第21話
真剣な眼差しに、カストはふと言うべき言葉が出てこなかった。
戸惑う己より先に口を開いたヴァンダが、はっきりとした口調でカストに問う。
「それでカスト様、お聞きしたいことは別にあるのです」
「別……?」
「ええ。母に確認したかったことというのは何だったのでしょうか?」
その言葉に妙に力が入っていて、少しだけ心臓が跳ねる。
何かを決意したような強さがあり、それはその緑の瞳にも現れていた。
「まさか……ヴァンダ嬢、あんた……知って」
「……」
その呟きの意味を問い返すこともなく、ただヴァンダは先ほどの返答を待っている。
カストのほうが動揺しそうだ、が、彼女は全て知っている……もしくは勘づいているのだと察した。
そう言えば以前、母親と婚約者の不貞を知ったあともヴァンダは狼狽した様子はなかった。
むしろ、さらりと受け流していたような気さえする。
あの時の彼女は、もう何もかもわかって心構えが出来ていたのか……。
「わかった……」
カストも腹をくくり、ぐっとこぶしを握ってヴァンダを見据える。
「俺は数日前に古代遺跡でカタリーナ夫人を見た。男と二人で、だ。それで……」
「男、というのはライモンド様ですね」
「!……、ああ」
余計な気遣いは必要ないとでも言いたげなヴァンダに驚く、が、カストは頷いた。
やはり彼女は母親たちの不貞について知っている。
「あんたの母親と、婚約者が一緒にいた。メイドのリンダを見張りにして、その……抱き合っていたんだ」
「……そう、それで?」
「……俺はまずカタリーナ夫人にどういうつもりなのか確認した。そうしたら泣かれてな」
そこで再びヴァンダが深いため息をついた。
二人が不貞を働いていたことよりも、母親が泣いたことのほうに気が重くなっているようだ。
「そのあとにはライモンドとも話したよ。だがあいつは……カタリーナ夫人の肩ばかり持ってな……」
「ああ、やはりそうだったのね……。ライモンド様とリンダもお母様の信奉者に……」
憂鬱そうな口調で呟かれた言葉に、カストは眉根を寄せる。
恋人や忠信……ではなく信奉者?とは奇妙な言い回しだ。
疑問に思う己の目に気付いたのか、ヴァンダは苦笑して説明する。
「お母様と関わると……数人に一人の方が夢中になるのです。あらがえない魔力みたいに、お母様だけを見つめるの」
「そうなのか……?まあ、綺麗な方だが……」
「きっと人を惹きつける魅力があるのですね。無自覚に無神経に放出されるみたいだけど……」
実の母親に酷い言いようだが、婚約者を奪われたのだ。
愚痴の一つでもこぼしたくなるだろうと、カストは咎めることはしなかった。
ヴァンダはそっと目を伏せ、今度は小さな吐息をもらす。
「……母は昔からああでした。何かあると泣いて、誰かを……父や私を悪者にしていたんです」
「夫人はあんたたちがのけものにしてきた、と言っていたが……」
不躾かと思ったが、昨日の夫人の言葉はどうしても気になっていた。
一方の話だけ聞いて判断したくないし、ヴァンダが誠実な人とはわかっていても確認しなくてはならない。
怒られるか悲しまれるかを覚悟していたが、彼女は目を見開いてから意外にも笑った。
「のけもの……ある意味そうなのかもしれません。わたくしたちは親子として機能していなかった……」
彼女の笑みは疲れた笑みだ。
痛々しいそれを見ていると、カストは言葉をかけることが出来なくなる。
「母はわたくしが父に似ていることに泣き、父のそばに行くことに泣きました。顔を見るたびに泣くから、わたくしも近づかなくなって……」
「……溝が深まっちまったのか」
「最初から溝しか無かった気もしますけど……そうですね……」
笑みを深めて、令嬢は吐息をもらす。
「でも溝が浅い時に遠ざからなければこんなことにならなかったのかしら?もっと出来たことがあったかしら……?」
「それは……」
誰のせいでもない。もちろん、彼女が責任を感じる必要もない。
誰ともなしに呟かれた言葉に、カストはそう返そうとした。
しかしヴァンダは拒むように首を振り、改めてこちらを見つめる。
「今日はありがとうございました。カスト様のおかげで、二人の不貞の証拠がつかめそうです」
「あ、ああ……」
「父にはカスト様が悪くないことをよく言っておきます。心配なさらないでください」
事務的に礼をし、ヴァンダは会話を切り上げようとする。
話過ぎたことを後悔しているようだった。
「それでは、これで失礼を……」
「あ、いや、ちょっと待ってくれ」
立ち去ろうとするヴァンダを、カストは呼び止める。
「ライモンドたちの不貞のこと……、俺以外の奴にも見られてる」
「え?」
「隣町の古物商だ。やつはそれでレグラマンティ卿を脅し、魔法遺物の横流しをさせてる」
ヴァンダの顔が驚愕に歪む。
あちこちに視線を彷徨わせ、頼りなさげに胸元で手を握った。
「ま、さか。そんな……そんな理由で……」
「嘘だと思うなら、調べてもらっても構わない」
ヴァンダの胸元の手が、小刻みに震えていた。
しばらく彼女は口を閉ざし、ぐっと体を強張らせたまま微動だにしなかった。
やがて目を閉じ自らを落ち着かせるように深く呼吸をしたあと、すっと姿勢をただす。
「いいえ、信じます。父の行動は前からおかしいと思ってたんです……」
「そうか……」
「そちらの方も詳しく調査します。本当にありがとうございます」
先ほどよりも深い疲労の色が、ヴァンダの瞳には浮かんでいる。
母と婚約者の不貞と、父の不正行為。
いちどきに聞けば、気の弱い令嬢だったなら倒れてしまうだろう。
彼女の心情を思うとどうにもいたたまれない気持ちになってきて、カストはその瞳を見つめて申し出た。
「俺に手伝えることがあれば言ってくれ。その、役立たずかもしれないが……」
「まあ、ありがとうございます」
ヴァンダは眉をたれ下げながら、唇にほのかな笑みを灯す。
しばらく彼女はこちらを見つめていたが、じきに戸惑いがちに口を開いた。
「カスト様のお心遣いには、感謝してもしきれないのです……ですが、良いのですか?」
「なにがだ?」
「わたくしに協力すると言うことは、雇い主とご同僚を裏切る行為です」
物憂げなヴァンダに、カストは何だそんなことと肩を竦めて笑う。
「道理に反することだからな。警備団としては見過ごせねえよ」
「でも、ですが……どうしてそこまで……?」
問われ、今度は咄嗟に言葉が出なかった。
───どうしてそこまで?
それは先ほど言った通り、カストが警備団の一員だからだ。
不正が起こり、無実の罪で命を奪われる人間がいるかもしれないとなると見過ごすわけにはいかない。
それにヴァンダが生きていれば、その創作物の続きを読めるかもという下心ももちろんある。
しかし、それだけの理由でカストは今まで行動してきたのだろうか?
(まあ、俺がここまで躍起にならなくてもいい案件だよな……)
この事件に巻き込まれ、自分は幾度も死んでいる。
レグラマンティ卿の不正はともかく、ライモンドと夫人のことに関しては、カストは他人である。
身を危険にさらしてまで暴く必要はなかったかもしれない。
(だが……)
そこまで考えて、カストは不思議そうに視線をこちらに寄せるヴァンダを見た。
婚約者と母に裏切られ、父はそのせいで不正を行った。
そして最後には罪を着せられて死んでしまう、彼女。
強く、気高く、美しく、自らにも他者にも厳しい。
それでいて年頃の愛らしさもあり、小説のこととなると目の色を輝かせる無邪気さ。
幾度死に戻り、彼女の態度が変わってもその印象は決して変わることが無かった。
(ああ、そうか……)
そこですとん、と何かが落ちるように納得する。
今まで自分がここまで一生懸命になっていた理由を思いついたのだ。
「そう、だな……まあ。いろいろ理由はあるんだが」
「?」
「あんまり……言うことじゃねえよ」
妙にこそばゆくてカストが誤魔化すと、ヴァンダは小首を傾げさらに不思議そうな顔をする。
今の彼女には、己の行動理由など関係ない。
困らせてしまうだろうから、言葉にするつもりはなかった。
「まあ、また何かわかったらあんたに知らせる。用事があったら言いつけてくれ」
「え?ええ」
納得いかない顔のまま頷いたヴァンダに、カストは踵を返して去ろうとする。
その時、ふと嫌な予感と殺気を感じてはっと前を見た。
通りの向こうからキャスケット帽をかぶった男が、こちらに向けて魔法銃を構えていた。
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