第十話 眠って起きて

 精霊の笑い声と精司せいじの小言につられるようにやってきたのは精司の兄である朔夜さくやだった。

 閉じられたカーテンが開けられ、「随分騒がしいな」と皮肉なのかただの感想なのかゴンには判別がつかないことを述べた。

朔夜兄さくやにい……、こいつだよ」

「そんなんわかってるって。それにしてもってこと。精霊がここまで姿を見せてるの珍しいだろ」

「そういえばそうだな」

 自分には非がないということを知らせる精司を朔夜は慣れているかのように軽くあしらう。こういうやり取りは兄弟っぽい。

 視線を集めた精霊は「にしし」と笑った。精司の眉間のしわが再び深くなる。

「いたくゴンのことが気に入ったみたいだな? さすが精司を選んだだけある」

「朔夜兄……」

「まあ、ここからは俺たちが話をするからゴンはお前に構ってられなくなるけどね」

 精霊のことを子ども扱いというか上からあおっているようにする朔夜にゴンは息を呑む。精霊をそんな風に扱って大丈夫なのだろうか。先ほどの精司の説明を聞いても精霊は人間よりも強い力を持っているようなのに。

 ゴンの心配をよそに精霊は首を傾げたあと、笑い声を残してその姿を消した。驚きの声が思わず漏れる。

「わ、消えた」

「すぐ駆けつけてくる位置にはいるだろうけどな。精霊がいない方が会話の流れはスムーズだから」

「あいつ、朔夜兄の言うことは聞くのに」

「戦う時はちゃんと聞いてくれるんだろ? あと、精司は精霊の扱いがわかってない。あいつは基本的に子供と同じなんだよ」

 いや、子供と同じだというのなら先ほどの朔夜の扱いも上手いとは言えないと思う。

 しかし、実際に精霊は朔夜の思惑通り姿を消したのだから、ゴンがそれを口にすることはない。子供も千差万別なように精霊もそうなのだろう。そこまで精霊がいるのかはわからないが。

 朔夜は精司からゴンの方へ向き直る。

「おはよう、ゴン。よく眠れたみたいだな」

「あ、はい。おはようございます」

 そういえば朝の挨拶はまだしていなかった。ゴンが拍子抜けながら答えると「夢は見た?」と質問がきた。

「いや、見てないですけど」

「じゃあ、深く眠れたんだな。よかったよかった」

 安心したようににこにこと笑う朔夜に対し、ゴンはその台詞で思い出したことがある。そういえば、なぜゴンはあの場で寝てしまったのだろう。

「俺、なんで倒れたんですか? あんまりに急でびっくりしたんですけど」

「それは、精司の魔法って言っていいのか?」

「俺の魔法がきっかけではあるけど、原因はゴンだ」

 魔法で寝かされたのに原因がゴンにあるとはどういうことだ。

 ゴンは理解が追いつかず、眉間に皺をよせ動きが止まる。

「俺の魔法でゴンの疲れを和らげようと思ったんだ。そしたら、思った以上に効いたみたいでゴンはその場で寝ちまったんだ」

「えっと、つまり、俺が疲れていたってことですか?」

「そういうことっぽいな。精司の魔法で和らぐとめちゃくちゃ楽になるんだけど、まさかあのまま倒れちゃうとはねー」

 朔夜は口に手を当て笑いをこらえるようにしつつ、精司を見つめている。それに精司は少し拗ねたように目を逸らした。

 どうやら本当にゴンが寝てしまったのは予想外なことだったらしい。

「そんなに疲れてたかな、俺……」

「これは推測でしかないけど、初めての経験に加えて今までしたことのないくらい大きな魔法を使ったんだろ? いくら他の魔法に依存していたとしてもそれを受け止めるだけの魔法を使ったんだから、当然体力も削られていたんじゃない?」

「そうなんでしょうか。でも、寝てしまったという事はそういうことなんだろうけど……」

「自覚がないのは危険だな。演習で少しそのあたりも補った方がいいかもしれない」

 あまりしっくりと来ていないゴンに、精司は腕を組み考え込んだ。同い年ということらしいが、やはり入隊時期などからしても先輩だ。ゴンも17にしては子供らしくないと言われることが多々あるが、精司はそれを上回っている気がする。

 じっと見つめたゴンに精司は顔を上げ、「なんだ?」と問いかけた。まさか自分よりも子供らしくないから見てましたとは言えないゴンは「いや、なんでも」と誤魔化すしかない。

「魔法をかけるなら一言くらい言ってくれればよかったのに、ってことだよなー」

「え、いや、それは、そうですけど」

「確かに背後から黙ってやったのは悪かった。けど、朔夜兄は俺を責める資格ないからな。俺のこと見えてたくせに」

「だからってまさかあのまま無言でやるとは思ってなかったって」

「わかってた、絶対」

「頑固ー。ま、言わなかったのは俺も同罪だけどね。あそこで精司が後ろから魔法かけるよーって言ったらゴンは絶対振り向いてたと思うよ。そっちの方が危険だろ」

 ひょうひょうとかわしていく朔夜に精司は「ああ言えばこう言う……」と苦言を漏らした。

 朔夜が精霊と仲がいいのは似た者同士だからではないか。そう思わずにはいられなかった。

 ゴンはかかっていた布団を取り、地面に足をつけた。例のごとく裸足にされており、ひんやりとした床の温度が直に伝わってくる。

「うわ、ゴン裸足のままは冷たいって。履くもの持ってくるから座ったまま待ってな」

 バタバタと慌てて去った朔夜の跡をゴンはパチパチと瞬きをしながら見つめた。

「え、そこまで……」

「朔夜兄ー、上着も持ってきてやってよ」

「はいよー」

 してもらわなくても、というゴンの言葉は精司によってかき消された。精司の方を見つめると、なんのことやらと言った様子で涼しげである。あの朔夜の弟なのだ、絶対にわかっていてやっているはずだ。

 室内用の靴とゴンの訓練服の上着を抱えて持ってきた朔夜にゴンは眩暈が起きそうになる。天宮家にこんな召使みたいなことをさせたと知られればどうなってしまうことやら。刺し傷が一つで収まればいい方だろう。

 朔夜に用意された靴を履き、上着を羽織る。肌着一枚では少し心もとない。

「ありがとうございました。本当に」

「いーや、起きたと分かった時点で持ってくるべきだったな。そこまで頭回らなかったわ」

 回らなくていい。というか、今も回らなくてよかったのだ。

 そんな期待をこの二人はことごとく破っていくだろう。なんだろう。まだ出会って三日目なのにこんなに天宮兄弟のことを分かった気になってしまうなんて。こんなことを話したら刺し傷がまた増えてしまう。

「俺、どれくらい寝ていたんですか」

「普通に15時間くらいじゃないか? 魔法の効果でいつもより深く眠っていただろうし」

「今は朝の7時くらい。まあ、ズレはあるけどね」

 その時間を聞いてゴンは自分のことだが引いた。どれほど寝ているんだ。

 正確な時刻を知る手掛かりは少ないが、隊にはいくつかの時計がある。ゴンは生まれてからこの方時計よりも感覚で生きてきたので、中々時計による時刻を受け止めづらいが、天宮兄弟はその身分もあって普通に使いこなせているようだ。身に着けてはいないようだが。

「そんなに、ですか」

「集合時間まではまだあるから安心しなって。あ、そういえば今日は他の班もゴンと色々話してみたいって言ってたな」

「ええ」

「昨日のあれだけじゃ疑問はまだまだ解消されないってさ。ま、その前にうちの班での役割とかを確認してからだけどね。昨日は緊急で全然確認できていなかったし」

 カーテンを開けて先導する朔夜に続き歩く。ここは隊員の仮眠室のようで他にもカーテンで仕切られているところがいくつかある。寝ていないところはカーテンが開けられている。

 困惑の声をあげるゴンに朔夜は笑いを含めた声で話す。ゴンの反応が面白いらしい。

「じゃ、ここ水場だから顔とか整えてきな。俺たちはこの先の扉のとこで待ってるから」

「はい」

 水場はボタンを押すと水が出るようになっているらしく、よくある水道だった。朔夜が指さす方向は一本道で10mもないところに扉がある。

 ゴンが頷くと、朔夜とゴンの後ろにいた精司は扉の方へ歩き出した。少しそれを見送ってから、ゴンは水場へと体の向きを直した。

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