第17話 魔界出張・その3

 ――魔界訪問二日目。


「こちらは酸の海。浸かると肌が爛れます、ご注意を」


 魔王城で一泊した翌日、ピーターとミカドは迷宮所有者の「フィリポス」という堕天使の捜索に来ていた。

 特殊製のボートを漕ぐ初老の悪魔グレゴリオ。すぐそこの水面では、淡く光る青緑色の液体が、ソーダ水のように絶えず泡を立てている。


「生前の行いによっては、この海に投げ込まれる修行もあります。肌が爛れて縮み、骨折するほど体が屈折し、多重の痛みを味わいます。飲み込んだ水ではらわたも焼け、更にその溶けた皮膚を啄ばむ水中生物もおりますので、壮絶な修行の一つと言われています」


 水面を覗き込むと確かに、魚の影が何種類も見えた。この環境に適応した魚類がいるのか。


「フィリポスはこちらにはいないでしょう。この海を越えた先で聞き込み調査をするのがよろしいかと。地獄エリアの入り口です故、目撃者があるやもしれません」


 グレゴリオの言葉に頷き、二人は聖水を飲んだ……ミカドは酒だが。ダンジョン以上に気を付けていなければ、簡単に魔界の瘴気に侵されてしまう。

 向こう岸の桟橋に船をつけて、早速聞き込みを始めた。門番と同じヤギ頭、カメレオン、馬の体にヒトの胴体、ヘビとヒトのハイブリッドなど、その見た目は様々だ。

 しかし調査は難航を極めた。目撃者は多いのだが、一貫性のない情報ばかりが集まる。昨日は東、今日は西、いや北でも見かけた、といった風に。

 地獄前のショッピング街にカフェを見つけた二人は、一度休憩を取り作戦会議を始めた。


「困りましたね。恐らく皆さん嘘はついていないと思うので、フィリポスがあちらこちらに出没しているのだと思いますが……はてさてどう探したものか。通いの酒場でもあればいいのですが」

「花街とかどうでしょうか。奴の行動範囲は一応地獄エリア内に留まってます。性格を考えるに、地獄にある花街で張っておけば、いずれは捕まるんじゃないですかね」


 地獄の地図をミカドがペンの背で指す。目撃情報を記したメモが集中しているその箇所は、グレゴリオによると歓楽街であるという。


「ではこうしましょう、ミカド君。私は花街以外の場所を歩き回ります。『天使が出没した町』を避けて行けば、自然と花街へ逃げ込むことになるでしょう。そこを君が待ち伏せするのです」

「どうやって目立つつもりで? ただ行くだけじゃ、フィリポスは天使が来てるなんて気が付かないと思いますが」

「吹聴して歩くのですよ。例えば『天界からフィリポスに出頭命令が下っている、魔界で真面目に仕事していないとはどういうことか』とね。実際ちゃんと仕事してないようですし、後ろめたさから逃げ回るでしょう?」

「さすが課長。発想が悪魔的。じゃあ俺は、逃げ込んで一安心ってところを見計らって取っ捕まえますかね。さぞいい顔するでしょうなあ、くっくっく」

「君もワルですねえ、ふっふっふ」


 紫色の昼下がりのテラス席。そこでくつくつと笑み合う天使二人と、見守る悪魔。聖邪入り乱れる異様な雰囲気に、道行く魔界の住人が避けて通っていく。

 聖水を飲んでピーターがニヤリと笑った。


「では、作戦開始です」











 ――魔界訪問、五日目。


 その町は建物、人、物、様々なものが雑多に溢れていた。空気は纏わりつくような粘り気を帯び、香水と酒と嗅いだことのない臭いが混ざって思考を奪う。しかし本能のままに快楽を貪れば、たちまち獄卒がやって来て責め苦を与える。

 いくら花街とて、されど地獄であることを忘れてはならない。


 その街の中でもひと際高い、血の色をした時計塔の屋根に、カラスと一緒に座り込むミカドの姿があった。

 ……一体全体どうやって上ったのか。


「カラス君、調子はどう? ん、絶不調だって? そりゃ良かったねえ」


 カアと一つ啼き声が上がる。ちなみに言葉は通じていない。ミカドが勝手に話し相手にしているだけだ。

 携帯瓶片手に屋根の装飾に跨るミカドは、顔の右半分が紙で覆われていた。白い紙には三つの鳥居を模した紋。隠していないもう片方の目は、絶えず街の様子を観察している。


「悪いね、君の休憩場借りっぱなしで。街中に俺の“目”貼り付けて監視中なんだ。探し人見つけたらすぐ行くからさ。たぶんそろそろだと思うんだが」


 ミカドは街の至る所に貼り付けた札を通して、顔の紙へと視覚情報を集めているのだった。天界連合が在する西方諸国では見られない術だ。説明されても通じていないカラスは首を斜めに動かしている。

 一口酒を飲み、ふとミカドの左目が細められた。


「……お、堕天使見っけ。ビクついてるのを見ると、奴がフィリポス君かな」


 入り組んだ裏路地の狭い店に入っていく。クラブか何からしく、ドアの向こうでは煌びやかに照明が点滅している。入り口にほど近いカウンターでキセルを吹かすメデューサと二、三言葉を交わした後で、堕天使は魔界の通貨を置いて奥へ入って行った。

 ミカドはニヤリと口を歪めた。天使らしくはないが、魔界ではとても良く似合う表情だ。


 立ち上がって片手で印を作ると、街のあちこちからひらひらと紙が舞い上がり、ミカドの手元に集まってきた。小さく刻まれた一つひとつにも紋が書いてある。すべて集めたところで、顔面の紙も剥いで内ポケットに仕舞った。


「じゃあねカラス君。場所貸してくれてありがとう。達者でな」


 カラスに一声かけた。印を結んだ指先で真横に空を切った。

 ミカドの姿が消え、時計塔にはカラスが佇むばかりであった。






「……珍しい日じゃないか。今日は天使のお客さんが多いね。流行ってんのかい?」


 上司のピーター、悪魔のグレゴリオと合流したミカドは早速、フィリポスが入って行ったクラブへ足を踏み入れた。出迎えたメデューサが気だるげに紫色の煙を吐いた。


「とは言っても、その恰好からして、あんたらは遊びに来たんじゃなさそうね。お役人さんかい? ウチはキチンと経営してるはずだ、御上おかみにとやかく言われるようなことはしてないはずだけど」

「店ではなく、もう一人の天使の客に用がありましてね。失礼、我々はこういう者です。天界連合職員で、ダンジョン業務で魔界にお邪魔しておりまして」


 ミカドが職員証を見せると、サングラスの向こうで切れ長の目が細められた。


「ふうん。ダンジョン局ねえ。こんな地獄くんだりまでご苦労なことね」

くだんの天使が堕天なんぞしてなければ、お互いもっと楽だったんでしょうにね。ともかく、店にご迷惑はお掛けしないよう公務を遂行する所存でございますんで」

「そうしてちょうだいな。魔王様が正気に戻られてからこっち、税金は上がるわ締め付けは酷くなるわで、ウチも厳しいんだ」

「ご協力、感謝します」


 にこっと笑みを残し、ミカドは中へ入った。続く二人も会釈をして、店内をぐるりと見まわした。

 ダンスフロアは踊る人々……「人」と形容するには正しくないだろうが、ともかくひしめいて、腹まで響くベース音に体を揺らしている。スモークが焚かれた空間に光線が飛び交う中で熱狂的に踊る人もいれば、体をくゆらす人もいる。


「あちらにはいないようです」

「さすが課長、目がよろしいですな。ところでお加減はいかがです?」


 魔界で過ごすのも既に五日目。長く瘴気に晒されているため、ピーターの顔色は青白くなりつつある。堕天には至らないだろうが、聖水で回復するのも限度がある。故に「天使による魔界滞在は最大七日間まで(位・階級・本人の状態により例外あり)」と定められているのだ。

 ちなみにミカドはピンピンしているが、この場合異常なのはミカドなのであって、決してピーター課長が軟弱というのではないことを、ここに添えておく。


「……早く帰りたい」

「弱音吐くようになっちまいましたか。こりゃ重傷だ。さっさと見つけましょう」

「それには及びません。あちらをご覧ください、ミカド殿」


 グレゴリオがミカドに耳打ちし、ある一点を指さした。そこはバーカウンター。三人並んで酒を飲んでいるその真ん中に、黒い翼の紋様が露わになった背が見えた。


「まー堂々と恥部を見せびらかしちゃって」


 ミカドが低く笑った。背中に刻まれた「黒い翼」は堕天使である証だ。務めを真面目にこなしていれば薄らいでいくはずのその証は、彼が服役についてから数百年経った今も色濃いまま。

 ボキリと指の骨が鳴った。ピーターのカバンから書類の入った封筒が取り出された。二人は大股でずんずんと彼らに近寄り、


「ハァイ☆堕天使フィリポス君。会いたかったぜ!」


 開口一番そう言ったかと思うと、物凄い勢いで首根っこを掴んでカウンターから引きはがした。両サイドに座っていた女性(もちろん悪魔か何かである)が驚いて振り返った。


「いやあすみませんねレディたち。俺たちァこの間抜けとだーいじなお話がありまして。お時間は取らせません、ちょちょっと書類にサインしてもらえればすぐ済むんで」

「は!? 何、……天使ッ!?」


 至極間抜けな顔を晒す天然パーマの堕天使に、天使ミカドの会心の笑みが炸裂した。











 隅の方のソファーに場所を変えた。ちょうど、ソファーに座る堕天使フィリポスと、書類や刀を手に凄む天使職員という図である。決して借金の取り立て屋ではないが、ミカドたちはどこからどう見ても債務不履行者の身柄を確保した危ない人たちの様相だ。


「もしかして恩赦が!? ……あ、違う。ダンジョンの。あらそう……」


 ギリシア系のエロ天使・フィリポスは裸の肩を落とした。酷く落胆しているように見えるが、恐らく本音は「もうちょっとで二人とも落とせたのに」というところだろう。実際、ミカドとピーターが近寄った時、聞こえてきたのは文字通り歯の浮くような、しかし向けられた者は心が蕩けてしまうような、糖度200%の口説き文句だった。

 堕天使の醜態に満足したか、上機嫌のミカドがその間抜け面に書類を突きつけた。


「魔王殿が無事魔界へお帰りになったので、地上のダンジョンを撤去してるところでね。堕天したクズでも持ち主は持ち主、あんたの許可が要る。とっとと書類にサインしやがれください」

「えー、なんか扱い雑くね?」

「クズに遣う気残してるほど、俺らは心が広くねえんでな」


 ミカドのこめかみに青筋が立つ。ご機嫌なようで実際はかなり苛立っている。やり取りを部下に任せているピーター課長の表情も氷点下だ。いつもは柔和な彼までもがこの様である。


「でもさあ、それだけ? たったそれだけのために女の子たちとのピンク色の時間を奪ったワケ? こっちだって毎日毎日潤いのねえ刑役こなしてるっていうのに……ヒェッ!?」


 ごねるフィリポスの顔のすぐ横を、刀の鞘が掠めた。

 背後の壁には鞘、柔らかい背もたれに革靴。逃げられないよう座った姿勢のまま縫い留めて、黒髪の天使が詰め寄って凄む。


「いいから黙って名前書けやゴラ。それとも何だ、頭ラリって名前も忘れちまったか、ああ゛?」

「あ、悪魔ッ……」

「ご心配なく。あなたよりずっとキチンとなさった天使です」


 本物の悪魔・グレゴリオにまで淡々と返されてしまい、フィリポスは涙目になった。


「分かったよォ……書けばいいんだろ書けば……!」

「だからそう言ってんだろ。こことここ。それからここに今日の日付。文字は分かるな? どうだいフィリポス君、東出身の俺からアルファベットとアラビア数字教えてもらうかい?」

「初対面なのに意地悪過ぎない……? ほら書けたよ、これでいいだろ」


 物凄い形相の三人に囲まれながら、おっかなびっくりサインをし、恐るおそる書類を返した。

 受け取ったピーターはサインに不備がないことを確認するや、すぐにカバンに仕舞って踵を返した。冷徹な一瞥をくれてミカドもその後を追う。


「え……ちょっと、一応天使仲間でしょ。少しぐらいお喋りとかさ」

「さあミカド君。魔王殿との最後の晩餐会、楽しみですね。私、あのローストビーフが特に気に入りまして」

「ああアレね。俺も好きですよ。酒にもピッタリで実に美味い」


 哀れなフィリポスを綺麗にガン無視。足取りも軽く、仕事を終えた天使たちは魔王城への帰路を辿る。


「いやあ良かったよかった、あとは刑役こなしてる二人から書類受け取れば、一件落着ですな」

「ふふ、今日は美味しいワインが飲めそうです」

「お酌しますよ、課長」

「いいですけど君、飲ませ上手ですからねえ。寝首掻かれないようにしなければ」

「上司に警戒されてる俺って何なんです?」


「何って、」ピーターはネクタイを緩めてボタンを一つ外した。

 そして部下によく似た、悪魔的な微笑みを見せた。


「とても有能な、大切なですよ」

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