笹と静謐
SHOW。
静かな日
第1話 旅行
シズの愛称で親しまれていた
黒染めの四月。高校の卒業式を既に迎えていた僕は、背広とネクタイが間に合わなかったこともあり、おそらく人生最後の学生服に袖を通していた。
そうでもしていないと、僕自身がとても保ていられなかったからだ。
一通りの儀式が終わり、葬儀告別に対する落ち着きが見られる。
そんなつもりはないんだろうけど、個人的にはとてつもない落差を感じていた。
「えっと……このたびは娘のためにご足労頂き誠にありがとうございました」
シズの父親が謝辞を述べ、両親共々深く頭を下げている。
弔問客も僕も、それに倣っている。
「娘もこれだけの人に見送って頂いたことを、照れながらも喜んでいると思います」
そこで数人の口角が不覚にも上がっていた。
シズのことをよく知る人たちだろう。
形式の関係で大笑いすることには
「……疲れてない?」
「あ、そうですね少し……」
その
反射的に答えてしまったとはいえ、ここは嘘でも疲れていないと言うべきだったのかもしれない。
僕は反省の代わりに、それ以上の言葉に窮してしまう。
「色々と緊張したと思うけど、あとちょっとだからね」
「は、はい」
無理して発声をすると、
あまり無理をさせたくはないのに、僕の行動はどうしても裏目に出てばかりだ。
そのシズの両親は、この式場の中に狼狽することも涙を流す様子もなく、ただ娘の葬式を見守っているように思う。
それどころか僕のことを気遣い労ってくれたり、先程までここにいる全員に感謝の弁を伝えて回ったりしていて、とても愛娘を若くして亡くした両親の姿には思えないくらい、平然を装っている。
けれど、ここにいる誰よりも虚勢を張って、親として振る舞っていることを、僕は知っている。
あの日、精神的な
ある程度覚悟はしていたんだろうけど、やはり辛いものは辛い。
「わたくしたちの両親、娘から考えると祖父母が遠方に居住している関係で執り行なう時期が大幅に遅れ致したことを深くお詫び申し上げます。
そして、これは個人的な感情ではありますが、
静寂と感傷がささやかに
俯く人、瞳を閉じる人、祈るように両手を重ねる人、その脳裏にはそれぞれ、どんな出来事を追憶しているのだろう。
その空気を察してシズの父親は少しだけ朗らかな口調で発言した。
「ありがとうございます。それでこのあとの予定なのですが——」
「——ゔぅあぁっ……!」
その呻き声に、皆が呆気に取られた。
それは細々とした
僕がその方向を見ると、脚腰の不自由から車椅子に乗っている、シズと同じ病院で入院生活を送っていたウメ婆と呼ばれていた人物がいる。
そのウメ婆さんはシズの父親の言葉を図らずも遮ってしまうと、両手で顔を覆って硬直していた。
参列したほぼ全員の視線がウメ婆さんもとへと向けられているが、後に続く言葉がない。
「すみません。少し外出させて貰います」
担当者が慌てながら、ウメ婆の車椅子の駆動輪ロックを外して、式場の外へと押していった。
「……では、改めてましてですが」
そのあとは、何事もなかったかのようにシズの告別式が終わる。
僕は即席で叩き込まれた礼儀作法と棒立ちだけして、結局何かを伝えられる間もなく、皆が式場を後にする中、ただ漠然と左手を添えるようにして僕はシズの遺影を眺めていた。
中学校の制服を着て、振り向きざまの偶然の笑みで写っているシズ。
まだ何が起こっているのか分かっておらず、肩肘を張っていない自然体の表情だ。
「こうしてみると、この時は少し顔が丸いんだね」
当然これ以外の写真もあったけど、淡白な背景とはっきりと顔が判ることから厳選された。
けれどそれとは別に僕は、フィルムには映っていない前後のやり取りを回顧する。
謂わばこの写真の内輪話だ。
まさかこれが、シズへの隠し撮りがバレる少し前の瞬間だとは誰も思いもよらないだろうと、僕は微笑む。
何故それを知っているかと訊かれたら、この写真を撮ったのが他でもない、僕だからだ。
だから僕にとっては、中学生活を送るシズを切り取っただけの一幕に過ぎない。
それはこの場所にはどうにも相応しくはなく、ちょっと悪戯な童心が混じっていた、少し幼い僕とシズの他愛のない日常でしかない筈だったからだ。
本音を言うなら、いつか数あるフィルムの中から掘り起こして、お互いに茶化したりしながら恍惚と眺めていたかったと僕は切に感じる。
断じて、このような用途で撮影されたものではなかった。
だけど皮肉にも、それはシズという人物を知る人からすれば、シズらしいなんて馳せてしまう程に
「……ほんと、色々あったね」
その問い掛けに、勿論返事はない。
そもそも、僕からシズに話し掛けること自体が少なかったせいもあるかもしれない。
でも、生前にもっと話し掛けていればという後悔はない。僕はシズの脈絡のない提案を聞くことを純粋に好んでいたみたいだ。
それでも今だけは、僕は誰に届く筈もない言葉を紡いで止まない。
感情はこんなにも疲弊しているのに、それを暫く続けていた。
「……今度はどこに行くのかな?」
僕は最後までシズに翻弄され続けたことを、一生涯、忘れることはない。
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