第14話「ケフェウスへ」



(あの時、どうして必死に手を伸ばさなかったんだろう? どうして慌てて電車に乗り込まなかったのだろう? もしかしたら、あの時他にもっとやるべきことがあったんじゃないだろうか? どうして…………どうして…………?)


 私は暗い部屋の中でベッドに寝っ転がり、腕で目を隠して昏い思考に囚われていた。


 ステラがここから出て行ってすでに一週間が経過しようとしていた。


 あの日から私はずっとそんな思考に囚われて、完全に私の時間は止まってしまっていた。何をする気も起きず、せっかくおばあちゃんから継いだ喫茶店も営業していない状態だった。


 こんな状態で営業なんてしていられないし、いまでもいわれのない噂はばらまかれていて収拾の目途が立っていない状況だった。


(本当にどうすればいいのよ……!? そもそもステラが何をしたって言うのよ!)


 心の奥底から怒りが湧いてくるが、この怒りの矛先をどこに向ければいいのかわからず、不完全燃焼を繰り返す日々が続いている。


(まるで廃人よね)


 私は自身の状態を省みて自嘲気味な笑みをこぼしてしまう。


 皮肉なものだとも思う。あの日から私の時間は止まってしまったというのに、私以外の日常は身勝手に進んでしまっている。


 完全に私は取り残されているのだ。


 いまでも思い出せる。


 電車の中でしていたステラの表情を。


 私はその時のステラの表情を思い出してしまい、いたたまれない気持ちになって掛け布団を頭で被り、両目をきつく閉じた。


 どうか、どうか夢の中ではステラと一緒にいられますようにと願いながら。


***************************


 どれぐらい寝ていたんだろうか?


 私は自身のお腹が鳴る音で目が覚めた。


 そのことに対しても、私の口からは自嘲的な笑みが漏れてしまう。


 こんな状態なのにちゃんとお腹が空くという事実に。


 何も食べたくないと思う反面、この一週間まともな食事といった食事をしていないので、体がついに限界を訴えているのだろう。


 その事実に私はどうしようもない悲しみが浮かんでくる。


 生き物が生を営むこととして、当たり前のことではあるのだが、それでもいまの私にとっては非常に煩わしいものだった。


 いっそこのまま無視を決め込んで寝てしまおうかと思ったが、ぐぅ~ぐぅ~鳴るお腹がうるさくて、それが煩わしかったので、仕方なくベッドから出ることにする。


 ベッドから出てキッチンへと向かい、冷蔵庫の中を見て私はそこでも失笑をこぼしてしまう。


 食材の管理はいつもステラがやってくれていたので、何が入っているかはわからなかったのだが、どうやら綺麗に使われていたらしく中は空っぽだった。


 唯一あるのは野菜だが、野菜は使わなさすぎてすでに腐っていてとても食べられるものではなかった。


 私はもういいやと思い、棚からシリアルを取り出すと、それをそのまま口の中に放り込んだ。


 当然、牛乳なんてものもないので、そのまま食べる以外の方法がなかったのだ。


 牛乳に浸って柔らかくなって甘みが増したシリアルも好きなのだが、牛乳に浸さないでカリカリのまま食べるシリアルも好きではあるのだが、今日のシリアルはとても味気なく、端的に言えばとてもまずかった。


 私は途中で食べる気力を失い、食べかけのシリアルを横に避けると膝を抱えて丸くなった。


(ステラの料理が恋しい……)


 本当にステラの料理は魔法みたいだったと、私はつくづく実感させられてしまう。


 どの料理を食べても幸せな気持ちで溢れて、どんな料理も飽きずに食べられた。


 いまごろステラはどうしているだろうか? 元気で過ごしているのだろうか?


 私はしばらくの間、膝を抱えたまま動けなかった。そんな中で、突然ガチャリと玄関の扉が開く音が聞こえてきたのだった。


***************************


「リンク、喫茶店も開かないで一体何をやってるんだい」


 果たして家に入ってきたのは、私のおばあちゃんだった。


 一瞬、ステラが帰ってきてくれたのかもと淡い期待を抱いてしまったが、変に期待した分、ショックも大きく、私はおばあちゃんがいるのも構わずに盛大にため息を吐いてしまう。


 おばあちゃんはおばあちゃんで、そんな私の態度を見て怪訝な表情を浮かべている。


 それはそうだろう。孫を叱りに来たのに顔を見られた瞬間、ため息を吐かれたのだから。


 それにいまの私の姿も拍車をかけたのかもしれない。いまの私はとても人に会えるような状態じゃない。


 久しく鏡を見ていないのでわからないが、きっと髪の毛はぼさぼさで、顔色も悪ければ、隈もすごいことになっているだろう。


 私は何とかおばあちゃんの方に視線を向けるが、何か言葉を返す気力はありはしなかった。


 そんな私の状態や部屋の状況を見てすべてを悟ったのか、おばあちゃんは静かに口を開いた。


「なるほど、ステラは故郷に帰ったんだね。それで、あんたは廃人状態と」


 ただおばあちゃんはありのままの事実を言っているだけだ。それは十分に私だって理解している。理解はしているが、その冷めた物言いにものすごく腹が立ってしまう。


 こんなの体のいい八つ当たりだってこともわかってるけど、それでも腹が立つのは抑えられそうにはなかった。


 思わず感情のまま怒りをおばあちゃんにぶつけそうになった瞬間、その前におばあちゃんがさらに口を開く。


「このバカ! そんなにステラが大切だったら、どうしてずっと握っていなかった! 捕まえていなかった! 支えてあげなかったんだい! あんたのことだからきっと、黙って帰るのをそのまま見送ったんだろ」


 おばあちゃんの言葉が容赦なく私の心に突き刺さり、私は何も言い返せないでいた。


「ステラの悪い噂が流れていることは、当然あたしの耳にも届いていたさ。でも、あんたが獣人族の子とお店をやるって言うからには、これも試練の一つだと見守っていた。だけど、あんたは見事にその試練を乗り越えられなかった。覚悟が足りなかったじゃないのかい」


「べっ別にそんなことないよ! 覚悟はしてたよ!」


「嘘だね。ここは他の街に比べて、獣人族に対しては温厚だ。だけど、比較的に温厚ってだけで、真に平和ってわけじゃない。あんたはそこを甘く見てたんだよ」


 次から次へと繰り出されるおばあちゃんの正論に、私は反論の意識を削られていく。そもそも最初から反論したところで意味がない。


 私が何も言えないでいると、おばあちゃんは静かに息を吐きだした。


「まあ、説教はここまでにするとして、リンク」


 ふと表情を緩めたおばあちゃんは、こっちを優しいまなざしで見ている。


 そんなおばあちゃんの表情を見て、私はいきなりの変わりように驚いてしまう。


「リンク、あんたはどうしたかったんだい?」


 おばあちゃんのその優しい問いかけに、私はまじまじとおばあちゃんの顔を見てしまう。


 おばあちゃんの真意を図りかねているのだ。


(おばあちゃんは、どうしてそんなことを聞いてきたんだろう?)


 私が疑心暗鬼に陥っていると、再びおばあちゃんが口を開いた。


「何も飾らなくていい。リンクの思ったままのことを口にすればいいさ」


 おばあちゃんに聞かれた時、私の中には咄嗟に浮かんだ答えが一つだけあった。


 しかし、その答えはとても独りよがりで、おばあちゃんの気持ちも裏切ることになるかもしれないと思って口に出来なかった。だけど、おばあちゃんが思ったままのことを口にしろと言ったので、私は思ったままの気持ちを口にする。


「私は……私は……」


 言っていいのだろうかという気持ちが寸前まであって、私は最後まで悩んでしまうが、でも、この気持ちは嘘ではないと思い素直に口にすることにする。


「私はステラと一緒に喫茶店をやりたい! 悲しんでいるステラを放っておくことなんて出来ないよ!」


 こんなに声を張り上げたのは久々かもしれない。


 ヒリヒリと喉がひりつく感じがする。


 私は真っ直ぐに、私と同じサファイア色をした瞳を見つめる。


 しばらく無言で見つめ合っていた私たちであったが、やがておばあちゃんが表情を緩めたのを見て、私たちの見つめ合いは終了を告げる。


「ふ、ならリンクのやるべきことは一つだろうに。いつまでもうじうじといじけてるんじゃないよ」


 おばあちゃんの言葉に、私は「うん」と頷いて立ち上がる。


「少しはマシな面になったじゃないか。だったら、早く顔洗って着替えたら、ステラのことを迎えに行って来な!」


「うん、ありがとうおばあちゃん!」


 私はおばあちゃんにお礼を告げると、洗面所に駆け込むのだった。


***************************


 久しぶりに見た自分の顔は、予想よりもひどい顔をしていた。


 これまた久々に洗面器に水を張り、顔を洗ったら歯を磨いて、ものすごくぼさぼさになってしまっている髪の毛をミストを使って整えていく。


 そして、最後にいつも使っている黒いリボンを取り出して、いつものように頭のてっぺんでカチューシャのようにつけるとリボン結びをして留めている。


 服装も外行の格好に着替えて、バックに簡単な荷物だけをまとめて私は玄関で、靴紐をぎゅっと結び直す。


 そして、玄関を出ようとすると、「リンク」とおばあちゃんに呼び止められる。


「おばあちゃん?」


「リンク、あたしはあんたがどんな答えを出したとしても、否定はしないよ。だから、あんたの誇れる答えを出すんだよ」


「おばあちゃん。うん、私の誇れる答えを見つけてくるよ」


 私はそのおばあちゃんの言葉に力強く頷いた。


 そんな私の反応に、おばあちゃんも満足そうに頷いている。


「それじゃあ、リンク。行って来な。店のことは気にしなくていい」


「うん、本当に色々ありがとう。それじゃあ、いってきます」


 私はおばあちゃんにそれだけ告げると、家をあとにするのだった。


 駅のプラットホームに立ち、電車が来るのを待っている。


 あの日、ステラはどんなことを考え、どんな気持ちでここに立っていたのだろう?


 私にはきっと想像することも出来ないだろう。


 私はステラのことを知っているように思えて、そんなに知らなかったんだっていまさらながら思い知らされてしまう。


 私がそんなことを考えていると、プラットホームに電車が到着したベルが鳴り響く。


(この電車に乗れば、ステラの所に行けるんだ)


 目の前に電車が止まり扉が開く。


 そう言えば、私がこの街から出るのは何気に初めてのことかもしれない。大体の用事は、この『カシオペヤ』で済んでしまったため、出る必要もなかったのだ。


 電車に乗り込み、私はがらがらの車内の空席に腰を下ろす。


(『ケフェウス』がどんな村なのかはわからないけど、行ってみるしかないよね)


 再びベル音が鳴り響いたかと思うと、電車がゆっくりと動き出した。


 私は無意識のうちにぎゅっと拳を握っているのだった。

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