第19話 迷宮管理課七不思議・その2

 三十分後、ミカド・エミリー・ルイの三人の姿はカフェテリアにあった。遅いランチである。業務中に外で昼食を摂れることは、外回り業務の特権とも言える。

 昼食はミカド係長の奢りとなった。エミリーを待たせてしまった迷惑料と、ついでにルイも奢られることになった。


「自分は払います、係長」

「急に連れて行かれて大変だったろ。いいのいいの、若者は黙って奢られときなさい。メニュー決まった? 遠慮しねえで、ちゃんと食いたいもの頼みなさいよ」

「あ、じゃあ私、デザートもつけていいですか?」

「もちろん。好きなの食べなさい。ルイ君は?」

「いや、自分は特に……」


 最初は遠慮したルイだったが、ミカドが勝手に「スペシャルギガ盛り☆日替わりエンジェリックジャンボパフェ」を注文しようとするのを見て、


「…………では、コーヒーを」


 ――と渋々、シチューとパンのセットに付け加えて注文したのだった。

 エミリーはフィッシュサンドと食後にミルフィーユ。ミカドはピラフをオーダーしたのだが、メニュー表のどこにそんな料理があったのだろうか。


「聞いてもいいですか、ミカド係長。ルイを連れてきた理由について」


 オーダーをとったウェイターが去った後で、エミリーが声をワントーン落として言った。


「さっきカサル殿に言った通りの理由だよ。ルイは以前迷宮の情報を閲覧したことがあって、引っ掛かりを感じていた。俺らがカサル宅へ行くと聞いたんで、それなら調査して手札を揃えた方が良いって進言してくれたんだよ。ま、これは内輪の話だから、わざわざカサル殿に言う必要はなかったな」

「……気を付けます」


 小さく返したルイの背を、ミカドはぽんぽんと叩いた。


「つっても、君が聞きたい理由ってのは違うもんだろ? このミカドさんが明らかに営業向きじゃねえルイ君を、たかがデータ提供の為だけに連れて行くわけがねえと」


 その通りです、とエミリーが頷く。彼女を相手に小一時間も愚痴をこぼしたような人物だ、無愛想なルイの応対にますます頑なになってしまう可能性も否めなかった。しかし、何せミカドである。敢えてその状況を創り出したという見方も出来るのだ。

 ミカドはグラスから水を一口飲んだ。グラスに浮いた露で濡れた手をナプキンで拭いて、窓の外へ視線を向けた。


「俺さ、実は“上司”をやるのが初めてでね」

「嘘でしょう? そうは見えませんけど」

「なら上手いこと取り繕えてるってことだな。天界連合職員になるために西方こっちに来て、それで初めて部下を持ったわけよ、こう見えて」

「地元では何をしてらっしゃったので……?」


 ルイが恐るおそる口を開いた。ミカドのバックグラウンドに関して知る者はほぼいない。課長ならば或いは何か知っていることがあるかもしれないが、「ミカド」という人物のあらゆることは、彼のオープンな性格に反して謎に包まれている。

 忙しいのが常な迷宮管理課では誰もが気になりつつ尋ねられない、七不思議。


 一、ミカドがどこから来たのか。

 一、異なる系統の術を、何故ほとんど制限されているのか。

 一、迷宮の瘴気耐性が異常に強い上、魔界に数日身を置いても平気な理由。

 一、そもそも天使なのか。


 あと三つは「課長ピーターがいつでも穏やか」「時差のある迷宮と天界で電話が通じる」「冷蔵庫に酒が入っている」……そういえばこの酒もミカドではないか。

 故に、今しがたルイが口にした質問というのは、この七不思議に触れる事柄であり、エミリーが知らず知らず息を詰めたのは言うまでもないことだ。

 ミカドはちょっと顔をしかめた。言葉を探してひとしきり唸った。


「あんまりハッキリ言うと“上”の人に怒られちゃうんだよね。ギリギリ口に出来る範囲で答えるとすると……『ワンマン運営地方公務員』ってとこかな」


 限りなくブラックな香りがプンプンする。

 部下二人の表情にそう現れているのを見て、ミカドは苦笑いした。


「上司は一応いたにせよ、俺自身に後続を育てるって経験がなくてね。だが少なくとも俺の経験上、公務員ってのはやらされるし、要求されればやらなきゃならねえ。ルイ君はデータいじりに関してはピカイチだが、いつかその対人経験の浅さが弱点になりかねん。取り返しのつく失敗は出来るうちにしとくべきなんだよ」

「でも、カサル殿がサインしなかったらどうするつもりだったんですか? 取り返しが付かないじゃないですか」

「そりゃあサインもらえるまで粘るとか、脅すとか、あとはお役所らしく最後通告の書簡送るとか?」

「手口が汚い……本当に天使ですか」

「天使ですよー。めちゃくちゃ天使だろ、俺」


 それを大半の者が疑っているのだが、さすがにそう口に出来る勇気はなく。

 ちょうどそこへ料理が運ばれて来たために、七不思議の究明は一時終わりを迎えた。


「おお、美味そうだな。いただきまー……」

「係長。もう一つ質問よろしいですか」

「ふぁっ。ふぁい、どうぞ」


 終わらなかった。

 なんとルイが無理やり延長戦に持ち込んだ。


 内心でエミリーは頭を抱えた。この同僚はどうも、良くも悪くも空気を読まないところがある。

 ――しかし、同僚の口から飛び出た質問内容に、サンドイッチにかぶりつく姿勢のまま固まることになる。


「ダンジョンに行くわけでもないのに、インベントリに刀が入っているのは何故ですか」


 ルイはあくまで淡々と質問を投げかけた。


「自分の記憶違いでなければ、係長の帯刀には制限が設けられていると聞いています。厳密には帯刀ではないとはいえ……係長らしくもありません」


 スプーンの上でピラフが艶々と光り、野菜の旨味を湯気に混ぜている。それを満足げに咀嚼した口元が、にいっと三日月形を描いた。


「君もなかなか、俺に劣らず悪徳公務員じゃねえの。覗き見はよくねえぞ。ん?」


 もう一度スプーンでピラフをすくいながらミカドは静かに笑った。じわじわと緊張感が辺りに張り巡らされていくような、そんな謎めいた笑い。


「ちと難しい質問だ。答えること自体が違反になるワードが含まれてるんでね」

「では答えられる範囲でお願いします」

「ぐいぐい来るねえルイ君。見かけによらず積極的な子だよね」


 ミカドが愉しげにくつくつと笑うのは、大抵良くないことが起きている時だ。エミリーとルイが生唾を飲んだ時、再びピラフを頬張ったミカドはスプーンを置いて「なーんちゃって」とおどけだように諸手を挙げた。


「ほんとピュアなんだから。からかっただけだって」

「もう! じゃあ一体何なんですか!」


 エミリーが一気に脱力した。緊張した空気は一転、店内の喧騒が三人の空間にも戻ってきた。


「俺を診てくれてる先生の助言だよ。必要に応じて帯刀するんじゃなく、アイテムって形でもいいから持ってた方が状態も安定するってね」

だといつも仰っていますが」

「何だルイ君、今日はキレッキレだな。答えられる範囲で言うと、本来俺という存在は刀とセットなんだ」


 ルイは首を傾げた。


「……係長は刀の天使ということですか」

「その解釈は正しくねえな。刀は道具で使うのは俺。だが主は刀、俺はその下。俺の方は替えが利くが、一応互いに連動し同体である。故に、本来俺は刀とセットでいるのが正しい状態というわけだ」


 まるで謎かけのような言い回しだ。恐らく、これがミカドの答えられる限界というものなのだろうが、すべてを煙に巻いて何一つ理解できないように言っている。


「クク、混乱してんな。更に惑わせてやろう。今持ってるのは代わりの刀、さっき言った主の刀は……現在使える状態にない。今のはセーフらしいな、うんうん。だが君らに話せるのはここまでだ」

「…………」

「刀の携行については、空間収納での持ち運びならって条件下で許可取ってるよ。君があれこれ気を揉むこたァねえさ。気ィ遣わせたな」


 今度こそ終わりとでも言うように、ミカドはピラフを食べ始めた。ルイは言葉を反芻しているのか、暫し目を閉じて、頷いて礼を言った。

 エミリーもようやくサンドイッチを頬張った。揚げたてのフライと新鮮なレタスが小気味いい音を立てた。











 夕方、ミカドは自席で頭を抱えていた。その机の上には未着手迷宮のリストが載っている。リストは十数ページにも及び、「完了率三割弱」の深刻さを窺わせる。

 あまりに停滞する業務状況の突破口を開くべく、ミカドは所有者たちを直接訪問する作戦に出た。それが功を奏し、閉鎖完了したダンジョンがこの半年ほどでぐっと増えはしたものの、やはり追いつかない。世界中に建てられた迷宮の数は膨大で、対して業務にあたる人数は明らかに釣り合わないのだ。


(だからって無闇に人員増やせねえ。天使の地上降下制限もあるし、統率がとれないと質が落ちる)


 未着手迷宮の大体は、利権が正しく譲渡されていない等の理由による「所有者不明迷宮」、もしくは、建てたはいいが管理の行き届いていない「管理放棄迷宮」のどちらかだ。

 他にも「高難易度ダンジョン」などもあるが数は少なく、それよりも管理放棄状態の方が深刻だ。瘴気状態、迷宮生物モンスターの生育環境、すべて予測がつかないために、必然的に迷宮出向の危険度が跳ね上がってしまうのだ。

 とはいえ、そもそも所有者や管理者が不存在状態であるので、まず閉鎖許可が大きな壁となる。相続整理のなされていない迷宮などは、数十人にも及ぶ相続人全員からの閉鎖許可を要する場合もある。


「やっぱこれだろ……」

「それについてはまったく同意です。上も何かしらの救済措置を取ってくれればよいのですが……まずは目の前の案件を片っ端から片付けていく他ないでしょうね」


 背後からピーター課長の声が降ってきて、ミカドは振り返った。


「お戻りで。今回は時間かかりましたね」

「身を砕いて職務に当たってくれている部下のためにも、せめてこれくらいはと思いまして」


 怪訝な顔でミカドは渡された書類を受け取った。

 手近な椅子を引き寄せてきたピーターは、悪戯っぽく目を輝かせた。


「君にとって良いプレゼントになるとよいのですが」

「……いいも何も、これ絶対通らねえって諦めてたんですよ。どうして……」


 それは許可証だった。ミカドに対して使用許可の下りている術のうち、事務室の防御結界の強化にゴーサインが出たのだ。

 この事務室は地上のダンジョンと繋がるゲートが頻繁に開閉されるため、ミカドの手により悪影響を阻む結界が施されている。しかしあまりの業務数と、近頃の異変を鑑みて、より強い結界にグレードアップしたいと申請していたのだった。


「他に申請していた術は許可下りませんでしたが。職員の安全確保に必要不可欠だと私からも上申しましてね。というか、頷かせました」

「『頷かせた』って課長……一体どんな手ェ使ったんで?」

「聞きたいですか」


 課長、正しく天使のようなエンジェリックスマイル。


「……あー、いや、やっぱ遠慮しときます」

「そうですか。ところでお加減の方はいかがです? エレーナ先生のアドバイス通り、代刀を携行してみて何か変化は?」


 ああ、とミカドは頷いて胸の辺りをさすった。


「心持ち、楽な気はします。安定感が出てきました」

「それは良うございました。顔色も少し晴れたような」

「そうですか。ただ、ルイに気付かれちまいましたがね。妙に鋭いところあるからなあ。将来が楽しみだ」


 喉の奥で愉し気に笑って、ミカドは目を伏せた。


「ま、俺の身ももうしばらくは持つでしょう。その間に若手のみんなには育って貰わねえと」

「……そう陰気なことを言うものではありません。今日はもうお帰りになったらいかがですか」

「そうですねえ。課長は?」

「どうもたくさんの手紙をお待たせしているようですからね」

「手伝いますか」

「それには及びません。さっさと始末して、君から頂いたお味噌汁を堪能する予定です」

「ちょッ……あれ早く食ってくださいよ? いくらミカドさん特製ったって、腐らねえって保証はないんですぜ」

「ではますます早く終わらせねば」


 立ち上がって椅子を戻したピーターは、去り際にミカドの肩を軽く叩いた。


「……どうかご自愛を。貴方の身を案じるのは、何も故郷の方々だけではないのですよ」


 待ち構えた手紙の猛攻撃に遭うピーターの背を、ミカドはどこか遠い目で眺めた。そしてゆっくりと胸を撫でさすって、ふっと乾いた笑みを浮かべた。




 それは、およそ天使らしくもない昏さを宿していた。

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