番外編
◆温もりと馬鹿
第一印象は生きる世界が違う人、だった。
家族の反対を押しのけ、なけなしの金を抱えてなんとか
噂には聞いていたが入隊自体は簡単にできた。人手不足に悩んでいるのは本当の事らしい。魔法のことと、何で入りたいのか、この二点しか聞かれずに部屋まで割り当てられた。宿に泊まる金さえなかったので、この待遇には感謝しかない。
宮に入ってから驚きしかない。部屋の案内をしてくれたのは源志と同期になるという人物だった。隣の部屋だから何かあったら言えよと、男らしく笑っていた。こんな人好きのする男なのに隊に入らなくてはならないなんて。他にも多くの職業がある中で何故この道を選んだのだろう。
割り当てられた部屋の前でまず立ち尽くす。こんなにしっかり閉まる扉があることに驚く。ドアノブに手を伸ばす。滑らかで冷たい感触が手の平に伝わる。傷一つない。こんな些細な事なのに源志の心臓は普段より早く脈打つ。
意を決して扉を開ける。まず入ってすぐに硬い石が敷き詰められた灰色の場所があり、一段上の床がどこまでも続いている。実際には壁が見えるが、源志の価値観でいえばあんなに扉から壁が遠いことは広大な敷地と何ら変わりない。
ここなら十人は余裕で寝られる。
恐る恐る靴を脱ぎ、硬い床に足を付ける。冷たさが裸足に
部屋には簡易型の台所、机が二つ、二段ベッドと棚という基本的なものがついていた。だが、源志が生活していた中ではほとんど馴染みのないものばかりだ。
荷物を置き、初めて間近に見る物を距離を取りながら眺める。どれも使われた形跡はあれど、目立った傷はない。
ぶるりと体を震わす。この部屋は寒い。氷を扱う魔法を使う源志にとって寒さは普通の人々よりも感じにくいが、流石に薄着一枚の格好では耐えられない。今までの緊張状態が弛緩したことも理由の一つだろう。
床に置いた荷物を探るためにしゃがみこむ。その時、ガチャリと聞き慣れない音が背中側から鳴った。思わず振り返る。
そこには男がいた。身長は高く、鋭くこちらを睨みつけるような温度を感じない目が屈みこんでいる源志を容赦なく見下ろす。ジャケット、ベスト、シャツ、ズボン。全て男の体の筋に沿っており、短すぎず長すぎず、男の裾の長さにぴったり合っている。何より身に付けている全てが綺麗だ。
生きる世界が違う。率直にそう思った。
この男は源志の苦労など知らないのだろう。金に困ったことなどないのだろう。
寒さを
「……この部屋の人か?」
身長と体格に似合う男らしくある程度の低さを持つ声が下がったままの口から聞こえた。
「そう、だけど」
屈んだままで答える。嫌だなと思った。この男に対してではなく、この状況に対してだ。ただでさえ源志の身長は低いのに、屈んでいることで男が意図しなくとも源志を見下ろす形になる。まるで身分差をそのまま映しこんだようだ。源志の長い前髪の隙間から見える男の髪は切り揃えられており、的確な短さである。更に源志の惨めさを際立たせているようだ。
源志の言葉に男は「そうか」と口を開いた。
「俺も、この部屋だって案内された。他に人が既にいることはないよな?」
「多分、ないと思うけど」
「そうか。じゃあ、よろしく」
男はそう言って、高そうな革靴を脱いで綺麗に揃えた。男の足には靴下があり、床に足をつけても少しも冷たさを感じていないようだ。
男は全く鞄を持っていなかった。源志でさえ着替えなどの荷物を包んだ物を持ってきているというのに、この高貴そうな男が何も持ってきていないなどありえない。
男はさっと部屋を見渡して、二段ベッドで動きを止めた。
「上と下、どっちがいい?」
「……どっちでも、いいけど」
「じゃあ、俺が下でいいか?」
「……うん」
まずベッドという代物さえ初めてだと言うのに、この男は簡単に話を進める。表情筋が死んでいるのか、この男は常に口角を下げたままだ。
男が歩いて源志を素通りし、二段ベッドの下の段に腰掛けた。男が座っても、上の段にはぶつからないほどの高さはある。
「俺の名前はゴン。お前は?」
「源志。……あのさ、荷物は?」
「ない」
「は?」
「ない」
別に聞き取れなかったわけではないのだ。ゴンと名乗った男は絶句した源志にもう一度同じ言葉を繰り返した。聞こえているってば。
「えっと、あのさ、初対面の人にこう言うのはどうかと思うけど」
「なんだ」
「馬鹿なの?」
なんて口の利き方だと怒られても仕方はないだろう。だが、それにしたって荷物を一つも持っていないというのは馬鹿だ。
ゴンは特に気分を害した様子はなく、感情を露わにする源志の顔を見つめている。
「そうだな、馬鹿なんだろうな」
「いや、実際どうするのさ。家近いわけ? 取りに行けるの?」
「別に買いにいけばいいだろ。それと家は近くない」
なんてことなく言ったゴンに、源志はそういえばそうだったと思い直す。そうだ、この男は源志と違って金がある。現地調達なんて簡単な事だろう。
「……そっか」
「これから俺は上着とか買いに行くけど、お前はどうする?」
「俺はいいよ。……金ないし」
裾がほつれて、皺だらけの源志の格好を見ればわかることだ。ゴンは「ふぅん」と鼻を鳴らしただけでそこまでの反応を示さなかった。立ち上がって、源志の傍に近寄る。
「ちょっと、立ってくれるか」
「なんで?」
疑問に思いながらも源志は言われた通り立ち上がる。立ち上がったからこそ、ゴンの背の高さが伝わる。どう頑張っても源志が見上げる形になる。
ゴンは源志を頭から足の先まで見下ろした。
「ありがと」
そして、そう言って早々と部屋から出ていってしまった。
「……は?」
意味が解らない。何をさせたかったのだろう。
源志は首を傾げたが、結局何もわからない。初めて金がある人とあんなに話したが上手く付き合えきれる気がしない。
そう思って源志は別に上手く付き合う必要があるわけではないと思い直す。どうせ数か月の命だ。つまりゴンとも数か月の付き合いしかない。
源志はしゃがんで本来しようとしていた荷物を探り直す。薄い、人によっては夏用では? と疑問に思うくらい薄地で出来ている上着を羽織る。寒さはそんなに変わらない。
だから、あのゴンとかいう男との付き合いだって、そんなに気にする必要はない。
源志は立ち上がって、二段ベッドに掛けられている梯子を上って、上の段へと座ってみた。景色が全然違う。ここで寝られるだろうか。寝転がろうとして、思いとどまる。こんな汚い格好で綺麗な布団に横たわるのはダメだ。座る事さえ本来なら褒められる行為ではない。
ただ降りる気にはなれず、ベッドで座ったまま時間が過ぎるのを待つ。
しばらくしてガチャリと三度目の音を聞く。部屋に入って来たゴンは部屋を軽く見渡して、二段ベッドの上に座る源志を見付けると少しだけ目を開いた。
「そこにいたのか」
そう言うゴンの手には大きい紙袋が提げられていた。本当に買い物をして来たらしい。
二段ベッドの上で座ることでやっとゴンの事を見下ろせる。先ほど感じていた威圧感は、どうやら別に身長のせいではないらしい。ゴンを見下ろす位置についても、この男から高貴感はひしひしと感じる。
ゴンは源志の傍に近寄ってきた。
「降りてくれ」
「なんで?」
「いいから」
ゴンの言うことは先ほどから読めない。源志は言われるがまま降りる。ゴンは持っていた紙袋に手を突っ込み、衣類を出し、それを源志に差し出してきた。
「……なにこれ」
「やる。寒いだろ」
「何、情けのつもり?」
ゴンが差し出してきた衣類は源志が現在着ているものよりよっぽどいいものだ。ご丁寧に上から下まで揃えられている。
どこをどう見ても貧乏人の源志を見て、情けをかけたのだろうか。馬鹿馬鹿しい。
源志の気分が良くはならなかったことを悟ったゴンが少し眉を吊り上げた。目つきが悪いとは思っていたが、そういえばゴンが眉を動かしたのは今が初めてだ。
「悪いか」
開き直りである。そこは弁解するところだろう。
あまりの潔さに言葉を失った源志にゴンは衣類を押し付ける。
「そもそも俺の
なんて傲慢だ。丈が合わないくらいでゴミにされてちゃ布も泣く。
源志は渋々受け取る。触った瞬間手を放しそうになった。肌触りがすごすぎる。こんなのを気軽に持っていいのだろうか。
「着替えたらどうだ?」
「目の前で?」
「別に見ない」
そう言うとゴンはくるりと体の向きを変え、紙袋を机の上に置いた。中身を漁っているようなので、その隙に源志は着替えを始めた。
雑に扱ってはいけない気がして、脱ぐのは一瞬だったが着るのはいつもの倍以上時間をかけてしまった。肌触りは良いが、どうしても違和感が身を纏う。水浴びをしてから着たかった。
「終わった」
源志が声を掛けるとゴンが振り返って、その姿を目に映した。
「似合うって思ったんだ」
ゴンは満足そうに声のトーンと口角を上げ、目を細めた。ゴンのわかりやすい笑顔に源志は驚いてしまう。全然表情筋死んでいない。むしろこっちが本当の顔じゃないか。
ゴンが更に上着を手に取って源志に差し出した。厚い生地はしっかりと冬仕様である。
「……これも?」
「ああ」
「あのさ、悪いよ。ここまでしてもらう必要ないし。今回は受け取るけど」
源志が遠慮しながら受け取ると、ゴンは「気にするな」と到底無理な言葉を吐いた。
「これは俺が好きにすることだ。金なら俺が払う」
「なんで」
「誰か、養っているんだろ?」
その言葉に源志は口を閉ざす。何も言っていないのに、なんで分かるんだ。
「俺は反対だ。だから、俺は源志が過ごしやすいようにしたいと思ってる」
なんて重い事実を知らせるんだ。この男は源志と違う。いや、この隊でおそらく源志だけが特殊だ。金稼ぎのためだけに隊に入る人なんて。
源志は深呼吸をして、一旦息を整える。
「俺は、お前の何でもないよ。初対面だし」
「ルームメイトになっただろ」
「それだけ?」
「縁なんてそんなもんだろ」
そう言いながら笑みを浮かべるゴンに、源志は心の底からこう思ったのだ。
「馬鹿だろ、ゴンって」
死ぬ気だ、こいつ。
源志の言葉にゴンが笑う。
「それで源志が納得するなら、俺は馬鹿でいい」
本気でそう言う姿が、源志はとてつもなく不可解で、これを申し出るゴンの未練がこの世に何一つないことがわかってしまって、とても綺麗ではない笑みを返すことしかできなかった。
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