第10話

 そして気が付けばカストは、警備団詰め所の廊下に立っていた。

 窓の外には、手入れのほどこされた美しい赤薔薇が咲き誇っている。


 また時が戻ったのだ。

 カストは胸元のネックレスを握り、眉間に深くしわを刻んだ。


(上手くいっていたのに……)


 あの時ライモンドともみ合い、階段から足を踏み外して、カストは死んだのだろう。

 苛立ちから簡単に諦めず、もう少し上手く弁明出来ていれば結果は変わっただろうか?


 深くため息を吐き、カストは後悔にうつむいた。


(ヴァンダ嬢との約束、守れなかったなあ……)


 自分の亡骸を見た彼女がどんな顔をするか、それを想像しただけで胸が痛んだ。

 そしてこれから自分が何をすべきかもっとよく考えよう、と静かに誓う。


 窓の外に咲く薔薇に読書好きの令嬢を重ねながら、カストはやるべきことを頭の中で組み立てていた。



 二度目の巻き戻りから、数日経っている。

 晴天の空に見下ろされながら、カストは遺跡発掘現場の警備の仕事についていた。


「ようカスト。今日も精が出るな。ここんとこ毎日じゃねえか?」

「まあな。給料分は働かねえと」

「はは、真面目だねえ」


 声をかけてきたのは、庭の手入れが趣味の同僚である。

 今日は彼とともに警備に当たることになっていた。


 この町の古代遺跡は、街道を外れた丘の上に立っている。

 円形の巨大劇場のような作りで、中央に石の広場とその周りを囲むように客席がある建物だ。


 古代の闘技場だったという話もあるが、何が真実なのかはまだ確定していない。

 だが外から見れば非常に雄大で、美しい建築物だった。


 同僚の軽口を聞き流しながら、カストはその遺跡から発掘されるものや作業員に気を配っていた。


(ここから古物商に渡ったものもあるはずだ。確か一つ二つはあれから発掘されるはずだから……)


 件の古物商にはすでに足を運んでいるものの、もう流れてしまったのか魔法遺物らしき品は無かった。

 ならばこれから発掘される遺物に目を配り、レグラマンティ卿の動きをつぶさに確認するのが一番だ。


 発掘された遺物の形と、それが誰にいつ手渡されるかしっかり観察せねばならない。

 ここ数日は卿が発掘現場に来る日にちを見計らい、仕事を入れていた。


(ヴァンダ嬢とも情報を共有してえが……あんまり関わらねえほうがいいよな)


 無実の彼女が自分とともにいて不貞を疑われてしまうのは、しのびなかった。

 カストとて身に覚えのない瑕疵で傷つけられれば、今後に響く。


 小説の話が出来ないのは寂しいが……と考えていると、ふと背後から声がかかった。


「カスト、お疲れ様」

「……ライモンドか?」


 爽やかな声に振り返ると、片手を上げて笑顔を浮かべる友人がいる。

 カストはそれに笑顔を返して「どうした?」と尋ねた。


「今日はここの担当じゃないだろ?何か用事か?」

「ああ、今日はレグラマンティ卿の代わりにね。彼も人使いが荒いんだ」

「へえ」


 と、言うことは今日はレグラマンティ卿は遺跡を訪れないのだろう。

 がっかりしたが、あの偏屈な領主がこの美形の友人をあごで使うところを想像してしまった。


 ついにやりと笑ってしまった己を、ライモンドが苦笑して小突く。

 そのまま庭いじりの同僚と三人で会話を交わし、お互いに職務に戻った。


 遺跡の中へ入っていく彼の背中を見つめながら、カストは小さく息を吐く。

 彼は事故ではあるが自分を殺した人間……しかし別に恨むつもりは無い。


 ライモンドにしてみれば不確定の未来のこと。

 急にカストが態度を変えれば彼は戸惑うだろうし、今は己に何もしてないのだ。


(まあ多少、気になることはあるけど、な……)


 今のライモンドを問い詰めるわけにはいかない。

 遺跡の出入り口から視線を逸らすと、ふと隣に立っていた同僚が耳打ちしてきた。


「おい、カスト見ろよ。カタリーナ様だ……」

「カタリーナ……ああ、レグラマンティ夫人か」


 同僚の視線の先を見ると、そこには発掘現場に不釣り合いなご婦人が歩いてくるところだった。


 プラチナブロンドとはしばみ色の瞳が見るものの目を惹き付ける。

 淡い色のドレスは彼女の肌によくあっており、胸には青色の宝石が輝いている。


 全体的に線が細く儚げな印象で、まるで世間を知らない少女のように幼気(いたいけ)だった。


 彼女がカタリーナ・レグラマンティなのか。


 マルティーノ・レグラマンティの妻で、ヴァンダ・レグラマンティの母。

 卿と同年代で、成人した娘の母親とは思えない姿だった。


 ヴァンダとはあまり似ていないな、とカストは考えながら呟く。


「……初めてみた。あれが夫人か。ヴァンダ嬢と同い年に見える」

「わかるよ、お若く見えるよな。しかし美人だよなあ」


 同僚の言葉に、まあなと頷く。

 ヴァンダ嬢とはまた違った意味で目を惹く女性だった。


 彼女は日傘をさしながら身ぎれいなメイドとともに、ふらふらとこちらにやってくる。

 そのメイドは、以前の時の流れの中で常にヴァンダに付き添っていた女性だった。


(……あいつ)


 つい剣呑になってしまう視線を何とか押さえていると、カタリーナがカストたちの前に立つ。


「ご苦労様。あなた方、警備団の方ですわね……」

「はい、レグラマンティ夫人。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 挨拶は同僚に任せ、カストは夫人に一礼して姿勢を正す。

 視線は件のメイドに合わせたままである。


 よくよく見れば、身ぎれいだとは思っていたが、そもそも上等な仕立ての服を着ている。

 髪の毛も綺麗に手入れされており、一介のメイドというより良家のお嬢さんといった風体だ。


 レグラマンティ家の使用人は、そんなに高給取りなのだろうか?


(俺とヴァンダ嬢が会っていたのを知っているのはこいつだ。こいつが先に知らせていたのか……)


 ライモンドはカストを問い詰めるとき、もう皆が知っているようなことをほのめかしていた。

 偶然見られていたにしては、短時間で広まりすぎている。


 このメイドが電報か何かで警備団に密告した可能性をカストは考えていた。

 もしかしたら彼女は、レグラマンティ卿の手先なのかもしれない。


「……ねえ、貴方。どうなさったの?」

「……え?」


 発せられたたおやかな声が自分に向けられたものだと気づき、カストは我に返る。

 ふと見ればレグラマンティ夫人だけでなく、メイドや同僚も怪訝な顔でこちらを見ていた。


 考え事に夢中になっていたらしい。

 慌ててカストは姿勢を正し、夫人に向けて頭を下げる。


「申し訳ありません。少々ぼうっとしていたようで……」

「あらあら……疲れていらっしゃるのね?少し休んだらいかがかしら?」


 気づかわしげに夫人が近づいてきて、カストは何故かぎくりとした。


 香水だろうか、近くで香る匂いは蠱惑的で咲き乱れる花畑を思わせる。

 彼女は上目遣いでカストを見て、小首を傾げた。


 まるで妖精が遊んでいるようなしぐさである。

 だがその無邪気さにどこか底知れないものを感じ、カストは一歩、二歩後ずさってしまう。


 表情を強張らせ距離をとった己に、どういうわけかカタリーナは傷ついた顔をする。


「カタリーナ様、お約束が先です。そろそろ参りましょう」

「あ、ええ。そうね」


 メイドに耳元で語り掛けられ、夫人は頷きカストたちに「ごきげんよう」と礼をした。

 そのままメイドに連れられて、遺跡の中へと入っていく。


 夫人はこちらを振り返りもしなかったが、最後にメイドと目が合った。

 彼女はやけに鋭い視線で二人を……否、カストを睨みつけていた。


「何か、予想以上に美しい……が、恐ろしい方だったな。引き込まれそうだ……」


 夫人の気配が完全に遺跡の中へ消えた後、同僚が息を吐いて呟く。

 カストは無言で頷いたあと、額に滲んでいた汗をぬぐった。


「レグラマンティ夫人はこんな埃っぽい場所に何の用なんだ……?」

「あれ、カストは知らないかい?稀にだけど、夫人は遺跡に来ることがあるよ」

「……へえ、そうなのか?」

「月に一度あるかないかだから、知らない警備団員も多いけどね」


 聞けば遺跡見学だけでなく、研究施設にも夫人はあのメイドを連れて中を歩くことがあるのだという。

 夫婦そろって、古代魔法文明に興味があるということだろうか。


(だとすれば夫婦仲は良好ってことなのかねえ。あの二人が何か話すのは想像がつかねえが……)


 マルティーノ・レグラマンティ卿もそれなりに整った顔立ちだが、カタリーナは人外じみた美しさを持っている。

 二人のイメージが妙にちぐはぐで、並んでいるところが想像出来なかった。


 いや、それよりも……、


「……あのメイドって、いつも遺跡や施設に来てるんだな」

「うん、確かに夫人より頻繁だな……なんで?」

「いや……」


 カストは言葉を濁し、うつむいた。

 あのメイドはああやって夫人のあとに続き、遺跡や遺物を観察しているのかもしれない。


「……あのメイドについて、何か知ってることあるか?」

「え?あ、もしかして、カストの好みのタイプか?」

「馬鹿、違う」


 否定したが、同僚はからかう笑みを浮かべたままだ。

 それでも必要最低限の情報はカストに教えてくれた。

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