第一話 少年、ナタニエフ(兄)と邂逅するという話(1)
平野平正行が勉強に一段落つけて昼食を取ろうとしたのは十二時半だった。
朝の鍛錬をして朝食を食べたのが七時だったのでいい頃合いである。
もうすぐ、レポート課題の提出期限だ。
嫌なことは早めに終わらせたい。
嫌なことではあるけど、これも学生の醍醐味だろう。
部屋を出て下に降りる。
一階は居間と、台所、ふろ場、亡くなった祖父の部屋、トイレがある。
華美な装飾はしない。
武術の道場をしているので弟子たちと飯を食べたり、集まりなどで大勢の人が来てもいいように居間は二十畳以上ある。
その中央には一本木を使った卓。
テレビが部屋の隅に置いてある。
反対側に目を移せば仏壇もある。
半年前に亡くなった祖父の位牌を見れば、涙ぐむ。
「正行。お前は雨の様になれ」
生前、自宅療養で看取る時に祖父は正行を枕元に呼び、言いつけた。
だが、正行には意味が分からなかった。
戸惑う。
正座の足に拳を握っている拳に祖父の手が乗る。
皴々の手だ。
苦労をしてきた手だ。
自分を育て上げた手。
人のために傷つき、守って来た手。
祖父は言った。
「雨は仏の慈悲だ。
正行は父親代わりだった祖父の言葉に涙を流しながら聞いていた。
「俺たちの教えは、お前の心と体に刻み付けた……」
段々、声が小さくなる。
最後の時が来たのだ。
周りにいた弟子は係りつけの病院などに電話し、父は医者を呼ぶため立ち上がった。
その様子に正行は混乱した。
――大丈夫、お前ならやれるさ
正行の耳に小さな声がした。
振り返ると、祖父は瞑目していた。
現在。
正行は朝食のご飯が残っていたので皿に盛った。
その上にレトルトのカレーをかけた。
居間で一人、食べようとするとナディアが納屋へ入っていった。
父・秋水の愛車である。
「お、美味そうなのを食っているね」
車を止めた納屋から大男が出てきて土間でビーチサンダルを脱ぎ声をかけた。
「お仕事、お疲れ様」
カレーを食べつつ正行は言う。
声に感情はない。
その仕事がどういうものかは見当がついていたし、十中八九違法なものだろう。
そういうことをやる家庭なのだ。
だから、父である大男は息子である正行を祖父に預けた。
子供の正行が泣こうとも、怒ろうとも父は背を向け続けた。
今は逆だ。
かつての父を『ハードボイルド小説から出てきたような仕事人間』というなら今は『幼児退行した馬鹿(でも、大人の悪知恵もあるから厄介)』である。
実際、正行はブラウスにセーター、ジーパンという冬の装い。
秋水はアロハシャツに短パンである。
鍛えて作られた肉体は山の様。
よく見れば刃物や火傷、有刺鉄線などの傷がある。
銃撃の跡もある。
「あ、そうだ。正行、というか、弟。今夜、ひと暴れするぜ」
息子である正行を秋水は『弟』と呼んだ。
嬉しそうな父。
だが、大体、なんとなく読み込めた正行だが、こう言った。
「何がどうしてどうなって俺が、また弟にならなきゃならないの?」
最後の一掬いを口に運んで聞いた。
すると、案外簡単に、父は事の始まりを話し始めた。
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