第十四話 呼び方、測り方

「ゴンは朔夜さくや精司せいじのこと、まだ呼べそうにないか?」

 木が作る日陰の下で水分を取っていたゴンの元へ、須賀すがが駆け寄りつつ言った内容にゴンは動きが固まる。

 特段隠しているつもりではなかったが随分と直球に聞かれて驚いたのだ。

「えっと……、まあ、そうです」

「だよなぁ、最初は困るよな」

 自身も水分を取りながら須賀は崩れるように笑った。

 班長は他の班の方へ何か指示があるようでゴンたちの近くにはいない。部隊長も兼ねていることから、休む暇もないのかもしれない。

「須賀さんは下の名前で呼んでますよね」

天宮あまみやは二人とも被るからな。部隊の中では二人とも苗字では呼ばれないよ」

 確かに敬称で区別が出来る身分でもないので、名前で呼ぶのがいいのだろう。だが、ゴンにはまだその敷居が高すぎる。

 一番の懸念は自分なんかが天宮家の名前を呼んでもいいのかということだ。

「いつか呼ばなくちゃいけない場面には遭遇すると思うから、考えるだけ考えてもいいと思うけど。呼び捨てはキツイ?」

「キツイです」

「じゃあ、敬称つきだな。朔夜くん? 精司くん?」

 茶化すように言った須賀に、ゴンはぶんぶん首を振った。そんな呼び方が出来るわけがない。

 須賀もゴンの反応がわかっていたようで、楽しそうに笑っている。

「なら、朔夜さんとか精司さんになるけど」

「それが一番無難なんでしょうか」

「まあ、普通に考えればな。でも、いや、これは確実か。絶対、呼び捨てで呼べとか催促されると思うぞ、本人たちに」

 そうなのだ。ゴンもそれは考え付いていた。

 ゴンとしては班長や須賀、部隊員たちが天宮兄弟を呼び捨てで呼んでいるのも最初は驚いたのだ。天宮家は関わることのできないくらいに雲の上の存在で、呼び捨てなどできる身分ではないと染みついていた。

 須賀たちが呼ぶのはゴンの知らない経緯があってのことなのでそこは置いておくのにしても、自分の問題となれば慎重にならざる得ない。天宮兄弟本人たちにどう思われるかよりは周りの目が面倒なのだ。

 同意の意味も込めてゴンが項垂れるように息を吐く。

「須賀さんたちは最初から呼び捨てだったんですか」

「俺たち? んー、どうだったかな。多分呼び捨てだったと思う。天宮は被ってたから、名前は必然的だったし、戦いの場で敬称を気にする余裕もなかったからな」

 昔を思い出すように須賀は少し首を捻った。遠く曖昧な記憶になるほど、須賀たちは天宮兄弟と共に過ごしてきたのだ。

「もしかして、ゴン。朔夜たちの天宮って地位に萎縮してる?」

「しない方がおかしいと思いますけど」

「あー、それはそうなんだけど」

 ゴンは少し目を据えて須賀を見る。上目遣いになってはいるが、そこに可愛らしさはなく相手を睨む形になっている。

 須賀は困ったように笑いつつ、言葉を濁すように小さく呟いている。「これ、話してもいいかな……まあ、いっか」そんな危険な内容を話されても困る。

「詳しくは本人たちから聞いたらいいと思うけど、朔夜と精司は天宮家内で特段力は持ってないんだよ」

「え、そうなんですか」

「そうそう。二人とも兄弟の中では上の方だけど、それは関係ないんだって。二人を変に敬っているのは本当に天宮って地位に翻弄されている人たち。あの二人に媚売っても何のコネにもならないから、普通の人と話す感じで大丈夫」

 目を半分ほど覆っていた瞼が上がる。天宮家の実情は何も知らないにしてもあの二人が力を持っていないなんて考えもしなかった。

 確かに気持ちは楽になったが、二人が天宮家に属していることも、その天宮家の地位も、何も変わっていない。どれだけ二人が天宮家内では力を持たずとも外で力を持っていないことにはならないのだ。

 半信半疑になって、ゴンは首をかしげる。眉をひそめながら、見つめる先の須賀はゴンの方を見て微笑んだ。

「気楽に考えなよ。同期とかとはいかなくても、ここもゴンの帰る場所なんだからさ」

「そう、ですね」

「あの二人はさ、本当にゴンと会えて嬉しいし、楽しいんだよ。子供みたいだろ? あの二人に遠慮してたら、いつか爆発するぞ」

「……無意識になってしまう場合は、どうすればいいんでしょう」

 ぽつりと零された言葉は、ゴンにも予想外で言ってから慌てて口をつぐむ。

 どうやったって天宮の地位は植え付けられた概念だ。それを今更切り分けて考えろだなんて、難しすぎる。

「意識下に置く」

「え」

 顔を上げた先にいた須賀は先ほどの表情から一変して真顔になっている。真っすぐ見据えられた目には相手を竦ませるだけの力があった。

 メデューサの蛇に睨まれたようにゴンは動きが固まる。実際にはそういった魔法も使われていないので錯覚ではあるが、そう思わせるだけの迫力が須賀にはあった。

「感覚的に、なんとなく、無意識で。そういうのはこれから命取りになることもある。だから、常に意識するんだ。原因を追究するのも大切だな。なぜ、どうして。これを繰り返すだけでも意味はある」

 表情に伴った声色はゴンの意識を常に配下に置くように指示する。何か他の考え事も出来ないくらい真っすぐと向けられた言葉にゴンは息を止める。

 須賀が瞬きをする。開けられた蛇の目はゴンの言葉を待っている。

「俺に、意識的に天宮家の二人に普通に振る舞えって言うんですか」

「それがゴンの意識下に置くという答えなら、そうすればいい」

 急に突き放されるような言い方にゴンは少し不安になる。そして、今までは正解をすべて示されていたことに気付いてゴンは押し黙る。ああ、見るからに甘やかされていた。

 今の須賀は班長に似ている。切れすぎている眼も、相手に真っすぐ届く声も、感情を悟らせない真顔も、似ている。

「それが無意識で困るの答えだな。あと、呼び名だけど先輩もありかもな」

「先輩……」

「朔夜先輩、精司先輩。間違ってはないし、さん付けよりもよそよそしくないだろ?」

「そうですね」

 いつもの空気に戻った須賀は話し続けて喉が渇いたのか手に持っていた水分を一気に飲み干した。ゴンも続けて口に入れる。冷たい感触が喉を通りすぎ、すとんと胃に落ち着いた。


 班長と須賀によるゴンの魔法の確認が済んだところで、ゴンは押し込まれるように馬車に乗り込んだ。馬車は貸し切りのようで、四人掛けになっている。入口より奥に詰め込まれたゴンの隣に一番小柄な班長が腰掛け、須賀はゴンたちの正面に座っている。

 箱型の馬車は扉を閉めると一気に閉塞的になる。ゴンははめ込まれた窓から外を見るが、ガタガタ動く振動にはゆっくり休めそうもない。

「馬車で行くほど遠いところにあるんですか?」

「いや、歩いても十分な位置だがどうなるかわかったものではないからな。一応だ」

 何がどうなるのかわからないというのだろうか。班長の言葉に一抹の不安を覚えたゴンだったが、班長の言う通りそこまで遠い位置ではなかったらしく割とすぐに馬車は止まった。

 馬車から降り、そのまま目の前の建物へ班長と須賀は進んでいく。ゴンは後ろ髪を引かれつつ、二人についていく。

「あの、払わなくてよかったんですか?」

「あれは隊と連携しているところの馬車だからいいんだ。後に隊から金は払われる」

「そうなんですか」

 ゴンが知らないだけで多くの業種と隊は連携を結んでいるようだ。

 建物に入ると服を着た大量のマネキンがゴンたちを迎えた。その迫力にゴンが蹴倒されている間にも班長と須賀はお構いなく進んでいく。ゴンも慌てて追いかける。

 ゴンが追いついた頃には店員と班長の話は終わっていたらしく、ゴンは店員に店の奥へと連れられた。

「これからサイズを測っていきます。よろしいですか?」

「はい、服脱ぎますか?」

「いいえ。そのままで結構です」

 にこりと子供を諭すように笑った店員は、そのままゴンを数秒見つめる。何か紐などで測ると思っていたゴンは戸惑いながらも動きを止めた。

「はい、サイズが取れました。次は腕を回してくれますか?」

「え、もう?」

 零れた言葉に店員は「はい」と営業スマイルを返す。

 ゴンは訳が分からないまま、そのあとも店員の言う通りに腕を回したり、足を広げたりした。それもすぐに終わり、店員は用紙にペンを走らせた後、顔を上げた。

「はい、これで全て完了です。一度表に戻りましょう」

「え、ええ、はい」

 え、マジでこれで終わったのか。

 ゴンの驚きなど店員には慣れっこのようでスタスタとそのまま誘導するように歩き始めてしまった。

 店員は一度もゴンの身体に触れなかったし、ゴンは一度も服を脱がなかった。採寸とは見るだけで出来るものだっただろうか。せめて型などで測るものではないのか。ゴンは予想が裏切られ、戸惑いを残しながら店員についていく。

 カーテンで仕切られた店の奥から戻ってくると、班長と須賀が何やら板のようなものとにらめっこしていた。戻ってきた店員とゴンに気付き、二人が顔を上げる。

「おかえり、すぐ終わっただろ」

「はい、すぐでした……」

「要望は固まりましたか? ご本人とのすり合わせも大切だとは思いますので時間は気になさらなくても平気です」

「はい、ありがとうございます。ゴン、ちょっとこっち来て」

 呼び寄せる須賀の元へ駆け寄るとカウンターの上にはずらりと板が並べられていた。そこには様々な服の型が書かれており、須賀たちはこれを見て渋い顔をしていたようである。

 班長を挟んでゴンもその板を見つめる。

「この中から基本の型を選ぶのが手っ取り早いんだよな。それで色々オプションを着けていくんだけど、ゴンはこの型で気に入るものとかある?」

 須賀の言葉により、ゴンは板に書かれた服をしっかりと見始める。そこには洋風から和風まで様々な様式の服が書かれていた。どれも戦闘用に動きやすさが重視されているようでもある。

 ゴンはさっと見て、須賀へ目配せする。須賀は促すように笑った。

「これとか、いいなって思います」

 ゴンが指さしたのはちょうど班長の目の前にあった板だった。そこに書かれている服は中央でボタンが留められるジャケットと足に沿われたズボンだ。

 シンプルイズベスト。特にどの様式にも偏らない服が一番ゴンの目に留まった。

「さすがゴンだ」

「え、何が」

「俺と班長でゴンにはこの型が一番似合いそうだよなって話していたやつだからかな」

 誇らしげに言った班長に須賀がフォローする。なるほど、先ほどのにらめっこはそういう理由からか。

「オプションは袖とかかな。まあ、これはオシャレってことだけど」

「あとは足に巻くホルダーだな。ベルトにもつけたいところだ」

「え、っと」

「それとゴンはブーツ嫌い?」

「え、いや、履いたことないです」

「じゃあ、あとで試すか。ゴンは手袋すると魔法発動できないとかある?」

「ないです。杖だと上手くできないですけど」

「そこは魔法道具だから後回しだ。それよりマントだ。ゴンの魔法は光るようだから、遮光性のものがいい」

「それもそうですね。ゴンはマントに希望ある?」

「特には……」

「わかった。じゃあ、こんな感じでお願いします」

 店員がいつの間にか用意していた用紙に須賀がサラサラと必要事項を書き込んでいく。はっきりとは見えないが、絵心はあるようでマントやホルダーの形はイメージできるくらいに整っている。

 テンポよく続けられた会話にゴンは少し困惑しながらも、服にこだわりはないので先輩二人に丸投げした。

 須賀から用紙を受け取った店員は、先ほどゴンが選んだ板と数度見比べた。そして、顔を上げ、ニコリと笑った。

「わかりました。では、さっそく製作に取り掛からせていただきます」

「はい、わかりました。時間はどれくらいになりそうですか?」

「仮は二時間後、そのあと調整をします。調整は一時間から三時間ほどになります」

「わかりました、では二時間後にまた来ます」

 ゴンは店員の言った言葉を反芻する。そんな短時間で服が出来上がるものなのか。型はあるにしても、先ほどゴンのサイズを測ったばかりだ。それに合わせるのに二時間なんて短すぎる。

 この店はゴンの予想を軽々と超えていく。店員は困惑するゴンを見て、安心させるように笑った。

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