第18話 迷宮管理課七不思議・その1
電話の鳴る音。キーボードの打鍵音。休みなく動くプリンター、呻き声、笑い声、宙を舞う書類の羽ばたき……。今日もダンジョン局迷宮管理課は修羅場である。
事務室でひと際空席の目立つエリアがある。“回収係”は、後処理や書類作成に勤しむ数人のほかは全員出掛けている。
「では会議へ行ってきます。火急の用があれば直接メールをください」
そう一声かけて、書類の弾幕から脱出したピーター課長も扉の向こうに姿を消した。
魔界出張から帰ったピーター課長は顔色が優れなかったが、二日も経てば元の穏やかさを取り戻していた。最も多忙でありつつ、最も柔和さの崩れない課長は、課内でも七不思議の一つに数えられている。
そして、管理課七不思議の半分を占める男・ミカドも、今日もその姿は事務室にない。電話連絡では埒の明かない、迷宮閉鎖に一向に頷かない迷宮所有者や管理者の元へ、直談判しに向かっているのだった。
*
「ボクが納得いかないのはね、君、迷宮に置いといてる
そのソファーはとても座り心地が良かった。程よく沈むクッションが体を跳ね返し、高さもちょうどいい。
管理課の外部応対係・エミリーは、しかし非常に居心地の悪い思いをしていた。ゆうに一時間はこの愚痴を聞かされ、けなされ、罵倒されている。
(うざい、面倒くさい、帰りたい……)
エミリーは訪問業務を数多くこなしてきた。どれ一つとして簡単なものはなく、我慢比べのようなものである。だが今回は些か長すぎる。同じ主張を長ったらしく何度も聞かされては堪ったものではない。
エミリーの忍耐がすり切れるまで秒読みとなったその時、部屋に執事らしき男が入って来て、愚痴を垂れ流し続ける主に何か耳打ちした。
「そう。ちょうどいいや、下っ端相手じゃ話にならないと思ってたところだったから。お通しして」
エミリーは自分を下っ端呼ばわりしたことへの苛立ちよりも、助っ人が現れた安堵の方が勝った。緩みそうになる口元に力を入れ、助っ人を待つ。
そう間を置かず入ってきたのは、背の低い黒髪の天使。
「やあどうも、遅れましてすみませんね、カサル殿。わたくし迷宮管理課・回収係長をしております、ミカドという者です」
悟られぬようにホッと息をついたエミリーは、次の瞬間目を疑った。
ミカド係長にもう一人、同僚の姿が追随していたのである。
「それと、こちらは部下のルイ。準二級神語資格者です」
「お邪魔します」
背が高く、カラメル色の髪をサッパリと刈り込んだ男性天使のルイは、回収係の一員。担当こそエミリーと違うが彼女とは同僚である。が、回収係の業務内容には本来訪問業務は含まれない上、低い声と硬い表情が外向きでないことは自他共に認めるところである。
その彼が今、よりによって気難しい人物を相手にするなど……。
(係長、一体どういうつもり?)
エミリーが一抹の不安を抱くのを他所に、わざとらしいほどにこやかなミカドは通されるままにエミリーの隣へとやって来た。
「つまり、まだご納得いただけていないようで。まあこちらも失礼を働きました。何分、アポの時間が迫った頃に彼が『調べたいことがある』などというものですから」
ルイは精悍な顔をにこりともさせずに頷いた。迷宮所有者カサルが口をひくつかせたのを見て、やはりこの男は接客には向いていない、とエミリーは深く思った。
「カサル殿、迷宮はいずれ撤去されるもので、その際の諸々の処理については迷宮設置時に局から説明があったかと思います。あなたはその同意書にもサインをしているはずだ。同意しなければ地上に迷宮を設置できませんから。証拠を見せましょうか? ルイ、データ出して」
「はい、係長」
ルイが携帯電話を操作すると、空中にスクリーンが映し出された。
「おや失礼。初めてご覧になりますかな。ヘルメス神系列の天使が天上神の許可を得て開発した機械とシステムです。天界連合が試用してましてね。ある程度の実証が済んで天界でも普及すれば、遠い未来、いずれ人間界にも技術が伝えられるはずです」
仰天してソファーの上でひっくり返ったカサルに、ミカドが補足した。
「まあそれは置いといて、本題に入りましょう。今表示しているのは、迷宮の地上設置の際にお書きいただいた同意書と、それに付随する諸々の書類です。このサインが間違いなくカサル殿の筆跡である事は調査済みです。見覚えはありますね? 何しろ、設置したのはたった二百年前なのですから。まさか痴呆が始まるお歳でもございますまい」
「……う、うむ……」
ミカド係長、かなり失礼なことをサラリと言ったが、言葉を投げられた本人は頷くよりほかない。
「同意内容にもしっかりと、ほら、この辺りです……『当局の決定により、当局職員による迷宮設備の点検、宝物等の回収、その他迷宮管理に関する諸調査を行うこと』。項目ありますね。同意はしているはずなのですよ」
「……む……」
「宝物を好き勝手弄られたくないというお気持ちは分かりますが、しかしあなたが小一時間ほど部下に語ったご不満というのは、既に同意されたもの。それは駄々をこねる子供と同じだ」
「…………」
「我々は天界連合職員。公務員です。あなたはたしかに位の高い天使ですがね、我々は相手が誰だろうが、たとえ大天使ガブリエルだとか堕天使ルシフェルだとかが相手だとしても、平等に公務を全うしなければならないのですよ。公序良俗の原則に則ってね」
「…………」
「そもそも、迷宮も地上である以上、業務に就く人員も制限しなければならない……長く天使を務められているカサル殿なら、地上降下条件の厳格さは重々ご存知のはずでしょう。『宝物回収は専門の職員が行う』、これは揺るぎようのない大原則です」
突き付けられるそれはどこまでも正論で、カサルから反論が上がることはない。ここで何を言い返しても「子供の癇癪と同じ」と言われてしまえば、返す言葉もなくなる。
エミリーはハラハラしていた。本当にこんな方法で解決するのだろうか。自分たちのゴールは結局のところ「迷宮閉鎖の関連書類にサインをもらう」こと、それさえ済めばあとは課でどうとでもできるが、ここで達成不可能なまでになってしまう可能性も、まだ残っているのだ。
……と、ここでルイが動いた。
「カサル殿。貴方の懸念は恐らく、宝物自体にあるわけではないのでしょう」
「……と言うと?」
(やめて! 刺激しないで、ルイ!)
何とか表情を保ちながらも、エミリーは心臓が凍りつくような心地に陥った。ところがルイはお構いなし、端末を操作して何かをしようとしている。
「自分は回収係の中でも、各種保管書類のデータ化や、ダンジョン登記データの収集や解析も行っています。以前貴方の設置した迷宮について目を通した時に、少し気になることがあったのを思い出しました。無理を言って上司を引き留めたのですが、正解でしたね」
まずい。さすがにそれは、まずいのではないか。
ルイの意図を察したエミリーが口を開きかけると、ミカドが視線で制してきた。
「これは当該迷宮の見取り図です。一見すると何らおかしな点はありません。しかしこちら、これは全体の面積や設置トラップ数、設置宝物箱、モンスター出現調整機能のバージョン情報が記されており――」
淀みなくスラスラと話していくルイに、誰も口を挟まない。挟めなかった。ルイは回収係になる前は調査係として、登記情報をもとにしたマッピングや迷宮管理情報の整理を行っていたため、当時の記憶と経験をもとにカサルを追い詰めようとしているのだ。
「――つまり、数値が合わない。誤差ともとれる微妙な範囲内ですが、自分はこの違和感を否定すべきでないと思います。そして違和感の出発点は、この三階フロアのここ」
……今度は立体図が出てきた。ルイの操作に合わせてくるくると回転したり、拡大されたり、部屋の形状を抜き取った立体図が拡大表示されたり。
エミリーはもはや、見惚れていた。いつの間にこんなものが出来ていたのだろうか。
「この一部屋だけ、天井が低くなっています。真上の部屋とピッタリ同じ床面積ですね。あくまで憶測ですが、ここには申告のないギミックかトラップがあるのではないかと。そう仮定すると、先ほど申し上げた、使用した部品の数が多いことにも説明がつきます」
「要は、不正が露呈するのを恐れて我々を立ち入らせないんじゃないか、ってことです」
ミカドのまとめに、ハッと我に返ったエミリー。完全に状況を忘れ去っていたらしいが、それはどうもカサルも同じであるようだ。一気に気まずい顔つきに変わった。
「まあご心配なさらず。貴方のような所有者は結構います」
それ問題ですよね、係長。
「ダンジョン消滅まで二十年を切った今、我々が目下重視しているのは、すべての迷宮を閉鎖しきること。不正の確認は一応行っていますが、今すぐに追及をするつもりはありません。とにかく閉めたい。数をこなしたいんです。何せまだ三割程度しか完了していないものでしてね。ですからまずは迷宮閉鎖についてご承諾をいただき、細かいことは後日落ち着いた頃にでもと、そういうわけであります」
――迷宮管理課は優先順位を定めた。
迷宮消滅期限が迫る中、個々の不正や違反を追及していては、いつまで経っても閉鎖できない。そして期限が来ればダンジョンは強制的に消え、宝物の回収は二度とできなくなる。この宝物というのは、天使や妖精・精霊が造ったものはもちろん、神の手により造り出されたものもあり、損失は即、神に対して不義理を働くことにも繋がる。
それを阻止するには、ミカドの言う通り「不正は横に置いといて、宝を回収して閉鎖」することを第一優先にするしかないのだ。
「我々は今、ダンジョン消滅によって宝物が失われるのを防止するため、全迷宮の宝物回収を行っています……が、如何せん数が多い上に想定外の延滞も起きておりまして。設置者・所有者、及び管理者の皆様には、ご了承とご協力をお願いしておるところです」
程よく沈み込むソファーで尚、背筋を伸ばして座っていた上司は、おもむろに立ち上がって礼をした。
「カサル殿。……なにとぞ、ご理解を」
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