十年後 二幕

第12話 懐古

 百円ひゃくえん均一きんいつで購入してから一度も使用しなかったプラスチックボウルを食器棚から取り出し、念のために洗浄する。


 その間にコンビニで購入した豚丼をレンジで温めながら、やかんに水道水を入れ、IHコンロを使って沸騰させる。


以下にも一人暮らしの行動だと、自虐的に表情が歪む。


「皆本ー。ドラマの再放送してるから、これ観ていい?」

「あ……うん」


 だけど今は独りじゃない。

 僕はそちらへ顔を覗かせながら答える。


 そこには、勝手に僕の部屋へと侵入して居座る制服少女が、まるで自宅のようにくつろいでいる。


「あと、そこにある何かの資料は弄らない方がいいよね?」

「うん。僕のメモ書きみたいなものだけど、電話で説明する時に使うからその方が助かる」

「へえ……——」


 シズのような少女はそれを聴いて驚いたと硬直すると、そのあと何故か感心したように僕を称えてくれた。


「——やっぱり大人になってるね、皆本」

「いやいや。普通だよ」

「ふふっ、そういうところがだよ?」

「え、そう……かな?」

「うん」


 そんな会話の後。テレビの前で三角座りをして、画面の向こうに観入るシズのような少女。


「……」


 僕もいつまでも眺め続けるのは良くないと思い、キッチンに戻る。


 まるで僕が暮らしている四畳半に、元々一緒に住んでいるのかと勘違いする。

 勿論。そんなはずがないことも、ちゃんと理解している。


 けれど。それほどにまったりと羽を伸ばすシズのような少女の姿が、自然と脳裏にこびり付く。


「……僕はどう対処するのが正解だったのかな?」


 プラスチックボウルの水滴を布巾ふきんきながら思考が迷走する。


 結果的に見ず知らずかも分からない、ブレザーの制服を着用している、推定十代くらいの高校生を、部屋に招き入れる形になってしまったことに対してだ。


 三十路みそじに差し掛かってからは久々に、僕は素直に狼狽うろたえていた。


「……」


 おそらく。これがただの高校生ならば、こんなことにはなっていないだろう。

 でもその人物は、もしもシズが高校生になっていたらこんな姿だったと、どうしようもなく想起そうきさせる。


 そんな、長年連れった僕をらせてしまうくらいの成り立ちをした少女。


 正直どうしていいか分からない。


 たずねたいことは山程やまほどある。だからとりあえず、冷静になるために食事の準備をしながら気をまぎらわせていた。


 その妙な緊張は、水滴のように拭えない。

 少し時間がある。

 ここでもう一度僕は、シズのような少女を一目見る。


「——ははっ」


 僕の葛藤などつゆも知らないシズのような少女は、ドラマのコメディチックで諧謔かいぎゃく的なシーンを観て、前のめりになり、お腹を抱えながら微笑んでいる。


「……っ」


 それとほぼ同時に、レンジから温め終了を告げる電子音が鳴る。


 僕はそれを聴いてすぐ、隣で沸き立とうとするやかんの中の暴走を、IHコンロの電源を落とすことで解決した後、レンジで温められていた豚丼を取り出す。


 醤油と砂糖を混ぜてあぶった甘ダレの馥郁ふくいくが立ち込めている。


 割り箸を二つ用意。そのうち一つを割り、豚丼の入った容器から焼き豚とご飯半分を、先程洗浄して、水滴も拭いたばかりのプラスチックボウルに移した。


 そして冷蔵庫に元々あったものと、適当に購入した中から厳選した野菜をスティック状に切って、結婚式の返礼品で貰ったガラスカップに立て掛ける。


 それらをシズのような少女がテレビを観ているすぐ近くにある、ここに引っ越してからついに組み折れなくなった折り畳み机の上に、僕は淡々と配膳はいぜんする。


 そんな僕に、シズのような少女も気が付いたみたいだ。


「あれ? お皿がもう一つあるけど?」

「ああ、キミも食べるかなって……用意はしてみたけど……」


 シズのような少女が目を丸くしながら、うかがうようにして僕に訊ねる。


「皆本、これ私にくれるの?」

「そのつもり……でもいらなかったら——」

「——ううん、欲しい! ここに来る前からお腹空いてたから」

「そっか、良かった。えっと、つまらないものですが……」


 謙遜しながら僕は割れていない割り箸を、シズのような少女が座るであろう場所の前に置く。


そんなシズのような少女は、テレビから提供クレジットが音読おんどくされているすきに素早く移動して、割り箸を手に、目の前にあるどんぶりと野菜スティックを交互に見比べていた。


躊躇ちゅうちょしながらも僕は質問する。


「飲み物はどうしようか? 麦茶もあるし、あと一応お湯を沸かしてるからインスタントのコーヒーや味噌汁も作れるけど」

「そのどちらかなら味噌汁がいいな。コーヒーは何度も挑戦してるんだけど、角砂糖入れても苦いんだよねー」


 シズのような少女が、大袈裟に両眼を閉じる。その苦味を思い出しているみたいだ。


「了解。味噌汁なら麦茶もあった方が良いよね?」

「うん! 私の中で皆本の麦茶は美味しいで通ってるから」

「……そう、すぐに戻るから先に食べてて」


 そのまま僕は、足早に台所へと向かう。

 シズのような少女に、この感情や体熱を悟られたくなかったからだ。


「……そんなこともあったな」


 あまりにも懐かしいシズの台詞が反芻はんすうする。子どもの頃の記憶だ。


「……なんで」


 シズのような少女は、かよっているというだけで本人である確証はどこにもない。そもそも有り得ない。


 けれど僕の心底で、この少女がシズ本人だと告げていて、すぐにそれを現実的では無いと拒絶する。


 それが堂々巡りしていて、少し疲れて、僕のひたいは知恵熱を帯びる。

 漠然ばくぜんとしたまま開けた冷蔵庫の冷気が心地良くて、つかの間だけどいやされる。


 僕は冷蔵から、外出前にかし冷やしていた、麦茶の入ったペットボトルを取り出す。

 麦茶ポットはこの家には無い。

 今はこの、二千ミリリットルのペットボトルで代用している。


 ついでにインスタントの味噌汁を作るための、味噌と具材が密封された小袋を二つずつ手に取る。そして台所の空いた場所にトレーをき、その上に一旦置く。


 マグカップとお碗も二つずつ用意する。

 お碗には味噌と具材を入れてからお湯を注ぎ、マグカップには麦茶もそそいでからトレーに移す。

 

そして僕はそのトレーを持って、シズのような少女の元へと平然を装ったまま戻る。


「きた来た、待ってたよー」


 シズのような少女は、一口も手を付けていない。


「……先に食べていいって言ってたのに」

「だって皆本のご飯を貰ってるから。私がそうしちゃうと変でしょ?」

「いや、もうこの部屋にキミが居る時点でおかしいんだけど……」


 そんなやり取りをしつつ、僕は麦茶と味噌汁を、お互いの豚丼と野菜スティックの隙間に並べていく。


「皆本は私がここに来て欲しくなかった?」

「……どうだろう、キミに色々訊きたいことはあるけど——」

「——えっなになに? 私も気になるなー」

「そう……あ、でもその前に、ご飯を優先にしようか?」

「分かった」


 全てを並べ終えると、トレーを机の横に置いて、シズのような少女と対面する形で正座して、僕は両手を合わせる。


 するとシズのような少女もすかさず、僕と同様に両手を合わせて双眸そうぼうを閉じ、今かまだかと号令ごうれいを待っている。


「……」


 ここまで改まった作法を目の当たりにすると逆に緊張してしまう。


 僕は一度咳払いをしておちゃにごす。


 豚丼、味噌汁、野菜スティック、そして麦茶がある。

 それらが僕とシズのような少女の分。双方がそろっていることを確認し、僕はいた口腔こうくう咽頭いんとうのまま、頂戴ちょうだいするための一言を発する。


「——いただきます」

「いただきまーす」


 シズのような少女の爽快さを感じさせる声が部屋に響き渡る。

 杞憂きゆうかも知れないけど、お隣さんにまで届いてしまわないか心配なくらいに透き通っていた。


 いままでは成長して大人びた姿を重ねていたから、不意に小学生のときのような無邪気さに照らされると、その存在を否定しにくくなる。


 中学生くらいになったシズも、遅発ちはつせいだい二次にじ性徴せいちょうを迎えたあたりからかつて、じゃじゃ馬娘と呼ばれたほどの奔放ほんぽうな活気は、成長と共に鳴りをひそめた。


 だけど時節じせつ、こうした屈託くったくのない姿が、唐突に映ってくるときが何度もあった。


 そんなシズを眺めていた僕は、成長はしても核心かくしんまではどうしても変わらないんだと、微笑ましく思っていた。


「野菜貰うね」

「あ、僕も」


 机の中心にあるガラスカップの中の野菜スティックに、僕とシズのような少女は真っ先に手を伸ばす。


「私、人参にんじんが良いんだけど、皆本の希望野菜は?」

「じゃあ……胡瓜きゅうり、かな?」

「ふふ、被らなかったね」

「そう、だね」


 そうして僕は胡瓜、シズのような少女は人参をつまんで、ほぼ同時に乾いた音色を鳴らす。

 お互い、しばら咀嚼そしゃくしてから飲み込む。


「うん、甘いねっ」

「素朴な味」


 どうやら人参は糖度が高めのようだ。


「さてさてー……これは牛……じゃないね? 豚丼?」

「正解。豚丼って、そういえばあんまり食べたことがないなって思って、気付いたら手に取ってた」

「私ははじめましてだよ。どんな味かな?」


 シズのような少女は、割り箸を勢い余って少し歪に割る。

 焼き豚にご飯が下地を支えるように入っているプラスチックボウルを持ち寄せ、その箸で一口大にはさみ、香気こうきを堪能しながら舌に乗せている。


 僕は味噌汁を選択して、軽くかき混ぜて味噌みそ浸透しんとうさせながらすする。


 かつお昆布こんぶ出汁だしが効いていて、そこにワカメとふやけていない焼きが巻き込まれるようにして僕の口中くちなかに入る。


 時間的に朝餉あさげではないけど、気分だけはそこにいる。


「へー、豚丼ってこんな味なんだ。私が思ってたよりも甘じょっぱくて、それが豚とご飯に染み込んでて、美味しいね」


 口の中で転がして味わい尽くしていたシズのような少女が、それをしっかりと飲み込んでから感想を述べる。


「あ、皆本よりも先に食べちゃった」


 僕は汁だけを啜り、元々あるワカメと麩を一緒に飲み込んでから返答した。


「僕のことなんて気にしなくていいよ。それよりも満足してくれたみたいで、良かった」

「うん。流石皆本」

「いや、僕は買ってきただけなんだけど」

「物を選ぶセンスがあるってことだよ。あ、麦茶貰おっと」


 シズのような少女は麦茶の入ったコップを持って、瞬く間に飲み込んでいく。

 どうやら喉がかなり渇いていたみたいだ。


 もしも我慢させていたのなら、本当に申し訳ない。


 そうしてコップに入っていた麦茶を飲み干すと、唇できらめく水滴を親指で拭う。


「変わらないね……やっぱり皆本の麦茶は美味しいね」

「そう?」


 ちょっと反応に困る。


「うん! いつもの味わいだったよ」

「そっか……あ、おかわりいる? いるならすぐ持ってくるよ」

「欲しい。おねがい」

「わかった、待ってて」


 僕は立ち上がりながら、シズのような少女を俯瞰ふかんで見る。


「……」


 この感情は、どうにも否定出来そうになかった。こうして話していると、懐かしさが湧き上がってくる。


 あの頃の会話を振り返ると、僕もシズも少しだけ幼かった。

 未成年だから当たり前なんだけど、もうちょっと、どうにかなりそうなものだと感じでならない。


「でも……凄く、可笑おかしかったよ」


 誰にも聴かれないように呟く。

 そうして僕はシズのような少女の麦茶を取りに向かい、それを注いだ後に手渡した。


「ありがとう」

「落とさないようにね?」

「うん」


 そう言って、両手で抱きしめるようにガラスカップを包む姿は、中学生の頃に僕がシズにプレゼントをした、あの瞬間を呼び起こす。

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