第24話

 波間にたゆたうような闇の中に戻り、カストはぼんやりと考えていた。


(旦那様……?やっぱりあれは、レグラマンティ卿……だが若かった……)


 カストは視線を胸元で輝くネックレスへと転じる。

 真紅の石は何の答えを示すこともなく、ただただ淡い燐光を放つのみだった。


 それをじっと睨みつけていると、カストの脳裏にふと考えが浮かぶ。


(まさか、あれは過去の光景?死んだ時間を巻き戻すだけの遺物じゃないのか……?)


 疑問にヒントが湧きだすわけではない。

 しかし答えを求めるように、カストは胸元の石をつまんで持ち上げる。


 その瞬間、再びまばゆい光があたりを覆い、カストは目をつむった。


「いいですか?これはカタリーナ様のためなのよ」


 すぐそばで声が聞こえ、はっと目を開ける。

 ネックレスの光はすでになく、世界も黒一色では無くなっている。


 しかしそこは今しがた見たレグラマンティ卿と夫人の部屋ではない。

 建物の影になった薄暗い路地で、見覚えのある女と男がひそひそと会話している。


 女はレグラマンティ家のメイド、リンダ・メランドリ。

 そして男の方はキャスケットをかぶった……先刻カストの命を奪った男だった。


 先ほどと同じく己に気づかないらしい二人は、さらに会話を進めていく。


「あの方を始末なさい。そうしたら向こう半年は暮らせる金は出すわ」

「し、しかしあの方は、お嬢様の婚約者……」

「カタリーナ様はあの方が恐ろしいのよ。任務のためには自分の婚約者も手にかけるなんて……」


 そこでカストは首を傾げた。

 この依頼は先刻のカストとヴァンダに対するものだと思ったが、妙におかしい。


(自分の婚約者も手にかける……お嬢様の婚約者……ライモンドのことか……?)


 会話から思い当たる人物が、ライモンド・メンディーニしかいない。


 しかも婚約者、つまりヴァンダ嬢を手にかけたと言っている。

 カストが死に戻る前、ヴァンダが無実の罪を着せられライモンドに撃たれたことを指しているのか。


 その予想を確定付けるように、リンダは薄く笑って話し続ける。


「ライモンド様の乗る馬車の車輪に細工すればいいわ。後片付けはこちらでやっておくから」

「……だが」

「これ以上カタリーナ様を苦しませたくないの。彼女が知らないうちにやって頂戴」


 一連の言葉を聞き、愕然とする。

 一番初めに自分が死んだ原因……それはリンダの指示によるものだったのか。


 それにこの指令は彼女の独断なのか。

 とにかくわずらわしい、恐ろしいものをカタリーナの視界から消したいという決意が伝わってくる。


(なんで、そこまでカタリーナ夫人を……彼女は……)


 言葉を失ったままカストが見守っていると、会話を追えたらしい二人は別々の方へ歩いていく。

 どうやら交渉は成立したらしい。男の手には金貨が握られている。


 少し考え、カストはリンダを追うことにした。

 だが一歩踏み出したその瞬間、再び視界が暗転する。


「あ、ちくしょう……!」


 もう少し彼女たちをよく調べたい。

 その願いを叶えてくれない魔法遺物を睨みつけ、カストは舌打った。


 だが落胆をしてから間もなく、さっと景色が変わる。

 今度は見覚えのある部屋の中……広い天井に大きな窓、そして華美な装飾品。


 再び、カタリーナ夫人の寝室のようだった。


 部屋の中では男が一人、女が二人向き合っている。

 レグラマンティ卿とカタリーナ夫人、そして彼女に寄り添うように卿を睨みつけているリンダだった。


「カタリーナ、研究室にあった魔法遺物をどこにやった……?」


 カストがよく知る陰鬱な雰囲気で、レグラマンティ卿が夫人に問う。

 握りしめられた拳が震えていて、彼が怒りを抑えている様子がわかる。


 夫人は卿の怒りを見て身をすくませ、ぽろぽろと涙を流した。

 それを強い目で見つめた後、レグラマンティ卿は再度問いかける。


「君が持ち出したのだろう。何のためにだ……?」

「あ、れは……リンダが、ヴァンダの部屋に……そうすればあの子に罪が……貴方が無実に……」

「ヴァンダに罪を着せる気か!?」


 思わず声を張り上げたレグラマンティ卿に、カタリーナがびくりと身を竦ませる。


「だって貴方がいなくなったら、困るからわたくしは……それにあの娘はわたくしを悪く言って……」

「それは君があの子を憎むからだ。しかし……そうか……これは全て私のせいなのだな……」


 怯える夫人との会話を諦めたのか、卿は深くため息をついて床に視線を落とした。

 やがて再び妻を見ると、先ほどとは打って変わって強い口調で告げる。


「とにかく、共に来てくれ。私の罪と、君の罪を洗いざらい話そう」

「え……?」

「ヴァンダのためにはそうするしかない。私の魔法遺物の横流しと、君の浮気を皆に打ち明けるんだ」


 そんな、とカタリーナ夫人は顔を青くした。

 今にも倒れそうな彼女の手をレグラマンティ卿が掴み、そのまま扉に向かって連れて行こうとする。


 夫人は抵抗するが、力が弱いのか手を振りほどけるほどではない。

 ぽろぽろぽろぽろと、宝石のような涙が頬を伝う。


 その哀れさをも顧みず無言で卿は歩き、やがてドアノブに手をかけた時だった。


「カタリーナ様に触るな!」


 甲高い声が響き渡る。

 ぎょっとするカストの目の前で、リンダがレグラマンティ卿に向けて突進していく。


 その手には鋭く銀色に光るナイフが握られていた。


 あ、と思うがもう遅い。

 振り返ったレグラマンティ卿の目が驚きに見開かれたのと同時、そのナイフは彼の胸に深々と突き刺さっていた。


 そこでまた視界が暗転する。

 その闇の中で、リンダの声だけが聞こえてきた。


「大丈夫です、カタリーナ様。上手く隠しましょう」

「旦那様はショックで倒れたことにしましょう。ライモンド様に言って、自殺に見せかけるのです」

「任せてください、リンダが全て何とかいたしますわ」


 決意と狂気に満ちた声に、カストの顔が歪む。

 これはやはり一番初めの、ヴァンダ嬢に無実の罪が着せられた時の景色だ。


 あの時レグラマンティ卿はヴァンダ嬢の無実を証明しようとしていた。

 しかしカタリーナとリンダに妨害され、命まで奪われていたのか。


 あまりに身勝手で恐ろしい彼女らに嫌悪が募る……その時再び、景色が変化する。

 今度もやはり、見覚えのある場所だった。


「ヴァンダ嬢、君に魔法遺物横流しの容疑がかかっている」


 飾り気はない簡素で素朴な部屋の中、厳しい声を出したのはライモンド・メンディーニである。

 彼の眼前には白いドレスをまとった赤毛の令嬢……ヴァンダ・レグラマンティがいる。


 彼女のドレスと二人の様子にこの場面がいつのものなのかを悟り、カストはさっと青ざめた。

 己の動揺を横に置き去りにして、場面は無常にも進んでいく。


「無駄な抵抗は止すんだ。部屋を調べさせてもらう」

「ライモンド様、貴方は何をおっしゃっているの?」


 じっと婚約者を見つめていたヴァンダが、冷徹な声を出す。

 その視線も態度も何もかも、婚約者に向けるものではなかった。


 対してライモンドも少々むっとした様子で、彼女を睨みつける。


「君は罪を犯しただろう?大人しくついてくるんだ」

「罪?横流し?知りませんわね。寝ぼけているんじゃなくて?」

「何?」

「わたくしが罪びとと言うなら、貴方だってそうですわ」


 ヴァンダは挑発的に婚約者を見て、そしてため息とともに視線を逸らす。

 随分呆れたようなその仕草に、ライモンドは苛立たし気に声を上げた。


「僕が罪びと?いったいどういう意味だ!」

「わかりませんの?貴方、わたくしのお母様と関係を持っているでしょう」


 ぎくりと体が跳ねたのは、カストとライモンド同時にだった。

 彼の様子をちらりと一瞥して、ヴァンダは無表情で肩を竦める。


「魔法遺物の件ももう見当がついていますの。もう全てを打ち明けますわ」

「全て……?」

「もちろん、貴方とお母様のこともです。さあ、準備をしますから出て行ってくださいな」


 きっぱりと言い切ってヴァンダは、くるりと背を向けて机に近づいた。

 出したままになっていた原稿用紙をまとめ、引き出しの中にしまい込む。


 その瞬間カストは、ライモンドが床に何かを置いたことに気が付いた。

 きらりときらめく鈍い輝きには見覚えがある……あれはヴァンダ嬢が死んだ日に、部屋に落ちていたナイフだった。


 嫌な予感がして、カストは聞こえないことを忘れて叫んでいた。


「ライモンド!やめろ……!」

「……ヴァンダ嬢」


 ライモンドに名前を呼ばれ、ヴァンダは振り返る。

 どん!と大きな発砲音が響き渡った。


 懐から取り出した魔法銃の引き金を、ライモンドが無慈悲に引いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る