第四話 広がるのは最速二日目

 翌朝気が重いゴンの背中をいつもと変わらない態度で源志げんじは押す。ゴンはしぶしぶ上着のない訓練服を着て、部屋から出た。

 寮の廊下が今日ほど短く感じたことはない。ここまで便利な配置の部屋だったか、と現実逃避と投げやりが入り混じる。ゴンの気分と相対的に周りの声は浮ついているように聞こえてくる。

「いてっ」

 俯きがちで歩いていたゴンは自分の頭が何かにぶつかるまで止まることをしなかった。軽い衝撃にゴンは額に近い頭を手で押さえつつ顔を上げる。

 ゴンがぶつかったのは人の背中だった。相手も何事かと後ろを振り向いた。

「あ、悪い。前見てなくて」

「いや、こっちこそこんな場所で止まっていたからな」

 ゴンがぶつかった相手は同期の一人だった。特別仲がいいわけではないが、会話に困る相手ではない。

 その同期はどこか浮ついているように見える。ゴンがぶつかったことなど些細な問題だとでも思っているようで、すぐに前方を気にし出した。

 ゴンたちの前方には人がぎっしり詰まっていた。整頓された列でもなく、ただただ我先に前の方を取りたいという気が溢れている。

「なんだこれ。パレードとか?」

 源志が冗談めかして言う。その言葉に同期は眉を下げて笑った。

「似たようなもん」

「マジで?」

「マジ」

 まさかの的中に源志は若干引き気味になる。

「限定パンでもここまで酷くなかった奴らが?」

「限定パンと比べるもんじゃないしな」

「結局何待ってんのコレ」

 限定パンは先着10名までしか食べられない一か月に一度あるかないかくらいの貴重なパンのことだ。その時だって30人くらいしか競っていなかった。大半は最初から見切りをつけているのだ。ゴンと源志も限定パンよりもベーコンなどの肉に魅力を感じるタイプだった。

 そんな余談は置いておき、ここにはざっと見て60人以上はいる。同期が比べるのに値しないというのは納得できる範疇である。しかし、こんな朝から17歳以上の若僧たちが集まる理由が思いつかない。

 ゴンの呆れ気味の質問に対して、同期は一気に目をキラキラさせた。

「実はさ! この寮に来てるんだって!」

「何が」

天宮あまみや家だよ!」

 眩暈がする。最悪だ。

 ゴンが言葉を失った理由を同期はあまりの事態に理解が追いついていないと取ったらしく、「な、ヤバイだろ?」と同意を求めてきた。

「あ、ああ、ヤバイな」

「だよな! まさかこの寮にわざわざ来るなんて人生の運ここに使い切ったんじゃないか、ってくらいだよな!」

 同期の興奮冷めやらぬ姿にゴンはなんとか正常に見られるくらいに混乱していた。ここで落ち着いているのは事情を知っていて当事者ではない源志くらいだ。

 言葉としては違和感のない受け答えも中身に込められている思いは真逆と言っても過言ではない。

「それでこんなに混んでんの? 握手会でもしてるんじゃないよな」

「違う違う、みんな出ていけないんだよ」

「……扉の前にいるのか」

 またしても冗談めかして源志が茶々を入れる。先ほどよりも呆れと皮肉が含められている。

 同期の言葉にゴンと源志は、同時に溜息を吐いた。ゴンはこれからの未来について、源志は同期達の態度に恥を感じて、だ。

「こんなんだと二日目で遅刻ってことになるんだけど。その天宮家の人の要求は何だって? 聞いた?」

「聞けるわけないだろ」

「そうだったな、聞けるわけないわな。……ゴン、選べ」

 天宮家に心奪われている同期には見切りをつけたのか、源志は「そーでしたね」と同じトーンで軽く流した。そして、横にいるゴンの方を向いた。

「一つ、この列を突っ込む」

 源志が人差し指を立てる。

「二つ、この窓から落ちる」

 続けて中指を立てる。所謂ピースサインだ。

「三つ、空間魔法を使う」

 最後に薬指を立てる。

「ニで」

 源志の提案にゴンは即答した。この中の選択肢はほぼ一択だ。

 それを源志もわかっていたのか、「だよな」と頷いた。

「ということで、俺たちは先に行くわ」

「ああ、わかった。って、お前たち風属性の魔法使いだったか?」

「違うけど」

「それで窓から出てくってどうなんだよ。ここ二階だぞ」

 同期の身を案じる言葉に、ゴンと源志は目を合わせた。

「落ちても回復魔法で助かる範囲内だ」

「自然治癒でもいける」

「それはそうだけど……、気をつけろよ」

「任せろ」

「全然任せられない答えなんだが」

 サムズアップをし、自信満々に言い切る源志に同期は不安げに声を漏らす。怪我する気満々だろコイツらという音にならない声が聞こえてくる。

 ゴンだって普段だったらこんなことをしない。しかし、状況が状況だ。先ほどの言葉も嘘ではない。落ちて怪我をしても治る見込みがあるのだ。

 廊下には胸の上あたりから天井まで窓がついている。人が乗り出せば余裕で出られる大きさだ。この廊下にいる全員が同時に出られる。

 換気の為に開けられている窓から身を乗り出して、源志は地面を確認する。

「問題なさそう。着地で巻き込まれ事故にはならない」

「わかった。じゃ、行くか」

 ゴンの確認が取れたところで、源志は自らの足に触る。源志の足元にガラスのような花が現れ、手が触れたところから氷がパキパキと広がっていく。膝上までが完全に氷に包まれてから、源志はゴンの足へと手を伸ばし、自身にしたのと同じことを施す。

 ゴンは自分の足が氷に覆われていくのを見ることなく、水晶玉に手をかざすようにする。何もない空間から、それこそ水晶玉ほどの大きさの光の塊が生み出されてく。

 源志が手を離し顔を上げたのと同じタイミングでゴンはその光の塊の端を掴み、ピザの生地のように広げた。

「源志」

 ゴンが声をかけると源志はそこへ向けて手中から氷を発射する。それをゴンが具材を包むように丸める。同じものをもう一つ作り、ゴンは一つを源志へ渡した。

「それで行くのか」

「上手くいけば完璧だからな」

「上手くいけば、ねぇ……」

「心配するなって。怪我したとしても捻挫くらいだし」

「お前、捻挫なめんなよ」

 同期の言葉を最後まで聞かずにゴンと源志は窓から飛び降りる。

 ゴンの魔法で作ったクッションを地面へ投げつける。地面へと落ちたクッションは強い光を発し、自分が落とした元へゴンと源志はそれぞれ突っ込む。

 地面に着地したゴンと源志の周りには草とポンポンと跳ねる木の実があり、それは堅い地面ではなくクッションのように柔らかい。

 足へ負担をかけることなく地面へと無事に降り立てたゴンと源志はグータッチをし、上を向く。

 窓から同期がこちらを見つめており、安心したように肩を落とした。同期に向け、サムズアップをする。

 同期もそれに気づき、仕方ないなというふうにサムズアップを返してきた。今も同期とその前で無造作な列を作る人たちの位置は移動しない。

「やっぱり補助魔法必須だったな」

「時間がかかるとこがあれなんだけどな。俺の課題だよ」

「でも、持続するからいいだろ。俺のなんか」

 そう言ってゴンが下を向くと、ゴンと源志の衝撃をやわらげた木の実と草のクッションは既に光の粒子となって消えていってしまっている。

「一瞬もいいとこだ。しかも自分だけじゃ使いもんにならない」

「適材適所ってやつだな。しばらくしたら俺の方も解けると思うから」

「了解」

 二人が降りた建物の裏側から壁を沿って、二人は表側へと歩く。源志がかけた補助魔法のおかげで足が軽い。

 補助魔法とはその名の通り、補助を目的とした魔法のことだ。今回のように身体強化や、他には魔法強化などに使われる。

 壁を曲がり、表側へと出てくると扉のあたりにいる人がこちらへ向かってくるのが見えた。

 あ、とゴンは声を漏らす。失念していた、とゴンは目を瞠った。

「ゴン! お前、玄関から出てこないでどこから出てきたんだよ」

 軽く走りながらこちらへ向かってくる朔夜さくやにゴンは逃げ出したくなる。しかし、ここで逃げたところで何の意味もない。なんとか足をその場でとどまらせる。

 引きつるゴンの頬や眉を源志は見つめる。完全に他人事だと割り切っている。

「なぜ、こんなところに」

「なんでって、ゴンは昨日案内図の矢印を見て来たんだろ? その案内図はこっちで預かっているから、迎えに来たんだけど」

「一回で道を覚えるのは大変だからな。班長も迎えに行って来いと言っていたし」

 増えたーーーー!

 朔夜の後ろから普通に歩いてきた精司せいじが普通に現れる。ゴンの顔が完全に引きつる。

「そうですか。それは、ありがとうございます」

「それにしてもゴンは裏口でも使ってんの? というか誰もあの玄関使ってないみたいだし、待つとこ間違えたかも」

「思っていたよりも他の部隊は時間に緩いようだな。集合時間まであと15分切っているぞ」

 あまりにも見当はずれなことを言う天宮兄弟にゴンは「……そうですね」としか言えなかった。隣の源志なんか天宮兄弟をジト目で見つめている。

「15分はやばいから俺もう行くな。集合場所まで走って10分はかかるし」

「ああ、わかった」

「あと、ゴン」

「なに」

「ちゃんと言っといてくれよ」

 源志はそれだけ言うと走っていなくなってしまった。補助魔法がまだ切れていないため、普段よりも速いスピードで去っていった。

 源志の伝言は内容が言われてなくてもわかっている。天宮兄弟の現状把握のしていなさに呆れているのだろう。今日一日くらいならいいだろうが、これが毎日起きたらとてもじゃないが我慢ならない。だから、しっかり釘を刺しとけということだ。

 確かに言えるのはゴンくらいだろうが、少々荷が重い。というか、言ったとしても理解してくれるのか危うい。

「友達?」

「ああ、はい。ルームメイトなんです」

「へぇ、なんかいいな。そういうの」

「そうですかね」

「朔夜兄、そろそろ行こう。ゴンも来たんだし」

「そーだな。じゃ、行くか」

「……はい」

 源志が去っていった方向を見つめながら朔夜は楽しそうに笑っている。

 朔夜と精司に促され、ゴンは歩き出す。自然と間に立たされ、まるでエスコートされているようだ。

 朔夜と精司が今まで立っていたであろう玄関付近から複数の視線を感じる。後ろを振り返らずともわかる。ゴンへの視線にはただならぬ覇気が込められており、背中にぐさぐさ刺さる感覚がある。

 この視線に女子は含まれていない。本格的に噂が広まった後のことを考え、ゴンは恐ろしく思った。

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