第1話「けもみみの女の子を拾いました」

蛇口をひねり水道から水を出すと、その水を両手で掬い顔にかける。


 冷たい水が気持ちよくて、寝ぼけていた脳や目を活性化させてくれる。


「うわぁ~、あちこちはねちゃってるな」


 洗面所に備えられている鏡に映る、自身の髪の毛の惨状を見て思わずそうぼやかずにはいられない。


 なんとか櫛やミストを使って髪の毛を整えていく。


「うん、これで良いかな」


 肩甲骨辺りまであるブロンド色の髪の毛を整え終えると、いつものように黒いリボンを取り出して、カチューシャのようにつけ頭のてっぺんの中央辺りでリボン結びをして結んでおく。


「これでよし。今日こそ合格もらわないとね」


 私――リンクス・アルファルドは気合いを入れてシリアルを掻きこむと、自宅をあとにした。


 私はおばあちゃんから喫茶店を継ぐために、ノウハウを教わりながら日々勉強に明け暮れていた。


 そして今日は、おばあちゃんからお店を継げるかどうかの試験をすると言われた日なのだ。この試験に合格しないとお店は継がせてもらえない。


 私は小さい頃からおばあちゃんが喫茶店を営業する姿に憧れていて、大きくなったらおばあちゃんの喫茶店を継ぎたいと考えていた。


 おばあちゃんは趣味で始めた小さなお店だったため、誰にも継がせず自分の代で終わらせるつもりだったのらしいのだが、私が頼み込んだらその熱意に折れたらしく、おばあちゃんの納得するコーヒーと軽食が出せれば、お店を継がせてくれるという話になったのだ。


 そう言った経緯があり、試験を受けることになったのだ。


 自宅から歩いて10分ほどの所に、おばあちゃんが経営しているその喫茶店はあった。


(頑張らないとね!)


 私は喫茶店の入り口の前で、気合いを再び入れると中に入った。


 中に入るとおばあちゃんがちょうどカウンターに立っていて、私を見るなり笑みを浮かべている。


「おっ、来たね。リンク」


「うん、来たよ。おばあちゃん」


 私はおばあちゃん――カエリ―・アルファルドにそう返すと、すぐさまエプロンを身に付け、試験を受ける用意をしていく。


「それじゃあ、見せてもらうよ。リンクの勉強の成果を」


「うん」


 私はおばあちゃんに頷きで返すと、「それじゃあ始めるね」と伝えると、おばあちゃんも、頷きで返すと新聞を読み始めている。


(あとは自分でやれってことだよね)


 おばあちゃんは優しくもあり、厳しい人でもあるので、助けるところは助けてくれるし、突き放すところはとことん突き放す人なのだ。


 私は深呼吸をして、意識を集中させると今回の試験内容を頭の中で整理していく。


 今回、おばあちゃんにチェックされることは、喫茶店を営業するうえで欠かせないコーヒーを淹れる技術と、軽食を作る調理の技術だった。


(まずはコーヒーからかな)


 私は手順を頭の中で復唱すると始めていく。


 鍋でお湯を沸かして、お湯が沸いたらそれをドリップポットへと移しコーヒー豆に最適な温度まで冷ましていく。


 一般的には95℃のお湯がコーヒーを作るのに最適だと言われていて、これによりコーヒーの持つ苦味、渋味、酸味、甘みをバランス良く抽出出来ると言われているからだった。


 温度計が最適な温度を示すと、私はドリッパーにコーヒーフィルターをセットして、焙煎したコーヒー豆を入れて(この時にコーヒー豆の粉が平らに入るように気を付けるのがポイントだと、おばあちゃんが言っていた)、ドリップポットでコーヒー豆を蒸らすようにお湯を少量注いでいく。


 コーヒー豆の膨らみが落ち着いたら、今度は少し広い範囲にお湯を注いでもう一度コーヒー豆を蒸らしていく。美味しいコーヒーを淹れるためには、この蒸らし行為も重要な工程である。まあ、全部おばあちゃんからの受け入りだけど。


 ここまで来たら、今度はようやくコーヒーの抽出を開始することが出来るのだ。


 中心から外側に円を描く形にお湯を注いでいき、また中心に戻るという作業を繰り返してコーヒーを下に落としていく。


 そして、最後にまたポイントがあるのだが、ここまで丁寧にお湯を注いでいたのだが、ドリッパーの下にあるサーバーの中身が淹れたい量の8~9割になったら、多めにお湯をさっと注がないといけないのだ。それと、最後のコーヒーはすべて落としきってしまってはダメで、それをやってしまうとコーヒーに変な雑味を与えてしまうことになる。


 私は抽出出来たコーヒーをカップに注ぐと、おばあちゃんの元へと持って行く。


「お待たせしました。ホットコーヒーです」


 私はカップをおばあちゃんの前に置くと、今度は軽食を作り始めていく。今日挑戦するのはミックスサンドだった。


 おばあちゃんからは、ハムサンド、たまごサンド、野菜サンドの三種類を作るように言われていた。


 食パンを取り出し、パンの耳を切り落として具材を挟んでいく。その間にたまごサンドに使うたまごを茹でていく。そして、包丁で半分に切って、お皿に綺麗に盛り付けていく。これでハムサンドと野菜サンドは完成となる。そして、今度は茹で上がったたまごの殻をむき、マヨネーズと塩を合わせてたまごサンドの具を作り、パンに挟んで先ほどのハムサンドと野菜サンドと同様に、半分に切りお皿に盛りつけていく。


「これで完成」


 私は完成したミックスサンドをおばあちゃんの元へと持って行く。


「お待たせしました。ミックスサンドになります」


「ふむ、それじゃあ審査させてもらおうか」


「うん」


 私はおばあちゃんが食べる姿を、固唾を呑んで見守っていた。


***************************


「はぁ~」


 私は先ほどのことを思い出して、思わずため息をこぼしてしまう。いまはおばあちゃんの試験が終わり、買い物を済ませ帰路についているところだった。


「やっぱり、料理がダメだったかぁ~」


 私は試験の結果に、やっぱりと思うと同時に悔しさも感じていた。


 先ほどおばあちゃんに告げられた試験結果は不合格だった。これで通算3度目の不合格だった。


 最初はコーヒーの方も不合格をもらっていたので、進歩があったと言えばあったと言えるのだろうが、まだまだ課題が多いのも確かだった。


私には喫茶店店員として致命的な欠点があった。


 それは料理が出来なかったのだ。おばあちゃんに喫茶店を継ぎたいと告げてから半年ほど、おばあちゃんの元でバリスタとしてのノウハウや、料理の技術を教えてもらっていたのだが、コーヒーを淹れる技術は上がっていると思うのだが(実際、コーヒーの方はギリギリで及第点をもらっているから)、料理の方だけは一向に上達していないように思えるのだ。


 家の方でも自主練はしているのだが、何が美味しいというのだろうかと、見失ってしまっている状態だった。


(本当に料理ってなんなの?)


 どこぞの哲学よと思わなくもないが、迷子になってしまっているものは仕方がないことだろう。


 私がそんなことを考えながら、料理の自主練で使う材料が入ったバックを持ちながら歩いていると、ポツリ、ポツリと頬に当たる水滴の感覚があった。


「あ~、やっぱり降ってきちゃったかぁ~」


 私はしとしとと降りだした雨を見て、そう口にしながら持ってきていた傘を広げている。


 もともと家を出る時から、空模様は怪しい感じはしていたので、今日は傘を持ち歩いていたのだ。結果として、こうして雨が降り出しているのでその時の考えは当たっていたのだが。


 しかし、私の気分は傘を持ってきていて正解だったと晴れるどころか、ますます憂鬱な気分に拍車をかけられてしまう。


 傘を差しているおかげで私自身は濡れないですんでいるが、何も差せない地面は濡れ次第に水たまりを作っていく。


 そんな水だまりに映りこんだ自身の辛気臭い顔を見て、私はもう一度ため息をこぼしてしまう。


(帰ろう。いつまでもこうして突っ立っていても仕方がない)


 私が気持ちを切り替えて歩き出そうと前を向くが、再び足は止まってしまう。


 なぜなら、目の前には――次第に雨は大粒へと変わっていっている――雨が降っているのにも関わらず、傘も差さないでマントのフードだけを被ってとぼとぼと歩く人の姿があったからだった。


 一応ここは目抜き通りになるため、人の往来は雨が降っていてもそれなりにあるのだが、傘を差していないのはその人だけだったので、余計目立って視界に映ったのだ。


(えっ……? ええっ……!? 多分あの子……女の子……だよね……? でも、どうして傘を差さずに歩いているの?)


私の頭は突然のことに混乱してしまう。そして、そんな混乱している中で、とあることに気が付いていた。


 それはそのフードの人物の頭に、2つの奇妙なふくらみがあることだった。


(まさか……獣人……族?)


 私がどうしよもなくそこに立ち尽くしていると、目の前に立つフードを被った人物が顔を上げこちらを見た。


 その瞬間、私は息を呑んでいた。


 フードの奥から覗くルビーのように輝く赤眼は、私を万有引力のように離さなかった。


(綺麗な瞳)


 そして、私は強くそう感じてしまう。


「……っ」


 目の前からは小さく息を呑む音が聞こえてくる。


 自分たちの間だけ、時が止まったようなそんな錯覚を覚えてしまう。しかし、雨がフードを濡らし染みを増やしていくのを見て、私は現実に引き戻された。その次の瞬間、私の体は自然と動いていた。


 フードを被っている人物との距離を詰め、そのフードを被っている人物を自分の傘の中へと招き入れる。ぐっと距離が縮まったことにより、さっきまでフードの陰で見えなかった人物の顔がうかがえる。


 プラチナブロンドの長い髪は毛先で緩くウェーブしていて、先ほど見えたルビー色の赤眼が不安そうに上目遣いでこちらを見ている。ふと、視界に映った小ぶりな唇は雨に濡れたせいか少し血色が悪くなっていて、ぶるぶると寒そうに震えている。


(やっぱり、女の子だったんだ)


 私はいまさらながらのことを思いながら、気が付いた時には口を開いていた。


「えっと……ここから家近いけど……来る?」


 この時、どうして自分がこうして声をかけてしまったのか、いまとなってもわからないけど、一つだけわかっていることがある。


 私はこの時フードを被った女の子――ステラのことを見捨てなかったことを後悔することはないだろう。


 だって、これが私とステラの出逢いだったのだから。

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