第七話 無理しなくていいと言ったのに
目を瞑らずにはいられないほど強い光が収まったころには、ゴンの周りは一辺としていた。周りにいた四人との立ち位置は変わらないが、踏みしめる地面も木々を通り抜けて射し込む光も全く違っていた。
ゴンの右側から大きな音が鳴る。音の正体も音の持ち主も識別がつかないほど遠い位置だったが、これは災害を予期させる音だ。振動で地面が揺れた気がした。
「ゴン、平気か」
ゴンの斜め下から班長の声が聞こえる。視線はゴンではなく、音の方を向いている。
「はい、なんともありません」
「そうか。歩き出して酔いを自覚したら言え」
まるでゴンが酔っていることを確信しているような言い方だった。班長が足を進めようとすると、バキバキと嫌な音が先ほどの方から鳴った。
木が倒れた音だ。それも一本ではない。
身の危険を体中が訴える。まだ、その正体にも出くわしていないというのに。足が歩き出すことを拒絶しようとする。
「他の班が討伐を開始しているはずだ。現場につき次第、状況に基づき援護をしろ」
「はい」
班員の声が重なった後、班長は音の方向へ走り出した。胸元までの短いマントが水平になびく。
班長に続くように他の三人も走り出す。ゴンも遅れないように続く。
それにしても、速い。
「
「了解」
名前を呼ばれた二人が返事をし、更にスピードを上げ班長を追い越していった。
今のスピードに追い付くのでも精一杯なのに、二人はそれを悠々と超えていく。
特段足が遅いつもりではなかったゴンは息が荒れないようにしつつ、思わず歯軋りをする。走る音でかき消されているので、他の二人には聞こえていないだろう。
まだ、目標を見つけてもない。本番はこれからだと言うのに、この時点で精一杯だ。
「ゴン、気を抜くな」
班長の言葉を上手く理解できなかった。気を抜いているつもりは一切ない。というか、抜けるわけがない。
ゴンの方を見ずに前を走る班長はゴンに聞き取れる大きさで言う。
「走ることだけに気を取られるな。これからお前が見るのは地獄だ。地獄への覚悟を忘れるな」
その言葉でチリと緊張が走る。そうだ。これからゴンは地獄を見る。
すっかり忘れていた事実にゴンは「はい」と返した。隊員としては情けない声だっただろうが、全力で走るゴンにはこれが限界だった。
「そろそろだな」
班長の言葉をきっかけに視界を覆っていた木々がなくなり、一気に視界が開けた。
森の中にできた空間は人工的につくられたものではないかと思うくらい、広々としていた。
その中心に向かって人が攻撃をしている。様々な魔法が交錯している。
中心にはその魔法を一身に受ける生き物がいた。巨大な人のようだった。でも、人ではない。
頭上についた大きな角が二本そびえ立ち、牙がずらりと並べられた口は人を簡単に食べられてしまうくらいに大きく開けられ咆哮が響く。暴れまわる手には鋭い爪が見える。
人三人分の高さはある生き物だ。その生き物が暴れている。
ギロリと目がこちらを向いた気がした。
怪物だ。
「ゴン」
隣で声が響き、ゴンは体を揺さぶられる。それでやっと放心状態から戻った。
「大丈夫か」
脳は考えることをやめようとしている。巨大な怪物を目の前にして、生きたいという本能が薄くなった。
死んでも、おかしくない。
「ゴン!」
再び朔夜の声が響く。先ほどよりも近い。目の前に朔夜の顔が見える。桃色の瞳が向けられ、そこにくっきりとゴンが映っていた。
顔面蒼白で情けない姿だ。
それでも、少し気持ちが落ち着いた。怪物を見ないだけで、ここまで冷静になれるのか。
「大丈夫だ、落ち着け」
その言葉にゴンは頷いた。先ほどよりは冷静になれている。
ゴンの頷きに朔夜は顔を遠ざけた。
「あれが
朔夜の視線を追うようにゴンも怪物ーー
硬い皮膚で覆われているのか大概の魔法は弾かれている。近接系のものも硬すぎる皮膚には大した傷がつけられていない。
勝てるのだろうか。
「ゴンは無理しなくていい。流れ弾は俺が止めるし、班長たちも動いている」
ああ、お荷物だ。余裕というわけでもないのに、一人の隊員をゴンに割いてしまっている。
だからといって、ゴンは今の自分が役に立てるとは思えない。動きも訓練していたとはいえ、まだまだ荒い。連携の仕方もまだしっかりとは把握できていない。
ゴンが俯くと、耳を
威盧の方を見ると、威盧の足からどろりと赤い液体が垂れていた。血だ。
生理的嫌悪感でゴンは顔をしかめる。どの生き物だとしても、傷ついた姿を見たいとは思わない。
威盧の咆哮などお構いなしに、二十名ほどは魔法を発動し続ける。血が出て、他の部分よりも皮膚が
威盧の方は先ほどよりもはっきりとした痛みのせいか、より一層暴れている。魔法が無差別に飛ぶ。地面に当たった魔法は人よりも大きい岩の塊に変化した。それも、凶器として十分の鋭さを持っている。
隊員たちはその魔法を避けたり、魔法の盾で防いだりしている。それでも、盾の方は一度魔法があたったらひびが入ったり、砕けたりして使い物にならなくなっている。それだけ、一発一発が強い魔法なのだ。
ゴンと朔夜の位置は威盧からは遠い。威盧の無差別な魔法はゴンたちの元へ届く前に他の隊員が止めている。
威盧の魔法は破片だけでも当たれば傷は免れない。遠目のゴンからでも、服が破れ傷ついた皮膚が露わになっている隊員が何人か見えた。
暴れている威盧とそれに応戦する隊員たちによって、強い空気の流れが作られる。ゴンたちのいるところまでその風が押し寄せ、細かい岩の破片が飛んでくる。
突風が起きた。土も舞い、思わず目を閉じる。
少し収まったと思い、薄く目を開けるとこちらへまだ岩に変化する前の魔法が飛んでくるのが見えた。
前方から隊員たちの叫び声が聞こえる。ゴンたちへ危険を知らせる音だ。
朔夜の舌打ちが聞こえた。何か魔法を発動しているようだった。
それよりも先にゴンは体が動いていた。
ゴンを守るように前に立った朔夜の横をすり抜ける。朔夜の驚いた罵倒が聞こえる。「何やってんだ! 馬鹿!」
そんなことに構っていられない。
手の内から魔法を発動させ、丸い塊を旗のように広げる。獲物を確保する網と同じように向かってくる魔法へ向かって投げる。
柔らかいゴンの魔法は飛んできた威盧の魔法を生地のように包み込む。サンタクロースがプレゼントを運ぶ袋のように、生地の端を持ち、ゴンはその場で回って、その袋を飛ばす。
遠心力によって飛ばされた袋はそのまま大きな目標にぶつかった。中々の重量だった袋に当たった威盧は一瞬バランスを崩しかける。
そのまま、袋は光り輝いて爆発した。周りはその光に目を覆う。ただ、出てきたのは爆発音でも煙でも、威盧の破片でもなかった。
木の実がそこらじゅうに跳ねている。大きさは現実にありえるものからダチョウの卵ほどの大きなものまで様々だ。
それよりも目を奪われたのは、威盧の体の上にそびえ立つ大木だった。その大木から次々と木の実が落ちている。
根は威盧の体を覆い、まるで栄養にでもしているかのようだ。威盧はその根を外そうとして暴れているが、威盧の大きさを圧倒する大木の根には立ち上がることも転げまわることもできない。
やがて大木は光の粒子となり、消えた。周りで跳ねていた木の実もいつの間にか消えている。
一瞬時が止まったようだった。隊員たちはいっせいに威盧の方を見る。威盧は倒れたままだった。
魔法で作った盾を持った隊員が一人、用心しながら威盧に近づいた。
「……死んでいます」
彼が呟いた言葉をその場の誰もが呆然と聞いていた。
班長が威盧に近づく。その間も威盧は動かなかった。
「そうだな、確認が取れた。討伐完了。死体については
班長の言葉にその場の隊員が返事をする。ゴンもなんとかついていく。
地面に転がる死体は先ほど暴れていた威盧とは印象が大きく違っていた。隊員がつけたはずの傷は見当たらず、まるで寝ているかのようだった。
死んでいるというには穏やかすぎる姿だ。
ゴンは威盧から顔を上げると、隊員たちから見られていることに気付いた。
視線を集めたことに
思わず目を向ける。朔夜の目は鋭く、怒りが含まれていた。
朔夜から初めての感情を向けられ、ゴンは息を呑んだ。
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