第30話
気がつけば、四人は元いた魔法遺跡の内部に立っていた。
カストは慌てて首から下げているチェーンを確認する。
予想通り、そこに下げられていた赤い石は粉々に砕け、跡形も無かった。
ただサラサラとした赤い砂が、手のひらの中に残っている。
呆然としているカストを、不思議そうにヴァンダが覗き込んだ。
「カスト様、今のはいったい……」
「カタリーナ様!どうしたのですか!?」
彼女の問いを阻んだのは、ライモンドの叫び声だった。
驚愕している様子に、カストとヴァンダは何事かと振り返る。
見れば、慌てるライモンドの隣で、カタリーナがぽろぽろと涙を流していた。
先ほどの時の巻き戻りが怖かったのだろうか?そう思ったが、様子がおかしい。
「メンディーニ様、メンディーニ様……」
「はい、僕はここにいます。いったいどうしたのですか?」
ライモンドが慰めるが、カタリーナは彼の名を呼び続け涙を流すのみ。
またかとカストは肩を竦めたが、ヴァンダは少し考えたあと、おずおずと母に声をかけた。
「お母様、もしかしたらお母様の言うメンディーニ様とは……ライモンド様のお父上のことですか?」
問いかけにカストは片眉を跳ね上げ、ライモンドは目を見開いてこちらを振り返る。
驚く二人をよそに、カタリーナはしゃくり上げながら哀れっぽく頷いた。
それを見てカストは目を見張り、ライモンドは息を飲む。
「メンディーニ様、メンディーニ様は……わたくしを助けてくださらなかった……」
「ライモンド様のお父上とお母様はどういったご関係だったのですか?」
再度問われると、ちらりと夫人の目がライモンドを捕えそして潤む。
「わたくしはメンディーニ様を愛していたわ。メンディーニ様にも伝わっていたのに……」
「……恋仲だったということですか?」
「……わたくしに会いによく来てくれたの。お花や宝石を見せてくれて……」
先ほどネックレスが見せた過去の光景か。
しかしあの時の二人に、恋人のような甘さがあっただろうか?
カタリーナはともかく、ライモンドの父は商売相手として彼女に接していたような気がする。
カストはヴァンダと顔を見合わせた。
幼い恋人同士が引き裂かれたのかと思ったが、どうにもおかしい。
疑問に満ちた空気に気付かないまま、カタリーナは悲しそうに語る。
「愛し合っていたから、わたくしが嫌な結婚をさせられそうなときも、助けてくださると思ったのに……」
「え?」
「待ってたのにメンディーニ様は来なかった……」
ひどいわ、と呟くカタリーナに、ヴァンダが眉間にしわを寄せた。
「それは何のお約束もなかったということでは?二人は恋仲ではなかったのではないですか?」
「ひどい……!やっぱり貴女は酷い娘だわ……!どうしてそんなことを……!」
悲鳴を上げて、夫人は両手で顔をおおった。
痛々しく泣き声を上げるカタリーナだったが、ライモンドは慰めようとはしなかった。
青い目を妙に虚ろにして、ぼんやりと前だけを見つめている。
しばらく呆然自失としていた彼だったが、はっと我に返り慌ててカタリーナに視点を合わせた。
「カタリーナ様……」
「ああっ、メンディーニ様ぁ……!」
ライモンドが小さく名前を呼ぶと、カタリーナはその胸に飛びついた。
しかしいつものように泣く彼女の背を、彼は撫でようとしない。
じっと背の低い夫人のつむじに視線を落として、ライモンドは再びその名前を呼んだ。
「カタリーナ様……」
「メンディーニ様、メンディーニ様……」
頼りない声でカタリーナはライモンドを呼び続けるが、友人の顔は暗い。
そう言えば彼女は決して、ライモンドを家名でしか呼ばなかった。
カストはそのことに気づき背筋を強張らせたし、ライモンドなどどんどん顔色が悪くなっている。
またしばらく無言の時間を経たあと、友人は意を決したように口を開いた。
「カタリーナ様は……僕と父、どちらが好きなんですか……?僕は父の身代わりでしたか……?」
その質問に、ライモンドはどんな答えを期待していたのだろう。
しかし、きょとんと顔を上げたカタリーナ夫人が返した言葉は、彼の心を壊すのにじゅうぶんだった。
「……?メンディーニ様はメンディーニ様よ。そんなの、どちらでも一緒でしょう」
すっとライモンドの顔から表情が消える。
カストとヴァンダは何も言うことが出来ず、立ち尽くす彼を見つめた。
あんまりに残酷で心がない返答だった。
カタリーナにとってライモンドは初恋の身代わり……否、『自分を慰めてくれるメンディーニの名を持つ男』なら誰でも良かった、とも聞こえた。
事実、そうなのだろう。
「メンディーニ様、メンディーニ様……」
ライモンドが何も喋らず、動かなくなったにも関わらず、カタリーナは彼にすがる。
その光景にカストはぞっと背筋を凍らせながら、確信した。
カタリーナ・レグラマンティは、自分自身以外を見ていない。
彼女以外の他人にも同じく感情があることを、まるで理解していないのだ。
それは本当に、寓話に出てくる妖精のように無邪気で邪悪だった。
「……カスト様、もう行きましょう」
「ヴァンダ嬢、だが……」
ふとかけられた声にカストは慌てて振り向き、そしてはっとする。
隣に立つヴァンダの顔はあまりにも寂しげだった。
哀しさと虚しさ、そして諦めを称えた目で母親を見、目を伏せる。
「行きましょう。もうここには用はありません」
「わかった……」
静かな声に、カストも同意した。
ヴァンダは視線だけでカタリーナとライモンド、そしてリンダを一人ずつ見回し、「後日また連絡します」とだけ告げた。
そのまま振り返りもせず、去っていく。
その言葉には誰も答えない。
カストは一度だけ友人の横顔を見つめたあと、すぐにヴァンダに続いた。
◆
古代遺跡から出て太陽の光を浴びると、ヴァンダは一つため息をついた。
「母方の祖父母はとても優しく気の利く方たちでした。口に出さずとも察して下さることが多く、先回りしてあれこれ用意なさるのです……」
だから母もはああなってしまったのでしょう、とヴァンダが苦々しく語る。
カストは彼女に追従し、無言でその話を聞いていた。
確かに彼女の祖父母も要因の一つなのだろうが、立ち直る瞬間はいくつもあったはず。
先ほど差し出されたヴァンダの手もそうだ。
怯えるばかりでそれら全てを振り払ってきたのはカタリーナである。
こうなった一番の責任は、彼女にあった。
しかしヴァンダはそれでも何か思うことがあるのか、悔しそうにうつむく。
「わたくしはどうすればよかったのかしら?何かお母様のために出来たことは……」
「ヴァンダ嬢は何も悪くない。こうなったのはカタリーナ夫人とライモンドの責任だ」
つい言葉がするりと口に出る。
これ以上彼女が自分を責める様を見ていたくなかった。
ヴァンダは肩越しに振り返り微笑むと「ありがとう」と告げる。
その瞳は柔らかでありながら、何処となく寂しげだった。
様々なものに傷つけられた彼女の心は、己の言葉などでは癒えないだろう。
どれくらいになるかもわからない長い時間が必要だった。
(もう少し上手くやれは……ヴァンダ嬢の心は楽になっただろうか……)
ヴァンダとカタリーナの確執を解消出来たら……。
ライモンドがカタリーナに心酔するのを防げたら……。
もう少し遠い時間に、自分が巻き戻れたら……。
(いや、やめよう……)
考えが膨大な数になりすぎて、カストは首を横に振った。
あれもこれもと欲張れない。自分の腕はそこまで長くも強靭でもないと、あれほど理解させられたではないか。
それに頼みの綱であるネックレスは、すでに粉々に砕けてしまっている。
カストは視線を胸元に向けた。
ずっとそこにあった重みがないのは、少し寂しい。
チェーンだけになってしまったそれを、感慨深く指でつまんだ。
「あ、そうだわ。カスト様、それよ」
「え?」
唐突に声のトーンが変わったヴァンダに、カストはぎょっとして目を瞬かせる。
彼女を見れば、好奇心に満ち溢れた瞳で己の指元を……つままれたチェーンを見ている。
「そのネックレスの石、砕けたのよね。さっきの現象ってやっぱりそれのせいだったの?」
「あ、ああ。そういや言ってなかったか……」
「あら、知っていることがあるのね。隠し事はなしよ」
そう言って悪戯っぽく笑うヴァンダは、まるで子供のように愛らしい。
その笑顔にカストはほっとして、そして頷いた。
「もちろん教えるよ。あんたに嘘はつきたくないからな」
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