第21話 終日

 消灯時間から瞳を閉じていた。なのにどうにも寝付けないまま寝息だけを装う。


 景色が夢か想像か判別し難いくらい長時間仰向けだったのにも関わらず、こんなにも目蓋まぶたが軽い。


皆本みなもと、起きてるか?」


 大阪府のホテルの一室である二人部屋。

 等脚台形とうきゃくだいけいのランプを挟むように二台のベッドがある。


 僕の右側のベッドで寝そべっているであろう武藤たけふじが、掠れた小声で話しかけてくる。


「ううん、寝てる」

「起きてるじゃん。もう日付変わったぞ」

「……本当に?」

「ああ」


 僕がベッドでもたつくあいだ、気付けば日を跨いでいたようだ。修学旅行最終日を迎えたと、人知れず胸がざわめく。


「……最後だな」


 武藤が僕の気持ちを代弁するように呟く。


 小さなオレンジの夕日が頭上を照射する。漏れ刺す電光に誘われ両眼を開く。


 味気ない天井から逸らし、おもむろに右肩をベッドへ押し付けるようにして寝返りを打った。


 すると既に、布団から出てベッドの上で胡座をかく武藤が灯火とうか当てられていた。


「眠れないね」

「俺も似たような感じ」

「明日……今日だね、寝不足は困るのに」


 僕は上体を起こし、下肢かしだけを布団で覆う。


「皆本、暇だから女子部屋に侵入するか?」

「……暇でする事じゃないよ。あと外の通路、先生が徘徊してる」

「マジ?」

「うん」


 消灯時間から、淡々とした足音が聴こえるから間違いはない。


 つまらないと自身の枕を弄びつつ武藤は、何かに気が付いたと前口上まえこうじょうを発する。


「そうだ。女子部屋と先生と外で思い出したんだけどな——」

「うん?」


 随分と関連が多いと思った。


「——種川のやつ、中学を卒業したら県外の高校に進学するらしい。教育学部のある付属の高校に行くって」

「……よく知ってるね? でも、種川の両親って確か二人とも先生だよね?」


 自己紹介か将来の夢の作文だったかは定かではないけど、そう言っていた気がする。


「ああ、千条先生と相談してるのを偶然聴いてな」

「偶然……」


 僕がいぶかしい視線を送る。武藤は明後日の方向へ身体ごと逸らし訂正する。


「正確には、面白い情報とかないかなと思って——」

「——盗み聞きをした?」

「そうとも言えるかもしれない」

「そうとしか言えないよ」


 聴き耳を立てる武藤の姿が容易に想像出来て、僕の口元が緩んでしまう。


「ともかくだな。俺それ聴いて、将来とか適当だなって」

「……僕も漠然としてるね」


 僕たちは中学生だから、まだ幾らか余裕はあるのかもしれない。でも何事も早いに越した事はない。それでも明瞭化するのを先延ばしにして、現在に至っている。


「俺。進学してなにするのかすら、全く想像つかねえわ」

「うん、現実味がないよね」


 とりあえず進学を繰り返し、偶然就職に繋がり、平凡な人生を歩みそうだとは思う。


 誰の役にも立たない、自己満足も出来ない、取り止めない日々だと。

 そんな僕を好む相手は、きっといない。


「……これ、修学旅行でする話か?」

「分かんない」

「普通、誰が好きとかが定番だよな。小六のときもしただろ?」

「……どうだったかな?」


 小学六年生のとき。武藤とクラスは異なるけど、僕のクラスもあった気がする。


 でもその夜、遠くにいるシズの容態ばかりが気に掛かりだった記憶しかない。


「俺は誰を答えたかまで覚えてるわ」

「……聴いていいの?」

北見きたみ 莉瀬りせって答えた」

「……それ、アイドルだよね?」


 詳しくは知らないけど、一時期シズが好んで視聴していたドラマで主演だった人だ。


「俺答えたから次、皆本な。誰が良いよ?」

「いや待って僕は——」


 割りに合わないと反論しようとするけど、それを遮り、武藤が僕の核心に迫る。


「——訊くまでもないか。楠木、しかいないよな?」

「……どうしてそう思うの?」


 僕は単純に訊き返す。自分自身の感情って意外と理解していないと常々感じていたから。

 そして、武藤の洞察力は侮れない。


「……どうって、楠木が登校して来た日からそうじゃねえかなって。あと昨日のやり取りが決定打だな」

「……心当たりがないけど」


 あからさまな対応をした覚えはない。


「そりゃそうだろ。種川が割り込む気力がなくて、俺が一歩引いたら、お前たちが生き生きし始めた。なんてな」

「……」


 僕とシズにとっては他愛のないやりとり。

 でも第三者視点から、それは異様に映る。


「あれが普段の皆本と楠木だなって思ったよ。種川も気付いてるかな?」

「……そう」


 僕は座っているのがもどかしくなって、受け身も忘れ、背中から倒れ込んだ。

 柔らかなベッドが身体を包み込む。


 そのままシズの姿を連想する。

 すぐに名前に似合わず爛漫とした笑みが、僕を引っ張ってくれる。


 御転婆おてんばなシズは大人びて、成長してもなお、その鮮烈を刻む。


 僕はシズとどうなりたいのか、どうなりたかったのか、改めて考える。


 まとまらない解答。あどけない笑顔。

 気付いたら僕より小柄になり、相変わらずの色白の素肌と気性。とにかく全てを壊したくはないとは思う。


「……色々あると思うけど、明日は楠木との時間が作れるといいな」

「うん、班行動で一緒だからね」

「……」


 すると、隣のベッドが荒々しく軋む。

 恐らく武藤が威勢よく横たわったらしい。


「……そうじゃない。お前、俺や種川が楠木と一緒にいるとき、どう思ってた?」

「僕以外の同級生と仲良くしてる——」


 言い終える前に、武藤が遮る。


「——だろうな。でも、皆本が楠木を見守ろうとしなくても、適当に連れ添えば良いんじゃねえの? 楠木のためより、皆本がもっと我儘で動いても——」

「……」


 武藤は取り決めに気が付いているようだ。


 この一ヶ月。シズの考えを尊重しようと、僕は距離を保つよう心掛けている。


 結果論だけどクラスメートになって、以前よりも言葉数が減少している。


 でも。シズが誰かと仲良くなれる機会を奪うのは罪な気がした。だって本来なら、クラスの中心に居てもおかしくないくらい、幸せを振り撒ける子だから。


「——って、俺は思う。あっ種川の事なら華麗にいなすから、安心しろ」

「逆に不安だよ、武藤が投げられそうで」

「それ昔の話なー、ほんと未だに弄られる」


 小学二年生の頃。種川がどこまで許容してくれるか武藤が悪戯を仕掛け、最終的に種川が柔道の巴投げで武藤を盛大に蹴り飛ばした事件だ。


 僕は目撃していないけど、余りにも綺麗な一回転だったらしい。


「それよりどっかで二手に分かれようか?」

「気を遣わなくてもいいのに——」

「——その後、渡月橋とかで楠木に結婚しよう、みたいな事を言ってみろよ」

「冗談よしてよ……年齢的に無理だし、僕が言える筈ない」


 作戦と冗談を交わして、僕は布団を掛け直すと、ゆっくりと睡魔に吸い寄せられる。


「どうかな?」


 武藤の戯けた言葉が、辛うじて耳に届く。

 とてもぼんやりとした問い掛けだった。


         ▽



 最終日は大阪府のホテルから京都駅前へとバスで戻り、自由班行動が始まる。


「点呼をとります。志津佳しづか

「はい」


 復調した種川たねがわが早朝移動にむことなく、名簿を持ち班長の責務をこなす。


 シズも反射的に手を挙げて呼応する。


「皆本」

「はい」


 僕も順々に沿う。


「最後。一狩りしていないのに、寝不足の武藤」

「それ……悪意しかなくね?」

「武藤はいない……と」

「いや、いる居る!」


 種川班は京都駅から電車で、嵐山方面を主に据えた観光を予定している。


 ちなみにシズ以外は、小学生の頃の修学旅行で嵐山を巡った経験あるため多少は詳しい。


 そのせいか、他の班が自由行動で選択した比率が異常に低い。シズと切望した種川の推薦が無かったら、僕たちも別の名所になっていたかもしれない。


 ただ、京都府有数の名所の一つという事実に一点の曇りもない。


 点呼を終え、電車に乗車するとすぐ、種川が僕たちに打ち合わせのおさらいをする。


「まずは途中、太秦駅で下車して映画集落に行きます。映画のセットや資料文献を観る貴重な機会だけど、うつつを抜かして時間を使い過ぎないよう注意。あとお土産の購入も。予算もだけど、嵯峨嵐山駅で下りて結構歩くので重荷になり過ぎない配慮ね。そこにもお土産店があるから。それで——」


 移動に掛かる約十五分間。昨日の消沈が嘘のように、種川は一方的に話し続けている。

 僕もシズも武藤も健在っぷりを、和やかに聴き続けていた。


 そうしている間に太秦駅へと到着する。駅を出て徒歩五分程で映画集落の投影所入り口が見え、受付で当日入場券を引き換える。


 施設の外装から作品の関係者の気分で僕たちは最初の通り道、キネマルートを伝う。


「おー、ポスターがいっぱい掲げてある」

「映画館の来場前の雰囲気だね」

「文字が少し怖いけどな」

「これ全部、私たちが産まれる前の作品だろうからね。時代の価値観とか、全然違う」


 早速四人が感想を言い合う。

 この場所が映画やドラマの生地しょうちなんだという実感は変わる。


「よし、撮る準備しとこうか」


 武藤はナップサックからインスタントカメラを取り出し、撮影工程の確認をする。


 班長が種川であるように、僕やシズや武藤にもそれぞれ役職が割り振られている。


 種川が班長会計係。

 武藤が保険撮影係。

 シズが美化清掃係。

 僕が副班長しおり作成係。


 基本的に副班長とは名ばかりで、作成がメインの役職だから普通の班員と大差ない。


 カメラ両手に立ち尽くす武藤を置いて、最初のエリアである霧隠れ通りに着く。

 ここにはどこかで、その国の忍者が任務を遂行しているようだ。


「うーん、屋敷にはいないねー」


 個人的なことを言えば、僕の近くに昔から忍び足を不得手ながら実行してくるじゃじゃ馬なくノ一がいるから、既に発見しているようなものだ。


 そのくノ一は、同族を堂々と探している。


 それから僕たちの後ろ背にフラッシュを浴びせる武藤が合流し、本格的に映画集落を巡り出す。


 隠密な絡繰り仕掛けに御執心のシズを始めとして、誠の精神を貫いた剣士の法被はっぴを羽織りご満悦の武藤、明治時代のはいからな街並みに心躍る様子の種川など、それぞれの特色が見て取れる。


 一旦昼食の後。江戸時代を再現した道中、帯刀している武士とすれ違う。制服姿の僕たちとのアンバランスが際立っていた。


 まるでタイムスリップをして来ているかようで、それこそ映画やドラマの世界だ。


 そうして歌舞伎座や遊廓周辺、撮影に欠かせない舞台セットのある各所を回り、僕たちは洋風の噴水会場に来ていたときのことだ。


「なあ、さっきから人が行き交い過ぎじゃね?」


 武藤が飄々と遠方を眺め呟く。

 そちらは確か、江戸時代の田舎町を再現した、水車が備え付けられている宿屋などが建ち並び、有名ドラマシリーズにも使用される舞台の方角だ。


 そこに同じシャツを着用した数十人が移動する部隊が僕の視界にも映る。やたらと大荷物の人もいる。


「本当だね」

「……あれってさ、何かの撮影じゃねえかな」

「撮影?」


 隣の武藤が頷く。


「ああ。ここなら別に珍しくないし、あんな荷物を持ち込めるのも変だし、色々と辻褄が合う」

「おおー」


 揚々と武藤が推論を述べ、聴いていたシズが興味津々と感嘆をあげる。


 一般客がいる場合でも稀にロケが行われていると、インターネットで下調べ中に見かけたから、僕も正直気になる。


「……三人とも、現場を観に行こうとしてない?」


 僕とシズと武藤が示し合わせるように無言で意思疎通する中、種川だけが難色を示す。


「駄目、か?」

「絶対ではないけど、もし撮影だったとして邪魔にならないか心配だしね。

 それに私の試算した時間より少し遅くれてるし、予定の余裕は持たせたいから」


 数秒の沈黙。シズも武藤もその意見に考え込んでいるようだ。


 徐に僕は、腕時計に視線を移す。

 確かに当初の伝え聞いた予定よりは幾分遅れている。


 けど種川が考案したスケジュールは元々、電車の遅延や、班員の体調不良などの事態を視野に大体一時間のゆとりがある。


 余った時間は集合場所である京都駅周辺の展望塔を中心の散策に充てるつもりだ。

 だから微妙の遅れなら、まだ想定内の範疇と判断する。


「時間なら大丈夫だよ。二人も行きたがってるし。それに撮影を遠くから観覧するのも、貴重な体験になるんじゃない?」


 私見しけんを珍しく言ってみる。

 すると、シズと武藤も加勢する。


「タネ、私行きたい」

「以下同文。種川の時間配分は厳しめだけど、お陰で余裕はあるよな? 迷惑も邪魔もしない、約束する」

「……うん」


 種川は両眼を閉じ、寸秒唸ったのち、ゆっくりと三回頷く。僕は三人分、そうしたように感じる。


 それから種川班は、撮影隊と思わしき人たちが向かう、水車が目印の田舎町舞台の方角へと進む。


「こういうのは関係者や管理者の言うことを素直に聞かないと駄目。あと学校の制服を着てる以上、それに恥じない模範的な生徒で接する。私たちの後輩が出禁にならないようにね。駄目ならすぐ帰る、いいね?」

「はい……」


 まるで教師のように弁舌を振るう種川の後を、武藤、シズ、僕の順で一列を作る。


 撮影とおぼしき現場を遠目から確認出来る枝道近くから僕たちは眺める。


「皆本見えてる?」

「うん。撮影なのは間違いなさそうだね」


 三台の大型カメラ、二十人規模の人だかり、立ち位置を修正する演者。

 皆が撮影前の調整を粛々と進行している。


「あっ、あれ探偵さんだ」


 シズが犯人特定シーンのように、人差し指をその演者さんへと指し示している。


「本当だ。すげえ有名人じゃん」


 どうやらシズと武藤は、立ち位置を右往左往する演者さんが瞬時に分かった様子だ。


「探偵?」

「皆本知らない? 洗剤コマーシャルのタレントの人だよ」

「ああ……」


 シズが初登校の日、武藤が影響を受けた人かと気付いて、僕は眼を凝らし再度観る。


 その人はガーネットレッドを基調としたタータンチェックのトレンチコートを羽織り、同デザインのハンチング帽を被る。


 古都の街並みに探偵姿。

 皮肉にも事件性がありそうで映えている。


「生で見るとタレントだけあって頭抜けて美人だな、皆本」

「えっうん、そうだね」


 訊ねてきた武藤に同調する。

 素顔や体格じゃなく服装に気を取られていて、正直そこに注視してなかった。


「……じゃあ私、見学していいか訊いてくるから、みんな待機ね」

「俺付いて行くわ」


 そうして武藤と種川が関係者がいる場所まで、伺うように歩いて行く。


 時を同じく、そのタレントさんがハンチング帽を脱ぐと、フライングディスクの投擲とうてきの構えを取ってスタッフと談笑している。


「……」


 武藤の術中にはまっている。

 気が付けば僕とシズ。武藤と種川という構図が完成していた。


 意図的なら余りにも自然な流れだけど、ただの天然かもしれない。どっち付かずな所がなんとも武藤らしい。


「……」


 それとなく僕は、シズを意識する。

 横顔は凛々と晴天を仰いでいる——。


「……ん?」


 ——と思ったら。段々と角度を落とし、やがて地面移ろう。シズはしゃがみ、両手でハンチング帽を掬い上げている。


 僕の思考が及ばないでいると、そこに駆け足で寄って来る人物が代わりに解決へと導いてくれる。


「ごめんなさい。勢い余って手から離してしまって、大丈夫ですか?」


 セミロングヘアに片編み込みを施し、ナチュラルメイクの細やか美肌に、淑やかな双眸と鼻梁びりょう。背丈は僕と大差無い。


 高校生くらいの女性としては高身長。

 トレンチコートが良く似合う、探偵風のタレントさんが眼前に立っている。


「はい、足元に降ってきたので」 

「そっか。あっ、ありがとね」


 シズがタレントさんにハンチング帽を手渡している。


 こうしてみると武藤の言う通り、美人という形容が大袈裟でないと知らしめられる。

 なんというか気品が違う。


「その格好、もしかして修学旅行?」

「そうです」

「高校生?」

「いえ、中学生です」

「じゃあ年下か、若いね」


 シズとタレントさんが、真横で平然と会話を交す。いや、シズの方は微妙に声が震えてるから、緊張をひた隠そうとしている。


「……修学旅行か。私も高二だから秋頃にあるけど、行けるかどうか……」

「スケジュールぎっしりってやつですね」

「いやいやそんな。スマホのカレンダーも空きだらけだし……あ、中学の修学旅行ってスマホあり?」

「禁止ですけど私のポケットにはあります」


 シズがスマホのあるであろう箇所を叩く。


「ふふっ、意外とわるだね」

「充電もバッチリです」


 話の区切りがついた所で、撮影の遅延は良くないと僕は二人を止めようとする。


「シズ、そろそろ——」

「——えっ!?」


 そう反応したのはシズではなく、何故かタレントさんだった。その仰天に僕も驚く。


「……あ、シズさん?」

「はい」


 シズに訊ねて、勘違いをしていたと頷く。

 そういえばタレントさんの名前にも『しず』が付いていた気がする。


「びっくりした。君の口調、私の参謀役みたいだったから」

「……えっと?」


 参謀役とはマネージャーみたいな人のことかなと所感しつつ、僕の口調の好悪こうおが分からず曖昧な返答になる。


「私は気休めになるけど……彼女さん的にはどうなの?」

「えっ!?」


 今度はシズが仰天している。

 場所のせいもあって、そういう演出なのかと思うくらいのリアクションだ。


「か、彼女なんて滅相もないです!」

「あれ? なんか呼び慣れてる感じだからそうかなって」


 堅苦しい台詞の後あたふたするシズと対照的に、フィクションでも珍しい、推理を外して悶々と腕組みをする探偵が佇む。


「私、こういうのだけは鋭い自負あったんだけど。ごめんね」

「いえ……」

「そのお詫びにね、恣意的かもしれないけどさ——」


 タレントさんはわざとらしく咳払いをして、悪巧みの笑みを浮べる。


「——もう少し、悪い子にならない?」


 そう言うと、手に持つハンチング帽を人気ひとけない枝道へと投げ、追い掛けるフリをして僕とシズを誘う。


         ▽


 タレントさんとの一幕の後、入れ違いで許諾を得た武藤と種川が戻る。


 撮影を見学をしてから、資料文献館を一周すると、僕たちは再び太秦駅へと向かい、電車で嵯峨嵐山駅へと出発する。


 移動中。種川のおさらいのおさらい、武藤の露骨なブイサイン、ポケットを優しく何度も叩くシズが印象的だった。


 下車すると、当然のように率先して種川が僕たちを導く。


 連れて来られた場所は、御利益ある神社とお寺に挟まれた、無数の竹林がそびえる細道。嵐山周辺を象徴する名所の一つだ。


 因みにシズ以外は、小学生の頃にこの細道を一度通っている。


 なのに打ち合わせ中。この班で嵐山周辺に行くなら絶対に外せないと種川が唯一譲らなかった場所がここだ。


 武藤が理由を訊いても、結局教えてはくれなかった。


「……そろそろいいかな?」


 先頭の種川が振り返る。


「どうした?」

「……特に武藤が気になってたでしょ。私がこの竹林に来たがってた理由。いや選んだ理由でもあるんだけど——」


 自然と僕とシズが武藤の左右隣に並ぶ。

 すると種川は、まず僕と武藤をそれぞれ平手で指し示す。


「——二人には『竹』に関する名前が含まれてるから」

「『竹』?」

「うん。武藤は名前にも二つも『タケ』が含まれてるね。字は違うけど」


 種川の視線が僕に移る。


「それから皆本の名前にある『笹』は、広義でいえば『竹』と同じ植物に分類されてる。区別もあるけど、ここにあるどれかは『竹』じゃなくて『笹』になるかも知れないね」

「確か皮が残るか否か、だったかな?」


 昔調べたことはあるけど、どう解釈をしていいか困惑して終わっていた。


 そうして種川は最後に、その両手をシズへと伸ばした。


「そんな『竹』と『笹』があるこの場所は、とても『静か』」

「「「………………」」」

「私がここを選んだのは三人のイメージに一番合うと思ったから、です」


 いつもの刺々しさとは裏腹に、種川少し照れくさそうにしている。


 こじつけと言われたらそうかも知れない。

 けど、僕たちの事を第一に考えてくれた目的地と言う事実がなによりも嬉しい。

 それこそ言葉にならないくらいだ。


「タネ、粋だね」

「そうか? ちょっと強引な気がするけどな。俺の意味違うし」


 シズの感銘の後に武藤は天邪鬼あまのじゃくに返す。


「……そっ、もう次のとこ行くよ」

「あ、強引ついでに付け足すなら——」


 視線を切った種川が、再度僕たちの方へ向き変えると、武藤は一人分の意味を加える。


「——そんな日は最高に『令月』、だな」

「……」


『令月』。めでたい月、何をするにも良い月を意味する、締めに相応しい古典的単語。


「一応、お前も入れとかないとな」

「……二月って意味もあるんだけど、まあいいかな」


 四人の名前が冗談のように交錯する。

 僕たちは子ども騙しだと一度微笑み、そのまま写真も撮り、竹林の意味に魅せられながら渡月橋へと歩む。


         ▽


 忽然と武藤と種川を見失ったのは、すぐのことだ。


「タネと武藤、いないけど?」

「武藤はともかく、種川が勝手に離れる訳がないし、図られたね」


 電車内でのブイサインは二手に、という意味らしい。武藤は種川をどう誘導したのか気になるけど、もう後の祭りだ。


「皆本何か知ってるの?」

「えっと……この辺で待ってようか?」


 僕の言い逃れに、シズが細目になる。

 これはとてつもなく怪しんでいる。


「また嘘付きの皆本がいる……」

「嘘付きって……」


 行きの新幹線でそう言われ、結局教えて貰っていない。


「あれ? まだ分かってなかったの?」

「うん」


 シズは飽きれたように溜息を吐く。


「……私が学校で皆本を遠ざけたのはなんでだと思う?」

「……」


 ここは武藤の意見を借りよう。


「男女の悪目立ちを避けるため?」

「違う、けどそれは盲点だった……ごめん」

「いや……それよりも、どうして?」

「うん——」


 訊ねられたシズが胸に手を当て、差し迫る息吹を仲間にして、頬笑みと共に告げる。


「——だって皆本が私に構うと、学校での普段の皆本を見れないでしょ?」

「……えっ、そんなこと」


 僕がそう返すと、シズの眉間が狭まる。


「そんなことじゃないよ。皆本、自分はいつも独りだ、って言ってたし」

「いや——」

「——でもさ。武藤やタネに他の子も皆本に結構話し掛けていた。あれこれ皆本、全然独りじゃないよね? はい、嘘吐きっ」


 シズは顔を綻ばせ、僕に指差ながら告発。

 なんだか嘘であって良かったと、遠回しに言っているような気がした。


 同時に何故か、ポケットから取り出したシズのスマホまで手渡されてしまう。


「これも、一つの証だね」

「あ……うん」


 その待ち受け画像を眺める。

 場所は閑静な枝道。そこに僕とシズが、タレントさんの自撮りに写り込むスリーショット写真が設定されている。


 事務所を通す必要があるだろうけど、タレントさんの優しい悪事が、この貴重な写真を実現させてくれた。


「タネは……いないよね?」


 シズが辺りを見回している。

 僕は静観するしかなかった。


 雄大な自然に囚われた、僕にとって特別な少女の秀麗さに堪らなく魅了される。

 光景に鼓動が一度、強烈に打つ。


「……」


 僕は衝動で、自分勝手にシズのスマホを撮影モードにすると、それをシズへと向ける。

 長押しをすると良い写真が撮れるらしい。


「シズ」

「ん、なに——」


 シズが僕の方へと振り返る行程。

 奇行に気が付き、まごつく一瞬。

 それを差し止めようと駆けつける焦燥。

 連写とは便利なもので、全貌が収まっていた……ならと思う。


 すぐシズにスマホを取り上げられ、確認のしようもない。


「皆本が嘘吐きから盗撮魔になりました」

「……ごめん。この姿を残したいと思って指が勝手に?」


 僕の苦し紛れの言い分に、シズが可笑しそうにしている。


「ふふっ本当は良くないよ。まあ皆本だから別に良いけどね……私もおあいこだし」

「ごめん……えっ、おあいこ?」

「うん——」


 シズはスマホにある幾つもの写真をスライドさせて苦笑いした後、渋々と僕に一つの動画を突き付ける。


「——はい」

「……えっこれ」


 そこには一人の男子生徒。

 新幹線内での僕の横顔が映された、見覚えのない、個人的には価値も無い映像だ。


「……本当の盗撮は私みたいなやり方で撮ります」

「なんでこんな」


 僕が真意を訊ねると、シズはスマホをポケットにしまいつつ言葉を真似る。


「皆本を残したいって、指が勝手にね?」

「……」


 僕が何も言い返せないでいると、シズは嬉々としてお土産店へと向かって歩き始めた。当然、付いて行く。


「そういえば膝、問題なしだね」

「……寧ろ丈夫になったくらいだよ」

「あっ橋渡ってない。どうしようか?」

「二人が戻った後で、かな?」

「……そうだね、四人じゃないとだね!」


 そうして僕とシズがお土産を選んでいた数分後、武藤と種川が合流する。


 武藤がトロッコに乗ると駄々だだね手を焼いていたという、慣れないうそ八百はっぴゃくの説明をする種川に苦笑するしかない。


 嘘だと分かる理由は、二人して木陰に隠れ、僕とシズを眺めていたから。


 恐らくは最初から結託していたみたいだ。

 本当に良い班だと、僕は心から頷く。


         ▽


 修学旅行が終わり、季節が移ろう。

 受験を控えた僕たちはあまり道楽にふける時間はなかったけど、合間を縫って勉強会と言う名の日帰り旅行などをした。


 高校は偶然にも僕と武藤の進学先が同じで、種川が武藤の言う通り、県外の付属校への進学がそれぞれ決定する。


 そうして中学校の卒業式の日。

 僕は二つの卒業証書を持ち、シズが入院している小児科へと徒歩で向かっていた。

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