第13話「消えない焦げ付き」
(私のせいだ。私が油断していたから。私が気づけなかったから。ステラが傷ついているってことに……私はばかだ。大ばか者だ)
私は走りながら後悔しか出てこない。
洗い落とせなかった小さな焦げ付きは、やがて、確かな焦げ付きとなって、ステラの心に大きな傷として残ってしまったのだろう。
(そんな状態になるまで気が付かないなんて、本当に私は……)
私は再び泣きそうになるのを何とか堪えると、がむしゃらに走って行く。
ステラが向かった場所にはいまだに心当たりはないが、ステラがこの街『カシオペヤ』に来てからは、まだ2ヵ月ほどしか経ってはいないので、ステラにはこの街の土地勘はないはずだ。
だからこそ、私はそんなステラでもわかっていそうな場所をしらみつぶしで探していってはいるのだが、ことごとく外れているという感じだった。
(ステラ、本当にどこに行ったの?)
私の中にあった淡い希望は、次第に絶望へと変わっていく。
初めのうちは心当たりの場所をいくつか回れば、どこかにはステラがいるのではないかと思っていた。しかし、結果はそのどこにもステラの姿はなく、いよいよ手詰まりになり始めてしまったのだ。
私はステラのことを知っていると思っていたのに、まったく知らなかったことを自覚させられてしまう。
結局、私はステラの優しさに甘えていたということだろう。
私がどうしようもない想いを抱きながら、いつもの道すがらである目抜き通りを歩いていると、「おい、リンク」と少し慌てたように声をかけられる。
私がなんだろうと思い視線を声のした方に向けると、そこには声と同様に慌てた様子のいつもステラがさつまいもを買っていた青果店の店主であるオルスさんの姿があった。
「あっ、オルスさん。すみません、急用じゃないのなら私急いでるので失礼します」
誰かと話している暇があったら、少しでも多くの場所を探して回らなきゃとの判断で、私はオルスさんにそう返したのだが、オルスさんはそんな私の失礼な態度にも気にした様子はなく、「待て待て」と呼び止められる。
「お前さん、もしかしてステラちゃんと何かあったんじゃないか?」
そのオルスさんの言葉に、私は過剰に反応してしまう。
「オルスさん! ステラがどこに行ったか知ってるの!」
「やっやっぱり、何かあったんだな。いやさ、ステラちゃん、さっき泣きながらこの道を歩いていたんでな。声かけようにもかけられる雰囲気でもなかったしな」
「ねえ、ステラどこに行ったの!?」
「少しは落ち着いたらどうだ。お前さんたちの間で何があったかは知らないが、いまのリンクは普通じゃないぞ」
その諭すようなオルスさんの声音に、私は歯噛みせずにはいられない。
(そんなことは指摘されなくてもわかってる。だけど……だけど……ステラが出て行ったという事実を目の当たりにして普通でいられるわけないし、こうしているいまもなお、ステラの中に刻まれた焦げ付きは、ステラ自身を傷つけている。だからこそ、早く、なるべく早く見つけ出してあげないといけないんだ!)
オルスさんは私のただならぬ雰囲気を見て、ため息を呑み込んだような、そんな苦い顔を浮かべながら、もう一度言葉を吐き出した。
「リンクもう一度言うぞ。少し落ち着け。確かに俺はお前さんたちに何があったのかは、想像するしか出来ない。けど、ステラちゃんが泣きながら大きな荷物を抱えて駅に向かって歩いていたんだ。何かステラちゃんにとって衝撃的なことが起きたってことだろ。だから、そこにお前さんまでそんな表情で会いに行ったら、ステラちゃんだってキャパオーバーしちまうって。だから、お前さんだって落ち着くのは難しいかもしれないけど、お前さんは落ち着かないといけない。ステラちゃんを慰めたいならなおさらな」
「うっうん。すみません、オルスさん。とにかく、ステラを見つけ出さないといけないと思って、全然周りが見えてなかったし、全然ステラのことを考えているようで考えられていなかったと思う」
私はオルスさんの言葉に目から鱗が落ちるほどの衝撃を受け、確かにその通りだったと思い直す。
「まあ、リンクにとっても予想外で衝撃的な状況だから、余裕がないのも無理はないけどな。よし、いつものリンクの目に戻ったな。ほら、早くステラちゃんを迎えに行ってやんな」
「ありがとう、オルスさん」
私はオルスさんに向かって一礼すると、ステラが向かったという駅に駆け出して行くのだった。
***************************
「はぁ~」
ステラは駅のプラットホームに設置されているベンチに座り、電車が来るのを待っていた。
ステラが乗ろうとしている電車の便は少なく、一時間に一本ほどしか走ってはいないのだ。
勢いで出てきてしまったが、本当にこれで良かったのかと先ほどから自問自答を繰り返してしまうが、結局はこれで良かったのだという答えに行き着いてしまう。
(リンクちゃんのためだもん。きっとこれが正しいんだ。リンクちゃんに迷惑かけないようにするために……)
ステラは自身の胸が痛むのを誤魔化すかのように、自分自身にそう言い聞かせていく。
(もともとわたしは獣人族で、リンクちゃんは人間族だ。最初から上手くいくはずなんてなかったんだ。それをわかっていて、わたしはリンクちゃんの優しさに甘えてしまった)
そこまで考えて、ステラは再び溢れそうになってしまった涙を何とか堪えると、心の中でリンクに向けての謝罪を繰り返していく。
(ごめん、ごめんね、リンクちゃん。わたしはただ……ただ……、リンクちゃんに喜んで欲しかっただけなんだ……)
ステラとしては、ただただ純粋に助けてくれたリンクに恩返しがしたかった。大好きなリンクの役に立ちたかった。ただただその一心だったのだ。
それがまさか、ここまでの大事になってしまうとは思わなかったのだ。
ステラが駅に向かうまでの道すがらでも、自分の料理に対する悪評はちらほらと聞こえてきていた。
そこまではまだいい。まだいいのだ。やはり、獣人族という大きな壁が立ちはだかってしまっているということだから。
ステラが一番堪えられなかったのは、料理に対する悪評の中に、明らかにリンクに対する侮蔑が含まれていたことだった。
(リンクちゃんは何も悪くないのに、リンクちゃんが悪者にされていた)
どうやら、その悪評の中でリンクは、獣人族を匿い、さらには得体の知れない物を販売し食べさせた、いわばこの事態の元凶であるという完全な悪者にされていたのだ。
それがステラとしては、一番堪えられなかったのだ。
(すべてわたしのせいだ)
ステラが昏い思考に囚われていると、プラットホームに電車のベルが鳴り響き、プラットホームに一台の電車が入ってくる。
その電車はステラの故郷である『ケフェウス』行の電車だった。
ステラはその電車を見ると、ベンチから立ち上がり電車の扉の前に立った。
ステラの右手には、しっかりと大きめのバックが握られている。
もう二度とここに戻ってくることはないと思うと、再びステラの胸は痛みだしてしまうが、これもリンクのためなら堪えられると思い直しこの気持ちにふたをする。
本音を言えば、これからももっとリンクと一緒にいたかった。ずっと一緒に喫茶店の営業をしていたかった。だけど、どうしたって叶わないことだとステラは自覚していたので、心のどこかで諦めてしまっていたのだ。
やがて、電車の一両がステラの前に止まり、その扉が開いた。
「バイバイ、リンクちゃん……」
ステラは名残惜しそうに口内で呟くと、扉を潜り車内に入ると、入り口の付近にそっと佇む。
この街『カシオペヤ』の景色を見ることは、今日で最後になってしまうため、この目に焼き付けておこうと思ったのだ。
『間もなく発車いたします』
車内アナウンスが流れ、その次に『ドアが閉まります』とのアナウンスも聞こえてくる。
そのアナウンスを聞いて、ステラは自身が故郷に帰るということを改めて自覚する。
その事実がさらにリンクとの別れを意識させられて、この前泣ききったはずの涙が再び溢れてきそうになってしまう。
ステラは泣くもんかと思い、なんとか涙を堪え景色を焼き付けるために、窓の外に視線を向けるが、そこで目にした光景に両目を見開いてしまう。
なぜならそこには、あり得て欲しいけど絶対にあり得ないと思っていた光景があったからだった。
いや、あり得なくはなかったのかもしれない。だけど、今回の行動はあまりにも身勝手で、あまりにも独りよがりな行動だったために、ステラが無意識的に排除してしまった考えだったのだ。
ドアが閉まった先には、膝に手を突いて息を整えるリンクの姿があった。
「リンクちゃん……!」
リンクの姿を見たステラは思わず手を伸ばしてしまうが、もう扉は完全に閉まっているため、手を伸ばしても意味がなく、電車もゆっくりと動き始めてしまう。
ああ、これで本当のお別れなんだとステラが感じていると、息を整え終えたのか、顔を上げたリンクのサファイア色の瞳と、ステラのルビー色の瞳が静かにお互いの存在を捉えていた。
ステラのことを視界に捉えていたサファイア色の瞳には、ただただ純粋な困惑の色が浮かんでいた。
「ごめんね、リンクちゃん……」
次第に速度を増して、次から次へと過ぎ去っていく景色の中、ステラはもう声が届かないとわかっていても、そう口にせずにはいられなかった。
最後にステラの視界に映ったのは、リンクが虚しく空に手を伸ばす姿だった。
***************************
私が駅のプラットホームに駆け付けると、すでにプラットホームにはステラの姿はなく、代わりにいたのは発車寸前の電車が一台あるだけだった。
私が膝に手を突いて上がった息を整えていると、止まっていた電車が走り出してしまう。
「まっ待って……!」
私が慌てて顔を上げると、そこには扉の前に立つステラの姿があった。私の姿を見たステラは、驚愕の表情を浮かべている。
私は無意味だとわかっていても、ステラに向けて手を伸ばさずにはいられなかった。
伸ばした手は当然のことながら、虚しく空を切るだけだった。
(わかってた。手を伸ばしたってステラに届かないってことわ。だけど、それでも手を伸ばさずにはいられなかった。だって、あんなステラの悲しそうな表情を見たのは、あの夜に泣いていた時以来だ)
私は伸ばしていた手を、自身の胸に引き寄せると、その姿勢のまま歯噛みをしてしまう。
(絶対に一人にしちゃいけなかったのに……)
後悔があとからあとから押し寄せてくる。
本当に私はばかだ。
私は駅員に声をかけられるまで、その場に立ち尽くしていることしか出来なかった。
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