第二話 一瞬過ぎたまどろみ

 ゆるりと自然と目を覚ましたときに感じたのは心地いい違和感。身体を包み込むような柔らかい感触ではあるが、それに身体が慣れていない。

 横になっていた身体を、顔を先導として仰向けに動かしつつ周りを確認する。窓から入る光は強すぎるくらいに輝いていて、時刻が昼だということを知らせる。かけられた布団も頭を支える枕も、肌触りが良すぎるくらいだ。

「お、起きた。どう? 気分は?」

 起きる前まで向いていた方向から声がかけられる。それに答えるように顔だけを横に倒す。目に映るのは大きく丸い桃色の瞳だ。

 その時点でゴンの意識は急激に覚醒した。自分の状況を理解したのだ。

「すみません! まさか俺、倒れて……!」

「うわっ、急に起き上がるなって。まだそこまで時間経ってないんだから」

 慌てて上半身を起こして、朔夜と目線を合わせる。ゴンの行動に朔夜の目が更に丸くなる。

 上半身を起こした状態になって初めて気づいたが、訓練服の上着が脱がされている。靴や靴下も脱がされている。通気性の良い白い肌着一枚の状態は布団から抜け出すと少し涼しさを感じる。

「まあ、悪かったって。まさか倒れるなんて思ってなかったから」

「……どういうことですか?」

朔夜兄さくやにいに遊ばれていたんだよ、お前」

 バツが悪そうに視線をずらす朔夜に違和感を覚え質問をすると、それよりも上の位置から答えが返ってきた。

 突然の乱入者にゴンは顔を上げる。ツンツンとした黒髪とライオンのように鋭い赤目は硬派な印象を与えてくる。先ほどの班長とパッと見の印象は同じだ。ただし、こちらの方がどこか若く感じる。見た目だけなら、あの背の低い班長がダントツで幼いはずなのに。

「あそこでわざわざ苗字まで言うってそういうことだろ?」

「いやぁ、ちょっと驚かせようって思っただけなんだって。新しい人と話すの久しぶりだったし」

「だからってそこまでするか? コイツが緊張してたって気づいてたくせに」

「だからこそってやつだろ」

 目を細め朔夜を非難気味に見つめる人物はそこまで反省してなさそうな朔夜に見切りをつけたのか、ゴンの方へ視線を移動させた。

「悪かったな、うちの兄が」

「………………いえ」

「めっちゃ固いなー。気使うことないのに」

 天宮家のあなたたちに気使わずにいられるか!

 これが普通の人だったら「全くだ」のようなそんなニュアンスのことを言えただろうが、この二人はそれを凌駕するくらいに権威溢れる家柄なのだ。気軽に口も開けない。

 見た目からは全くわからなかっただろう、この二人が兄弟だという事実。いや、弟の方の言葉からわかっていたことではあったが、突き付けられる事実が重い。

 せめて、この二人以外ーー天宮以外が相手をしてくれないだろうか。心臓が五月蝿い。

「朔夜兄が言うからだぞ。ああ、そうだ。俺は精司せいじ。好きに呼んでくれて構わない」

「……はい」

「精司とゴンは同い年だからな。やっと普通の友達ができそうだな、精司」

「そうだな」

 …………本気で思っているのだろうか。

 朔夜のことを咎めた点から精司は常識人だと判断していたが、早くもそれが間違っていたことを悟った。常識がないわけではないが、感覚がズレている。

 まず、好きに呼んでくれて構わないと言われて天宮家を好きに呼べるわけがない。次に同い年だからなんなのだ。家柄も入隊時期も、どちらを考慮しても同い年というものが免罪符には到底なりえない。最後に、本気でゴンと精司が普通の友達なんかになれると思っているその感性が信じられない。

「……それで俺は第一部隊の方へ戻らせてもらえるんでしょうか」

「さっきからそればっかだよな。こっちがゴンの配属先かもしれないのに」

「自分の力量は自分が一番わかってます」

「班長はまだ戻ってないからな。そろそろ戻ってくると思うけど」

 また班長という人物に振り回されている気がする。ゴンが倒れてからどれくらい時間が過ぎたのだろうか。詳しくはわからないが、ベッドに運ばれたことからしても30分は悠に過ぎているはずだ。そこまで手間取る確認だろうか。

 精司は近くにあった丸い椅子を引き寄せ、朔夜の隣に座った。その行動にゴンはまた眩暈が起こりそうになる。せめて、一人になってくれないか。なんで、二人もの天宮に囲まれなくてはならない。

 そんなゴンの思いに答えるかのように新たな客が訪れた。「おい」と短く声をかけてきたのはちょうど話題に出てきた班長だ。

「待たせたな、と起きていたか。気分はどうだ」

「はい、大丈夫です。迷惑をかけてすみません」

「別に迷惑ではない」

 ゴンが平気だとわかったからか班長はすぐに瞼を元の位置まで下げた。

 椅子に座る朔夜と精司の間に立つ班長はあの案内図が書かれた紙を手に持っていた。

「それでやはりゴンの配属先は第一部隊で間違いなかった」

 簡潔に告げられた内容にゴンは胸をなでおろした。これで今すぐにというわけにはいかないが、明日からは比較的安心した職場で働ける。

 対照的に朔夜は見るからに肩を落とした。口も笑顔からへの字へと変わっている。

「じゃあ、案内図が間違っていたってことですね」

「ああ。そもそも案内図はただ場所を記しただけで、行き方やましてや矢印など書いていないはずらしい」

「え、それじゃあ」

「印刷ミス、というわけでもなさそうでな」

 印刷ミスで印が移動してしまっただけならまだ理解はできる。しかし、それに矢印まで書き加えられているとなると、人為的なものを感じざる得ない。

 ゴンがそう思っているのだ。目の前で少し難しそうに眉をひそめる班長もそう思い至っているだろう。

「原因は今は置いとくが、とにかくゴンに責任はない。安心しろ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 率直な言葉でゴンを安心させようと気を配る姿は確かに人をまとめる役職についているだけある。ゴンが第一部隊に戻った時に責められないように説明してくれたのだろう。

 気が抜けたゴンを見て、話が一段落したと思ったのか朔夜が「それにしても」と話を切り出した。

「班長時間かかりすぎじゃないですか? 原因探っていたわけでもあるまいし」

「そうだな。そちらも言わないといけないな」

 天空部隊はエリートの集団だ。こんなゴンのことで時間を取らせていること自体がイレギュラーであるため、他にも色々な用事を同時に済ませてきたのだろう。

 そんな風にもはや他人事のように構えていたゴンの方を班長はまっすぐ見つめつつ、はっきりと言った。

「ゴンを天空部隊配属へ変えてきた」

「はあ!?」

 瞬発的に出た大声に、その場の三人は動じることもない。

 朔夜は「さっすが!」と班長を称賛し、精司もうんうんと頷いている。

 爆弾を落とした本人も全く悪びれておらず、どこか誇らしげにさえ見える。

「その手続きに少し時間を取られてな。それで遅れた」

「いや、え、待ってくださいって! なんでですか!? なんでそんなことしたんですか!?」

「これも何かの縁だろう。第一部隊は人が多いから快く応じてくれたぞ」

「そもそもゴンって今日から配属されるはずだったんでしょ? なら、手続きが一時間もかからなかったのはわかる」

「よろしくな、ゴン」

 いまだに頭の整理はついていない。すでにゴンを受け入れた気満々でいる三人がどこか異界の地から来たようにさえ思える。

 理由も全く理解できない。朔夜に名前を告げられた時と同じような混乱が襲ってくる。しかも、自分の身に関することとなれば、倒れて事態を流すこともできない。

「い、意味が分からないです! なぜ俺の許可もとらずに!」

「どこへ配属されるかは本人の意思など関係ないはずだ。第一部隊でも天空部隊でも、初日に移動するだけならそう変わらんだろう」

「変わりますけど!?」

 第一部隊から第二部隊に移るのとは話が違いすぎるのだ。

 力強く叫んでいるはずなのに軽くあしらわれてしまい、ゴンは布団に顔を埋めた。布団が声を吸収することを見越して、「あああああ」と言葉にならない声を出すことしかできなかった。

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