第11話 鬼蛇

 学習机に積まれた宿題と教科書の山々から目を背けて、僕は自室のベッドに腹部から飛び込む。


 学年が上がるにつれ、その難易度と質量が増加していく一方で、連休初日だというのに気持ちがえてしまう。


 睡魔に襲われている訳じゃないけど、枕を手繰たぐり寄せて瞳を気ままに閉じる。


 勉強に取り掛かる時間をあらかじめ決めていて、その前に少しだけ現実逃避をしたくて、平穏へいおんな想像にふける。


「……」


 そこは静寂せいじゃくに包まれた草原。

 僕にそそぐ日光が、程良い温暖おんだんめぐむ。


 その安息に佇んでいる僕。

 どうやら、隣に誰かいるようだ——。


「——お邪魔してまーす。皆本、遊びに来たよ!」

「……随分と早かったね」


 実家の二階にある僕の部屋まで玄関から、抜き足でここまで来たであろうシズが、せている僕に近付く。


 無防備な背中を揺さぶってくる。

 そうして、僕は現実に引き戻されていく。


「うん! お父さんの車に乗せて貰った」

「そういうことね」

「あ、ドアの鍵閉めちゃったけど良かったのかな?」


 僕の家の鍵のことだろう。


「うん、シズが来るから開けっぱなしにしてただけだからね。父さんも母さんもちゃんと家の鍵を持ってるし大丈夫だよ」

「そっか、ならあんしん安心」


 シズが遊びに来ると両親が分かっているときは、迎え入れるために鍵を開けてそれぞれの仕事場に行くことが良くある。


 ある意味、シズのことを僕以上に信頼している証なのかもしれない。


「……」

「ねえ、起きないのー? じゃあ私も寝よっかなー」

「……ごめん、今起きる。シズと勉強する約束したから」


 重力に逆らい、僕はまなじりを擦った後、ベッドの上で四つん這いになる。


 そこに藍色のポンチョを羽織り、七分丈のデニムを履き、水色のリュックを背負っているシズが僕を覗き込んでいる。


「……」


 毛先にパーマを掛けて、地毛のセミロングヘアを盛り上げ、いつもより若干大人びているように感じる。


 そのシズが僕の隣から見開いた双眸そうぼうと視線が交錯こうさくする。

 そして照れ隠しをするようにおどけて微笑む。


 シズが僕の部屋に度々たびたび遊びに来るようになってから、かれこれ二年は経つ。


 僕が一足先に退院したその当日、シズ側の都合が付かず、見送ることが出来なかったと悔やんでいたらしい。


 そこで僕の知らない間に、どうやら親密になっていた僕の両親とシズの両親が結託けったくしたようだ。


その二週間後、シズが退院した翌日。僕の家へ訪れてたことから始まる。


 お互いに通う小学校は異なるけど、実家同士がそこまで距離がなくて、休日に家族ぐるみでハイキングに出掛けたり、大型のショッピングモールで食事や映画鑑賞などをするようになる。


 退院したことで、同じ病院に入院している同級生患者という共通点を失った後も、僕らの関係は継続していた。


 そうして家族で会うことのない日にも、シズが自転車にまたがり、一人で僕の住む家まで乗って来るようになった。


 あの交通事故以降、僕が自転車に乗ったことは一度もない。


 以前は玄関横に駐輪していた。

 僕の自転車が大破した後に買い直さなかったこともあるけど、トラウマがよみがえり決心することが出来なかった。


 そのせいもあって、シズを僕の部屋に招き入れる頻度ひんどの方が遥かに多くなっている。


 僕がシズの家へ徒歩で向かうことも出来るけど、最低でも一時間は掛かる。


 加えて長期間の入院を要した脚膝の怪我明けにそれはこくだと、両親とシズ本人双方の許可が下りなかった。


 シズが遊びに来て、帰るときに次の約束をする。この循環じゅんかん幾度いくども続けて、ついには小学生としての最終学年。


 平穏へいおんとは言えないけど、退屈するいとまのない日常を過ごしている。


「とにかく、適当にくつろいでてよ。僕、飲み物をんでくるけど、シズはいつもの麦茶で良い?」

「うん、かき氷を食べたときのような頭痛が来るくらい、冷え切ったのをおねがい」


 シズが目をつむり、ひたいを押さえて言う。


「そんなには出来ないんじゃない? 氷を多めに入れるくらいしてみるけど……」

「分かった。あ、本棚にある漫画の続き読んでいいかな?」

「……それはいいけど、勉強課題のことを忘れないでよ」

「はーい!」


 明るく快活に左手を挙げると、そのままの流れでリビングに向かおうとする僕に振ってくれていた。


 それを背に受け、僕は飲み物を汲みに自室からリビングまでの廊下を揚々ようようと歩く。


 少し変な調子のようだ。そうして、リビングに着くとすぐキッチンの方へ向かう。


 台所にある冷蔵庫からシンプルデザインの麦茶ポットを取り出す。


 食器棚から黄緑きみどりいろ藍色あいいろ、二つのマグカップの取手を人差し指で引っ掛けて、隣り合わせにして置く。


 そのあとに再び冷蔵庫の前に行き、自家製の氷をアイススコップですくえるだけすくう。


 黄緑色のマグカップに二つ、藍色のマグカップに要望通り多量の氷を入れ、アイススコップを元の場所に戻す、


 ちなみに、黄緑色が僕で藍色がシズのマグカップだ。それぞれ専用として使っている。


 そこに麦茶を注ぎ、木製の丸盆まるぼんを用意してマグカップを並べて置く。


 麦茶ポットを冷蔵庫に戻したついでのおちゃけとして、粉糖ふんとうまぶした薄いビスケットが入った袋を四つ取り、丸盆の空きに乗せた。


 両手で掴み持ち上げて、ゆっくりと自室に戻る。


「ああ皆本ーお帰りー」

「うん。あ、折り畳み机出すの忘れてた」

「私が組み立てるよー」

「ごめん、助かる」


 読んでいた漫画をベッドに置いて、シズが慣れた手つきでたたまれた机の四脚を立たせる。


「はい完成!」

「ありがとう」


 シズが組み立ててくれた机に丸盆を置く。


「ん、ビスケットもあるー。私もチョコレート持ってきたから、一緒に並べちゃおっと」


 シズはリュックをあさり始める。


「いいね、勉強するときは甘い物かなって何となく思ってたから——」

「——そうだ、今日は勉強するんだったね」

「もう……さっき言ったばかりなのに」

「ごめんごめん。はい、チョコレート! あと勉強ね、ちゃんとあるよ」


 シズはリュックからチョコレートを取り出して机に置いた。


 その包装のしわを直すように軽く叩いたあと、次いで取り出した算数の問題集をおめんのようにして僕にかがげている。


「シズの学校は本が大きいね。顔が全部隠れてるよ」

「嘘っ、これが普通じゃないの?」


 ひょっこりと問題集から顔をのぞかせるシズが僕にいてきた。


「うん。学習机にあるから実際に見たほうが早いかな」

「その山積みのやつだ!」


 シズが学習机にある積み本を指摘する。そんなあからさまに指を差されると恥ずかしい。


「そうそう。これだけ課題を出されると本当に困るよ。噂によると中学生になったらこの倍はあるらしいね」

「うわぁ、中学生になりたくなくなるー。早く大人になりたいのに複雑ー」


 シズが問題集を頭上に乗せてもだえている。

 僕はくだんの小学校から出されたの算数の問題集をシズに向ける。


 熊のキャラクターが描かれた表紙を見せていたけど、それどころではない様子で目もくれていない。


「でも卒業まで半年以上あるから……」

「んーそうだけど……。私、ただでさえ勉強は遅れてるのに、その量まであるとね——」

「——そう、だよね……」


 僕もそれを経験しているから、シズの理由にどうしても同情してしまう。


 長期間の入院生活では、勉強がおろそかになると表現するのは不適切だけど、後回しになってしまってはいた。


 合間を縫って学習時間をもうけていたけど、小学校とは行う勉強方法や進行具合も異なるせいで、内容ないよう云々うんぬんよりもまずその適応てきおうに戸惑う。


 一度だけの僕でさえそうなのに、入退院を繰り返していたシズだとそれは顕著けんちょになると思う。


 あれから僕が病院に行くことはほとんどないけど、シズは今でも定期的に通院しているらしい。


 それで小学校を休むこともあるみたいだ。


 僕がシズに対して直接伝えることは絶対にないけど、学校の勉強について行ける余裕のある状態だったとは、到底とうてい思えない。


 だから僕は、それでも大人になろうと躍起やっきするシズを尊敬している。


「でも、僕の父さんも母さんもシズの両親も中学生を経て成人している訳だし、案外僕らもどうにかなるんじゃないかな?」

「そうかな……うん! だといいね!」


 シズが明快に答えている。

 気休めかもしれないけど、それは紛れもなく事実だ。


「……」


 けれど一瞬、シズが表情を曇らせた。


 まるで災厄さいあくの未来を予測していているように陰鬱いんうつなものだったからだ。


 しかし既に、それは取り払われている。


「よーし! ならすぐに勉強を済ませよう! 最初は……算数からでいいかな?」

「うん、そうしようか」


 全て帳消しにするような、底抜けに明るくなったシズがそこにいる。


 これが仮に偽者だったとしても、僕は失いたくないと切に願った。


「あとこれは私の小学校での話なんだけど、この期間中に宿題を終わらせないと、先生から修学旅行には連れて行かないって釘を刺されてるから、やらないといけないんだよね」


 シズが手際良く問題集と筆記用具を机の上に並べながら話している。


「シズの所は早いみたいだね」

「うん! あと一ヶ月と少し! 場所は大阪と京都だよ!」


 シズは大阪府と京都府のある西を指し示したつもりかもしれないけど、そこは北だね。


「でも流石に修学旅行に連れて行かないは無いんじゃないかな? 先生がみんなに宿題を終わらせようとした嘘だろうね」

「そうだろうけど、修学旅行前に注意されるのとかって嫌でしょ? どうせならみんなで楽しく旅行したいと思わない?」

「うん……」


 シズの問い掛けに、僕はすぐに頷いた。

 同時に独りよがりな思考の僕には、頭の片隅かたすみにもなかったといる。


「そういえば皆本の小学校は修学旅行いつなの? あとどこに行くのかな?」

「僕の所は冬ごろでまだまだだね。

 あと行き先はシズの小学校と同じで大阪と京都、それでいて奈良にも行くと思う」


 修学旅行なんてうろ覚えだけど、間違えてはいないはずだ。


「えーいいなー。ということは、鹿に逢えておせんべいとか渡せるんだ?」

「多分ね」


 それを聞いてシズは、不意に口角が片方だけ吊り上がる。どうも悪知恵を働かせているらしい。


「……転校とかって出来ないかな? こっちの修学旅行楽しんだあとで」


 僕の予想通りだった。

 溜息を吐きながら事前に少し考えていた台詞を連ねていく。


「出来なくはないと思うけど、そうなるとシズと同じ小学校に通う子たちを裏切るようなことになる気が、僕はするんだけど」

「……三日間だけ転校してすぐに戻ればあるいは——」


 名案を閃いたと言わんばかりにシズは微笑んでいる。


「——あとそれ、もし実行するならシズの両親にも伝えないとだよ? そんな我儘わがままを許すような人じゃないよね?」

「そうだった……お父さんとお母さんの雷が落ちるところだったよ」

「……そんな大袈裟おおげさな。僕の個人的な感覚だけど、シズの両親ってとても穏やかで優しい人達だって印象なんだけど」


 シズの両親と初めて顔を合わせた日、その数日前にシズと一緒に起こしてしまった出来事に対して、僕はすぐに謝る。


 導いていたのは主にシズだったけど、そこに至るまでの経緯は、まともに歩くことも不可能だった僕を励まそうとしたものばかりで、そのときの約束を叶えようとしてくれていた訳でもある。


 そもそも僕が居なければ起こり得ることも無かった。だから責任は全て、僕にあると考えていた。


 僕の両親が代わりに謝罪をしてくれたみたいだけど、きちんと直接、シズのその心配りもねて伝えたかった。


 するとシズの両親はあっけらかんとして、僕のことを小学生なのに生真面目きまじめ過ぎるとねぎらってくれた。


 そして、どうせシズに付き合わされただけだろうとほがらかに笑い言ってくれたことを、よく覚えている。


 それから家族同士で連れ添うときに何度か話をしたけど、僕の両親とはまた違った温もりを与えてくれた。


 だから僕としては、当然怒ることはあるとは思うけどその姿までは少し想像し難い。


他所よその家の子には大体そうだよ。お父さんとお母さんは私にだけ厳しいんだから」


 確かに僕の両親もそうかもしれないと頷く。そのあともシズは両親の話を続ける。


「あれはおにへびだよー。私が少し散らかしたりしただけなのに、怖い顔したまま注意してくる鬼と、それからからみ付くように今まで私が起こしてきたことを文句言ってくる蛇。

 しかもどちらかが鬼で、もう一方が蛇じゃないの。お父さんもお母さんもその二つを使い分けてくるの。

 場合によっては二人が同盟を結んできて叱られることもあるからねー。

 だから皆本は私のお父さんとお母さんにまんまと騙されてるんだよ」

「……でもやっぱり良い人達だと思うよ?」


 シズのことを大切に思っているからこそ時として叱り、逆にその過去を忘れないでいるから、文句が枚挙まいきょして出て来ると僕は感じる。


 おそらくシズもそのことに気付いていると思う。しかし子どもが故に、娘が故に反発的になってしまっている。


 けれどそれが許されている親子は得てして、対等な関係が築かれているものだと思う。


「ふーん」

「……なんか不機嫌だね」

「いいから勉強しよ!」

「うん……」


 シズは、両親とはいえ珍しく攻撃的な言葉を吐いていた。

 もしかしたらケンカになったあとに、僕の部屋へと訪れたのかもしれない。


 シズは案外意固地な一面があるから、長期化してしまいそうだと心配になる。僕きは祈ることしか出来そうにないけど。


 そうして僕とシズは同じ机に問題集をそれぞれ開く。その中心にある麦茶とお菓子をはさみ、対面して座っている。


 とりあえずお互いに一通り、計算式を自力で解くことになって、後から解らない設問せつもんを相談し合う予定だ。


「終わったよ皆本」

「早いね」


 開始してからまだ三分も経っていない。


「うん、一問目以外全部分からないもん」

「ああ……最初は下の学年の範囲だからね。大体そのあとは応用ばかりだから習ってないと難しいか」


 僕が数式を見てとどこおりながらも記している間、シズが麦茶を飲んで前頭を押さえている。


 リアクションが落ち着いているのが気掛かりだったけど、一応要求通りに渡せたみたいだ。


「皆本家の麦茶、いつも美味しいね」

「それ、かしてたの母さんだから喜ぶよ、……多分?」


 僕は首をかしげながら曖昧あいまいに言う。

 お茶を沸かしたことを褒められて、戸惑う母さんしか想像出来なかった。


「あはは。あ、そうだ。皆本にきたいことがあるんだった!」

「えっ、なに?」


 鉛筆を持つ手を止めて、視線を問題集からシズに移した。

 けれどいつの間にか立ち上がっていて、僕はシズの膝上を見る羽目になる。


 即座に上向くと、僕を見下ろながらご満悦しているシズと向き合う。


 シズは一度。わざとらしい咳払いしながら、勿体もったいぶりながらも話し始める。


「皆本が通ってる小学校の人ってどんな感じなの?」

「……別に普通だと思うけど、どうしてそんなことを?」


 シズは人差し指を立ててそれをせいする。


「あともう一つ、皆本は進学する予定の中学校は、今通っている小学校と同じ名前の所だよね?」

「うん。受験するほど頭良い訳じゃないし面倒だし、深く考えてないけどそうなるだろうね」


 僕がそのように答えると、シズが胸に手を当てて撫で下ろしている。


 それは何かの予兆のように感じた。


「良かった……発表があります! 私、皆本と同じ中学校に進学することにしました!」

「……本当に?」

「うん! お父さんとお母さんと相談して、仲の良い子がいる学校の方がいいよねって」


 僕が唖然あぜんとしていると、シズがその理由を伝えてくれる。


 あと。仲が良い子と言っていたときに、立てていた人差し指を僕に向けて、その人物を隠そうともせず示していた。


 嬉しいけど、なんだかそれだけじゃ足りない感情に包まれている。


「……だからさっき転校しようかって言ったでしょ? 

 それに近いことを、私が前に話した事があって、そのときはわたしたいお父さんお母さんになっちゃってね。

 もう雷を落とされまくりだったよ……心配してくれたんだろうけどね? 

 でも今回は私の意向を聞いてくれたというか、区切りも良いし、ちゃんと同じ小学校の子に別の中学校へ進学することを伝えてから別れなさいってことが条件でね」

「そんなことが……僕、全然知らなかったよ」


 僕がただ学校に通って家に帰るだけ間に、シズとその両親はかなり葛藤かっとうしていたみたいだ。


「驚いた?」

「うん、驚いた」


 義務教育課程は、僕が何かを望まなくとも勝手に用意されるものだ。


 適当に近場の学校に属されて、ろくに考えもせずに通学する。


 だから受験をして合格でもしない限り、小学校と同様の名称の中学校に進学するものだと思い込んでいた。


 僕もシズも他の子も、そうなると決め付けていた節もある。


「やっぱり、僕の想像を超えてくるね」


 シズに聴こえないようにそう呟いた。

 そのシズはなにやら安心した様子で、そのまま僕のベッドに腰掛けて一息吐いている。


 そして読みかけの漫画の裏表紙に優しく手を置いて、もう少し話してくれた。


「皆本は知らなかっただろうけど、私達の親同士で話し合いをしてくれてたみたいだよ」

「父さんと母さんは知ってたんだ?」

「うん。そのおかげもあって私の家の中で、私が進学先を変えても、長く付き合いがある皆本家がいてくれるなら大丈夫だし信用も出来るって!」


 シズが両脚をブランコに乗っているかのように上下させて、凛々りんりんとした動きをしている。


 そんなシズに、僕は懸念点を指摘する。


「でもいいの? 気心知れた子と離ればなれになるかもしれないけど」

「……私、小学校の中では勉強も運動も出来ず休みがちだから、誰からも凄く気を遣われるんだよね。だから、初対面の人ならそういう先入観もなく接してくれるかなって」


 シズは淡々と述べている。

 僕もそのまま静観する。


「それで、もし誰とも仲良くなれなくても、近くに皆本が居てくれたら心強いなって思った……学校って男女で極端に別れるから、あんまり話せないかもしれないけどね」

「……僕が心強い?」


 僕の問いにシズは答えない。

 ただ。その両眼を長く閉じていて、それを開いて僕をしばらく眺めると、これで察して欲しいと言わんばかりに微笑んでいた。


「……っ」


 僕はその視線を逸らす。

 いや正確には、気恥ずかしくて直視出来なかったと言うべきかもしれない。


 するとシズはベッドから立ち上がり、手元の漫画を本棚に戻す。


 先程とは打って変わる砕けた口調で、僕に喋りかけてきた。


「中学生になった後の事もいいけど、まだ小学生のうちに出来る事もいっぱいあるからね。

 こうして勉強もして、休みだしどこか遊びにも行けるしね。

 あ、修学旅行のお土産も聞いとかないと! 皆本、何がいい?」

「僕も同じ所に行くんだけど?」


 そうツッコミを入れると、何も分かっていないとシズが首を振る。


「お土産なんてたくさん貰って損することなんてないんだから遠慮なく言って。なにかな? やっぱり木刀とか?」

「それ買った後で困るお土産ナンバーワンだよ……頼むとしたら父さんが好きな漬物かな、千枚漬けとか」


 僕がそう言いながら鉛筆を手に取ると、目の前に座るシズの唇がとがっている。


 それについて僕がたずねるよりも先に、ある意味で苦言をていされた。


「他にはないの?」

「他……なら——」

「——それ、皆本のお母さんが好きそうなお土産でしょ?」

「……うん、大阪で有名らしい豚まんが気になるって言ってた」


 僕の思考を先読みをしたシズがやれやれと頬杖ほおづえをついている。

 そして僕を細目で観察するように見つめて、シズは自身の言い分を語る。


「皆本のご両親へのお土産も良いけど、私は最初に皆本の我儘わがままを聴きたかったんだけどな」

「だってあんまり詳しくないし、父さんと母さんにお土産があれば、大抵僕もそれを貰える訳で——」

「——こう、もうちょっと皆本は欲を出してもいいと思う! まあ、私もこうなりそうだなって予想はしてたけど」

「してたんだ……」


 結局。僕へのお土産は、見た目からしてヘンテコ奇抜で美味しいかどうかも定かではない挑戦的な代物にするとシズが宣言した。


 そのあとは二人で勉強をこなして、次の遊ぶ約束も計画する。


 しかしそれらが果たされることはなかった。


 僕とシズが約束をした前日の定期検査で、シズの病の再発が判明した。

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