第15話

 約束の日、カストは魔法汽車乗り場で本を読みながら待っていた。

 もちろん服は上着からスラックスから、ヴァンダ嬢に揃えて貰ったものである。


「貴方どう頑張っても貴族の紳士には見えないわねえ……」

「うるせえな。いらん世話だ」


 到着したヴァンダがカストを見るなり、開口一番に言った台詞がこれである。

 ため息をつくヴァンダに、カストは半眼で返した。


 確かに今のカストは衣装に着られている感じがすさまじい。

 対してヴァンダ嬢は男物のコートとスラックスを見事に着こなし、いい所の坊ちゃんという風に見えていた。


 男物が『似合っている』というのも少しおかしいので、「あんたは何でも着こなすんだな」と言葉を述べておく。

 ヴァンダは得意げな顔を作り、「お褒め頂きありがとう」と微笑んだ。


「ねえ……その本はもしかして、探偵ロマーノの新作?」

「ん、ああ。そうだ」


 隣に並んだヴァンダが、横からカストの手元を覗き込んだので肯定する。

 すると彼女は少し驚いた様子で、目を瞬かせた。


「貴方、そういう小説を読むのね……意外だわ」

「よく言われるよ。だが小説ならなんでも読むんだ。冒険活劇から恋愛ものも」

「へえ……読書家なのね」


 感心した声が隣から響く。

 カストが肩を竦めてヴァンダを見ると、実に興味深げに己に視線を寄せていた。


「ねえ、探偵ロマーノシリーズで好きなお話は?」

「真紅の時計だな。淡々としているが時計に関するトリックが意外で面白い」

「ああ、わかるわ。わたくしは五つの秘密が好きなの。最後の謎が解けたときはわくわくしたわ」


 いつか交わした記憶のある会話だと、ころころ微笑むヴァンダを見て思う。

 懐かしさを覚えるとともに、あの時間はもうどこにも残っていないのだという虚しさに包まれた。


 ヴァンダとの会話のきっかけになるかとロマーノシリーズを持ってきた。

 しかしこれ以上続けると苦しくなりそうなので、本を閉じカバンにしまい込む。


 代わりに、ふと思いついて彼女に話しかける。


「あんたも小説を結構読むんだな」

「ええ。読書は趣味だもの」

「書いたりは?」


 尋ねると、唐突だったのかヴァンダの口が「え?」の形で固まる。

 その表情に普段の冷静なご令嬢らしさが見えなくて、妙におかしく口元をつりあげた。


 ヴァンダはむっと眉間にしわを寄せ、慌てた様子でそっぽを向く。


「小説を読んでいるからってすぐ書けるものではないわよ。作家業は簡単な仕事じゃないの」

「ふうん。あんたの書く小説なら面白そうだけどな」

「何を根拠に……」


 呆れた様子の令嬢がため息をついた。

 そのまま彼女は何か考えている様子で黙り込み、カストもそれ以上追及することはなかった。


 やがて汽車が停まり、二人はほかの客たちと一緒に客車に乗り込む。

 カストとヴァンダは向かい合って座った。


 その時もまだ無言だったが、汽車が走り出すとき不意に令嬢が呟く。


「……実は貴方の言う通りなの」

「え?」


 視線を前に転じると、彼女もおずおずとカストを見上げている。

 その唇が小さな声で、ぽつりぽつりと語った。


「小説、書いているのよ。素人だし全然上手じゃないんだけど……」

「そうか……」

「その……もし興味があったらだけど、読んでみて欲しいわ」


 告げるだけ告げ、ヴァンダは恥ずかしそうに顔をうつむかせる。

 カストは少し驚きその様子を見ていたが、すぐに「わかった」と微笑み頷いた。



 隣町の古物商に到着したとき、扉には『準備中』の札がかけてあった。

 ぼろぼろになった扉についた窓から中を覗くが、やはり明かりどころか人の気配もない。


「また準備中なのか……中にも、いねえみてえだし」

「また?ああ、貴方は何度か来たことがあるのだったわね」


 思わず時が巻き戻る前のことを言ってしまったのだが、ヴァンダはそう納得してくれた。

 だがせっかく来たと言うのにこれでは、計画を最初から練らねばならなくなる。


「何度かこの時間に入ったことはあったんだがな……」

「……まだお父様も家にお戻りになっていないから、二人で会っているのかもしれないわ」


 その可能性は大いにある。

 時が巻き戻る前も、レグラマンティ卿と古物商は発掘現場に共に現れていた。


「遺跡に関する場所にいるかもしれねえな。探すか?」

「……いいえ、魔法遺物が店にあるところを見なくては意味がないわ。少し待ちましょう」

「わかった……じゃあ……」


 カストはちらりと空を見上げる。

 地上を照らす太陽は高い位置にいるが、真昼にはまだ遠い。


 それでも少し腹が減ってきた。

 汽車に揺られるから、あまり朝食を多く取らなかったためでもある。


「少し早いが何か食おう。そこでもう一度計画を確認しねえか?」


 提案に、ヴァンダは少し考えて了承した。

 カストは彼女を例の裏道にある小さな食事処に案内した。


 相変わらず席はそこそこ埋まっている。

 馴染みの客も集まっており、早い昼食を食べながら和やかに談笑している。


 どうやら彼女はまだこの食事処に入ったことがないらしく、少し物珍し気に目を瞬かせていた。


「わたくし、こういう店で食事をとったことが無いわ……」

「わりいな、高級店を知らなくて。あんたの口に合わんかも……」

「あ、ごめんなさい。悪い意味じゃないのよ。……実はちょっと興味があったの」


 頬を染めて声を潜めるヴァンダに、カストは「そうか」と頷く。

 別に気を悪くしたわけではない。


 それに最初に……時が戻る前にこの店を選び教えてくれたのは彼女だ。

 興味があるというのも嘘ではないのだろう。


「この店は何食っても美味いから、好きなもん頼めよ」

「ふうん……色々メニューがあるわね」


 ヴァンダが壁にかけられたメニュー表を眺めて、楽しそうに呟く。

 カストも何を食べるか腹と相談しながら、彼女とともにメニューを眺めた。


 短く悩んでカストが注文したものは、トマトとひき肉のパスタとチーズとベーコンのサラダ。

 そして悩みに悩んだヴァンダが選んだものは、ラビオリと生ハムだった。


 ウエイトレスに注文を頼むのを聞いて、カストは少し驚く。


「ラビオリ、好きなのか?」

「え?そうね。あまり家では食べないから」

「へえ」


 ここでも以前の記憶が重なり、少しだけ寂しさが募る。

 しかしそれを表に出せるはずもなく、カストは感情を押し殺してヴァンダと計画を確認し始めた。


「現場監督さんのノートを借りてきたわ。これには発掘された遺物の特徴も書いてあるから、証拠になるはずよ」

「俺が運んだものだから覚えているし、証言も取れるはずだ。あとは肝心の遺物が古物商のもとにあるかだが……」


 それが一番気になるところだった。

 もし既に売れていたり店先に並んでいなかったりしたら、計画は破綻する。


 ヴァンダは顔を険しくしながら、「行ってみるしかないわね」とため息をつく。


「魔法遺物は簡単に売れるものではないし、恐らくまだ手元にあるんじゃないかしら?もしかしたら密売のルートがあるのかも……」

「……なら足を運ぶなら早いほうがいいな」

「ええ、私たちが攻めるとしたらここが一番近道だわ。もし駄目だったらお父様に直接話を聞くしかない……」


 現場監督のノートとカストの証言だけで、あの偏屈そうなレグラマンティ卿の口を割らせられるだろうか?

 黙り込んで考える二人だったが、その沈黙はウエイトレスの登場で破られる。


 二人がオーダーしたものが、かぐわしい香りとともにテーブルに並べられた。


「あら、すごく美味しそうね!へえ、こういう感じなんだ」

「熱いうちに食えよ、絶品だから」

「ええ、そうするわ」


 暗くなっていた顔をぱっと輝かせて、令嬢はフォークでラビオリを割る。

 その様子を微笑ましく眺めながら、カストも自分の昼食に手を付けた。


 この店はパスタも絶品だ。


 ひき肉とたっぷり使われているトマトがパスタと絡み合い、香りも食欲をそそる。

 肉だけでなく、野菜の旨味もよく出ている。上に掛かっているチーズとも相性がいい。


(空腹に効くな……)


 ぱくぱくと無言で食べ進めていると、前の席から「美味しい……」と呟く声が聞こえた。

 嬉しそうなその呟きに、ほんの少し口の端がつり上がった。

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