中学生編

第13話 花火

 購入する直前まで、そのとき気に入ったあの花の名前を、僕は知らなかった。


 中学校に進学してから半年が経つ。


 未だ大した成長もなく学生服に着させられているのに、周囲の反応ばかりが余所余所よそよそしくなって、その空気を読み、しまいには口籠くちごもることが増えていった。


 元々、他人と会話をすることが少ない僕は、余計にそれをこじらせている。


 これが大人になるための洗礼せんれいだというなら、もはや億劫おっくうでしかない。


 そんな僕の通っている中学校のクラスメートの中には、シズの名前も記されていた。


 シズは予告した通りに、僕と同じ中学校に進学した。だけどこの半年、一度も登校したことはない。


 再発したその病をまた寛解かんかいさせるには、一度目と同様の方法では難しいらしく、別の治療法を試みていた。


 発覚してから、もうすぐ一年。

 放課後。僕とシズが出会った病院にある小児科に、再び入院しているシズの見舞いに行くことが慣例になっていた。


 あまりに慣れ親しむのは不謹慎かも知れないけど、僕にとっては日常の一部となっている。


 小児科病棟の四○二号室。

 偶然かも知れないけど、以前と同じ病室にシズは入院している。


 そして今日の僕は、お見舞いの前に初めて花屋に赴いた。

 淡桃色たんとういろ細長ほそなが花弁かべんかえって、花火のように美麗びれいはじけているみたいだと第一印象で感じた花を購入して抱え、いつものように徒歩で病院へと向かい、小児科病棟の玄関口へ入ろうとする。


「あっ、今日も来てくれたんだ」

「こんにちは田宮さん。どこかに用事ですか?」


 そこで偶然、田宮さんと遭遇した。


 その田宮さんは以前と変わらず小児科に勤務しているから、こうして出会うことも珍しくない。最近では幾度いくどか雑談をする仲だ。


 大体は田宮さんの方から話し掛けてくれるから、拗らせ気味の僕にとって、凄くありがたい事だと常々つねづね思う。


「うん、手が空いたから少し清掃をしようかなってね。この辺枯れ葉が落ちてくるから」

「確かにいっぱい落ちてますね」


 いつだったか。シズが大量の枯れ葉を袋の中に集めて、僕の住む家まで持って来て、焚き火をしようと掲げていたことを思い出した。


 小学生二人で火を扱うのは危険だと実行はしなかったけど、意外にも覚えているものだ。


「……ところで、その手にあるのはシズへの贈り物かな?」

「あ、はい。病室に花瓶だけあって花が何も無いのは寂しいってシズが言ってたので……僕があんまり花には詳しくないので、これで良いのかは分かりませんけど」


 昨今、病院によっては生花やドライフラワーのたぐいを、感染症への配慮から禁止している所もあるらしい。


 しかしこの病院では事前に許可を取る必要はあるけど、視覚的な彩りと精神の安定、そして花を好む患者さんが多いことから許容されている。


「それは……ネリネだよね? 二人らしくてとても良い花だねー」

「そうなんですか?」


 僕は首を傾げる。


「うん。花言葉的にもお見舞いには最適だと個人的に感じるし、きっとシズも喜ぶんじゃないかな?」

「……良かった、田宮さんがそう言ってくれるなら安心です」


 僕はその手にあるネリネを、少しだけ強く抱きしめる。


 そんな僕の二の腕を、田宮さんがちゃすように軽くはたいてくる。


「もう大袈裟だよー。それより、こんな所で私と話してる暇があったら、早くシズに逢ってあげて」

「ちょっ、そんなに急かさなくても……」


 その流れで僕は田宮さんに背後を取られて、あっという間に背中を押されていた。


「あの子、笹伸が来てくれるのをいつも待っるから」

「僕が勝手に来てるだけな気もしますけど」


 僕がへりくだった言い回しをすると、田宮さんは更に押し返して来る。


「……全く、こんなにぶかぶかな学ランを着て、色々と大変なはずなのにね」

「なかなか似合ってはくれないですね」


 将来的な成長を加味して少し大きめの学生服にしている。どうやら他の同級生もそうするようだ。

そのせいでまだ、おさなそであまる。


「そっか……笹伸もシズももう中学生なんだよね……時間の流れって早いね」

「そうですかね?」

「あれから何年も経って、二人がまさかここまでの関係になるなんて思わなかったなー」

「……」


 そこで僕は静止してしまう。

 田宮さんのその台詞は、とても他愛のないものだったかも知れない。


 でもきっと、その関係を一番信じられなかったのは、紛れもなく僕だと思う。


 ここに入院するしてくる前から、他人と触れ合う事なんてほとんどなかった。


 だからシズに対しても最初は、適当に話を流していたと記憶している。


「本当ですね」

「——はいはい止まらない……また笹伸を昔みたいに連れて行ってあげようか?」


 田宮さんは不敵な笑みで言ってくる。


「嫌……遠慮します。もう、自分の脚で歩けますから」

「ふふっそうね、両脚を動かせなかった時期があるなんてもう信じられないもんね」


 柔和な声色が僕の鼓膜から揺さぶる。

 同時に、ここに入院していた日々のことを振り返る。


 両脚の関係で、車椅子での生活を余儀無くされていた頃、その運転を主に担っていた看護師さんが田宮さんだ。


 だからこうして背後に居る田宮さんに対して僕は、どことなく安心感を覚える。


 当たり前のように二足歩行が可能になってから随分と経つけど、田宮さんと、そしてシズには、いつまでもそのときの感謝の念が消えることは無いと思う。


「はい。それじゃあ僕はシズの所へ向かうので、田宮さんは掃除ですよね?」

「あ、うん……でもなんかその言い方、私の事を除け者にしようとしてない?」

「えっ? いやそんなつもりじゃないですよ」

「ふふっ。ウソ嘘、冗談だよ。本当に笹伸は誰かさんの事になると周りが見えなくなるんだから」


 そう言うと、僕の背中を押していた両手を雑に離した。反論するいとますら与えないと、僕を突き放す形になる。


 そのままよろけた拍子に田宮さんを流し見ると、僕に向けて両手を左右に振っていた。


「それじゃあまたね。あっ、そうだ。後でシズとどんな話しをしているのか教えて欲しいなー」

「二人の普通の話なので、それは勘弁してください」


 僕が返答すると、田宮さんは愛くるしく微笑む。そうして僕と、ここには居ないシズにも一言残して去って行った。


「それ、シズも同じような事言ってたよ」

「……」


 僕は何も言葉に出来ぬまま、いつになく無邪気になっていた田宮さんに見送られる。

 一度会釈してから改めて、ネリネを持ち直し、シズの元へと歩みを進めた。


 受付を通して、階段を伝い、シズの病室がある階層へと辿り着いた。


「あ……」


 そこで僕は、いつか見た栗色のくるりんぱの髪型をしている、僕の太腿ふとももあたりくらいの身長の、幼い女の子にすれ違いざま、理由もなく見上げられていた。


 それだけなら何も言うことはなかったけれど、女の子は立ち止まって、まるで幽霊にでも遭遇したのかと疑ってしまうほど、仰々しく目を見開いて僕の事を凝視していたから、流石に声を掛けることにする。


「あ……どうしたのかな?」

「な、なんでもないっ!」


 僕のぎこちない問いを避けるようにして、女の子は足早あしばやに去ってしまった。


 気になりはしたけど、体調を崩した様子ではなくて、寧ろ僕より元気なくらいだったから、あまり詮索せんさくするのは良くないと判断した。


 そうして僕はシズの病室まで進む。

 その開けっ放しの部屋におずおずと入る。


「……誰もいない?」


 いつもならばベッドで退屈そうに寝そべっていたり、読書をしていたりするシズの姿がどこにもなかった。


 僕がその場でシズの病室内を一周しても居らず、変わらずじまいだ。


「もしかして検査かな? いやでもそれなら受付のときに忠告があるはず……」

「みぃーーたーーなー!」

「えっなっ!?」


 僕の背後から怪談口調の濁声だみごえが響く。

 驚いて即座に振り返ると、安寧あんねいを届けてくれる表情とようやく相対した。


 痩せ細って蒼白な肌色をしているけれど、その平穏はまぎれもなくシズからのものだった。


「学校お疲れ様。皆本、ビックリした?」


 今日はブロンズのロングヘアにしているシズが、ねぎらいと笑みを投げ掛ける。


「……こういうのテレビでしか体験したことなかったから、うん。シズはいままでどこにいたの?」

「えーとね……ん? 何それ?」


 答えよう合わせをしようとしていたシズは、僕が抱いているネリネに気が付いて、興味津々に指摘してきた。


「ああ。この前、花瓶に入れる花があったら良いみたいなこと言ってたなって……それで」

「これってダイヤモンドリリーだよね!」

「えっ……ダイヤ?」


 僕が困惑していると、シズが補足する。


「皆本はネリネって教えられたのかな? ネリネのことを別名でダイヤモンドリリーって言うんだよ」

「あっ、そうなんだ。全然知らなかったよ」

「これもっと近くで見てもいい?」

「いや。僕が持っていても仕方ないし、シズに渡すよ」


 僕はここまで持ってきたネリネをシズにたくす。


「おお、可愛いね」

「……」


 うっかりシズへのプレゼントだと言いそびれてしまったけど、こんな表情をされたらもう満足だ。


 赤子をあやすように抱くシズを、夕日に当てられたブロンズが照明となり、額縁がくぶちに収まっていても不思議じゃない一時ひとときに僕は釘付けになる。


「ありがとう。凄く嬉しい」

「それなら、良かったよ」

「こうしてみると、なんか花火みたいだね」

「え、ああ……うん」


 もし僕の心の中を読まれでもしたら同じこと言ってるだなんて、無邪気に揶揄からかわれそうだとたじろぎながら、シズと共にでていた。

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