第29話

 確かにリンダはカタリーナと同じく隣国の出身だし、メイドにしては身ぎれいだった。

 夫人の両親からもらった金で、好き勝手していたのだろう。


「お爺様たちは貴女を解雇するそうです。追って連絡があるそうですからその時に話をしてください」

「……!」


 真っ青になったリンダが、ぺたりと膝をついた。

 そのままうつむき、動かなくなってしまう。


 ヴァンダは無感動に彼女から視線を逸らし、母親に顔を向ける。

 緑色の瞳に見据えられ、カタリーナはびくりと体を跳ねさせた。


「お母様。お爺様が貴女を離婚させ、連れ戻すと言っています。娘可愛さに甘やかしすぎたと」

「ひっ……!」

「やめろ、ヴァンダ嬢!カタリーナ様を追い詰めるな」


 怯える彼女の前にライモンドが立った。

 正義感に燃える表情を見てカストは眉間にしわを寄せたが、ヴァンダは冷静だ。


 いつか見たことのある冷ややかな目で、婚約者を見つめている。


「ライモンド様。メンディーニ家にもお話は通してあります。貴方の処分も話し合いましょう」

「……カタリーナ様には何もしないでくれ」

「貴方さっきからお母様のことだけね」


 ヴァンダの瞳に少しだけ呆れるような色が浮かんで、すぐ消える。


「もう貴方とは結婚出来ません。婚約は解消させていただきますわ」

「わかっている。僕はカタリーナ様と一緒になる」

「ライモンド。お前、そりゃあ無理だろう……」


 ついカストが口を挟むと、彼の青い目がきっとこちらを向いた。

 他人の恋愛事に首を突っ込むつもりはないため、その視線は肩をすくめていなした。


 ヴァンダも彼にこれ以上何か言うつもりはないのか、視線をカタリーナに移す。

 ライモンドの影に隠れる彼女は、相変わらず怯えて泣いてばかりだ。


「お母様、わたくしは貴女を許せません。貴女のせいで父は不正を行い、たくさんの人に迷惑がかかりました」

「……うううっ!」

「ヴァンダ嬢!」

「黙ってろ、ライモンド」


 話がまぜっ返りそうだったので、カストはライモンドの肩を掴む。

 友人は悔しそうな顔でこちらを見、そしてむっと口を閉ざす。


 カタリーナは相変わらず顔を上げようとはせず、ライモンドもそこから動く気はないようだ。

 婚約者……元婚約者のことは無視して、ヴァンダは母親に語り続けた。


「貴女はそれ相応の罰を受けるでしょう……でも、お母様……本当にこんな形しかなかった……?」

「……?」


 ヴァンダの口調が変わり、カタリーナがおずおずと視線を上げて娘を見る。


「幼い日から父に似たわたくしを疎んでいることはわかってました。だからわたくしも距離を取った……」

「……」

「でももう少し、話せばよかったのかもしれません。ねえ、お母様、もし許してくれるならこれからは……」


 ヴァンダは怯える母に視線を合わせて、そっと手を伸ばす。

 差し出されたそれは、カストの目から見ても握手の形をしていた。


 おずおずとした手のひらに、しかしカタリーナはぞっと体を震わせる。


「い、いやあああっ!やめて!さわらないで……!!」

「カタリーナ様……!」

「やめて!きもちわるい!けがらわしいわ……!」


 ぱしん!と乾いた音が響いた。


 「あ」とカストは声を上げてヴァンダに駆け寄る。

 差し出した手は、カタリーナによって哀れ叩き落とされていた。


 呆然とする令嬢の肩を支えながらその母親を見ると、彼女は子供のように泣きじゃくっている。


「旦那様はわたくしの体を無理やり暴いたのよ……!わたくし本当は嫌だったのに……!嫌だって思ってたのに……!」

「おかあ、さま……」

「貴女の赤い髪、緑の目……!全部あの人に似ている!きもちわるいわ……!」


 その時ヴァンダの横顔に、はっきりと傷ついた色が浮かんだのをカストは見た。


 その表情に、こちらの心臓が握りつぶされたような痛みを覚える。

 悔しくて腹立たしくなって、「聞くことはねえ」と彼女に告げた。


 だが彼女はそれでも、震えながら母親へ向かって一歩踏み出す。


「おかあ、さ……」

「カタリーナ様に触れるな……!」


 カタリーナを慰めていたライモンドが、敵意を持ってヴァンダを睨みつける。

 彼の手がコートの内ポケットに入ったのを見て、カストはぞっと背筋をわななかせた。


「馬鹿!やめろ、ライモンド!」


 カストはヴァンダを背にかばう。

 ライモンドがふところから魔法銃を取り出したのと同時だった。


 銃口がこちらを向く。

 ひゅっ、と背後でヴァンダが息を飲んだ気配を感じながら、カストは顔を歪める。


(くそ……っ今回もこれで終わるのか……!!)


 ライモンドの指が引き金にかかる。

 その前にぴしり、と小さな、何かにひびが入るような音が聞こえた。


 聞き覚えのある音に、カストが自分の胸元を見たその時だった。

 視界いっぱいに眩いほどの赤い光が広がる。


(時が戻るのか……!?ここで……!?)


 焦るカストをよそに、世界が黒に染まっていく。

 きゃあ、とヴァンダの声が聞こえる。


 彼女も巻き込まれたのかと焦った瞬間、景色が変わった。

 そこは今までカストが時戻りで行った場所ではない、見覚えのないところだった。


 レグラマンティ家とは違うが、上品で美しい手入れの行き届いた庭。

 どうやらここも貴族の屋敷のようで、近くには瀟洒な造りの建物が見えた。


「ここは……」

「わたくしの家だわ……」


 カストの疑問に答えるように呟いたのは、カタリーナだった。

 見れば自分とヴァンダだけでなく、カタリーナとライモンドも時の巻き戻しにあったようだ。


 三人とも不思議そうにきょろきょろとあたりを見回している。


 ここはカタリーナの生家?どうしてこの場面が見れたのだろう?

 呆然とする一同の横を、ふいに何かがぱたぱたと走り抜けていった。


 淡い水色のドレスを着た、10歳前後の少女である。

 プラチナブロンドの髪を結い、長いまつ毛に縁どられた目を持った妖精のような少女。


「……あれは、お母様?」

「わたくし……?」


 見覚えのある少女に、ヴァンダとカタリーナの声がかぶった。

 幼いカタリーナと思われる少女は、四人には気付かずにそのまま向こうへと駆け抜けていく。


 どうやら今回も過去の人間に姿は見えていないようだ。


 一同が見守る中、走る少女はぱっと顔を輝かせた。


「メンディーニ様……!」


 少女が呼んだ名前に、ライモンドがぎょっと目を見開く。

 カストとヴァンダもまたわけがわからす、少女の姿を観察している。


 ただカタリーナだけが何でもないような顔で幼い日の自分を見ていた。


「メンディーニ様……!」


 少女が今一度その名前を読んだ。

 彼女に気づいたらしい人影が、花壇の後ろからひょっこりと顔を出す。


「カタリーナ様、どうしたのですか?」


 そう言って柔らかい表情を作ったのは、少女よりも僅かに年上の少年だった。

 金糸の髪を持った青眼の美少年で、カタリーナと並ぶと一枚の絵画のよう。


 しかしその少年のかんばせには、見覚えがある。

 カタリーナの隣で唇を震わせるライモンドにそっくりなのだ。


「あれは……父だ……」


 愕然としたライモンドの声が、小さく響く。

 その言葉に、カストは彼と少年を見比べてなるほどな、と納得した。


 ライモンドの一族は昔からの商人で、彼の父は幼い頃から取引の場に同行していたと聞く。

 カタリーナの生家にも、こうして訪れていたのだろう。


 しかし何故、ネックレスはこの場面を見せるのか?

 少年は優しく少女を見つめ、少女は無邪気に微笑み返している。


「メンディーニ様、またお花をくださいね。わたくし、メンディーニ様のお花がたくさんあると嬉しいの」

「ええ、もちろん。今日もたくさん商品をお持ちしました。カタリーナ様が気にいると良いのですが」

「嬉しいわ!ずっとずっと、お家に来てね」


 他愛のない、微笑ましさすら感じる子供の会話だ。

 どこにもやましいところは無い、昔語の話題になるような一場面だ。


 やはりわけがわからず混乱していると、急にカストの胸元が輝き出す。

 また場面が変わるのか、と思ったが、次の瞬間ぴしりとひびの入る音が聞こえた。


 その音は先程より大きく長く、嫌な予感がしたと同時にぱりん、と胸元で何かが砕けた感触がする。


 急に世界は暗転した。

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