第19話

 カタリーナ・レグラマンティの情報は、それほど多くない。

 他国からレグラマンティ家に嫁いだ美しい女性。レグラマンティ卿とは家同士の政略的な結婚。

 もともと体が弱くあまり人とは関わらない繊細な性格のため、親しい友人はこの地にいない。


 社交界にはあまり出てこないらしく、それ以上の噂を聞くことは出来なかった。

 軽く経歴を調べても、とくに不審な所は出てこない……一般的な貴族の婦人だ。


 しかし……と部屋のベッドのふちに腰掛けて、カストはため息をつく。

 気になるのは昼間のカタリーナの様子である。


 泣いてばかりの彼女は、とても問題のない人間には思えなかった。

 暴力的であるだとか、感情的に罵声を浴びせるだとか、難点がわかりやすい人物と言うわけではない。


 だが夫と娘を裏切ったというのに、自分が被害者のように振舞う様子。

 こちらの話をまったく聞かない、というより話が通じない様子。


 いったいどういう気持ちでカタリーナは泣いていたのか、カストにはちっとも想像が出来ない。


「……なんだか、恐ろしい人だな」


 娘の婚約者と不貞を働いていると言う点を別にしても、理解不能な人物。

 少なくともカストの今までの人生で、あんな人間に会ったことは無い。


 本当に別世界の怪物、妖精の皮をかぶった異形だった。


 追及の仕方がわからないと悩んでいると、乱暴な足音がこちらに向かってくることに気が付いた。

 来訪者が来ることは予感していたので、黙って扉を見据える。

 しばらくすると、ばたん!と大きな音をたてて扉が開いた。


「カスト!どういうことだ!カタリーナ様に何をした!?」

「……ライモンド」


 清廉な顔立ちを怒気で歪ませながら、語気荒くライモンド・メンディーニが前に立つ。

 ベッドに腰掛けたまま、カストは真っ直ぐに友人を見上げた。


 冷静な態度の己に彼の怒りはさらに高まったのか、青眼がぐっとつり上がる。


「カスト!どういうことだと聞いているんだ!!」

「どういうことか、はこちらの台詞だ。ライモンド」

「なに!?」


 ライモンドが再び怒鳴る前に、カストは立ち上がった。

 鋭いと言われる目でじっと睨みつけるが、流石に友人はたじろぐことはない。


 だが少し冷静になったのか、ぐっと口を閉ざしてこちらの言葉を待っている。

 言い訳をしてみろ、とでも言いたげな様子に、片眉が跳ね上がった。


「ライモンド。夫人から聞いていないのか?どうして俺が夫人と話したのか」

「……聞いていない。だが酷く怯え、泣いていらっしゃったのだ。お前が彼女を傷つけたのだろう」

「ははっ、理由も聞かずに飛び出して来たのかよ」


 からかうように笑ったが、話を聞ける状態では無かったのだろうなとカストは予想した。


 ひどい、ひどい、と体を震わせながら、ただ泣きじゃくっているだけの夫人の姿が簡単に思い描ける。

 正義感の強いライモンドは、彼女の様子だけを見てすぐにカストが悪いと判断したのだろう。


「……お前の気持ちもわかるよ。あれを見ると自分が悪いような気がしてくる」

「なんのことだ?」

「だがライモンド。一番の罪を犯したのは、お前と夫人だぞ」


 カストの言葉にライモンドの目に宿った感情が、僅かに揺れる。

 一応、自分が人の道に反した行為をしていることは理解しているのだろうか?


 彼の目を真っ直ぐに見つめながら、カストは畳みかけた。


「婚約者がいながらほかの女性を好いたことは……まあしょうがねえよ。だが通すべき道理は色々とあるだろう」

「……なっ」

「ましてや婚約者の母親だぞ。お前たちがどういう目で見られるかわかってやったのか?」


 核心に触れると、友人の顔色がさっと青くなった。

 まさか誰にも気付かれていないつもりだったのだろうか、と迂闊さを鼻で笑う。


 小馬鹿にされたとでも思ったのか、ライモンドの頬に再び怒りの朱色が戻ってきた。


「僕とカタリーナ様が不貞を働いていると……お前は言いたいのか?」

「まさか、そんなことはないと言うつもりか?」


 ライモンドの眉がつり上がり、唇が震える。


「証拠が、あるのか……?」

「一週間前の古代遺跡で……夫人と抱き合っていたな」

「!」

「……馬鹿だな、お前。あんな場所で誰に見られるかわかったもんじゃねえのに」


 ライモンドの顔はまた青くなった。と思った途端に続いたカストの言葉に赤くなる。

 感情を起伏させる彼に対し、カストの機嫌は下がる一方……どんどん冷たくなっていく。


 己の冷徹な視線の前で、落ち着いたらしいライモンドは深く息を吐き、額に浮いた汗をぬぐった。


「何故最初に僕に言わなかった?いたずらにカタリーナ様を怯えさせて……」


 先ほどよりも静かな口調で問いかけられ、その内容にカストは呆れた。


「まず気にするべきはそれか?他にもっと言うべきことがあるだろうが?」

「……カタリーナ様はあの家で不当な目にあっている。味方が必要だったんだ」

「言い訳にもなんねえな」


 ライモンドの戯言をきっぱりと切り捨て、カストは視線を鋭くした。


「どんな理由があろうと不貞は不貞だ。レグラマンティ卿とヴァンダ嬢に罪を告白し、謝罪しろ」

「カタリーナ様は深く傷ついている!」

「だからって傷つけ返していい理由にならねえだろうが!!」


 自分の友人はここまで愚かだっただろうか。

 ついカスト自身も語気が荒くなっていく。


「夫人が卿とヴァンダ嬢に何をされたか知らねえよ!だが不貞を働けば彼女の立場が悪くなるんだぞ!」

「彼女の心を守るにはこうするしかなかった!カタリーナ様はお可哀そうな方なんだ!」

「卿とヴァンダ嬢は可哀そうじゃねえってのか!?」

「二人はカタリーナ様を虐げているんだ!!」


 話が平行線であることに歯噛みする。

 ライモンドの中でカタリーナだけが唯一守るべきもので、レグラマンティ卿とヴァンダ嬢は悪人という図式が出来ているようだった。


 らちがあかないと舌打ちし、カストは友人から視線をそらす。


「俺はこのことを卿とヴァンダ嬢に報告する。見てられんからな」

「脅すつもりか?」

「見くびるな。そう思うならお前から白状しに行け」


 吐き捨てて、カストは再びベッドに腰を下ろした。

 もうライモンドの顔を見ていたくない。


 二人の間にしばらく会話は無かった。

 ライモンドもしばし無言で己のつむじを見つめていたが、そのまま踵を返し去っていく。


「……俺以外にも気付いている奴は絶対にいる。これ以上続けると、お前も夫人も破滅するぞ」


 扉を閉める彼の背中にそれだけ忠告した。

 一瞬動きが止まったが、何か言葉が返ってくることは無かった。


 部屋の中が嵐が去ったように静かになる。

 ライモンドが出て行ってからも、カストはそのままベッドに腰掛け考え込んでいた。


(俺とヴァンダ嬢に毒を仕込んだのはカタリーナ夫人かライモンド……いや、メイドのリンダかな)


 夫人が自ら行動していると人の印象に残りやすいだろう。

 リンダは夫人の命により動いているようだし、茶葉……もしくはカップかポットに毒を入れるのも簡単だ。


(ヴァンダ嬢に罪を着せたのも、夫人とライモンド、それからリンダなのかもな……色々とわからん所も多いが……)


 過激な言葉が気になるリンダに、カタリーナ以外が敵に見えているライモンド。

 レグラマンティ卿の動きを封じ、その隙にヴァンダ嬢に罪を着せて始末したのかもしれない。


 しかし、カタリーナ夫人はそうまで身内を嫌っているのか……否、嫌っていると言うよりも、あの様子は恐れ怯えているようにも見えた。


(家族の間に、どんな隔たりがあるってんだろうな……)


 本当にカタリーナが怯えるような、ライモンドが怒るような、酷い問題があるのだろうか?


 確かに夫人の嘆く姿だけを見ていると、夫や娘によっぽどな目に合わせられているのではと勘ぐってしまう。

 カタリーナの態度だけで、彼らを悪と判断して軽蔑する人間が出てもおかしくない。


 しかしカストはヴァンダの人となりはよく知っている。

 厳しく、誇り高い、誠実な人。

 彼女は誰かを……しかも実の母親を不当な目に合わせられる人間ではないはずだ。


(話を聞いてみたいが……これ以上俺が口を挟むのも違うか……?)


 どうも考えに行き詰まってしまい、カストはがしがしと頭をかいた

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