十年後 三幕
第22話 誓盟
夕空の
僕とシズのような少女は、ファミリーレストランのヨミゼリヤの店前で迷っていた。
「どうする?」
「うーん。正直な事を言うとあんまりお腹は空いてない」
シズのような少女はお腹を摩りながらそう告げる。予想はしていた回答だ。
「僕も。昼食を食べたばかりだし、無理して約束を果たす必要はないよ」
「……皆本がいいなら。でも、折角ここまで来たのに……ごめん」
「いやいや。それよりも、もう直ぐ日も落ちるだろうし……ここで長居は良くないから移動しようか?」
「そうだね」
ブレザーの制服姿から、群青色をしたユニセックスのフード付きパーカーとショートデニムに衣替えしているシズのような少女が、僕に曖昧な笑みで頷く。
ここまでに至る経緯は、僕の暮らす家から外出する前にまで遡る。
僕とシズのような少女は食後、テレビから垂れ流されているニュース番組を観ていた。
かなり長い時間を完全自動運転の安全性の検証に費やしていて、普段から車を運転しない僕はそれを他人事のように眺めている。
「ねえ皆本」
「なに?」
なんだか懐かしいやり取りだ。
「これってまだ、ちっちゃな子どもが運転しちゃいけないの?」
「……どうだろうね、理論上は可能なはずだけど。それこそ今まで教習所に通って、勉強して免許を取得するしか乗る方法がなかったから、いきなりは難しいかも」
完全自動運転は地図機能に目的地を入力するだけで勝手に移動してくれる車だ。
「そっかー。こっちもまだ無理なんだね」
「こっち……——」
「——あ、ニュース変わっちゃった。じゃあ皆本、区切りも良いしファミレスに行こう」
「えっちょっと、どうしてそうなったの?」
その場で立ち上がり、スカートの折れ目を払うシズのような少女に、僕は見上げながら訊ねる。
こっち、という発言も気掛かりだけど、食後にいきなりファミレスへ行こうとするのは僕の感性だとへんてこに映る。
「だってそう約束したから」
「約束……ああ——」
僕はシズのような少女がこの部屋に侵入してくる前、玄関先でのやり取りを思い出す。
僕が部屋に入れたくないと言い、せめて公的な場所で話し合おうと提案すると、シズのような少女が細かい時間でファミレスのヨミゼリヤを指定した約束が確かにあった。
結果的に今の状況が出来上がり、約束そのものが立ち消えになったと解釈していたけど、シズのような少女は違ったみたいだ。
「——でもご飯食べたばかりだけど……」
「うん……でもとにかく外には出よう。皆本も私が居座るの嫌そうにしてなかった?」
「いや僕が嫌と言うよりは世間体が——」
「——じゃあ皆本の世間体が悪くならないようにしたいから」
「……もう遅い気がするけど」
僕の不注意とはいえ、訴訟を起こされたら既に未成年少女の誘拐やら拉致監禁が成立する現況であり、大切な人にとてつもなく似ている女の子だからと弁明した所で誰も許してはくれない。
けれど僕が一緒に食事をしたり、のんびりとテレビを観ているのも、仮にシズのような少女から訴えられても仕方ないと、半ばもう諦念しているからこそ為せると思う。
だから今更、突き離す道理はない。
僕も立ち上がると、うねる髪の毛と地味なスウェットを気にしながら話し掛ける。
「……でも、外出自体は良いかも。最近運動不足気味だったから、食後の散歩かな?」
「ほんと?」
「うん……それで、ちょっと着替えてくるから、洗面所の方に来ないで待ってくれるかな?」
「分かった、待ってるね」
僕はシズのような少女に見送られながら、着替えを持って洗面所へ向かう。
流石に寝癖をそのまま単色の上下スウェットという、あまりにも油断しきった
格好がダメという訳ではなくて、並んで歩くときに、その人になるべく相応しい姿でありたいと久々に思ってしまった僕がいる。
かれこれ高校生以来じゃないだろうか。
「……うん、僕らしくないね」
自虐的に呟き僕はワイシャツ着ると、その上から黒ベストを羽織り、ジーンズとソックスを履く。髪型も整えてから洗面台を出る。
「……」
僕が居間に戻ると、何故かシズのような少女までも着替えていた。
それまで着用していたブレザーとシャツとスカートを綺麗に
そして以前、口頭で聞いていた衣服がそのまま露わになっている。
可愛らしいキャラクターが描かれたシャツにショートデニムだ。
出逢ったとき、僕が見るからに学生であると分かる制服姿は困ると難色を示してしまったことを憶えていて、わざわざ配慮してくれたのかもしれない。
厚意は嬉しいけれど、春先とはいえ少し肌寒い格好だと思う。
そのシズのような少女は、僕の使用頻度が少ないスタンドミラーの前に正座をして、左手で頭頂部を払い、仕上げに横髪を撫でて口角を上げている。
こちらには気が付いていない様子。
ちょっとだけ謙遜するような笑みだ。
「……もう少し待ってた方が良かった?」
「えっ!? びっくりした……いつの間に」
僕の声掛けに、シズのような少女は驚いてすぐ振り返る。
口元を隠しているのは驚いたからか、僕に作り笑みを見られて恥ずかしかったからなのか、それは分からない。
「なんでそっちも着替えてるの?」
「な、なんとなく? 少し暑かったのもあるし、あとブレザーって重いしね?」
明らかに誤魔化しているのが見て取れる。
感慨もなく、制服の方へ視線がいく。
「確かに、僕も高校時代ブレザーの制服だったから気持ちは分か……そういえばその制服って、僕の高校と同じじゃない?」
僕は畳んであるせいで強調された、ブレザーの胸元にある校章を眺めてそう思う。
そもそもが十年前の話で、割とありふれたデザインの女生徒用制服だったから、シズのような少女が着用しているときに気が付かなかったけど、この配色に校章の形は間違いなく、僕が三年間通学した高校と同じものだ。
「やっぱりそうなんだ」
「やっぱりって?」
「いや、皆本は絶対、私と同じ高校だろうなって予想してて——」
「——どういう予想なのさ……」
そんなとんでも予想はさておき、これはかなり重要な言質を取ってしまった。
シズのような少女は、しみじみと左右に揺れていて、それに勘付いた様子はない。
「その……僕が今、この高校に連絡したら、キミの素性が判明するはずだよね?」
「あっ——」
失態を演じた焦りからか、シズのような少女は、両手をしどろもどろするしか出来ないでいる。
なんだかその慌てふためき方は、シズを彷彿とさせる。
「……もし高校の名簿にキミのことが記されていなかったら——」
「——それは絶対ダメッ!」
威勢よく前のめりになり、シズのような少女は手を振りながら拒絶する。
「なんで……なんて訊いても答えてくれないよね? きっと」
「……うん」
シズのような少女は神妙に頷く。
「まあ、警察とかが対処出来るような問題じゃないかもしれないけど——」
「——……お願い皆本。せめて、今日だけは見逃して欲しい——」
似ているだけで無関係。そうではないと、僕の直感がどうしようもなく指摘してくる。
だからどう表現したものか分からないけど、とにかくちゃんと話をするまでこの子を匿っていたいという、人道を逸脱しているかもしれない保護欲が僕の中に湧き上がっていた。
「——分かった。しないから安心して?」
「……うん。バレるとここに、居られなくなるから」
意気消沈のシズのような少女が正座している姿と相まり、僕が叱りつけてこうなっているみたいで、少しばつが悪い。
怒るのは、感情的になるのは、苦手だ。
「確認だけど、帰る家はある?」
「……お父さんとお母さんからは、なるべく早く帰って来なさいって言われてる」
「ご両親はちゃんといるんだね?」
「うん。それで私は、最低でも皆本と逢うまでは帰れないって返した——」
僕の個人的な押し付けかもしれないけど、シズもこの子も、そんな顔は似合わない。
「——まさか、こんなに早く逢えるとは思わなかったけどね」
「……そっか」
シズのような少女。この子の正体に僕はなんとなく気が付いていた。
けれどそれを喋ってしまうと、眼前から忽然と消えてしまいそうで、僕は口を噤む。
そうして
僕は時計を
「外出の準備は出来てる?」
「うん、バッチリ」
「でもその格好、寒くない?」
「んー、ちょっとだけ寒い」
「……だよね」
僕はそれを聴いてすぐにクローゼットへと向かい、幾つかの上着を手に取り、シズのような少女に見せる。
「寒いなら一着貸すよ? 僕の買う服って無難なやつばかりだから、女の子が着ても変に思われないはずだし——」
「……」
シズのような少女は沈黙したまま、上着に手も付けず見つめていた。
逆に僕が動揺してしまう。
「——いや……僕が着た服は嫌か。待って、タグが付けっぱなしのが有ればそれを——」
「——これっ! 私これがいい」
唐突にそう言ってシズのような少女は、僕の左手にある群青色のパーカーを
あまりの素早さになす術もない、シズのような少女のコスチュームチェンジ。
無難さが逆に映える躍動感。
元々は僕が買った安物の服だから、着心地はどうなのか気になる。
「……大丈夫そう?」
僕はおそる恐そる訊ねる。
「うーん、少し大きいね」
「僕のサイズに合わせてるからね。でもパーカーだから……——」
袖が余る程に大きくはなくて、シズのような少女の胴体よりは長く、ショートデニムの半分くらいにまで掛かる。
ファスナーを閉じていないためにシャツのキャラクターも愛らしく居る。何というかこの服装が似合う子は、間違いなく年齢が若い人だと知らしめる格好だ。
「——どうかな?」
シズのような少女が訊き返す。
僕の答えは決まっている。
「似合ってるよ」
「……良かった。皆本のコーディネートも無難に似合ってるね」
「そ、そう? あんまりそういうの言われた事ないけど?」
「完璧」
淡白な単語だけど、最大級の賛辞。
なんだか少し、自信を貰える一言だ。
そんな高揚感のまま、シズのような少女の全体像を見る。
小柄で愛嬌があるせいか、こういった装いはシズのような少女の方こそ、無難さを生かして着こなせるんだと僕は思う。
「これ……暖かくなるし、皆本の香りがするし、色々と得だね」
「あっごめん、消臭剤を掛けた方がいいよね?」
「ううん、要らない。このままがいい」
「……本当に?」
「うんっ」
シズのような少女は、温もりを噛みしめるように身体を寄せ、大きく息を吸っている。
こうしてあからさまに気に入っていると分かる表情をされると、僕も嬉しくなる。
僅かながらの羞恥心も混在しているけれど、このくらいが心地良いらしい。
それから僕たちは簡単な支度を済ませたのち、部屋を出る。
車は無いし、自転車は一台しかないし、電車を利用するにもその最寄駅へ到着するまでにファミレスがあるから、僕たちは徒歩で向かうことになった。
シズのような少女は意外そうに聴いていたけど、すぐに頷いてくれて、我先にと僕よりも先導して行く。
そうしてファミレスのヨミゼリヤに着いたのはいいけど、お互い満腹状態な為に入店することなく、辺りを散策しながら他愛のない会話を交わす。
「皆本ってこの辺の事詳しいの?」
「ううん全然、まだ住んで半年くらいだから」
「ここに住んでるのは仕事の関係とか?」
「元々はそうだけど、今は無職だよ」
人通りのあまりない歩道を僕よりも早く進むシズのような少女の質問に、紛れのない事実を答えていく。
「皆本をクビにするなんて、見る目ない」
「いやクビじゃなくて満了かな? まあどっちでも同じような意味だけど」
「私が社長なら皆本を共同社長にするのに」
「珍しい体制だねそれ。でもそれが出来たら、どう傾いても構わなかっただろうね」
もしかしたらそんな未来もあったかもしれない。過ぎたことを考えても仕方ないけど。
そう僕が答えた後、シズのような少女は急にしおらしくなりおずおずと質問する。
「……皆本はさ、誰かと結婚……とかしてるのかな?」
その質問は年齢を重ねれば重ねるほど、回数頻度が増える。シズのような少女からじゃなくても、元同僚の人とか、昔近所に住んでいた人との世間話でも訊かれた。
「……」
将来と呼んでいた姿が現実になり、思考が堅実になる。適齢期と思わしき人なら誰彼構わず、僕のようなしがない成人男性でも好奇の対象になる。
けれどシズのような少女は、単純に相手が存在するのかどうかが気になるようだ。
他の人には適当に誤魔化したけど、この子に嘘を言う道理なんてない。
「うん」
その瞬間。シズのような少女が眼の色と形を変化させて詰め寄り、僕に追及してくる。
「嘘っ!? だれ誰?」
「秘密」
「えー……——」
「——ごめん、キミには教えられないかな。
……でも一つ言えるのは、結婚したことは間違ってなかったって思える人だよ。
僕の両親や親戚の話に聞くけど、意外とこう思えないらしいから……きっと凄く幸せだよ」
手短にある物的な証明は難しいけど、ちゃんと籍は入れている。式を挙げていなかったり、結婚指輪とかも購入しなかったし、立派な一軒家もないし、そもそも他人から疎まれやすい早婚だった。
僕が幸せに出来たかどうか訊ねられると、まだまだ不足していたと思う。だからこそせめて、偽りのない感情だけを話す。
「そっか……皆本はその人と一緒になって幸せなんだ」
「うん。でも本人に知られると、喋り過ぎだよって釘刺されそうだけどね」
「ふふっその人、意外と恥ずかしがり屋さんなんだね?」
「普段は隠してるけど、実際はそうみたい」
なんとなく。
他にも理由はあるけど、それなら尚のことどこかの僕のためにならないから言わない。
「うう、それなら良かったけど気になるな。
あっでもそうだと、私が家に押し入っても大丈夫だったの?」
「大丈夫じゃないよ、色々とね」
「だよね……私のせいで皆本が不倫既婚者になっちゃったし。もしかして修羅場突入?」
「いやそれ以前に僕——ううん、まあ問題はないよ」
不倫そのものは一応罪にならないけど、犯罪よりも厳しい制裁があることは、ニュースを通して観ながら思い知らされていた。
それでも僕には縁遠い話だと楽観視していたら突然、不倫はおろか誘拐拉致監禁に条例違反まで付き兼ねない一日に
「……」
「ん? どうしたの皆本?」
この出逢いもまた、そんな人生の一部なのかもしれない。
それこそ現代の知識では机上の空論に過ぎない妄想のような巡り逢い。
思考が絡み合って、もう訳が分からなくなると、最終的に歓迎するしかなくなる。
人間はこうなると、率直な感動に従う方が良いと経験者になって痛感する。
それが分かる今だからこそ、僕はシズのような少女に対して一つ訂正する。
いつかの、はぐらかされた問い。
「ねえ、キミは亡霊なんかじゃないよね」
「……なんでそう思うの?」
この歩道を行き交う人が居れば、僕たちの方へと振り返ってしまう不審な会話。
「だってこうして話せてるし、他の人にもキミのことが見えている様子だし、そもそも僕は霊感とかが皆無だから。あとは——」
最後の理由はなんの根拠も存在しない、
「——キミを勝手に亡霊扱いするなんて僕は嫌だからだよ。やっぱり、生きていて欲しいんだ——」
整備された歩道へと一緒に乗り上げる。
靴底から安定して、膝にも優しい。
シズのような少女が、僕の方へ振り返る。
「——それが無力だったとして、ちっぽけだったとして。それでも互いに生きているからこうして、一方通行にならない会話が成立してる、ちゃんとキミを視認してる」
「成立……視認……」
「ほら、今もそう」
どれだけ長生きしたとしても後悔は残る。
他愛のない日々が、ある日叶わなくなってしうまうからだと思う。
僕は間違いなく幸せと言える。
けれど未だに満たされないものもある。
そしてそれは、無情にも蓄積するものだ。
幸福を感じたとき、不幸を嘆いたとき、淡々と日常を送るとき、どれに傾倒しても否応なく苛まれる。
僕がシズのような少女に今、出来ることは一つ。ちゃんと言わないといけない。
「勝手に亡くなった扱いにしたのは……どうかしてた」
シズのような少女がどんな存在であれ、こうして僕の眼前を歩いている。
愛らしい表情はそのまま、活気の良い踊り子のような動作。色白の地肌は相変わらずで、思いもよらないことをする。
「……うん、私は死んでない。そうなると勿論……皆本答えをどうぞ」
「亡霊じゃない」
「正解!」
花丸が描かれそうな満面の笑みを、シズのような少女は僕に見せてくれる。
そして僕は、忘れていた質問をする。
本来ならば最初にするべきだったかもしれないけど、恥を忍んで訊く。
どんなに遅かろうと、するとしないでは
「ねえ……名前、なんていうの?」
とても慣れない言い回しだった。
やはり僕がシズの真似をすると、どうにも堅苦しくなる。
「……」
シズのような少女は両眼を大きく見開いて、幾度か瞬きをした後に、凛々と駆け足にながら僕に向けて告げる。
「
それは僕と、僕が知らないシズが、廻り合わせた偶然でも有り得ない半日の出来事。
夜の帳は緩やかに下りていく。
僕たちは遊び疲れながら、帰路に就く。
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