第7話 ゴースト系ダンジョン・その1

 新人エマが着任してから二週間ほど経った。


 迷宮管理課の事務室前に、朝一番に登庁した新人職員エマがいた。昨日もダンジョン封鎖業務を何件かこなしており、その肉体的疲労は彼女が生きてきた中でもトップクラスだ。

 しかしエマの顔つきはスッキリとしている。


(毎日たくさん運動するから、よく眠れるのよね)


 彼女は初めて迷宮ダンジョンという地上に降りたわけだが、今のところあまり地上と天界との“時差ボケ”は感じていないようだ。むしろぐっすり眠って疲れが取れ、今日も天使らしく清廉潔白な調子である。


「おはようございます!」

「おう、おはよう。早いな」


 爽やかに朝の挨拶をしながら入室すると、返事をした者がいた。宝物回収係のエリアの中でも、課長席にほど近い、一際大きい机。

 係長のミカドがひらひらと手を振っている。


「ミカドさんっていつも早いですよね。一体いつ出勤してるんですか」

「昨日からいるよ」

「え、帰ってないんですか!?」


 天界労働基準法うんぬんに引っ掛からないのだろうか……?


「まあそれは置いといて」

「置いとかないでください」

「わはは。――今日のダンジョンだけど、少し迷っててな。これまで君が行った中でも危険度がぐっと高まるんだが、君の能力的には是非とも経験しておいてほしいダンジョンなんだ」


 ミカドが隣席のチェアを自分の前に置いてエマを招き寄せた。エマがそこに座ると、ミカドは自分の広い机から一枚の紙を取り出して見せた。

 入庁試験時に提出したエマの履歴書だ。


「君の使える魔法、光属性のものが多いってね。攻撃魔法も扱える?」

「まあ、一応は……」

「どんな魔法か教えてくれるかい? タイプとか、威力の度合いとか。飾らなくていいし謙遜もしなくていい、正確に知りたい」


 真剣な目でそう問われて、エマは少し緊張を覚えた。ええと、と少し考え込み、ゆっくりと答えていった。


「攻撃魔法は本当に苦手なんです。使えるのは一般魔法だけで、大きな魔法はまだ難しいです。発動に時間がかかるし、ちゃんと発動するのも十回に三、四回というところでしょうか……威力の度合いでいったら、爆竹程度のものしか安定してないです」

「なるほど。範囲は? 例えば、ヒト型の霊体ゴーストなら、一度に何体攻撃できる?」

「一、二体が限界だと思います。履歴書にも使から書いただけで、実際まだまだ実力不足で……」

「分かった。十分だ。護身用にアレ持って貰おうかな」


 履歴書を仕舞い込み、今度は課長席付近にある鍵保管箱を開けて【装備品保管庫】とラベルのついた鍵を取り出した。そのままエマを伴って事務室を出、閉ざされた扉の前に向かった。


「ここは武具、防具、そのほか装備品の倉庫だ」


 鍵を回し込みながら、ミカドは説明した。


「実力行使が想定される業務だとか、危険度の高いダンジョンへ行く時は、職員の武装が許可されてます。基本はナイフや拳銃、申請すれば個々の能力に応じた装備も持って行ける」

「例えば?」

「マルスは銃の扱いが上手いんで、拳銃の他にもいろんな銃器を使うよ。ソフィアは投げナイフとか、自分の出す水に聖気を纏わせるアイテムも持って行ったりする」

「ミカドさんは何か使うんですか?」

「俺は銃が下手くそでね。故郷から持ってきた刀が許可されてるけど、ホントにだし、しかも使用が制限されてる。今日みたいな低難易度ダンジョンへは持って行けねえんだ。あんまり意味ねえよな」


 ドアを開けたミカドは肩を竦めて苦く笑った。


「今日は俺より頼りになりそうな奴が同行するから、俺はあくまで見守り役。君に拳銃を持ってもらうのは念のためだ」


 中は所狭しと武器ラックが立ち並び、金銀に煌めく刀剣類や、重々しく光る銃器類が収められていた。ミカドはその中のリボルバー式のハンドガンを手に取り、エマに手渡した。


「弾丸に聖銀が使われてるから、悪霊にも効果がある」

「……悪霊、いるんですか」

性質タチの悪いような奴じゃねえ、落ち着いて魔法を当てれば浄化できる。あんまり肩に力入れんなよ。銃の使い方は心得てるな?」

「学校で一通り訓練を受けました。……実銃を触ったのは初めてですけど」

「大丈夫だいじょーぶ、練習用のヤツと変わんねえから」


 銃を手渡されたエマは、手応えを確かめた後でジャケットを脱ぎ、ブラウスの上からホルスターを装着した。革製のベルトがしっかり体にフィットしている。その上から再びジャケットを羽織り、準備完了だ。

 そしてこの新人、これまでの迷宮探索で学んだのか、今日はスニーカーを履いているほか、腰にポーチを付けている。女性用スーツはポケットが少ないのだ。中には業務用携帯電話に聖水の入ったボトルが三本、筆記用具と、こっそりチョコレートを忍ばせている。


(ふふん。今日は全力疾走バッチ来い!)


 エマが準備している間、一方のミカドも自身の準備をしていた。銃は持たず、聖銀製のナイフだけを手に取っている。


「本当にナイフだけ持つんですね」

「下手にピストル撃っても味方に当てちゃうから。さ、先に事務室戻ってくれ。俺はもう少し準備してから行く」


 武器庫を閉めたミカドは、エマを先に事務室へ戻らせた。彼はまだ何か準備があるようだ。

 事務室にはあとから出勤してきたマルスやソフィア、他の先輩方がいた。エマの姿を見つけたマルスが話しかけてきた。


「調子はどう?」

「元気です!」

「よかった。今日は僕は別行動だけど、頑張って」


 そういって微笑むマルスは爽やかだが、エマは先日、ダンジョンで彼の変貌ぶりを目撃している。いい人には違いないが関わり方には気をつけようとエマは思っている。

 と、そこへソフィアが誰かを連れてやって来た。亜麻色の髪を撫でつけた男性だ。


「先に紹介しておくわね。今日一緒に回収業務に行くパットよ」

「初めましてエマ。僕はパトリック、パットと呼んでくれ」

「エマです。よろしくお願いします、パット先輩」

「よろしく。ふふ、素敵な笑顔だ。見ているこちらが心洗われるよ」


 握手した手を、そのままパットの両手が包み込んだ。瞳を覗き込まれ、甘やかに微笑みかけられ、エマの頬にじわりと熱が集まる。


「ああなんと美しい……こんなに澄んだ金の瞳は初めて見た。どうかな、今夜一緒にディナーでも──あいたッ」

「おーい、出会い頭に新人口説いてんじゃねえ、このナンパ天使」


 パットの後頭部がペンで叩かれた。ミカド係長だ。呆れ顔の彼の腰には、飲み物を入れる携帯瓶が三つ取りつけられている。


「エマちゃん、このナンパ野郎は相手にしなくていいぜ。女と見れば誰彼構わず口説くから」

「女性は皆美しいですから。賛辞を贈るのは当然でしょう」


 たしかにどこまで本気なのか、小突かれても柔らかい表情を崩さないパットは掴みどころのない雰囲気だ。


「さ、あまり時間がねえ。さっさと行かねえと地上が夜になっちまう。あっちは天界の十倍速く時間が流れるからな。エマちゃん、聖水は何本持った?」

「三本持ちました。ちょっと重いです」

「それぐらいでちょうどいい。他のみんなも準備はいいか? よし。課長ー、ミカド組、行って来まーす」


 書類飛び交う向こうから「はーい行ってらっしゃーい」と微かに聞こえた。その声を背中にして、ミカドが開いたゲートを一行は潜って行った。











 ゲートの先は、おどろおどろしい闇。

 その暗さは昨日経験した三つの迷宮より更に深く、空気の湿り気も尋常でない。冷え冷えとした空気が肌を撫でる感覚に、エマはぶるりと身震いした。


「このダンジョン、お察しの通りゴースト系の迷宮生物モンスターがほとんどだ。物理攻撃はほとんど当たらん。俺らは天使なので、基本的にゴーストは襲ってこないんだが、たまーに瘴気に毒された“悪霊”が襲い掛かる場合がある」


 マップを表示させてミカドが説明を始めた。

 光源がこの表示だけであるので、無精ひげの生えた顔がぼんやりと浮かび上がる形だ。


 弱い悪霊は物質への影響力も低い。

 反対に、強い悪霊になると物質に作用した攻撃を仕掛けてきたり、精神を苛んできたりと、厄介な力を持ち始める。“ポルターガイスト”などは有名な初級悪霊。彼らはせいぜい、手近なものを浮かせる・振動させることくらいしかできず、力自体は非常に弱いとされている。


、ここにいるのは低級霊ばっかだ。パトリ君がパパッと片付けちゃえる案件だけど、新人もいるので浄化能力のデモンストレーションをしてもらいます」

「そのパトリ君呼び止めてください、係長……安心して、レディには傷ひとつ負わせないから」

「いやレディだけじゃなくて俺のことも守ってよ?」


 パトリ君パトリックことパットは大きな本を胸に抱えて、にこりと笑った。ミカドのツッコミは無視である。


「ここでの基本行動について指示出すぞ。有害な悪霊の浄化は原則パットが全部やる。雑魚モンスター出現は俺とソフィアが受け持つ。エマちゃんは今回、無理をしないで、必要に応じて防御魔法展開。危険だと感じたら即座にピストルぶっ放せ」

「分かりました。ぶっ放します」

「よろしい。では……」


 幽霊迷宮、探索スタート。

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