谷川を彷徨うもの

 P村自体が段々畑の連なる急な斜面にあるくらいなので、その下を流れる谷川も、昔はかなり流れが早く轟々と音を立てて流れていたという。そんな川に水をみに行ったり行ったりと村人が降りて行くのだから、流されてしまうこともあったらしい。

 で、流されてしまうとまず助からなかったのだという。どういうわけか、下流の(今で言う)O市やS町でも死体が上がらない。生死不明のまま、『あれは、みずは様に連れて行かれたのだ』と囁かれる。


 ※ ※ ※


 昔々、ある日の夕暮れ、村人が水を汲みに谷川に降りると、そこにひとが立っていた。水を汲みに来たならおけくらい持っているはずだ。かたしろ流しで来たのなら、かたしろくらい持っているはずだ。手ぶらというのは、いくらなんでもおかしい。

「お前、一体何を――」

 呼びかけようとして、村人がそのひとの顔を見たら――そこには。黒く塗りつぶされたような、穴でも空いているような。とにかく顔が無いだけではなく、何も無かったのだ。

 村人は慌てて逃げ戻り、他のひとにその話をした。

『それは谷川に引きずりこまれた村人の成れの果てなのだろう』

 当時の神主はそう判じたそうな。お寺の住職も

『さぞ人寂しかったのであろう』

と同調した。

 それからというもの、お彼岸ひがんの日には谷川に饅頭まんじゅうを流す、という行事が増えた。せめて谷川で死んだひとの腹がふくれるように、という意味でお寺が勧めたんだそうな。


 谷川の流れが減った今でも、お年寄りは、黄昏時たそがれどきに谷川に降りることは嫌がる。

「きっと顔の無い誰かが彷徨さまよっておる」

というのだ。


 ※ ※ ※


「――普通に施餓鬼せがきでは?」

「まあそうなんですが……それよりですね、谷川に方をですね?」

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