第31話

 空は深い青に染まっており、日差しにもじりりとした暑さが含まれるようになった。

 先日通過した嵐から数週間、レグラマンティ領の夏は深まってきている。


 そろそろ外で本を読むにはつらい季節だな、とカストは文字を追っていた目を持ち上げる。

 白い雲がぽっかりと青い空に浮かんでいた。


 レグラマンティ家の庭にあるベンチで、カストはヴァンダの到着を待っている。

 しかし僅かに眠気があり、気を抜くとうたた寝をしてしまいそうだ。


 ここ最近、薔薇の保護とパン屋の屋根の改修を手伝っていたせいで疲れているのだ。

 まあそのおかげで、薔薇もパン屋も嵐の影響を受けなかったからよかったのだが。


「……ふぁ」

「カスト様!」


 唐突に名前を呼ばれて、カストは慌ててあくびを飲み込む。


 レグラマンティ家の門をくぐり、赤毛の令嬢がこちらに向かって歩いてきている。

 彼女……ヴァンダ・レグラマンティはカストに手を振って、朗らかな笑みを浮かべていた。


「お待たせしちゃったかしら。あら、退屈だったの?」

「……ちょっと疲れててな」


 目元に浮かんだあくびのなごりをヴァンダに見られ、カストは気恥ずかしく視線を逸らす。

 己の様子を微笑ましく見つめた令嬢は「失礼」と一声かけて、隣に腰を下ろした。


「ここ最近はずっと忙しかったものね。カスト様、ちゃんと寝ている?」

「それはこっちの台詞だ。領主の仕事は大変だろ?」


 カストの言葉に、ヴァンダは眉を垂れ下げて「まあね」と肩を竦める。


 ヴァンダ・レグラマンティは父、マルティーノ・レグラマンティのあとを継ぎ、領主の座についていた。


 しかしあの事件のあとである。

 危惧された通り、母親の浮気に加えて父親の横領もあり、彼女が後継ぎになることを反対する声もあった。


 たが現実問題、この地方の領主としての勉強をこなして、地位的にもふさわしい人物は彼女しかいない。

 勤勉で真面目なヴァンダである。

 着実に仕事をこなし、厳しい視線をかわしているそうだ。


「レグラマンティ卿はその後どうだ?」

「もうすぐ裁判がはじまるわ。でも……刑は軽くなるだろうって。カスト様のおかげね」

「そうか……なら、必死になった甲斐があったっていうもんだ」


 最後に見たレグラマンティ卿の、解放されたような笑顔を思い出してカストは微笑む。 


 当たり前だが、卿は司法にて罰を受ける事になっている。

 しかし横流しされた魔法遺物が取り戻されていることと、情状酌量の余地があることが認められている。

 数年の刑罰で彼は自由の身になるだろう。


 ちなみにあの古物商は、卿よりも重い罪で監獄に送られることは決定している。

 領主を脅したのだから、監獄に送られるだけで済んでよかったと思うべきだろう。


「お父様はわたくしに何度も謝ってくださったわ……少しだけ柔らかい表情をなさっていた……」

「卿も、肩の荷が下りたんだろうな」


 横領のこともそうだが、何よりも彼の重荷だったのはカタリーナ・レグラマンティだ。

 ヴァンダも自分の母親のことを思ったのか、「肩の荷か……」と呟いたあとため息を落とす。


「お母様は毎日ベッドで泣いているそうよ……メンディーニの名前を呼んで」

「……」


 その様子を簡単に思い浮かべることができて、カストもため息をつく。

 カタリーナ・レグラマンティ……今は離縁してカタリーナ・レボラは、生家にてほぼ軟禁状態で暮しているそうだ。


 彼女は人の人生を狂わせる。

 危険だとカタリーナの両親は判断したようで、今後決して他人と関わらせるつもりは無いとヴァンダに断言したらしい。


 ちなみにカタリーナに心酔していたメイド、リンダ・メランドリは解雇され、今は何をしているか不明だそうだ。


「お爺様たちはお母様を一生、生家から出すつもりは無いみたい……実質、終身刑みたいなものだわ……」

「そうか……その方があの人にとってもいいのかもな……」


 望む望まぬは別にして、もう二度とカタリーナを傷つけるものは現れないだろう。

 同時に、彼女が必死で名を呼ぶ『メンディーニ』もだが……。


(ライモンド……)


 カタリーナの呼ぶメンディーニ、がいったい誰のことなのかはわからない。

 たが彼女を愛した男の心は、もう決してカタリーナへは向くことはない。


(もっとライモンドの様子を気にかけてやるべきだったな…… )


 カストが思い出すのは、表情をなくして抜け殻のようになったライモンド・メンディーニの姿である。

 己が声をかけてもついに答えることはなく、友人は町を去っていった。


 実家であるメンディーニ家から、勘当されてしまったと既に噂が広まっている。

 メンディーニ家は多額の慰謝料をレグラマンティ家に払い、今後魔法遺跡発掘のパトロンとなることを約束させられた。


 彼は田舎にある小さな家だけを与えられ、一生こちらに関わるなと言い渡されてしまったのだ。


(ライモンドほどの正義感を持った男でさえ、道を誤る……いや、強すぎる正義感を持っていたから道が見えなくなったのか……)


 カタリーナだけを信奉し、しかしその愛が歪なものだと理解させられたライモンド。

 彼はようやく正義感に突き動かされるまま行動したため、視野が狭くなっていたことに気付いたのだ。


 ヴァンダの婚約者になったライモンドは、まず溝のある家族に違和感を持った。

 そして出会ったのが、泣きはらした目のか弱そうなカタリーナ。


 冷静なヴァンダや偏屈なレグラマンティ卿よりも、彼女が虐げられていると思っても仕方がないことなのかもしれない。


 しかしライモンドが見ていたものはただの結果に過ぎず、本当に心を病ませていたのはレグラマンティ卿。

 そして母に疎まれていたのはヴァンダだったのだ。


(レグラマンティ卿がああまで偏屈になって魔法遺物にのめり込んだのは、夫人に責められ続けたからとヴァンダ嬢も言っていた……)


 父と母は政略結婚だが、無理矢理な既成事実はなく、カタリーナも同意していたこと。

 どうやらライモンドの父が助けに来てくれると勝手に信じ込み、裏切られたと思ってさらに泣くようになったらしいこと。


 最後の話し合いでヴァンダからそれを語られたライモンドは、真っ青になりかたかたと震えていたらしい。


 だが知ったところで……何もかも遅かったのだ。


(ライモンドには同情はしたくないしするつもりは無い、が……ライモンドですら見えなくなったものがある……)


 カストが知るライモンド・メンディーニは本当に公明正大で誠実な男だった。

 今回の事件を知り、その所業に驚いたものも多い。


 皆の信頼を得ていた彼でさえ歩む道を間違い、正義感を折られた。

 その間違いをいずれ自分が犯さないとも限らない。


 ふ、と静かに息を吐くと、隣でヴァンダ嬢も同じように吐息をもらしていた。


「こんな形が家族の終わりなんて寂しいけど……もうどうしようも無かったのよね……」

「……少なくともあんたとレグラマンティ卿は終わりじゃねえさ。まだやり直せる」

「……相変わらず優しいわね、カスト様は」


 ヴァンダの言葉に、カストは目を細めて首を横に振る。

 自分は優しくなどない。

 例え優しさがあったとしても、手からこぼれ落ちてしまったものはたくさんあった。


「優しいやつはもっと要領がよくて……もっと上手く皆を救えたはずだぜ」

「そんな……カスト様は本当によくしてくれたわ。何も関係ないのに、巻き込んでしまって」


 ヴァンダには既に時の巻き戻りのことは話している。

 疑うことなく信じてくれたのは、魔法遺跡で過去の光景を目撃したからだろう。


 令嬢は申し訳なさげに目を伏せ、「本当に感謝しているの」と何度目かわからない礼をのべる。


「わたくしたちを放っておいても良かったのに、貴方は助けてくれたわ。貴方がいなければわたくしは今ここにいなかったもの」

「いや俺が勝手にやったことだ。ヴァンダ嬢が気にすることは無いさ」

「いいえ。それに、そのせいでお爺様からの贈り物も壊してしまって……」


 彼女の視線がカストの胸元へ……つい先日まで赤い宝石のネックレスがかかっていた場所へ転じる。

 すっきりした首元にいまだ慣れないが、贈り物が壊れたことを残念だと思わない。


「別に気にしてねえさ。爺さんから譲られたものはまだたくさんあるからな」

「でも、貴重な魔法遺物だったのでしょう?」

「あれがあったらまた使いたくなる。これで良かったんだよ」


 時を巻き戻せる魔法遺物。

 強大な力を持ったそれは便利であるが、もう手元に置いておきたいとは思わなかった。


 今回のことで手からこぼれたものを拾い集めるために、いつ暴走するかわからない。

 己だってライモンドのようにならないとは限らないのだから。


(じいさんもあれで時を戻したことがあるんだろうか……?)


 届け出が出ていればそれがどんな遺物だったか調べられるとヴァンダは申し出てくれたが、カストは断っている。


 今更それを調べても、祖父のことは知れない。

 祖父が己にこれを託した気持ちも、想像することしか出来ないのだ。

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