第10話




「みゃーみゃー。」


 フワフワは甲高い声で鳴き続ける。


「あらあら。ごめんなさいね。すぐに対応するからね。」


 セレスティアはフワフワが鳴いている理由がわかるのか、にっこり笑ってフワフワにすぐに対応すると言って聞かせた。


「ヒューレッドさんの言うにはフワフワはご飯は食べ終わったということですよね。追加のご飯も食べない。」


「はい。そうです。」


「では、おトイレかもしれませんね。」


「え?でも、オムツしてませんよ??」


 セレスティアはお腹が空いたのではなければ、次はトイレを疑ってくださいとヒューレッドに告げた。だが、フワフワは人間の赤子と違って、オムツなどしていない。洋服だって着ていない。


 それなのに、トイレを世話すると言うのはどういうことだろうかとヒューレッドの頭の中には大量の疑問符が浮かんだ。


「そうですね。フワフワはオムツはしていません。猫の魔獣は、人間の赤子とは違いますからね。猫の魔獣は小さいうちは排せつを促してあげなければなりません。」


 セレスティアはそう言うと清潔そうな布をどこからともなく取り出した。そして、その布をお湯で濡らして人肌程度にする。それからおもむろにセレスティアはフワフワのお尻に布をあてて数回、優しく擦った。


「こうして、お湯で濡らした清潔な布で排せつを促してあげます。」


 セレスティアの手にある真っ白い布が少し黄ばんだ。どうやら無事にフワフワが排せつをしたようだ。


 セレスティアはフワフワの排泄物がついている布をジッと見つめる。


「うん。健康そうですね。」


 フワフワは排せつしてすっきりしたのか、泣くのを止めて、目をとろんとさせる。どうやらまた眠くなってきたようだ。


「……排せつを誘導してやらないといけないんだな。」


 セレスティアの一連の動作を見てたヒューレッドは知らなかったと呟いた。まさか、排せつするにも介助が必要だとはヒューレッドは思わなかったのだ。


「そうね。猫の魔獣は繊細だから。やってみる?」


 セレスティアはそう言うと、ヒューレッドにフワフワの排せつ処理をしてみないかと聞いてきた。ヒューレッドは静かに首を横に振る。


「いや。今は排せつしたばかりだろう。排泄物が出るとは思わない。それに、すっきりしたのか、フワフワがとても眠そうだ。今は寝かせておいてあげたい。」


「そうですね。確かに排せつしたばかりですから、しばらくは誘導してあげてもでないでしょう。ふふっ。ヒューレッドさんも学習しましたね。」


「……(カマをかけられたのか?)」


 セレスティアはにこにこ笑いながら上機嫌でフワフワをヒューレッドに手渡してきた。ヒューレッドは大切騒にフワフワを受け取る。赤子特有のふわふわとした猫っ毛がとても気持ちがいい。艶々とした毛並みは栄養が行き届いている証拠だ。


 そんなフワフワを見ていると、セレスティアにカマをかけられたことなどどうでもよくなってくる。本当に不思議な存在だとヒューレッドは思った。











☆☆☆






(ねむねむーねむねむですのよー。ねむいのですぅー。)


 ヒューレッドがフワフワとセレスティアの家で一緒に過ごすようになってから一週間が経った頃だった。


 ヒューレッドもフワフワの世話に慣れてきて、適度に肩の力が抜けてきたころのこと。


 フワフワにご飯を与えて、排せつ物の処理をしていたところ、急に可愛らしい声がヒューレッドの脳内に響いた。


 ヒューレッドは驚いて辺りを伺う。けれども、セレスティアは出かけていていないので、ヒューレッドの側にはフワフワしかいない。


「(まさか、フワフワの声か……?)」


 ヒューレッドは周りに誰もいないことを確認してから、一つの考えを導き出す。


 それは、先ほど脳内に聞こえてきた声がフワフワの声ではないかと言う事だ。魔獣と会話をしたことなどないヒューレッドだが、何故だか素直にフワフワの声ではないかと思ったのだ。


「フワフワ、眠いのか?」


(ねむねむー。ねむねむなのですのよー。ヒューねむいからだっこしてなのですよー。)


「ヒューというのは、オレのことか?」


(ヒューはヒューなのですよー。ねむいのですのよー。)


 かみ合っているのかかみ合っていないのか、ヒューレッドにもよくわからない会話が続けられる。可愛らしい声の主は、眠いようでヒューレッドが問いかけても明確な答えが返ってこなかった。


「フワフワ。寝て起きたら教えておくれ。」


(ねむねむーですのよー。ねむねむー。)


 ヒューレッドがフワフワを抱っこしながら優しく撫で続ければ、フワフワはクテッと身体の力を抜き、ヒューレッドの全体重を預けてきた。そして、すぐに「スースー。」という規則正しい寝息が聞こえてきた。


 フワフワはよく眠る。一日のうちの大半を寝て過ごしている。そして、起きている最中もヒューレッドが心配するほど、眠そうにしているのだ。それだけ寝ているので、ヒューレッドはフワフワが何か病気なのではないかとセレスティアに聞いてみたが、セレスティアはにこにこと笑いながら「良く寝る子は育ちますよ。」とだけ言って全く相手にしてくれなかった。


「あらあら。フワフワったら気持ちよさそうに寝ているわね。」


「セレスティア様。」


 寝ているフワフワを見つめていたらいつの間にかヒューレッドの側にセレスティアがやってきて、フワフワを見つめていた。その表情は慈愛に満ちている。まるで聖女のようだとヒューレッドは思った。


「ねえ、ヒューレッドさん。フワフワのお世話は順調かしら?」


「ええ。未だにフワフワに鳴かれるとどうすればいいのか焦りますが、だいぶ慣れてきました。」


「そう。それはよかった。フワフワもヒューレッドさんに懐いているみたいだし、そろそろフワフワと会話できるかもしれませんよ?」


「……え?」


 ヒューレッドの思考を読んだのかと思うような言葉がセレスティアの口から発せられたことに、ヒューレッドは思わず固まってしまう。そんなヒューレッドの様子を見て、セレスティアは笑みを深めた。


「さては、ヒューレッドさん。フワフワと会話ができましたね?」


 確信したよに言うセレスティアに、ヒューレッドは戸惑いながらも小さく頷いた。


「え、ええ。急に可愛らしい声が脳内に響いたんです。眠いと。ただ、それがフワフワの声なのかはわからないですけど……。フワフワすぐに眠ってしまいましたし。」


「ふふ。そう。そうなの。フワフワらしいわ。でも、フワフワの声が聞こえたということは、もうフワフワも旅に出ても大丈夫でしょう。ヒューレッドさんもフワフワのお世話になれたみたいですしね。」


「え?」


 セレスティアは笑顔のまま、ヒューレッドにもう旅をしても大丈夫だと告げた。ヒューレッドはセレスティアにそう言われるとは思てもみなかったので、カチンッと固まる。


 聖女マリルリから逃げなければならないのは覚えていた。覚えてはいたが、セレスティアの元で暮らす日々が穏やか過ぎてずっとここで暮らしていけたらと思っていたところだったのだ。幸い、マリルリから追手が来ることもなかったので、もう大丈夫だとヒューレッドは錯覚していた。


「な、なにを、言っているんです、か?セレスティア様。ま、だ、まだフワフワは小さいんですよ。旅なんてそんな危険なこと……。」


 驚きで声が上手く発生できなくなるヒューレッド。


「そうですね。フワフワは魔獣と言ってもまだ小さいです。まだまだ赤ちゃんです。でも、忘れていませんか?ヒューズさんはマリルリに追われているのですよね?」


 セレスティアは小さく微笑みながらヒューレッドを諭してくる。


「確かにオレは、聖女マリルリ様に目をつけられています。でも、今のところなんのアクションもないようですし、まだここにいても……。」


「聖女マリルリはヒューレッドさんを探しています。日が経つにつれ、マリルリは力を入れてヒューレッドさんを探すことでしょう。今はまだヒューレッドさんが魔法を使うのではないかと思って待っているようですが、日が経つにつれ、自分から探しにでることでしょう。」


「そんな……。なんでオレなんかに……。ただ結婚を断っただけなのに……。」


 結婚を断っただけなのに、執拗に追われる理由がヒューレッドにはわからない。


「マリルリは全て自分の思うままにことが運ばないと気が済まない性分です。断られたヒューレッドさんの存在が許せないのでしょう。それに、ヒューレッドさんは……。いえ、なんでもありません。フワフワとヒューレッドさんが会話を出来るようになったのであれば、そろそろここを出た方がいいかと思います。ここは王都からさほど離れておりません。追手が放たれればすぐに見つかってしまうことでしょう。」


 セレスティアは、真剣な表情でヒューレッドに告げる。


 セレスティアはヒューレッドには言っていなかったが、セレスティアが出かけていた目的は王都でマリルリがヒューレッドの捜索を開始しているかどうかを確認しにいったのだ。


 その際、マリルリが兵を動員してヒューレッドを探そうとしているという話を聞いた。今のところ国王がヒューレッドの捜索に難航を示しているということだが、国王もマリルリには逆らえない。そのため、ヒューレッドの捜索隊が組まれるのも時間の問題だ。


 捜索隊が組まれてから逃げたのでは遅い。


 セレスティアもここでずっとヒューレッドを匿っているわけにはいかなかった。兵に囲まれてしまえばヒューレッドを逃がすことは難しい。転移の魔法を使うにも、兵に見つかってからではマリルリの魔力感知で追われてしまう可能性が非常に高い。


 だから今決断しなければならない。


 幸いにもヒューレッドとフワフワは会話をできるようになった。まだまだフワフワは赤子だが、魔獣の赤子は人間の赤子と違ってちょっとやそっとのことじゃ死なない。それに離乳食も食べれるようになったのだ。ミルクと違い離乳食なら旅の道中でもどうにでも手に入るだろう。動植物をかみ砕いて与えればよいのだから。


「今のうちに、私がヒューレッドさんを転移させます。とは言っても私の力だとヒューレッドさんとフワフワを100km先に転移させることしかできません。そこから先は自力で逃げ延びてください。でも、決して魔法を使用してはなりません。」


 ヒューレッドの言葉を待たずにセレスティアは告げる。そして言うが早いか、転移魔法を唱え始める。


「ちょ、ちょっとセレスティア様っ!?」


 展開の速さにヒューレッドはついていけず、セレスティアに質問を投げかけようとする。だが、それよりも早くセレスティアの転移魔法が発動した。


 ヒューレッドの目の前がグニャグニャとうねりだす。転移魔法が発動したことをヒューレッドは感知した。


「セレスティア様っ!?」


 ヒューレッドはセレスティアに向かって手を伸ばす。


「どうかお元気で。逃げ延びてください。……どうして私はここから離れられないのでしょう。どうかご無事で。ヒューレッドさん。」


 ヒューレッドの耳にはセレスティアの言葉が最後まで聞き取ることができなかった。


 そして数秒後には、セレスティアと暮らしていた森から離れた場所にヒューレッドは転移していたのだった。その手に大事そうにフワフワを抱きかかえて。








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