第22話

 ざわりと全身の毛が逆立つ。


「ヴァンダ!」


 咄嗟に背後にいる令嬢を抱き寄せ、カストは勢いよく真横に倒れた。


 刹那、どん!と大きな音がすぐ近くで鳴り響く。

 胸の中で「え?」と彼女が声を出したのと同時だった。


 ヴァンダをかばったせいで受け身が取れなかったカストは、石畳に体を強かに打ち付ける。

 ごりっと骨が鳴り、脇腹に燃えるような痛みが走った。


「カスト様、いったい……っ、ああ!」


 慌てた様子で身を起こしたヴァンダが、倒れる己を見て顔を青くする。

 その表情で察するものがあって、カストは彼女の視線を追った。


 彼女は倒れたままのカストの脇腹を……先ほどから激しい痛みのある場所を見ている。

 己のコートは鮮血で染まり、地面には真っ赤な水たまりができ始めていた。


 ───撃たれた。しくじった。


 弾が貫通した様子は無い。まだ体内に残っている。

 このままでは彼女を守れない。走ることも、戦うことも出来ないだろう。


 足手まといになったことを悔やみながら溢れる血液を押さえて、ヴァンダの顔を見る。


「ヴァ、ヴァンダ嬢、逃げ……ろ……」

「で、ですが……!」

「人を呼んできてくれ!このままじゃ……!」


 何とか彼女をここから離れさせようと声を荒げたとき、ふいにこちらに向かって走ってくる人影を見つけた。


 銃声を聞いて駆けつけてくれたのか、と思ったが、違う。

 二人の方へ走ってくるのは、ぼろぼろのシャツをまとった男たちだった。

 先頭にいる男の唇には、下品な笑みが浮かべられている。


 どう見ても堅気じゃない様子に、ぞっと嫌な予感が走った。


「きゃあっ!」

「てめえ、やめろ!ヴァンダ嬢に何をする気だ!」


 男はヴァンダの腕をつかみ、無理矢理立ち上がらせる。

 阻止しようと手を伸ばすが、傷が痛み吠えるしか出来ない。


 情けないカストを一瞥し、彼は鼻を鳴らすと令嬢を乱暴に担ぎ上げ、来た方向へ走り出した。

 抵抗している様子のヴァンダだったが、大柄な男の力になすすべもない。


「カスト様!」

「待て!ちくしょ……っ!」


 己を呼ぶ彼女の悲鳴と悲痛な横顔に、カストの血が燃え上がった。

 膝に、手に、体に力を込めて、何とか起き上がる。


 押さえる指の間から、ぼたぼたと血液が地面に散った。

 出血が多い、だが構わず彼らを追って駆け出した。


 路地を駆け抜ける間、不思議と痛みは感じなかった。


 ただヴァンダたちとかなり距離が離れてしまっている、それだけが気がかりで真っ直ぐに前だけを見つめ続けた。


「待てっ!」


 手助けしてくれそうな通行人が誰もいない。

 朝早くの時間帯、それも人気のない場所を選んで歩いていたのがあだになっている。


 自分で何とかするしかないと万力の力を込めて走り続けた。

 見失わないようにするのが精一杯で、追いつけないことが歯痒い。

 間違いなくこのままでは、ヴァンダは連れ去られてしまうと焦りが湧いた。


 カストの焦燥をあおるように男たちは建物の合間を縫い、やがて開けた場所に出る。

 町の中心を流れる大きな川と、それに渡された橋がある広場だった。


 暴漢たちは橋を渡って向こう岸にいくつもりらしい。

 この向こうは町の中でも治安の悪い場所がある。

 アジトがあるのか仲間がいるのか、逃げ込まれると厄介だ。


 何とか橋を渡り切る前に捕らえたいと眼前を睨みつけ……そこでふと、向こう岸からこちらに向かって走ってくる影を見つける。


 金色の髪の背の高い清涼な雰囲気の青年。

 確かこの時間、彼はこのあたりをトレーニングで使っていたはずだ。


 あの人物が誰だか察したカストは、思い切り声を張り上げた。


「ライモンド!そいつらを止めろ!ヴァンダ嬢が捕まった!」


 無心にトレーニングに勤しんでいた彼……ライモンドが、はっとこちらを見る。

 そして事態に気づいたらしくヴァンダを担いだ男たちに向かい、跳ねるように駆け寄った。


「あっ……!」


 ぎょっとするリーダー格の男に、ライモンドは拳を振り上げ頬にめり込ませる。

 男は体勢を後ろに崩し、ヴァンダを取り落とした。


 「きゃっ……!」と悲鳴を上げた彼女をライモンドは支えて引き寄せる。

 リーダー格の男は地面に尻もちをつき、他の暴漢たちは戸惑いその場でたたらを踏んでいた。


 ヴァンダを後ろにかばい、ライモンドは彼らをじろりと睨みつけた。


「貴様ら、何者だ?彼女が領主の娘、ヴァンダ・レグラマンティだと知っての狼藉か?」

「……うっ!くそ、やれ!!」


 数で勝っていると思ったのか、立ち上がったリーダー格の男が指示を飛ばす。

 声を上げながら男たちはライモンドに飛び掛かった、が、所詮烏合の衆だった。


 最初の男に足をかけて転ばし、次の男の顔を殴り飛ばす。

 横から掴みかかろうとした手をかわし、反対に掴んで強くひねった。


「ぐえっ……!」

「その程度でよくやろうと思ったな」


 呆れたように肩を竦め、ライモンドは男を地面に放る。

 リーダー格の男は顔を青くしてそれらを見、分が悪いと感じたのか舌打ちしてそのまま走り去っていった。


 残されたのは地面に転がり、痛みに呻く男たちのみ。

 カストはそれらを見下ろしながら、足を引きずり二人の元へと歩み寄った。


 もう走ることは出来ない。

 危機が去ったと思ったら、急激に痛みが出てきたのである。


「どうしたカスト!?お前、血が……!?」

「ああ、少しやらかした。撃たれちまった」


 己の負傷を見て、ライモンドはぎょっと目を見開いた。

 ヴァンダが慌てた様子でカストの元へ駆け寄り、肩を貸してくれる。


 彼女の手を借りて橋の手すりに寄りかかり、ゆっくりと腰を下ろした。


「大丈夫ですか?カスト様。今、誰か人を呼んで……」

「僕が呼んでこよう。ヴァンダ嬢はカストを頼む」


 ライモンドは町の中心へ向けて駆けだした。

 その背中をぼんやりと見ながら、カストは考えを巡らせていた。


(あの様子……ヴァンダ嬢を助けたこともあるし、この件にあいつは関わってねえのかな……)


 もしかしたら昨日の火事も、ライモンドは知らないのではないか?


 だとすれば、火事も襲撃もカタリーナ夫人の独断?

 時が巻き戻る前に着せられたヴァンダの無実の罪も、夫人の仕業なのだろうか?


(あの人にそんな行動力があるとも思えんが……)


 そこまで考え、カストは深く息を吐く。

 そろそろ思考を巡らすのも辛くなってきた。


「カスト様、お顔の色が悪いです……。気を確かに持って」

「……大丈夫だ。ちょっと血が出すぎちまっただけだから、心配すんなって」

「待っていてください、せめて傷口を……包帯の代わりになるものがあれば……」


 言ってヴァンダが、立ち上がりかけた時だった。

 ふとその動きが止まり、表情が強張る。


「カスト様……!」

「……え?」


 唐突に己の名を呼び、彼女はカストにおおいかぶさった。

 ふわりと目の前で赤い色の髪の毛が揺れ、場違いな美しさに戸惑う声が出る。


 刹那、どん!と聞き覚えのある嫌な音がした。

 びくりとヴァンダの体が小さく跳ねる。


「……ヴァンダ?」


 令嬢の名を呼ぶ。が、答えは返らない。

 いつの間にか彼女の体からは力が抜けており、ずるりと横へ滑り落ちていく。


 やがてカストの膝に倒れたその背中には、髪の毛よりも赤く鮮やかな染みがじわりと浮き出ていた。


「……!」


 ぞっと背中に冷たい予感が走る。

 「ヴァンダ……?」彼女に手を伸ばして再び名前を呼ぶ。が、肩を揺すっても彼女の目が開くことはない。


 呼吸が浅い。脈も薄くなっている。

 ただ赤い血だけが、彼女の命とともにだくだくと流れ出ていた。


 嫌な予感が加速する。

 カスト自身も傷の痛みから、激しく動くことは出来なくなっていた。


「あ……」


 気配を感じ、視線を橋の向こうにむける。

 見覚えのあるキャスケットをかぶった男が、魔法銃を構えたままこちらに歩み寄ってくるところだった。


「て、めえ……」


 男は二人のそばまで歩み寄ると、カストの眉間に銃を向ける。


 彼の唇は青ざめ、手は震えていた。

 人を撃ったことが怖いのかもしれない。


 それでも彼の指は二回、引き金にかかっている。

 三回目が引かれるのは、時間の問題だった。


 ライモンドが戻ってくる様子は無い。

 せめてヴァンダを助けなければ……そう思って令嬢に視線を向けたとき、男の肩がびくりと跳ねる。


 刹那、どん!と大きな音が聞こえた。


 視界が暗転する。

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