第4話 髪型

 翌日の十二時半になる少し前。

 スライド式の扉がゆっくりと、子どもが一人通れるだけの間隔で開かれる。


 僕に気付かれないように隠れながら近づいて来ているらしい。生憎あいにく常に静寂な僕の病室だと、微細な変化にも過敏に反応してしまうから、あまり意味をしていない。


 一応、僕の可動域から視界に映ることはないけれど、どうしても空包くうほうが弾けるような関節音や気配は拭えない。


 恐らくしゃがんで歩いているか、四つん這いか、いやあの子なら匍匐前進ほふくぜんしんもやりかねない。


 とかくに僕は、何も知らないフリをした。


「皆本ー!?」

「びっくりした。どうしたの?」


 僕からみて左隣から顔を覗かせた。


「……あんまり驚かないんだね、こっそりサプライズで来たのに」

「身体を動かすのがダメだから、自然と感情を押し殺すようになるみたいだね」


 僕が気弱に返事をすると、いじけるように頬を膨らませて憤慨しているようだった。


「身体を動かせないのは仕方ないけど、だからって感情まで無くしちゃうことないと私は思うんだけどなー」


 相変わらずベッドで仰向けになっている僕を俯瞰しながら、ある意味で入院に際してのいろはを説いてくれたようにも思う。


「そうしたい気持ちはあるんだけど、でも色々分からないことが多くて」

「そっか。でも皆本、気持ちはちゃんとあるんだね? ならよかった良かった」


 瞳を閉じて何度も頷いている。

 田宮さんからシズと呼び捨てにされている辺り、入院通院歴も僕よりも遥かに豊富のようだし、僕以上の気苦労も乗り越えてきたのかもしれない。


 あと直接触れていいのかわからないけど、昨日と髪型が異なっている。


 髪を切ったとか、束ねたとか、色を染めたとか、そういう次元ではない変化だ。

 頷くたびに、生え際から伸びてないことが目視できる。


「ああ、この髪? いいでしょー。

昨日は黒髪ショートだったけど今日はねえ、くるりんぱ にしてみた。

この纏め具合が凄くよくて、あと栗毛はやっぱり煌びやかで目立っていいよね。

さっきここへ来るときに院長先生から、大人っぽくなったって言って貰えたよ!」

「へぇー」


 僕の視線に気付いたのか、その不自然について嬉々として語っていた。

 僕は曖昧に返事をするだけに留まった。


「それで皆本はどんな髪型が好みなの?」

「えっ、どんなって言われても……」

「長いのとか短いのとか、ストレートにぐにゃぐにゃしたのとか。そうだ、好きな役者さんやアイドルの子とかでもいいよ」


 髪の毛について、身振り手振りで僕に見えるようにして伝えてくる。


 ストレートは両手が頭頂から川流れのように、ぐにゃぐにゃは髪にジャンプ ーを揉み込むような動作をしていた。


 役者と言ったときは天井に向けて手を伸ばし、アイドルと言ったときには空気マイクを持って跳ねていて少し可笑しかった。


「僕、こういうのあまり詳しくないけどいいの?」

「うん!」


 前のめりになって聴いている。

そんなに大した話じゃないと僕は少し、言葉が引っ掛かる。


「……じゃあ、長いのがいいな。僕の周りにはそういう人が少ない気がして」

「長いのね! 腰辺りまであるのがいい?」

「いやどうだろう? 実際に見てみないと何とも言えないかな」

「わかった! 色々試してみるねっ」


 左隣で鼻唄をしながら小躍りしているのが横目でわかる。

 振動が伝って僕の患部に響かない為の配慮なのか足音は忍んでいるけれど、静寂に包まれているこの部屋ではやはり際立つ。


「そうだ、あおいさんから急用ができて少し遅れるから、代わりに伝えといてって言われてたんだった」

「葵さんって?」

「えっとね、田宮たみや あおいさん。看護師さんの」

「ああ、田宮さんのことか」


 僕は内心で納得しつつ、田宮さんに葵という名前を結び付ける。


「それでね! 葵さんがここに来るまで大人しく待ってなさいって言われたから私はそうしてるの」

「大人しく、ね……」


 僕を驚かせようとして、身振り手振りに鼻唄に小躍り、それで常に話を掛けてきていて、おおよそ大人しいと形容された行動がみられない。


 けれどその賑やかな時間が不思議と煩わしく感じない。


「そういえば皆本のお父さんとお母さんはいつ来るの?」

「来るときは平日なら夜じゃないかな? 僕の両親は共働きだし。あ、でも日曜日なら今くらいの時間に来るかも」

「そっか……なら待ち伏せでもした方がいいかな?」

「知らない子にそんなことされたら戸惑うよ、きっと」

「そうだよねー、交渉前に印象が悪くなるのはよくない、卵焼きを購入できない」

「……別にそれ無視してくれてもいいのに」


 僕が投げやりに言うと、両手を脇腹に当て、前傾姿勢で宣言する。


「私は一度した約束を破らない人種です!」

「それは珍しい……」


 人間は約束を守ることより破ることの方が圧倒的に多いと思う。


 僕だって過去を振り返ると、そういったことが幾度とある。


 例えば期日内に宿題を終わらせなかったり、寝坊したり、誰かを傷つけないと指切りをした翌日に喧嘩をしてしまったり、挙げれば本当にキリがない。


「破らないつもり、がいいかな?」

「拍子抜けだけどその方が正直だと思う」

「だってつい最近だと昨日葵さんとの約束破ってるし」

「そういえばそうだったね」


 みるみる語意が萎んでいく姿を見て、僕は苦笑する。

 度々たびたび病院内を巡っていると田宮さんが言っていた。それは元気である裏返しではあるけど、手は焼いている様子だった。


 こういったことを昔から続けていると、何回かは定められた時間を失念して惚けてしまうのも肯ける。


 それが結果的にではあるけど、約束を破ることにも直結することだってあると思う。


「ごめん皆本、訂正する。

私は大抵の約束を守れないけど、守ろうとする気持ちは常にあります。これでどう?」

「素直だとは思うけど、訊く人によっては嘘つき人間に認定されるかも」


 そう言うと、不満そうに訴えてくる。


「えー? じゃあどうすればいいの?」

「……叶えられそうなら叶える、くらいでいいんじゃないかな? 少なくとも僕とのことに関してなら」


 相手を縛り付けるのは、僕はあまり好ましくない。出来るなら無理はして欲しくないと思ってしまうからだ。


「わかった! 私が皆本の願いを叶える!」

「……なんか解釈が違う気がするけど、まあいいか」


 そんなやり取りをしていると、トレイを持った田宮さんが断りを口にしながら入室してくる。


「ごめんね笹伸くん遅れちゃって」

「葵さんお疲れ様ー」

「……お、お疲れ様です」


 若干戸惑ながらも労いの言葉を倣う。


「シズ、ちゃんと大人しくしてた?」

「うん!」

「ふーん、笹伸くん的にはどう?」

「とても賑やかでした」


 刹那、まるで裏切り者を断定するかのような視線を僕に送る。


 素直な感想を言っただけのつもりだけど、それはちょっと恐ろしい剣幕けんまくだ。


「シズー?」

「いやいや大人しくしてたよ? だってカスタネットとか鳴らさなかったし」


 大人しさの基準が違いすぎた。


 そうして田宮さんは溜息を吐きながらも微笑んで、僕のテーブルにトレイを置いた。


 昨日よりもお皿の数が多く、そのトレイに乗せられた食事が二人分用意されているのが一目でわかる。とても窮屈そうにしている。


 主菜に今日はピーマンの肉詰め。

 主食は玄米。そのピーマンの肉詰めの周りには、乱切りにした人参のグラッセに茹でブロッコリー、それにスイートコーンが彩りを添える。


「はい、これがシズの分ね」

「……お肉とコーンだけじゃダメ?」

「早く大人になりたいのなら食べた方がいいかもね? どんな人でも栄養は摂らないとだから」

「……葵さんの腹黒」


 そう言って駄々をねるように睨んでいる。


「もう、どこでそんな単語覚えてきたの?」

「再放送のドラマの台詞であった。『あんたみたいな腹黒い人とはお終いよ』って」

「なにその複雑そうな展開、凄く気になるんだけど」


 そんなやり取りをしているうちに、手際良く用意を済ませている。


 僕から見て右隣に椅子を持ってきてから座り、昨日と同様、どれから食すかを訊いてくる。


「さて、何から食べようか?」

「じゃあ、ブロッコリーでお願いします」

「えっ!?」


 僕の左隣から露骨に驚きの声がする。

 そこに確信的な表情で田宮さんが訊ねる。


「分かった……あれ? どうしたのシズ、食べ始めないと冷めちゃうよ?」

「いや、だって……」

「……」


 そのまま僕の口へとブロッコリーを運んでいる様子を、恨めしそうにまじまじと眺めている。


 食事補助を受けている姿を見られるのは少し恥ずかしいけど、この身体では致し方ない。


「皆本凄いね。よくそんなへんちょこりんな食感のものからいけるよね。私なら絶対美味しいものから食べるのに」


 感心しているのか、どん引きしているのか、どっちつかずの言葉を述べる。


「まあ僕は苦手な食べ物があまりないから」

「でもバランスよく食べられるのはいいことだよ。もしかすると将来、とんでもなく大きく成長しちゃうかもね」

「いやそれは、どうですかね?」

「……っ!」


 その会話の最中、僕のテーブルにあるブロッコリーがもう一つ消えた。

 それを見た田宮さんが不敵な笑みを浮かべている。


「なんだ、文句言ってたくせに食べられるじゃない?」

「まあね。このくらい私なら余裕だもん」


 そうして、少し引き攣った顔になりつつも、野菜から順に平らげていく。


 僕は田宮さんに半眼で質問する。


「もしかして最初からこれが狙いですか?」


 野菜を苦にしない僕をみて、闘争心を掻き立てる魂胆だったみたいだ。


「ふふっ、なんのことかな?」


 けれど素直に認める筈もなく、口封じのように細分化したピーマンの肉詰めを食べるように促された。


 田宮さんが腹黒いのは、あながち間違いではなかったのかもしれない。

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