第3話

 解決しない問題を抱えたまま、翌日。

 カストはライモンドとともに、レグラマンティ卿の屋敷をたずねていた。


 当たり前だが、普段は同行することなど無い。

 だが祖父から譲り受けた本に、あれ以上の手掛かりは見当たらなかったのだ。


 一縷の望みにすがるように、レグラマンティ家……ヴァンダに会おうと考えたのである。


 己が「一緒に行ってもいいか?」などと尋ねたものだから、ライモンドは最初は驚いていた。

 しかし友人は、「あまり面白いものでもないぞ」と苦笑しながら承諾する。


 婚約者との逢瀬があるのだから断られることも覚悟していたのだが、少し拍子抜けである。


 馬車から降り、屋敷の門番に来訪を告げ、敷地内に入る。

 その途中、庭先に置かれた白いベンチに赤毛の令嬢の姿を見つけ、二人は立ち止まった。


「ヴァンダ嬢。ご機嫌麗しく」

「……あら、ライモンド様。来てくださったのですね」


 歩み寄りながらライモンドが声をかけると、令嬢……ヴァンダが顔を上げた。

 客人の登場に隣に立っていた身ぎれいなメイドが、すっと後ろに下がり待機する。


 令嬢はそれを合図に今まで読んでいたらしい本を閉じ、立ち上がる。

 姿勢や所作が美しくそれでいて堂々としており、カストは少し感心してしまった。


 あまりまじまじと見ることはなかったが、ヴァンダ嬢はきつい顔立ちの美人である。


 癖のある赤毛と宝石のような緑色の目は鮮やかだ。

 ただ目つきが少し鋭く、女性にしては身長は高めですっと背が伸びている。

 初めて見るものに『美しいが厳しい人』という印象を与えそうだった。 


「ライモンド様、そちらは?」


 切れ長の緑色の瞳がちらりとこちらを向く。

 カストが会釈をすると同時に、ライモンドが「友人です」と紹介してくれた。


「同じ警備団の仲間なのです。入った当時から気が合いましてね」

「どうも。カスト……、カスト・フランチェスキです」


 紳士的なあいさつでは無かったがヴァンダは気にした様子もなく、柔らかに微笑む。


「警備団の方でしたか。いつも父がお世話になって。頼りにしておりますわ」


 警備団は彼女の父……レグラマンティ卿が私設した団体である。

 魔法遺物発掘にからみ、トラブルや事件が多いことが設立の原因だった。


「いえ、俺みたいな武骨者を雇ってくれるところがあるだけでもありがたいです。レグラマンティ家の皆様には感謝しております」

「あら、そう言っていただけるとお世辞でもうれしいわ」


 ヴァンダ嬢は社交辞令として受け取ったようだが、これは事実であった。

 ここで就職口がなければ、王都に出稼ぎに行こうと思ったくらいなのだから。


 令嬢の笑顔に、場の雰囲気が和やかになる。

 カストも意外と話しやすい彼女の雰囲気に、少しだけ口角がつり上がった。


 ライモンドはしばらく二人の会話を聞いていたが、にわかに口を挟む。


「それでは用があるので僕はこれで失礼します。カスト、ヴァンダ嬢のお相手を頼んだぞ。後でレグラマンティ卿に挨拶に行こう」

「え?あ、おう」


 あまりにもあっさりした彼の態度に、カストはそれ以外何も言うことが出来なかった。


 これから婚約者と語り合うことは無いのか?

 そう思うが、ライモンドはヴァンダを一瞥して踵を返す。


 去っていく途中、お付きのメイドと小さな声でぽつぽつと会話していたのが不思議だった。


「……申し訳ございません、驚かれましたか?」


 ライモンドの背中を見送るカストに、ヴァンダが静かに問いかける。

 何とも答え難く彼女を見ると、令嬢は笑みの中に苦いものを滲ませていた。


「わたくしとライモンド様の婚約は、商売の契約に近いものですから。気にしないで」

「はあ……」


 気の利いた言葉が出ずに、カストは一言頷く。


 婚約は、商売の契約。


 遺物発掘にライモンドの実家が力を貸していると、噂で聞いていた。

 巨大な商家であるメンディーニ家が、主に金銭面で援助しているというものだったが、本当だったのか。


 まるで子供の人生を差し出すような婚姻の結び方である。

 カストは居たたまれなさを感じ、がりがりと頭をかいた。


「しかし、それにしても挨拶だけとは……ライモンドも事務的な奴ですね……」

「ふふ……事務的でも来てくれるなら、ライモンド様はお優しい方ですわ」


 返された言葉は意外にもからりとしていて、恨みがましくない。


 ヴァンダ嬢はこの婚姻に異議はないのだろうか?

 カストは彼女を観察したが、微笑むその顔は嘘を言っているふうではなかった。


 凛とした佇まいに似合う、潔い性格なのだろう。


 彼女自身に好感を持ちながら、カストは次に気になっていたことをふと尋ねた。


「申し訳ありません。その本はもしかして、探偵ロマーノの新作では……?」

「探偵ロマーノをご存じですの?名作ですわよね!」


 唐突に変わった話題に不快感を示すことなく、ヴァンダは目を見開いた。


 探偵ロマーノはこの国で出版されている探偵小説のシリーズである。

 老若男女問わず人気が高く、続きを待ち望むものたちが多い。


 カストもシリーズのファンで、数か月前……巻き戻った今なら数日前に読み終わったばかりだった。


「ああ、初期から読んでる。俺は特に真紅の時計が好きで」

「あら、同志に会えて嬉しいわ!私は五つの秘密を特に読み返したの」


 思いがけず出会えた同じ作品を愛する仲間に、つい口調に荒っぽさが戻る。


 控えていたメイドが少しだけ眉をひそめてこちらを睨みつけている。

 しかし話し相手であるヴァンダは気にした様子は無かった。


 それに彼女の口調も令嬢らしさが無くなっている。

 気が付けばつい話が弾んでいた。


「今回の新作もわくわくするような始まり方よね。ねえ、もう全部読んだ?」

「ああ、読んだよ。ロマーノの宿敵のストリーナ博士が……」

「待って待って!先を言うのは無しよ!楽しみが半減してしまうわ!」


 カストは笑って「すまない」と謝り、そして自分の態度に改めて気づき今一度謝罪した。


「あと、……すみません、ご令嬢に対する口調では無かったですね。お許しを」

「いいえ、いいのよ。わたくしの近くには本を読む人はいないんだもの。気楽にしてくださると嬉しいわ」


 ちらりと目配せしたヴァンダ嬢に、メイドは納得したように頷く。

 己の態度については完全に不問ということだ。


「最近気が滅入ることが多かったから、気軽なお話はしばらくしていなかったの……」

「……何か悪いことでも続いていたのか?」


 ぽつりと呟かれた言葉に問い返すと、令嬢は少しだけ呼吸を止める。

 つい言ってしまったという印象だったが、すぐに体裁を保つように微笑んだ。


「ええそうね。悩みはつきないわ。貴方もそういう時期はあるでしょう?」

「……ああ、まあな。新刊を買いすぎて給料が足りないよ」

「あら、それは大変ね」


 ぼんやりとした言葉ではぐらかされたことに気づいたが、それ以上は追及しなかった。

 しかし、内心では様々な憶測が芽生えてしまう。


 彼女の言う気が滅入ること……もしかしたら、魔法遺物の件だろうか?


(もう、魔法遺物の横流しをしているんだろうか?)


 それを思うと気持ちが重たくなった……が、

 本当にこの令嬢が犯罪に手を染めるだろうか?


 たった数分会話しただけでその人間の何を知れるかとは思う。

 しかしカストが感じたヴァンダの印象が、どうも悪質な窃盗と結びつかない。


(詳しく調べてみた方がいいのかもしれねえな……)


 彼女が罪を犯すならば、それなりの理由がある気がする。

 それに今なら、未来に起こるあの悲劇を食い止められるかもしれなかった。


「すまねえが、そろそろ行くよ。ライモンドの用事も終わってるかもしれねえし」


 胸に宿った疑問を解決すべく、カストはヴァンダにそう言った。

 令嬢は少し寂し気な顔をしたが、異を唱えず素直に頷く。


「ええ……そうね。話し相手になってくれてありがとう」


 第三者の目もあるが、あまり異性と長く話すべきではないとヴァンダもわかっているのだろう。

 カストは「じゃあな」と簡単に挨拶をして、踵を返す。


「もし、カスト様が良かったら……また話し相手になってくれると嬉しいわ」


 背中に控えめな声がかかり、カストは肩越しに振り返る。

 期待の眼差しでこちらを見つめる彼女に思わず笑い、「俺でいいならな」と短く答えた。

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