高校生編

第23話 動転

 義務教育の延長戦のように感じる。

 三十人程の生徒が同じ服を着て、一部屋に密集する中、黙々と板書をノートに写す。


 中学生と高校生でこなすこと自体に然程さほど差異がない。いて言うならば問題の難易度くらいだろうか。今も先生が、黒板に英文を長々とチョークで書いている。


 中学校を卒業して既に半年が経過した。


 ブレザーの違和感に慣れつつ、顔馴染まない生徒たちの名前が一致してきて、交通機関に多少は詳しくなったと思う。


 僕は相変わらずの徒歩通学だけど、ときおりバスや電車も利用する。

 中学校よりも距離があるから、主に遅刻回避の為だ。


 そうして現状。高校生になった新鮮味も落ち、改まってそんなことを考えてしまう。


 今日も勉学に励んでいる。


「なあ皆本、次の数学って宿題出てたか?」

「出てたけど、前の授業の空き時間にほとんど人が終わらせたと思うから、武藤もやってるんじゃないかな?」


 僕の後ろの席。

 窓側から数えて二列目の最後方さいこうほうの席で、机にもたれ掛かるようにして座る武藤が、ペンシルで僕の背中をつつきながら訊ねてくる。


 椅子を下げて身体を武藤の方へと傾ける。


 こうして前後の席に割り振られたのは、かれこれ中学生の前期以来。大体夏休みが終わるまでの期間だから、丸一年振り。


 同じ普通科の一年四組。

 そのクラスでは数少ない同一の中学校出身者に加え、唯一の同性でもある武藤は、そこに居てくれるだけでとても心強い。


 修学旅行前後の一件から、小学生の頃では考えられないくらい行動を共にするようになり、基本的に独りだった僕の学校生活が劇的に変化していた。


 大袈裟に捉えられてしまうかもしれないけど、僕にとってそれは一種の革命のような出来事だ。


 武藤のおかげもあり、高校入学時から孤立することなく未だ平穏に過ごせている。


「それプリント?」

「ううん、ノート。教科書にある設問を写して答えを書いていくやつだね」

「ノートね、了解。あっ、そろそろ前向かないと気付かれるぞ」

「えっ、ああうん」


 武藤の指摘に従って、僕は急いで黒板のある方角へ向き変える。


 そして丁度、先生が教科書二ページ分の英文と日本語訳を書き終え、腰に手を当て一呼吸吐いている。


 英文の意味は、突然道端で倒れ込んだ友人の為に救急車を電話で呼び、連絡先の救命員に場所と容態の説明をするというものだ。


「……」


 思わず背筋が凍り付く。

 他意はないんだろうけど、学校ではの当たりにしたくない文章が羅列されている。


 僕が救急車で運ばれたことがあるのもそうだけど、それ以上の事態が中学三年生の冬、僕の高校受験の当日に起こる。


 僕はこの高校の受験会場に行く前日。シズからの電話で受験を終えた後の休日、ショッピングモール内にある映画館に誘われた。


 僕の名前に似ているタイトルの映画が上映していたようだ。


 因みにシズは、全日制一般入試での受験は希望しなかった。


 二年間も休んでいた中学校の勉強が理解出来る筈もなく、仮に合格を貰ったとしても定期的に休みを挟まないといけない身体では、どうしても限界がある。


 だから通信制高校など、時間的余裕を作れる高校への進学を考えていて、僕もそれらの資料を何冊か眺め、世の中には色んな形態の学校があるんだと思い知らされる。


 そして受験当日。

 僕が黙々と設問への答えを記している同時間帯、シズが実家のリビングで倒れた。


 偶然にもシズの母親が居合わせていて、すぐに救急車を呼び、搬送中に意識が回復したようで最悪の事態こそ免れたけど、即日で入院することになったらしい。


 そのことを僕が知ったのは、受験から数日後、一緒に映画鑑賞を予定していた日だ。


 シズの容態は当初、幼少期からの持病の悪化を含めて疑われていたが、すぐに再々発だと判明する。


「……」


 僕は黒板から目を逸らす。


 シズは以前と同じ病院の病棟の病室で入院生活を送っている。これまで以上に容体が芳しくなく、面会を断られる頻度の方が遥かに多い為、あまり顔を合わせられないでいる。


 とても高校に進学出来る状態ではなく、とりあえず一年間は見送る運びとなっていた。


 しかし現状から察するに、来年度も厳しい決断を下さないといけない。


「はい。そろそろ書き写せたかな? じゃあここから文節を切り取って意味を明確化していくぞー」

「あっ、待ってまだ書き終わってない!」


 英語の先生がそう言うと、三人くらいの生徒が焦って書き殴っているのが分かる。


 僕の後ろの武藤もその一人。

 振り返らなくても、書き終わってないと発言したのが武藤だから間違いはない。


「せんせー、武藤が数学の宿題をやってましたー」

「おいバカ言うな……」


 そう先生に告げ口したのは僕の左隣、武藤からだと左斜め前の席に座る、黒髪のショートヘアに前髪をセンター分けして、校則に抵触しない色褪せた髪留めでそれを押さえている女生徒の友野とものだ。


 偶然にも同じ中学校出身の三人が、教卓から見て右奥隅の席に固まっている。


 どうやら僕と武藤のやり取りを聴いていたらしく、面白半分で吊し上げたようだ。


「武藤?」

「い、いや違いますよ? 次の授業の教科書を忘れていないか確認していただけで——」

「——担任の春川はるかわ先生に聞いてるぞ。お前机の中に教科書全部置いて帰ってるらしいな?」

「嘘っ、ばれてた!?」


 素っ頓狂な武藤の戯け面に、瞬く間に生徒たちの笑みがそこかしこにこぼれ落ちている。


 先程までのチョークの打音だおんだけ反響していた教室と同じなんて、それこそ嘘みたいだ。


 武藤による天然物のムードメーカーぶりが、遺憾無く発揮されている。


 左隣で釣られて笑う友野は、あまり告げ口をするような性分では無いはずだけど、武藤になら気兼ねなく突っ込める何らかの要素があるんだと思う。


 そういえば僕も、武藤に対しては割と素っ気ない口調で話している気がする。他にそんな喋り方になるのは両親くらいだろうか。


 一応シズも該当するのかもしれないけど、その枠組みに入れるのは違うと、僕の内心が反発して許さない。


「じゃあこの綴りの組み合わせを友野に答えて貰おうか?」

「えっ……」


 友野の表情が疑念により強張っていく。

 先生は英文訳の一部を手で隠し、その理由を述べる。


「本当は武藤に答えて貰いたいけど、まだ書き写せていないみたいだし後だな。それでいて友野はよそ見をする余裕があるんだから代わりを頼もうかなって——」

「——あっと、ちょっと待って……」


 友野が明らかに困っている様子が隣から見て取れる。必至にページをめくって意味を調べているけど、随分と時間が掛かりそうだ。


 でも確かに友野の席からだと、左斜め後ろの席に座る武藤を告げ口するのは注意力が散漫としていないと有り得ない。


 友野を指名したのは、その確認だろう。


「板書が終わってるならノートに意味があると先生思うんだけどな」

「いや、分かるよ。えーと、友達のブラウンは痛がってる」

「どこが痛いんだ?」

「えー……何だっけこの綴り?」


 そう言って友野は僕を一瞥する。

 どうやら助け舟を求めているようだ。


 友野は窓側の席だから、必然的に隣席は僕しかいない。それは僕でないといけないというより、身近に僕がいたという理由だ。


「……」


 この会話が体調不良を伝えるものだというのは恐らく友野も理解している。


 ただその患部の綴りをど忘れした様子だ。

 それならわざわざ、僕が言葉にしなくても指し示せばいい。


 そうして僕は、無言で上腹部を押さえる。

 友野もそれを察してくれたようだ。


「お腹。ブラウンはお腹が痛いです」


 友野は何食わぬ顔で自信満々に答えた。

 その解答は広義では間違っていない。


「ああ、この単語の意味だけならそれでも良い。けどな友野、文脈の前後に心臓も痛いとあるんだ。これは心臓とお腹の上の方にある臓器、どっちが痛いか分からないでいる内容なんだよ。ここまで言えば答えは——」

「——胃?」

「そう。まあこれがテストならお腹でも正解にするけどな。出来るならこっちの方が正確だと覚えていて欲しい」


 先生が英文訳を見せる。

 ブラウンの容態を何とかして伝えようとするチャーリーの焦燥が、文面から伝わる。


「……あとな、皆本」

「あっえっ?」


 どうしてか先生に僕が呼ばれる。

 突然名指しされてるのは、心臓に悪い。


「さっきみたいなジェスチャーをテストでしたらカンニングと同等の扱いで追放されるから、くれぐれも気を付けろよ?」

「あ、はい……」


 僕は力無く頷くしかなかった。

 それと入れ替わるように武藤が写し終えたことを宣言して、通常の英語の授業に戻る。


 小学生の延長線上に僕たちは居る。

 しかしどの高校を探したとしても、シズの姿はどこにもない。


 今、シズは何を考えてるんだろう。

 どんな些細な話でも、僕は聴きたい。

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