第十七話 不自由の中の自由みたいなものだ

「本当に俺なんかに今日を使ってもよかったわけ?」

 うどんをすするゴンの正面にいる源志げんじは眉を若干下げた状態で確認するように言ってきた。ゴンはくわえていたうどんをすすり切り、口の中で噛みながら頷いた。

 うどんを胃の中に落としてから、ゴンは話すために口を開く。

「全然。源志と一緒の方がよかったし」

「それは嬉しいけどさ。いいのか? こんなに奢ってもらって」

「今更」

 ゴンは何言ってんだよ、みたいなニュアンスで笑った。あまりにも当然のことを聞いてきて、可笑しくなったのだ。

 気にせずうどんをすするゴンに源志は「それはそうだけど」とあまり納得していない様子のまま、うどんをすすった。

「そんなこと気にしたことねぇじゃん。どした? 突然」

「気にするだろ、俺たちはもう肩を組んで支え合う訓練生じゃないんだから。ただのルームメイトに全部奢ってもらってちゃ示しがつかない」

「そういうもんか?」

「そういうもん」

 首を傾げつつゴンは次の一口へと箸を伸ばす。源志も注文しておいて残すことはしたくないため、うどんを口に入れる。

「だったら、源志は今お金持ってんのか?」

「……それは」

「だろ。いーんだよ、持ってるやつには奢られとけよ」

 言い渋る源志の反応はゴンの中で予想の範囲内だった。しかし、いつもなら堂々としているのに今日はどこか遠慮気味だ。

「本当にどうした? 俺は源志の助けになってると思って奢ったりしてたんだけど」

「わかってる。実際めちゃくちゃ助けてもらってるよ。訓練生時代はめちゃくちゃ甘えてた。でもさ、もうゴンも正式に隊員になった」

「源志もな」

「これからはゴンだって出費がかさむだろ。俺に金を使っている場合じゃないよ」

 源志の言葉にゴンは「へえ」と軽い相槌を打った。あまりにも軽すぎたせいか源志がこちらを睨んできた。

「わかってないだろ。俺のことなんか気にしないで自分のために貯金しろよ。ゴンは貯金できないわけじゃないんだから」

「これ、前も言ったよな。俺は貯金しても意味ねぇの。だったら、源志に奢っている方が百倍いい使い方してる」

「意味ないことはないだろ。金はないより合った方がいい。蓄えだって」

「それは源志の考えだろ。それに今だって俺の持っている額は一人にしてはありすぎている。本当は全部源志に渡してもいいくらいだ。俺は食べ物には困らないしな」

「一緒に貧困生活なんて嫌だよ。ゴンくらい金持っててくれ」

 諦めたようにため息を吐き、うどんをすすった源志にゴンは「だろうな」と笑った。口をもごもごと動かしながら源志がゴンを上目遣いで睨む。ゴンがわかってくれないことに納得したわけではないらしい。

 先に食べ終わっていたゴンは水をあおる。氷はまだ溶けきっておらず、冷たい感触が唇から喉まで続いた。


 源志は納得したわけではなかったが、切り替わりはしっかりとしていた。ゴンに奢ってもらうとわかれば、小物や服、お菓子を買い始めた。どれも一人で消費しきれる量ではない。

 すっかり源志の荷物係となったゴンは商品を手に取り悩みこむ源志を見て、暇をつぶしていた。いつもは見られない表情へと次々変わっていって飽きない。

夏芽なつめはこっちの方で……江奈えなはこっち、いや、こっちがいいかな。慎之介しんのすけはこの頑丈なので、兄ちゃんはこれでいいか」

 源志は数々の名前を呟きながら商品を選ぶ。源志の兄弟の名だ。

 源志の実家は地域内といえど、ここからは遠い場所にあるようで、こうして源志は仕送りを度々する。その買い物全てに付き合ってきたのでゴンも源志の兄弟の名前を少しは覚えている。なぜ少しなのかというと数が多すぎるのだ。

 源志自身も数が多すぎて、買い物が終わってから、「あ! 数足りねぇ!」と何度も嘆くのをゴンは聞いてきた。源志に言わせればこうしている間にも兄弟が増えていても可笑しくはないらしい。源志は実家と手紙での連絡を交わしていないので、あちらの状況はさっぱりわからないとのことだ。

「ゴン。俺、財布預かってるしどっかで暇潰してていいよ」

「わかった」

 源志がそう言うときは大抵ゴンに傍にいてほしくない時だ。源志は家族のプライバシーというものを大切にしていて、それをゴンにも晒そうとはしない。ゴンも深くは聞かず、店を出る。

 財布は買い物を始めるときに源志に渡してある。懐に少々のお金は入れてあるので何かあったときでも安心だ。

 近くをぶらぶらと歩く。店が並んでいる通りなので、暇そうにするゴンに声をかける者は多い。ゴンは軽く流して歩き続ける。買い物をする気はないのだ。

「お兄さん、お時間どうです?」

 若い女性の声がゴンの腰ほどの高さから聞こえる。ゴンが思わず見てしまったのは先ほどまで何もない空間に突如テーブルと女性が現れたからだ。

 若い女性は全身布で覆われている。鼻から下も長い布で覆われており、表情が分かるのは目元しかない。机の上には水晶玉が置かれており、転がらないようにクッションが敷かれている。

 占いを生業としているのが見て取れた。

「いいっすよ。でも、一番最初に占うものは俺が決めていいですか?」

「ええ」

 ゴンが女性と対面して、いつの間にか用意されていた椅子に座ると女性は微笑んだ。目元のみなので実際は口をぴくりとも動かしていないかもしれないが。

 ゴンは真っすぐ女性を見つめた。リラックスして腰掛けた椅子に寄り掛かる。

「俺はいつまで生きれそうですかね」

「なるほど、見てみましょう」

 死はいつか。その問いはすべての生き物に共通するものだ。占い師の女性にとって、他人の死を予期することは特段珍しくもない。いや、むしろ定番といっても過言ではないかもしれない。

 水晶玉に手をかざす女性の目元をじっと見る。かすかに女性の目と眉が上がった。しかし、すぐに女性は取り繕ってゴンの方を見る。

「そうですね、あなたは」

「正直に言ってくださいね。絶対ですよ」

「……」

 うすら笑うゴンに女性は目に見えて動揺した。女性は誰かを傷つけるために占いを生業としているわけではないのだ。悪い結果だとしても必ずフォローはするだろう。

 そして、女性はゴンにフォローの準備を壊された。女性は「酷い人ですね」と占い師としては言わない言葉を発した。

「わかっているのに、私に言わせる気なんですか」

「それで、いつなんです?」

「……。あなたは20歳まで生きます」

 出来るだけマイナスな印象を含めないようにした言い方がむしろ悲惨さを増す。女性がフォローを入れようとするので、ゴンは手を真っすぐ突き出して静止させた。

「本当に占いができる占い師っているんですね」

「疑わないんですか? むしろ疑うべきですよ」

「でも、あなたは20歳って言った。無難に何年後って言わなかった」

「それが、信頼に値しますか?」

「しますよ。俺、20歳以上に見られることもあるんですからね」

 女性はもう占い師として繕うことはしなかった。ゴンに対して眉をひそめている。うどん屋での源志に似ている。

 ゴンは背丈が普通よりは高い。筋肉も人並み以上にある。何よりも目つきが悪かった。子供の頃からこの目つきのせいで最初は「子供らしくない」と距離を置かれたものだ。成長期で背が伸びてからは子供を相手にすることが苦手になった。大抵最初に泣かれるか、逃げられるのだ。

 そんなゴンが17歳ということには大抵驚かれる。もっと年上だと思っていた、もしくは自分と同じくらいだと思っていたなどと感想を述べられる。

「でも、俺嬉しいんですよ。20歳までは生きられるって言われて」

「そこのどこが嬉しいんですか? 十分短命でしょう」

「俺、なんですよ」

 その言葉で女性は言葉を呑んだ。威盧討伐を仕事にしていることが一瞬で伝わり、それが何を意味しているのか女性もわかったのだ。

「本当に酷い人。それで私に寿命を聞くなんて」

「一番信頼できる質問内容だったので。あ、あとは何でもいいです。得意なもん占ってください」

「本当に興味ないのね……。私が得意としているのは前世占いですよ」

「前世?」

 ゴンの言葉に女性は頷いた。

「前世なんて知ってどうするんですか。それで人生がどうなるか決まるなんて言わないですよね?」

「だからこそですよ」

「だからこそ?」

「他者の未来に責任を持たなくていいじゃないですか」

 女性の言葉にゴンは呆気に取られた。「随分適当だ」

 ゴンの言葉に女性は笑った。

「そうですよ、私は無責任で適当なんです」

「なのに、占いなんてしてるんですか?」

「はい。私は占いで誰かを傷つけたくはないんですよ」

「ああ、なるほど」

 占いで定番と言えばゴンが尋ねた寿命だったり、恋愛運だったり、そんなものばかりだ。これからの未来の運が悪いものだって言われていい気になる人はいない。

「それに運っていうのは変化するんです。その時良いと出ても変わることだって平気である」

「だからこそ、知りたいんじゃないですか? 悪かったら、直そうと思える」

「思える人だけなら私だってそちらを生業としますよ」

 どうやら女性は徹底的に誰かの未来に責任を取るつもりはないらしい。それを見極める技術もありそうなものだが、それで不公平になることでも人を傷つけたくはないのだろう。

 それに対して前世といえば、知ったところで何になるってものだ。それを知って人生が激変する人物など、それこそ限られているだろう。

「じゃあ、俺のもお願いします」

「はい。任せてください」

 女性は綺麗に笑った。やはり、そちらを本業としているだけある。

 女性が水晶玉に手をかざす。今度はゴンも水晶玉の方を見る。

「あなたの前世は熊です」

「熊……熊」

「はい、熊です」

「知ったところでって感じですね」

「ふふ、そうですね。でも、この世界の熊ではないですよ」

「え?」

 思わぬ言葉にゴンは目を丸くする。初めてゴンが驚く姿を見られたことが嬉しかったのか女性の笑みが深まる。

「熊は熊でも、肉食ではありません。木の実が大好きでずっと寝ている熊です」

「それは、また随分と惰性だせい的っすね」

「ですねぇ。とても優しい顔をしてます。起きているのは食べ物を探しているときくらいです」

「……前世の俺はそんなに穏やかにしてたんですか?」

「そうですね。その世界の生き物や人とも仲が良かったみたいですよ」

「へぇ」

 曖昧な相槌しか打てなかったのも仕方ないだろう。どうしようもなく他人事なのだ。いや、人ではないのだからこの言葉も違うような気もするが。

 前世のゴンはどうやらこの世界ではなく、別の世界にいたらしい。別世界と言われてもピンとこないが、そういうものだろう。おそらく前世の熊が今のゴンを見てもピンとこないだろう。

「こういうのってよくあるんですか? 別世界からのって」

「珍しくはないですね。一周回って元の世界に戻ることもあるようですけど」

「そうなんですね」

 女性の言葉に頷いたが、だからといってゴンのこれからに何か関わるようなものがあったかと言えばそんなことはない。別世界は別世界らしく、どこかにあって、それはゴンたちが干渉できるものではない。それに干渉できたとしても、前世の記憶というものがないゴンにとってはやはりどうでもいいことだ。

 女性を真っすぐ見る。女性はまだ何か用件があるのかわからずに首を傾げた。

「見つかるといいですね」

「……勘が冴えてますね」

「そうっすね。でも、俺以外にも気づく人はいるでしょ」

「いますよ。でも、どの方も違いました」

 綺麗に笑う女性にゴンも笑い返した。この人も大変なのだ。

「前世を知ったところで、人の未来は変わらないんじゃなかったでしたっけ?」

「知ったところで、ですよ。思い出さなければね」

「そうですか」

 女性はにこりと笑い直した。この人が一番前世に縛られている。

 ゴンは懐から金を取り出した。そもそも持っていた金が少ないので有り金全てをテーブルに置いて差し出す。

「十分面白かったですよ。また厄介になるかもしれません」

「私は居酒屋の店主でもバーのマスターでもないんですよ? ふふ、好きにしてください」

 ゴンがにやりと笑うと女性も素で笑い返した。女性の占いの性質上、一回厄介になった客はもう訪れはしないのだろう。ただ、ゴンはこの女性だけが知っている情報にひどく安心しているのだ。他の人に共有できない事実を女性はゴンが教える間もなく知っている。それがとても楽だった。

 ゴンが立ち上がり、女性に背を向けて源志がいるであろう店の方へ歩き出す。振り返って確認すると女性とテーブル一式は既にどこかへ去っていた。

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