泣き出す。
「八岐大蛇パイセンじゃないですかッ! 助けて下さいッ! 私、ここで無理矢理、働かされているんですッ! 基本的人権を侵害されて、強制労働させられているんですッ!」
訳が解らない。私が反応に困って蒼子に視線をやる。すると蒼子も困惑した表情をしていた。
本殿から鋭い声が飛ぶ。
「人聞きの悪いこと言わないでくれ。お前が閻魔にマジギレされて、五百年ぐらい寺社の掃除する羽目になっただけだろう。大体、怪異の癖に何が基本的人権だ」
そう言ったのは黒巫女だった。神社の脇障子のところに座り、日本酒の一合瓶を呷っている。
「嫌ですぅぅぅぅ! 五百年も埃被った寺社の清掃なんて、あんまりだぁぁぁぁぁぁッ!」
泣き喚く鵺を無視して、黒巫女が上機嫌な様子で私達に言う。
「やぁご無沙汰だね。僕の巫女装束の中にスマホが入っていたから、そろそろ場所を特定されたかなー……なんて思っていたんだけど」
私も蒼子から話は聞いていた。先日、私が八岐大蛇となった際、黒巫女と接近する機会があった蒼子は、黒巫女の巫女装束にスマホを忍ばせたらしい。後はスマホのGPS機能を使い、この『荒廃神社』の位置を特定していた。
黒巫女は続ける。
「白い陰陽師に八岐大蛇の子。折角来たんだし、ゆっくりしていってよ。お茶でも淹れようか。お賽銭も入れていってもらえると、僕の酒代になるから宜しく頼むよ」
蒼子は首を左右に振る。
「申し訳ない。今日は参拝に来た訳じゃなくて。黒巫女、貴女に頼みがあって来た」
「何かな? 話ぐらいは聞くけど」
「黒巫女――――いや八咫烏。貴女が依代にしている、その鬼一佑雁の身体を返してくれ。それは僕の大事な友人なんだ」
黒巫女が半眼になる。
「ふぅん、ちなみに。どうして八咫烏だと?」
「八咫烏。日本神話に登場する導きの神だ。人間を導く、それを考えると貴女が怪異から人間を救って回るという行動も納得がいく。確信したのは先日の八岐大蛇の一件で、貴女が信仰を集めて七色の翼をもった時だ。烏の色が黒い理由、その伝承の一つに、烏は七色の色彩を被ってしまった結果、混ざって黒になってしまったというものがある」
「……悪いが答え合わせはしない。答える義理もないし。それで要望の、鬼一佑雁の話だけど、それはできない。僕が現代の知見を持っているのも、昼間に出歩けるのも、この身体を依代にしているからだし。どうしてもって言うなら、力尽くで取り返してみせてくれ」
蒼子が笑う。
「勿論。そのために僕は此処に来た。――――朱雀ッ!」
陰陽術で呼び出された式神の火の鳥が、火の海に生み出す。荒廃神社の本殿が燃えた。
黒巫女が宙に手刀を切ると、桜吹雪が巻き上がり一瞬で鎮火する。
不機嫌そうに黒巫女は、顔を引きつらせた。
「おい! 陰陽師が他人の神社を燃やすってどういう了見だッ!? 現代人は一体どんな感覚をしているッ! ――――この令和の陰陽師がッ!」
「貴女こそ追いかけていた僕を避けていただろ! この意地悪な―――神話の巫女めッ!」
雰囲気が緊迫。鵺が物凄い勢いで逃走した。私も蒼子から離れて距離を取る。
かくして桜吹雪が舞う荒廃神社にて、黒巫女と白い陰陽師の一騎打ちが始まる。
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