第3話
「お、思わず転移の魔法を使ってしまった。でも、なんとか王宮の外に出ることができたな。」
マリルリの訪問が怖くなってヒューレッドは王宮の外に広がる森にとっさに転移した。辺りを見回して誰もいないことを確認するとホッと胸をなで下ろす。
使わぬようにと言われていた魔法を使ってしまったことにヒューレッドは気づいたが、もうすでに使ってしまった後だったので知らないふりをする。どのみちヒューレッドは魔法に頼り切りの生活をしていたため、誰にも見つからずに王宮から抜け出すということは無理だったのだ。これは必要なことだと、ヒューレッドは割り切ることにした。
「さて、どこに行こうか……。」
マリルリはきっと自分の言うことをきかなかった相手として、ヒューレッドをブラックリストに乗せることだろう。考えすぎな気もしなくはないが、マリルリは一度思い立ったことはなにがなんでもやり遂げようとする強い意志があるのだ。それに、聖女という立場もあるため、いいように職権をフル活用するのだ。
ヒューレッドはこの国を出て行くのであればどこに向かうべきかと考える。一番近いのは南に下ったところにあるサウスフィールド王国だ。だが、サウスフィールド王国は自国民意識が高く、他の国の住人どころか同じ国であろうとも別の地域から来た人間には厳しい面がある。
そのため、サウスフィールド王国はヒューレッドにとっては難易度が高かった。
そうなると、東にあるイーストシティ共和国に向かうのが一番いいのかもしれない。イーストシティ共和国は移民を大々的に受け入れているため、ヒューレッドが向かっても過ごしやすいのではないかと考えた。
ヒューレッドはイーストシティに向かうことを決めた。
「うふっ。ヒューレッド様、みぃ~っけ。」
「うわっ!?」
行く先を決めたヒューレッドの前に、突如マリルリが姿を現した。マリルリはヒューレッドの使用した転移魔法の残滓を元にヒューレッドが使用した魔法がどんなものかということを解析して、後を追ってきたのだ。
「ヒューレッド様の魔力の残滓はとても綺麗ね。おかげですぐに見つけることができたわ。ねえ、ヒューレッド様、どうして私から逃げるのかしら?」
マリルリは生まれつき他人の魔力の残滓を見ることができ、また判別することもできるのだ。
ヒューレッドはマリルリが他人の魔力の残滓を見ることができることを知らなかった。国王であるアルジャーノンが魔法を使わないようにと言った理由を知ったヒューレッドは自分の浅はかさを呪った。
アルジャーノンの忠告を守ればよかったと思うがもうすでに後のまつりである。転移しても、魔力の残滓をたどられてすぐにマリルリに追いつかれるのは必死である。魔法を使わずに逃げるためにはどうしたらいいか。今まで魔法にばかり頼っていたヒューレッドにはすぐに思いつかなかった。
徐々に追い詰められていくヒューレッド。
「ふみゃああああああっ!!!」
追い詰められていたヒューレッドだったが、それ以上に追い詰められていると思われる悲鳴が森の奥から聞こえてきた。
「きゃあっ!?」
マリルリは森の奥から聞こえてきた悲鳴に驚いてヒューレッドに抱きついてきた。
「マリルリ様はすぐに戻ってください。私は、悲鳴の持ち主を確認に行ってきます。」
「そんなっ。危ないわ。悲鳴なんて放っておきなさいよ。それより私をヒューレッド様のお部屋に連れて行ってくださいな。」
「いえ。そういうわけにはいきません。私は様子を見て参りますので。マリルリ様は転移の魔法をお使いになられてすぐに戻った方がよろしいかと存じます。私も様子を見てすぐに戻りますので。」
ヒューレッドはマリルリから離れる理由ができたとばかりにまくし立てる。この機会を逃してしまえば、この先ずっとマリルリにいいように使われてしまう。
「そう?すぐに帰ってくるのよ?私、ヒューレッド様のお部屋で待っておりますわ。」
「はい。先に安全な場所に戻っていてください。」
マリルリはヒューレッドの魔力の残滓を記憶したため、ヒューレッドが魔法を使えばすぐに居場所がわかって迎えに行けるからかそれ以上だだを捏ねることはなく、すぐに転移していった。
ヒューレッドはマリルリが転移したことを確認してからすぐに悲鳴があった方に向かった。このまま放っておいて逃げるという選択肢もあるが、ヒューレッドは困っている人を放ってはおけない性格だった。
ヒューレッドは急ぎ足で悲鳴の上がった方に向かう。
するとそこには、一匹の魔獣がいた。
「みゃああああああっ!!」
そして、魔獣の前には一匹の小さい白蛇がいた。どうやら魔獣は白蛇に驚いて悲鳴を上げたようだ。
「ああ。ほら、大丈夫だよ。白蛇様は神の御遣いだからなにもしてこないよ。安心して。」
ヒューレッドは魔獣と白蛇の間に割り込むと、できるだけ優しい声で魔獣をなだめる。
「ふーーーっ。ふーーーっ。」
魔獣は黒いしっぽをぶわっと膨らませながら威嚇するように牙を見せる。よほど白蛇が怖かったのだろう。だが、魔獣なのにただの白蛇を怖がるとは珍しい。
ヒューレッドは魔獣の姿を上から下まで隅々と確認した。真っ黒く艶のある毛並みはふかふかとしており、触ったらとても気持ちがよさそうだ。
人間の子供ほどの大きさがあるが、金色に光り輝くまん丸の瞳が、魔獣を幼く見せる。
「それにしても、とても綺麗な魔獣だな。」
ヒューレッドは魔獣の前に手を出すと、魔獣に自分の匂いを嗅がせた。それから、その手を魔獣の頭にそっと乗せる。魔獣はその間呼吸を荒くさせながらも大人しくヒューレッドの手を受け入れた。
ヒューレッドが魔獣の頭に乗せた手で優しく撫でると、魔獣の呼吸が徐々に穏やかなものになってくる。撫でられるのが気持ちいいのか、魔獣の目もしだいにトロンと溶けてくるようだった。
「良い子だ。もう大丈夫だから安心するといい。」
魔獣をなで続けながらヒューレッドは白蛇を確認する。白蛇はすでにどこかに逃げてしまったようだ。
白蛇がいなくなったことを気配から察知した魔獣は「ふしゅーーっ。」と大きなため息をつくとその身体を小さく縮ませた。
「可愛いな。猫の魔獣だったのか。」
魔獣は可愛らしい黒猫に姿を変えた。ヒューレッドは魔獣をひょいっと抱き上げると肩に乗せる。
黒猫の魔獣は抵抗せず大人しくヒューレッドに身体をあずけた。
☆☆☆
「おかしいわ。ヒューレッド様が帰ってこないわ。」
王宮内にある宮廷魔術師たちが使用している棟に割り当てられているヒューレッドの自室。そのヒューレッドの自室に聖女であるマリルリはいた。
一刻ほど前に、マリルリはヒューレッドと王宮の側にある森で別れていた。森の中から悲鳴が聞こえたためヒューレッドが悲鳴の原因を確認しにいったのだ。
マリルリは原因を確認したらヒューレッドがすぐに戻ってくると思っていた。そう約束したからだ。この国の聖女であるマリルリとの約束を破った者はいない。それはマリルリが圧倒的な強者だからだ。強者に逆らう人間などほとんどいない。
「一緒にいればよかったかしら。でも、何が出てくるかわからないのに、あんなところにいつまでもいられないわ。それに、ヒューレッドが魔法を使えばすぐに居場所を感知できるし。ヒューレッドは逃げることもできないのよ。」
マリルリはおかしそうにクスクスと笑う。
「走って逃げたのかしら?でも、ヒューレッドは宮廷魔術師。息を吸うより簡単に魔法を使っていた男よ。魔法を使わずに過ごすなんて無理。うふふ。逃げたとしても必ず見つけて見せるわ。」
マリルリはヒューレッドが逃げたとしてもすぐに見つける自信があった。だから、簡単にヒューレッドを森に置いてきたのだ。ヒューレッドが魔獣に害される可能性など、マリルリは微塵も思ってはいなかった。
この王宮の近くにある森には宮廷魔術師であるヒューレッドが苦戦するような魔獣はいないからだ。
マリルリは逃げた獲物を追うのを楽しむハンターのように、舌なめずりした。久々に楽しめそうだと心の奥で微笑む。
「必ず見つけて見せるわ。ヒューレッド様。ふふふ。」
真夜中のヒューレッドの部屋でヒューレッドのベッドに横になりながら、マリルリはヒューレッドを見つけたらどうお仕置きをしようかと思考を巡らせていたのだった。
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