第十二話 フラフラゴンゴン
身体のあちこちが悲鳴を上げている。一歩一歩足を進めるたびに身体に刺激が走り抜けて、思わず声が出る。声を出すことさえも刺激になるため、それもまた痛みに繋がってしまうわけだが。
マジで容赦なかったなぁ、あの人たち。
いつもなら独り言の愚痴として零れ出ていただろうが、喉を振動させることを躊躇ったゴンは心の内だけでそれをとどめた。
体力測定といえばそうだがあれは地獄の訓練と言っても過言ではなかった。基礎体力をつけるために何十回も走らされ、バテたと判断されれば回復魔法をかけられ無理やり体力だけは回復され、再び走る。体力は有り余った状態になったとしても、気力はどうにもならない。教官にしごかれた過去が今となっては可愛らしい。教官はきついことをやらせている感じを醸し出していたのに対し、
ゴンは寮が見える位置になって、安心して息を吐いた。ここまで歩くだけでいつもの倍以上はかかっている気がする。
もちろんあの大月班の面々であるため、ゴンのお送りを申し出てはきたが丁重にお断りをした。それは大月班だからというよりは、この状態で誰かと喋りながら歩くという行為自体が拷問のようだと判断したからだ。
玄関が見えるところまで歩いてきた。しかし、そこでゴンの顔は引きつる。
玄関には獲物を見つけた捕食者たちが大勢待っていたのだ。
ゴンは引き返そうとするが、全身の痛みがそれを妨げる。また捕食者たちもゴンを逃す気はないらしく、どばどばとゴンの方へ駆け寄ってきた。ゴンは諦めて、溜息を吐いた。
「
「
「第一部隊にはもう来ないってこと?」
次々と似たような質問が飛んできてゴンは混乱しそうになる。ただでさえ疲れた脳と身体にこんな騒ぎ立てられてしっかりと判断できるわけがない。
寮で待ち構えていたのは男だけでなく、女もいたようだ。そりゃそうだ。事が事である。男女で寮は別のところにあるとはいえ、女が大人しく寮で待っているわけがない。男の大声も頭に響くが、女の高い声も頭に響いて痛い。
「待ってくれ、煩い」
「煩いってなんだ! ていうか答えろよ! 天空部隊に入ったのか!?」
「それよりなんでお前が天宮様たちに迎えに来てもらってんだよ! 普通逆だろ!?」
ああ、だから煩いんだって。
全くゴンの体調など気にしない群衆にゴンは苛つき始めていた。血圧の上がった者たちの訳の分からないテンションは、疲れていなくてもげんなりしそうなのに、今のゴンには毒にしかならない。
そもそもゴンの身体は悲鳴を上げているのだ。回復魔法の意味が無くなるまでしごかれた身体で、正常の感性を持てるわけがなかった。
なかなか質問に答えないゴンに痺れを切らしたのか内側にいる男の一人がゴンの胸倉を掴んできた。
「おい、いつまではぐらかす気だ」
「いってぇな、お前たちが短気なだけだろ」
「なんだと!?」
ゴンの疲れなど知らない男はゴンの言い方に一気に血圧が上がったようである。胸倉を掴む手の力がより一層強くなり、ゴンへの刺激も強まる。
周りは男を支持する側とゴンへの暴力を良しとしない側へ二分としている。その人たちもゴンたちを取り巻いているので、ゴンは酔って気持ち悪くなる。その気持ち悪さも苛立ちへと繋がってしまい、ゴンは自身でこの群衆を収めるのは無理だと判断した。
ゴンが抵抗を止めようとした瞬間にパチパチと跳ねるような音がその場で響いた。全員が虚を衝かれ、動きが止まる。
しかし、次の瞬間には疑問や不安が渦巻いた。ゴン自身も全くわからないことだったが、頭が働くことを拒絶しようとしている。
「なんだ、これ」
「おい、これもテメェの仕業か」
「俺の魔法が何なのかなんてわかってるはずだろ」
再び相手の腕の力が強まる。それに呼応するようにパチパチと跳ねる音が再び鳴る。先ほどよりも強く、ゴンと対面する男のすぐ傍で鳴っているようだ。
男は不気味そうに顔を歪めた。腕の力も弱まりつつある。
「本当になんだよ、誰か魔法使ってんのか」
男が叫ぶ。その男の問いに答えるように男の目の前に精霊が姿を現した。
男はあまりのことに驚いて、ゴンを突き飛ばすように離れた。ゴンは立ち止まるだけの体力がなく、後ろで囲んでいた人たちに受け止められた。
「な、なんだ、こいつ」
「精霊……、お前、ついてきてたのか?」
腕や体を受け止められながらの不格好のままゴンは目を丸くして驚きの声を落とす。精霊は男からゴンの方へ振り返ると「にしし」と答えるように笑った。
周りも精霊の登場にどよどよと騒めき始めた。
「これ、あの人も知ってるのか?」
精霊はぶんぶんと首を振り、手でバツを作った。つまり、知らせていないという事だ。
「おい、これは」
「え……っと、精霊だ。どこをどう見ても精霊だろ?」
「そうじゃない! なんで精霊がお前の味方をしてるのかって聞いてるんだ!」
男が吠えるとまたパチパチという音とともに次は火花が散った。男は慄いて、後ずさる。
ゴンに敵意を持つものに対しての明確な牽制に周囲は押し黙る。精霊の底知れぬ力に恐怖したのだ。
「えっと、多分知ってる人が多いんだろうけど、こいつは天宮家の弟の方の精霊。で、多分面白半分で俺についてきたんだと思う」
「天宮家の?」
「本当に精霊なのか?」
ゴンがとりあえずの説明をすると想像以上に周りがどよめき始めた。言葉から推測すると、どうやら
態勢を直してもらい、精霊の方を見つめる。精霊は特に気にした様子でもなく、いつもと同じように笑っているためバラしても大きな損傷にはつながらないようだ。
「俺が嘘吐いても仕方ねぇし、俺、精霊魔法を使わないし。これで説明はいいか?」
ゴンの説明に周りはそこまで反論がなさそうだった。ゴンの説明に納得がいったというより、精霊の気分を損ねないようにしているのだろう。
「……質問には、答えてくれるんだろうな」
「天空部隊に入ったかどうか? 入ったよ、というか入らされた。詳しいことは明日とかにしてくれないか? 今日、俺めちゃくちゃ疲れてるんだ」
ここまで来てゴンはやっと冷静になれた。苛立ちも精霊が来たことによる驚きでどこかに去ってしまっていた。
ゴンの言葉に相対していた男は黙った。どうやらそちらも頭が冷えてきたらしい。お互いに熱くなりすぎていた。
「ねえ、戦ってきたって本当?」
ゴンの比較的近くにいた女子が心配そうに声をかけてきた。そういえばこの子はずっとゴンの傍で容態を気にしていたような気がしなくもない。
ゴンは振り返って、力なく笑った。
「まあ、本当だ。俺は後ろで見ているだけだったけど」
「怪我は?」
「してないし、してたとしてももう治ってる。そういうのも明日とかにしてくれねぇ? 心配してくれてありがと」
ゴンの言葉に女子は頷いた。ゴンが玄関の方へ歩き出そうとすると体がふっと軽くなった。どうやら誰かが身体強化の魔法をかけてくれたらしい。周りに人が居すぎて誰がかけてくれたのか見当もつかない。
いつの間にか精霊は姿を消していた。
魔法で軽くなったとはいえ、身体は重く引きずりながらやっとのことでゴンは自室の扉に手をかけた。その間にあまりにものろい歩きっぷりに周りには同情の空気が流れ、中には手伝いを申し出てくれた者もいた。身体に触られるだけで痛いのでこれもまた大月班と同じく丁寧に断ったが。
「お、帰ったか。もう二度とここには来ないと思ってたわ」
部屋ではいつもと変わらぬ様子で
「やっと帰宅したのにその言葉はねぇわ」
「はいはい、お疲れさん。でも、結構捕まってた時間短くない? 俺はもっと長くなると思ってたけど」
「切り上げたんだよ。今日はしごかれまくって、疲れたから」
靴を脱ぎ捨て、上着を脱ぎつつ自身のベッドの方へなんとか歩く。靴を整える余裕すら残っていなかった。
そして、そのまま吸い込まれるように二段ベッドの下へと倒れ込んだ。この時ほど自分が上の段を取っていなくて良かったと思ったことはない。
「うわ、シャワーとか浴びてないのに」
「うっせ。そんな気力ねぇわ」
「こんなに疲れたゴン見たの初めてかも。何? そんなに任務辛かった?」
「任務より訓練の方が今のところ千倍辛い」
うつ伏せになり、一番近い壁の方を向きつつ話す。ああ、ここが一番落ち着く。
目を閉じ、このまま眠ってしまうんだろうなという確信の元、ゴンはまどろむ手前で話を続ける。
「源志、俺、第一部隊がいいよ」
ゴンの呟きに源志はすぐに返事をしなかった。ゴンも顔を源志とは逆向きにしているので、源志がどんな表情なのかわからない。
「俺もゴンに第一部隊にいてほしかった」
源志の返しにゴンは黙る。振り向いて源志の表情を見たかった。そんな気力があればの話だが。
「でも、俺は今更第一部隊に戻ってきてほしいとは思ってない」
息を呑む。源志の言葉は全くの予想外だった。
「ゴンのそれが弱音じゃないからこそ、俺はそのままゴンには天空部隊にいてほしい。そこで、天空部隊の人たちを守ってほしい」
「……俺は」
「実際に任務に行ったからこその言葉だろ。死ぬときは一緒だって言ってたけどさ、今は違う。ゴン、生き延びろ」
ゴンの言葉を遮るように源志は話し続けた。もしかしたら、ゴンの言葉を聞き取れないくらい話に集中していたからかもしれない。
ゴンは何も返せなかった。きっと、それも源志の狙ったことだ。
「……今更だけど、おかえり。ゴン」
「ああ、ただいま」
そう言い終えるとゴンは吸い込まれるように寝てしまった。源志の笑いを含めた声が、心地よかった。
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