第4話



「おまえ、こんなところでどうしたんだ?」


 ヒューレッドは猫の魔獣に問いかける。この森に猫の魔獣は確かに生息している。だが、猫の魔獣は警戒心が強くなかなか人前に出てこないのだ。出てきたとしても、すぐに隠れてしまうほど警戒心が強い。

 それなのに、ヒューレッドの目の前にいる猫の魔獣は逃げることなく、ヒューレッドにひっついている。よほど、白蛇が怖かったのだろうか。

 だが、ヒューレッドは知っている。猫の魔獣は蛇を怖がることはないことを。逆に、しゅるしゅると地を這うように動く尻尾に、好奇心をくすぐられるのか積極的に蛇を捕まえようとすることを。


「にゃぁう……。」


 猫の魔獣はヒューレッドの言葉がわかるのか、ヒューレッドが問いかけるとシュンッと頭をうなだれて、尻尾をくるんっと足の間に隠すように丸めた。その様子は、落ち込んでいるように見えた。


「仲間とはぐれたのか?」


 猫の魔獣は基本的に一匹で行動していることが多いが、時折複数で行動していることがある。その場合、とても仲の良い場合が多い。ゆえに、離ればなれになるととても悲しむということがわかっている。

 ヒューレッドは猫の魔獣も仲間と離れてしまって寂しがっているのかと思って確認してみたが、「みゃーん。」と鳴いて首を横に大きく振った。

 どうやら、仲間とはぐれたわけではないらしい。

 それならばどうしたことかと、ヒューレッドは頭を悩ませた。

 すると、猫の魔獣はぴょいっとヒューレッドの肩から飛び降りると、ヒューレッドに向かって一声鳴くと、そのまま森の奥にすたすたと歩いて行く。

 急に態度をかえて歩いて行く猫の魔獣に呆然としていると、猫の魔獣がしばらく歩いたところで足を止めると、ヒューレッドの方を振り返って「にゃあ。」と一声鳴いた。


「ついてこいって言っているのか?」


 猫の魔獣の仕草からヒューレッドについてきて欲しそうに思えて、ヒューレッドは猫の魔獣の後を追う。すると、猫の魔獣はまた前を向いて歩き出す。そして、時折後ろを振り返ってヒューレッドがついてきているのか確認するように視線を向ける。

 そのまま歩くこと数十分。いつの間にかヒューレッドと猫の魔獣は森から抜け出しており、王都の外れまで来ていた。方角的には王宮から東の方向であり、ヒューレッドが向かおうと思っていたイーストシティ共和国に向かう方角だ。


「もしかして、おまえオレを導いてくれるのか?」


「にゃあ。」


 まるでヒューレッドが行く先を示すかのような猫の魔獣の行動に、ヒューレッドは半信半疑に思いながら問いかけると、猫の魔獣からは「もちろん!」というような張り切った鳴き声が返ってきた。


 猫の魔獣に導かれるがまま夜道を歩き続ける。不思議なことに月がいつもより明るく感じられ、暗い夜道でも歩きやすい。まるでヒューレッドの行く道を月が照らしてくれているようだった。


「にゃあ。」


 猫の魔獣に導かれるがまま道なき道をヒューレッドは歩き続ける。もうどれくらい歩いただろうか。夜が明けるのか、空が白んできた。何時間も歩いているはずなのにヒューレッドには不思議と疲労感がない。それどころか、歩くスピードが上がっているような気がする。


「にゃあ。」


「なあ。このままどこまで歩き続けるんだ?」


「にゃあ。」


「ごめん。おまえの言葉がオレにはわからない。」


「にゃあ。」


 猫の魔獣は何か言っているように思えるが、ヒューレッドは猫の魔獣が何を言っているのか理解ができなかった。

 猫の魔獣は王都から離れた街道にある脇道に入っていった。人が一人歩く幅しかないような細い道だ。普通の人は見逃してしまうだろう。


「こんなところに入るのか?どこに行くんだ?」


「にゃあ。」


 ヒューレッドはどこに向かうのか不思議に思い、先を行く猫の魔獣に聞いてみるが、猫の魔獣は「にゃあ。」と鳴くだけだった。

 聖女マリルリの手から逃れるために、一刻も早く国から出たかったが、目の前にいる猫の魔獣とここで別れるのは名残惜しいような気がした。それに、ヒューレッドには猫の魔獣がヒューレッドをどこかに連れて行こうとしているように思えるのだ。

 王都は離れたし、少しくらい寄り道をしてもいいかと、ヒューレッドは猫の魔獣に続いて細い道に入っていく。

 道は細く長くくねくねと曲がりくねりながら続いている。そして、どんどんと森の中に分け入っているようだ。だが、不思議とヒューレッドは恐怖を感じなかった。ただ、森の中は空気が澄んでおり、ヒューレッドは新鮮な気分を味わっていた。


「にゃあ!にゃあ!」


 しばらく猫の魔獣の後についていくと、急に猫の魔獣が何かを訴えるように強く鳴き声を上げた。そこは、細長い道が開けている場所であり、木でできた小さな小さな家が建っていた。その家のドアの前で、猫の魔獣は家の中に向かって鳴いているようだ。


「おまえの家なのか?」


 ヒューレッドは確認するように猫の魔獣に確認するが、猫の魔獣はヒューレッドの問いかけに答えることはなく、ただ家の中に向かって鳴き声を上げていた。


「クロ?帰ってきたの?マリルリの獲物は無事に逃げられたかしら?」


 猫の魔獣が家のドアの前で鳴いていると、ドアがゆっくりと開かれた。そして、一人の少女が姿を現した。少女はヒューレッドの姿など見えないようで、ヒューレッドの姿には目もくれずクロと呼ばれた猫の魔獣に話しかけた。

 少女は珍しい銀色の髪をしていた。光の加減で少し青みがかっているようにも見えるなんとも神秘的な髪だった。そして、透き通ってしまうのではないかというほど白い肌をしていた。

 ヒューレッドには少女がまるでこの世のものだとは思えなかった。


「精霊……か?」


「誰!?」


 ヒューレッドが少女に見とれながらふいに疑問を口に出すと、少女がやっとヒューレッドがいることに気づいたようで、勢いよく振り返った。

 少女の透き通る赤い瞳がヒューレッドを射貫いた。


「あ、すまない。驚かせてしまって。オレはヒューレッドという。宮廷魔術師をしていたのだが……。」


 ヒューレッドは少女を驚かせたことを謝罪する。


「いえ。良いのです。私が気がつかなかったことがいけないのです。」


 少女も必要以上に驚いてしまったことをヒューレッドに謝罪した。そのとき、ヒューレッドは気がついた。こちらを見ている少女と視線が微妙に合わないことに。

 だが、そのことをヒューレッドは口には出さなかった。


「それで、ヒューレッド様は、どうしてこちらへ?」


「ああ、そこにいる猫の魔獣に後をついてくるように言われたような気がして後をついてきたんだ。」


「まあ、そうでしたか。クロがヒューレッド様を。クロ?」


 少女はにっこりと微笑んでから、顔をクロに向けた。そんな少女の姿をヒューレッドは見ていたが、やはりクロの方を向いている少女はクロとは視線が合っていないように見えた。


「にゃ、にゃあ。」


 少女に問いかけられたクロは、慌てたように鳴いた。少女はクロがなにを言っているのかわかるのか、クロの視線に合わせるようにしゃがみこむとクロに向かって、細く真っ白な手を伸ばす。


「みゃっ!」


 少女は白い指でクロの額をはじいた。クロはその衝撃からか頭を後ろにのけぞらせた。


「あー。すまない。クロを攻めないでくれ。オレが勝手に解釈してついてきただけだから。」


 ヒューレッドは自分がクロの後をつけてきたから、クロが怒られているのだと思い素直に謝罪した。


「よいのです。クロは猫の魔獣です。その気になれば人一人くらい簡単にまくことができます。」


 クロは猫の魔獣だ。すばしっこくて、隠れるのが得意な猫の魔獣だ。その気になれば、ヒューレッドなど簡単にまくことができただろう。人間と違って、しなやかな身体を持ちその身体の何倍もの跳躍をするのだ。木に登っることもできるし、屋根の上を走ることも可能だろう。人間の頭ほどしかない穴だって通ることができる。そんな猫の魔獣の後をヒューレッドがついていくことなど、本来は無理なのだ。


「それに、クロはお節介を焼いただけのようです。私は一人でも大丈夫なのに……。」


 少女はそう言って寂し気に微笑んだ。


「普段はお客様なんてこないから何もおもてなしできませんが、せっかくクロが連れてきてくれたのです。よろしければお茶を飲んでいきませんか?」


 少女は寂し気に微笑んだ後に、ヒューレッドに中に入るようにと促した。


「しかし……。ここには君だけしか住んでいないのか?そんな家に見ず知らずの男を上げるものではないよ。」


 ヒューレッドは家から人の気配がしないことに気づいて少女がここに一人で暮らしているのではないかと思った。少女が一人暮らししている家に見ず知らずの男を簡単に入れることはあまり良いとは言えない。ヒューレッドは少女にそう説明した。


「そのようなこと気にしなくても大丈夫です。少しお話したいこともありますし。」


 少女はそう言って少し強引にヒューレッドを家の中に案内した。その後ろをクロがとてとてとついていく。少女とヒューレッドに続いてクロが家の中に入っていくと自動ドアでもないのに家のドアがひとりでに閉まった。ドアが閉まったかと思うとドアのあった場所が徐々にぼやけていき、やがてドアは跡形もなくなったのだった。





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