第10話「黒い噂」

         


 私は来店してくれたビスタさんやレミちゃんを席に案内すると、注文を取っていく。


「ホットコーヒーとオレンジジュース。それとスイートポテトお二つですね。かしこまりました。ただいまご用意しますので少々お待ちください」


 私は2人に一礼すると、すぐさまカウンターに戻って注文された商品を用意していく。


 いつも通りに私が飲み物を用意して、ステラが食べ物を用意していく。と言っても、今回の注文の品はスイートポテトだけなので、食べ物系の用意はすぐに終わってしまうのだが。


 手間がかかるのは私のコーヒーだけだったので、手が空いているステラは、私がコーヒーを淹れている間に、レミちゃん用のオレンジジュースの準備をしていてくれている。


 私はそんなステラに感謝しながらコーヒーを淹れることに集中していた。


 そして、商品の用意が出来たら、私とステラの2人でビスタさんとレミちゃんの元に運んでいく。


「お待たせいたしました。こちらホットコーヒーとオレンジジュース。それと……」


「……スイートポテトになります」


 私の言葉に続いて、ステラがそう告げて2人の前にスイートポテトが乗ったお皿を置いていく。


「ありがとう、リンクさんにステラさん」


「ありがとう、リンクおねえちゃんにステラおねえちゃん!」


 ビスタさんの声に続けるようにして、レミちゃんも私たちにお礼を告げてくれるので、私の頬は自然と緩んでしまう。


 私の隣に立っていたステラはすかさず2人に「ありがとう」と笑顔で返しているので――それにステラのふさふさの尻尾も上機嫌に大きく振られている――、2人の来店が本当に嬉しかったのだろう。


「本当はもっと早くここに来たかったんですけど、いつも満席で忙しそうだったので、遠慮していたんですよね」


「あ~、そうですね。最近はステラのスイートポテトが話題になって、お客さんが殺到していたってのはありますかね」


「ステラさんのスイートポテト、地方新聞に掲載されていたものね。その効果が大きかったのかしら」


「えっ? そうなんですか?」


 私はビスタさんの言葉に、素直に驚きの声をあげてしまう。対してビスタさんは「知らなかったんですね」と言いながら説明してくれる。


「ええ、やっぱりステラさんが作るスイートポテトは、この街では珍しいですから。話題性には抜群だったんでしょうね」


「確かに、ステラが来るまでスイートポテトなんて料理は知りませんでしたからね」


 スイートポテトはもともとステラの故郷『ケフェウス』の料理だ。ステラ曰く、そのステラの故郷『ケフェウス』はすごく閉鎖的な村で、他の街などとの関りを持っておらず、そこの料理や特産品などがよその場所に伝わることもなく、さらに言えば外部の者が『ケフェウス』に入ることはとても難しいことだという。


 なんでも、『ケフェウス』の村では村全体の獣人族で一つの家族だという考え方があり、群れをとても大切にしている種族だというのだ。


 しかし、だからと言って束縛するとかではなく、村から出て行きたいというものは止めず、また戻ってきた者も温かく迎えることになっているのだとステラが話していた。


「ふふ、そうですね。かく言う私もここに来るまで知りませんでしたし、それに街を歩いていても、ステラさんのスイートポテトの話題で持ちきりですものね」


 そう話すビスタの顔が、少し陰るのをリンクは見逃さなかった。


「ビスタさん? どうかしたんですか?」


 ビスタのそのリアクションに、リンクは首を傾げてしまう。


 そんなリンクの言葉に、ビスタは言いづらそうに最初はしていたが、「ビスタさん」とリンクがもう一度名前を呼んだら、諦めたように口を開いた。


「実は、その地方新聞にステラちゃんのスイートポテトが掲載された辺りから、評判が広がる反面、良くない噂も流れてるみたいでね」


「良くない噂ですか……」


 まさかのビスタさんからの言葉に、私の心が波打つのを自覚する。隣ではステラが表情を曇らせていた。


 それも当然だろうと思う。自分の料理の良くない噂が流れていると言われているのだ。誰だってこんな表情になってしまうだろう。


 ビスタさんは私たちの様子を見て、本当に申し訳なさそうにしながら話を続けてくれる。


「多分、誰かのやっかみか何かだとは思うけど、何でもステラさんの料理には、得体の知れない物が使われていて、みんなそれに騙され洗脳されているんだって。そもそも、ステラさんの故郷である『ケフェウス』自体知られていないことが、その噂に拍車をかけてるみたいなんです」


 『ケフェウス』の閉鎖的な風習が、ここで仇になるなんてと、私は目からうろこの衝撃を受けてしまう。


「そんなのただの言いがかりじゃないですか!」


 私は内側から湧いてきた怒りを隠すことも出来ず、語気を荒げてしまう。


 そんな私の態度にも、ビスタさんは特に気分を害した様子もなく、むしろ、私の怒りは最もだと納得したような表情で話を続けてくれている。


「まったくもってリンクさんの言う通りですよ。ステラさんの料理にそんなものは入っていないって確信できますし、そもそもの問題としてステラさんの人柄を考えれば、そんなことはないって一目瞭然のはず。だから、完全にやっかみや僻み、妬みなどの類でそんな噂が広められてるんだと思います」


「たったそれだけのことでそんな噂が広められるなんて、本当に信じられない」


「そうですよね。リンクさんにはあまり馴染みがないからそう思うのは当然のことだと思います」


 そのビスタさんの含みのある言い方に、私はどこか引っ掛かりを覚えてしまうが、その引っ掛かりはすぐさま解消することになる。


 なぜなら、その理由は私とステラが初めて会った日にステラに話したことだったら。


そうだ。私たち人間族と獣人族の間には決して交わることのない認識の差がある。この街『カシオペヤ』は比較的に獣人族に対して優しい街と呼ばれているが、あくまでもそれは呼ばれているだけであり、まったく獣人族との間に壁があるかどうかと言われれば、それはまた別の話になってしまう。


 つまりそれは、あくまでも他の街に比べて優しいというだけであって、少数でも獣人族のことを良く思わない人がいるということも意味していることになる。


(ビスタさんは明言をしていなかったけど、その噂の中には獣人族が作った料理なんてと卑下する内容も含まれていたはずだ)


 私の隣に立つステラは何も言わずただただうつむいてしまっている。でも、私は気づいていた。


 ステラの両肩が小刻みに震えていることを。必死に泣くのを我慢していることを。


 そんなステラの姿を見て、私は噂を流したどこの誰かもしれない人に、激しい怒りを覚えてしまう。それと同時に自分自身にも怒りが湧いてくる。


(どうしてこの状況を予想しなかったのか。少しでも考えればわかったことではなかったの!? いまの状況を予想していれば、ステラを傷つけることもなかったはずなのに!)


 怒っても仕方がないことだということも、少しだけ残った冷静な部分で理解はしていた。だが、それでも、それでも私は自分を許すことが出来そうにはなかった。


(なんで? どうして?)


 疑問の言葉ばかりが、私の頭ではぐるぐると回っては消え、回っては消えを繰り返している。


 そうして、ようやく出てきた言葉は何とも頼りないものだった。


「……ステラ、こんな噂なんて気にすることなんてないよ」


 何ともありきたりで薄っぺらくて、自分でも苦笑してしまうほどの言葉。


 それでもステラは、そんな私の言葉に顔を上げると、泣き出すように笑って、ただ一言「ありがとう」とだけ言葉をこぼすのだった。


 そんなステラの姿を見て、私の心はぎゅっと締め付けられるような痛みに襲われ、咄嗟に掴んだステラに手は驚くほどに冷え切っていた。その事実がさらに私の胸をぎゅっと軋ませる。


***************************


 申し訳なさそうに帰ったビスタさんを見送り、ステラの状況も考えて、今日はもう喫茶店を閉じることにした。


 スイートポテトは結局、予定していた数の四分の一ほどしか売れず、廃棄するのももったいなかったので、冷凍して食べられる限りには食べて行こうということになった。


 やはりというべきか、当然というべきかビスタさんが帰ったあとのステラの様子は元気がなく、いつもは色々な感情に合わせて忙しなく揺れている、ステラのふさふさの尻尾はあのあとから元気がなさそうに垂れ下がってしまっている。


 それに私が話しかけても、返ってくる言葉はどこか覇気がなく、上の空の言葉ばかりだった。


 さらにいつもは失敗しない料理でも、初歩的なミスを何度もしてしまっていたので、ステラが負った心の傷は相当なものだと言えるだろう。


 そんなステラのことを見ていることしか出来ない私はなんて無力なんだろう。


 異変に気が付いたのは、早めに休もうと話して、ベッドに入ってから30分ぐらい経過してからだった。


 部屋のどこからか押し殺しているが、かすかにすすり泣く声が聞こえてきたのだ。


 それがステラが泣いている声だということはすぐにわかり、気が付いた時には私はステラの布団に入り込み、ステラのことを背中から抱きしめていた。


 私が抱きしめた瞬間、ステラは驚いたように肩を跳ねさせている。だけど、驚いたのは最初だけで、少し経つと安心したように体を預けてくるステラに、私は愛おしさを強く感じて、さらにぎゅっとステラのことを抱きしめる。


「ステラ、泣きたいときは泣いて良いんだよ」


 そんなことしか言えない自分にまた無力を感じてしまうが、いまはただステラのことを泣かしてあげることが正解だと思ったのだ。


 私の言葉を聞いたステラは、小さく息を吸うと声をあげて泣いている。


 ステラが泣いている間、私はステラの背中をさすっていた。


「ごめんね、リンクちゃん。取り乱しちゃって」


「ううん、あんなことがあったんだもん。そうなって当然だよ」


 ステラが泣き止むと、私とステラは至近距離で見つめ合っていた。


 自分の料理の良くない噂が流れていると言われたのだ。ステラのこの反応は至極当然と言えるだろう。それに、言われた時に泣くことを堪えていたことも私は知っている。


 だから、むしろ、ステラがこうして泣いてくれて安心しているというのも、私としては事実だった。


「……うん」


 しかし、泣いてすっきりしたかと思ったのだが、ステラの表情はいまだに晴れてはいない。


「ステラ、あんな噂気にすることないよ」


「……うん、そうだけど……でも、わたし……わたしのせいでリンクちゃんに迷惑かけちゃったし、わたしの料理に意味も価値もなくなっちゃった。誰かを笑顔にできない料理なんて、意味ないから」


 そう悲しそうに微笑むステラの姿を見て、私は何ともいたたまれない気持ちになってしまうが、それでも一つだけ言えることがあると私は思っている。


「意味がなくなんてないよ」


「えっ……?」


「だって、だってさ、私にとってはさ、ステラの料理は笑顔になれる料理だもん。ううん、私だけじゃない。ビスタさんやレミちゃんだって、ステラの料理を食べて笑顔になってる。だから、ステラの料理が意味がないなんてことはないよ。だからさ、意味がないなんてそんな悲しいことを言っちゃダメだよ」


 それは紛れもない私の本心だ。


 ステラの料理を食べて笑顔になれる。幸せだって思える。ステラの料理に出会えたからこそ、私は料理の本質と言うか大切なことを知れたのだ。


 胃袋を完全に掴まれていることは自覚していたが、自覚したうえでなお、ステラの料理はとても魅力的なものだった。


 だから、ステラの料理が意味がないなんてことは絶対にありえない。


 私の言葉に、最初は呆けたような表情を浮かべていたステラだったが、やがて元の元気なとまでは言わないが、淡く微笑んで「うん」と頷いている。


 そんなステラの笑顔を見て、私はもう大丈夫なんだと思い、そんなステラに微笑み返す。


「だからステラ、明日もよろしくね」


「うん、よろしくリンクちゃん」


 いつものように言葉を交わしたのを見て、これで元通りのステラなんだと私は感じていた。だからこそ、私は油断してしまったのだ。

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