第2話「狐族の少女――ステラ」


(……って、何やってるんだ私!)


 私はリビングにあるテーブルに突っ伏しながら頭を抱えてしまう。


 どうして見ず知らずの女の子をこうして家に上げているのかが、自分でもわからなかったからだ。


(人付き合いは苦手なはずなのに、どうして私はあんなことを言った挙句、こうして家に上がらせて、なおかつお風呂まで貸しているのだろう……)


 彼女はいまお風呂に入って体を温めている。


 家に上げた時、かなり雨に濡れていて体の芯まで冷え切っていたので、遠慮する彼女を無理矢理お風呂に入れたのだ。


 お風呂場からはいまもシャワーが流れる音が聞こえてくる。


(無理だった。あの赤眼に見つめられたら、放っておくことなんて出来なかった)


 それほどまでに、あの赤眼には引き寄せられる魅力があった。


「はぁ~」


 私は思わずため息を吐いてしまう。状況を考えれば、ため息をこぼさずにはいられなかった。


「よし! コーヒーでも淹れよ!」


 じっとしていても落ち着かないので、私はコーヒーを淹れることにする。


「あの子もお風呂上りで喉が渇いてるだろし」


 私は少し迷ってアイスカフェオレを作ることにする。


 先ほどおばあちゃんの試験でやったようにお湯を沸かして、ドリップポットにお湯を移して最適な温度まで冷まして、ドリッパーを使ってコーヒーを抽出していく。先ほどと違うことは、今回はコーヒー単体で飲むわけではなく、牛乳でコーヒーを割るので濃い目にコーヒーを淹れないと、味がぼやけてしまうことだった。その調節もバリスタ(まだ見習いではあるけど)としての腕の見せ所だ。


「うん、大体こんなものかな」


 コーヒーの抽出が済んだら、今度は氷を使ってコーヒーを急冷させていく。それが出来たら、グラスに牛乳とガムシロップを入れよく混ぜ合わせたら、そこに氷を入れて、冷ましたコーヒーをゆっくりと焦らずに淹れていく。


 この時にゆっくり丁寧に淹れていかないと、綺麗な2層は出来ないのだ。


「うん、問題ない出来かな」


 アイスカフェオレが綺麗にできたことに満足していると、どこか控えめな足音が聞こえてくる。どうやらあの少女もお風呂から上がったようなのだ。


(うん、ナイスタイミングね)


 我ながらぐっとタイミングと思いながら、私は少女の方に視線を向けた。その少女はちょうどリビングに入ってくるところだった。


 そんなお風呂上がりの少女の姿を見て私は固まってしまう。服は洗濯しないといけなかったので、間に合わせで私のパーカーをパジャマ代わりとして貸したのだが、裾から覗く健康的な生足や、お風呂上がりで蒸気する頬などに艶っぽさがあり、つい心臓がどきりと跳ねてしまう。


「あの、お風呂ありがとうございました」


「ああ、いえいえ。温まれたのならいいわよ」


 私は動揺を隠しながらそう返して、改めて少女のことをまじまじと見てしまう。


 プラチナブロンドの髪の毛を胸の辺りまで垂らし、タレ目気味なルビー色の瞳が不安そうに揺れていて、先ほどまで血色が悪そうだった唇は、いまでは綺麗な桜色になっている。そして、なによりも少女の容姿で目を引くのが、頭の2箇所から生えている白い耳とお尻から生えている白いふさふさの尻尾だった。


「あなたって、やっぱり獣人族だったのね」


 半ば予想していた通りではあったのだが、いざ実際に見てみると私は少し驚いてしまう。


「驚かせてごめんなさい!」


 対してその少女は、私に怒られたのかと思ったのか勢いよく頭を下げている。


「ああ、いえ、別に怒ってるとかじゃないから頭を上げて。ただこの状況に対して驚いているだけだから」


「そうなんですか?」


「うん、そうだよ」


 私の肯定の言葉を聞いた彼女はほっと肩を撫で下ろしている。


(そりゃあ、そうなるよね)


 獣人族はほぼほぼ私たち人間族と変わらず、耳と尻尾がついてるかの違いだけだった。しかし、獣人族は人間族に比べると下に見られる傾向がある。私が暮らす街『カシオペヤ』は比較的獣人族に優しい街と呼ばれてはいるが、よそでは獣人族というだけで迫害しているところもあると聞いたことがある。それに、裏の世界では、獣人族の女性や子どもは愛玩動物として人気が高く違法で高額な取引が行われている場合もあると聞く。


 こういった経緯があり、獣人族はそれぞれの種族で部落を作り生活していることが多い。中にはこうして獣人族を歓迎している街などで暮らしている獣人族もいるが。


(そう言えば、この街は比較的に獣人族がいる割合が多いんだっけ)


 私はぼんやりとそんなことを思い出していた。


「ああ、そうだ。喉渇いてない?」


 私の唐突な質問に、彼女は驚きながらも遠慮しがちに「……渇きました」と答えている。


「そうだよね。そうだと思って、はいこれ。カフェオレ入れたんだけど飲む?」


「……はい、いただきます」


 遠慮がちに私からグラスを受け取ると、これまた遠慮がちにグラスを口に運び一口飲んでいる。そして次の瞬間、彼女の毛が逆立っているのではと錯覚してしまうほどに、尻尾がピンっと立ち上がった。


「えっ……どうしたの?」


 いきなり固まってしまった彼女のことを見て、私は戸惑ってしまう。


 私が戸惑っていると、今度は目の前で「ん~!」と感嘆の声を彼女は上げている。


「これ美味しい! とっても美味しいです!」


 キラキラな本当にキラキラな笑顔でそう言われて、逆にこっちが恥ずかしくなってしまう。


「そっそう。なら良かった」


 赤くなった顔を見られたくなくて、私は思わず顔をそっぽに向けてしまう。その際に彼女がカフェオレを気に入ったのかぐびぐびと飲んでいるのが視界の端に映っていた。


**************************


 カフェオレを飲み終え、そろそろ色々と聞かないといけないと考えていると、室内に「ぐぅ~~」というなんとも間抜けな音が響き渡った。それは彼女のお腹が鳴る音だった。


「お腹空いたの?」


 私がそう聞けば彼女は、恥ずかしそうに頷いている。


「シリアルしかないけど、食べる?」


 料理をするための材料は買ってきてあるので、材料はあることはあるのだが、誰かに食べさせられるほどのレベルではない。


「いえ、これ以上してもらうのは悪いですよ」


「ここまで来たら同じよ。待って、すぐに用意するから」


 キッチンに向かいささっと用意してしまう。まあ、お皿にシリアルを出して牛乳をかけるだけだしね。


「はい、どうぞ」


「……ありがとうございます」


 彼女はお礼を言うと、律儀に「いただきます」と言ってシリアルを口に運んでいる。そして、一口食べる度に本当に美味しそうに食べている。そんな彼女の笑顔を見て、こっちまで嬉しくなってしまう。


「『      』だ」


 だから、突然呟かれた呟きを私は聞き逃してしまう。


「ん? いまなんか言った?」


「ああ、いえなんでもないです」


「そう」


 私はそう答えると、彼女が食べ終わるまで自分のグラスに残っていたカフェオレを弄んでいた。そして、彼女が「ごちそうさまでした」とシリアルを食べ終えた頃を見計らって言葉を投げかける。


「さてと、そろそろ色々と聞いてもいいかな」


「はい」


「まずは名前からだね。私はリンクス・アルファルド。19歳」


「わたしはステラです。歳は17歳です」


「なるほど。ステラさんって言うのね。よろしく」


「はい、よろしくお願いしますリンクスさん」


 彼女改め、ステラさんの赤眼を真っ直ぐに見ながら私は質問を重ねていく。


「それで、ステラさんはどうして雨が降る中であんなに悲しそうに歩いたの?」


 ステラさんは私の質問に、少し言いずらそうにしていたがやがて口を開いた。


「実はわたし、この街には働きに来たんです。わたしの出身はこの街よりもさらに北に行ったところにある小さな村『ケフェウス』なんですけど、恥ずかしい話そこまで豊かな村じゃなくて。だから、わたし少しでも多く稼いで女手一つで育ててくれたお母さんに、ちょっとでも恩返ししたいと思ったんです。ですけど、いざここにやってきたら、どこも雇ってくれなくて。おまけにわたし少しだけお金は持ってきたんですけど、宿にも泊まろうにも全然足らなくて。野宿しようにも雨も降ってきちゃって。どうしようもない状況になっちゃって途方に暮れていたら、リンクスさんが助けてくれたんです」


「なるほどね。出稼ぎ者の話は特段珍しい話じゃないわね。この街は比較的に獣人族に対して寛容だから、結構、獣人族の出稼ぎ者が来るって聞いたことがあるわ。だけど、だからこそ倍率が高くて獣人族の雇用の枠がすぐに埋まっちゃうとも聞いたことがあったわね」


(確か前におばあちゃんがそんなような話をしていた気がする)


 私はなんとか前の記憶を必死に思い出しながらステラさんに伝えていく。


「……そうなんですか」


 私の話を聞いたステラさんは、しゅんと元気をなくしてしまい、耳などもぺたりと折れてしまっている。


 素直にかわいそうで不憫だとも思う。だけど、私に何が出来るのだろう? 初めて出会った彼女に何をしてあげられるんだろう? 人付き合いの苦手な私には難しい問題だった。とりあえず、私はステラさんにこれからどうするのかを聞いてみることにする。


「ねえ、ステラさんはこれからどうするつもりなの?」


「これ以上はリンクスさんに頼るのは申し訳ないので、服が乾いたら出て行こうと思ってます。本当はいますぐにでも出て行こうと思ったんですけど、さすがに服がないとでていけないかなって。ごめんなさい、ご迷惑をかけてしまって」


「ああ、いえ、そこは迷惑だとは思ってないし。というか、上げたのは私なんだからさ。そこは気にしなくても大丈夫だから。でも、出て行ったあとはどうするつもりなの?」


「また雇ってもらえそうなところを探してみます」


「見つかるまでの宿はどうするの?」


「野宿しようかなって。宿が借りられるほどのお金持ってないですから」


 「えへへ」と笑うステラさんの姿を見て、私はめまいを覚えてしまう。


「ねえ、ステラさん。確かにこの街は獣人族に対して比較的優しい街ではあるわ。でもね、全員が全員、獣人族に優しいってわけじゃない。だから、野宿なんてしたら危険だから」


「はい、わかってます。でも、これしか方法がありませんし、これ以上、リンクスさんにご迷惑はかけられませんし」


 能天気みたいに笑うステラさんの姿を見て、私は段々自分の中にイライラが募っていくのを感じてしまう。


(この子、自分の身のことに対して無頓着すぎじゃない!?)


 私がそう思っていると、ステラさんが立ち上がった。


「どうしたの?」


「リンクスさん、出て行く前に恩返しさせてください」


 どうやらステラさんの中では、出て行くことが決定事項のようだった。


「恩返し?」


 私はオウム返しに聞き返しながら、どうやってステラさんの考えを改めさせるか、頭を悩ませるのだった。

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