第16話 魔界出張・その2

 ゲートから荒れ地に降り立った、ミカド係長とその上司ピーター課長。

 二人は魔界到着してまず、膝から地面へと崩れ落ちた。


「ハァ、ハァ……おえっ」

「トイレを済ませてからという指示は的確でしたね……うっ」


 岩に手をつき呼吸を整え、各々、持ってきた飲み物で何とか酔いを紛らわそうとする。

 送り出してくれた職員は「揺れることもあります」と注意してくれたが、「こともある」では済まないレベルの振動が、転移中二人に襲い掛かった。空間が捻じ曲げられたことによる酔いは言語に尽くしがたい酷いものであった。


「ふうー……さて行きますか、魔王城。平気ですか、課長?」

「何とか。身構えていたほどの瘴気ではありませんね、油断は禁物ですが」


 ゆっくりと二人は歩き出した。体を動かせば、酔いも少しずつ落ち着いてきて、景色に目を向ける余裕もできた。


 空は黒い雲の流れる赤色。荒れ果てて岩の転がる大地が延々と続く。ところどころ低木や植物があるが、どれも天界や地上にはないものだ。紫色の茎、血のような色の葉、捻じ曲がった幹……。

 そして二人が目指す先には、立ち込める暗雲に向かって塔を伸ばす城が座っている。あれが魔王城、人間の勇者によって討伐された、魔界の王が住まう古城だ。


「やー、絶景ですなあ。なかなかお目にかかれるものじゃない。これとか、ほら、節が絶叫顔になってますよ」


 陰鬱極まりない景色を、しかし楽しめるのがミカドという男。

 そして楽しそうなミカドを見て楽しそうにするのが、ピーターである。


「元気ですねえ、ミカド君」

「課長も元気でしょ。歩くの速いですね」

「おや失礼、スピード落としますか?」

「このままで。早く着いて、さっさと管理人見つけ出さねえと」


 そう、この魔界訪問の目的は、堕天したダンジョン所有者を見つけ出し、撤去承諾の書類にサインしてもらうこと。

 対象所有者は三名。全員、ダンジョンを設置した後に各々の理由で堕ちた、天使や聖人だ。


「堕天なんて何百年に一人いるかいないかだっていうのに、何だって所有者が三人も……この前のキケロだってそうでしょ?」

「迷宮を通して穢れに触れたのでしょうね。一人は明確に違うようですが。地上の人間、それも二桁にわたる数の女性と関係を持った上、間に出来た子にまで手を出したということです」

「クズじゃんそいつ。あー分かった、ギリシア系の天使」

「アタリ」


 そいつに会っても絶対握手したくねえ、とミカドは思った。


 堕天した者は魔界へ送られる。そこで魔界運営に関する様々な業務を手伝わされる。

 “魔界”とは言うが、天上の神が創りたもうた、世界にとって欠かせない場所。あらゆる生物、人間、天使や精霊まで、犯した罪を償う刑務所の役割がある。罪を完全に清算さえできれば、天使ならば天界への復帰を、人間ならば生まれ変わりが許されるが、それには想像を絶する努力が必要だ。堕ちないに越したことはない。


 しばらく歩くと、そびえ立つ門に辿り着いた。ヤギの頭をした門番が寄ってきた。


「天界の方ですね。身分証と御用件を」

「【天界連合】迷宮ダンジョン局より参りました、迷宮管理課のピーターです。こちらは部下のミカド。ダンジョン撤去事業の件で人探しにご協力いただきたく、まずはご挨拶に伺いました」

「ふむ、階級は上三級……問題ありません。お返しします」


 まずピーターの身分証を確かめて頷いたが、ミカドの身分証を見るなり首を傾げた。


「……“特別認定天使”? 聞いたことのない階級だな」

「諸事情ありまして、そんな階級にしてもらってます。地元と天界連合こっちで“天使”の規格が違いましてね」

「ふうむ……」


 ピーターとミカドはひやひやと汗をかいていた。ミカドは天界連合でも特殊な出自を持つ天使だ。魔界で事情が通じなければ、ミカドは残り一週間、ゲート開通まで荒れ野で過ごす他なくなる。

 門番はヤギ首を捻りながら尋ねた。


「ちなみにご出身はどちらで?」

「“ヒノ国”。東の果てです。ご存知で?」

「噂くらいにしか……すみません、上に確認します」


 門番はすぐ脇の詰め所に入り、ミカドの身分証を見ながら電話を掛けた。

 苦く笑って頭を掻くミカド。


「こんなことなら、テキトーに階級つけて貰えばよかった。何ですか“トクニン”って。誰も見たことねえ名前なんて意味ないでしょうに」

「まあ君、ちょっとイレギュラーが過ぎますからね。特認も上の力技だったのですよ」

「組織ってのは大変ですね。……どうでした?」

「“特別認定”という階級は分かりませんが、ダンジョン局の方の訪問は伺っておりました。お通しします」


 ホッと胸を撫で下ろし、二人は門をくぐった。しかし先行きの不安は拭えないどころか、いっそう増した節まである。











 城の者に荷物を預け、二人は先に魔王のいる執務室へ向かった。事前にアポイントを取っているが、城門での一件もある。なるべくスムーズにいくよう祈りながら、家来が執務室に二人の訪問を知らせる声を聞いていた。


「どうぞお入りください。わたくしはこちらで控えております」


 ここまで案内してくれた初老の男性が丁寧なお辞儀をした。見た目は人間のようだが瞳孔が縦に割れており、耳も尖っている。悪魔の一人だろうか。

 入室すると、机で書き物をしていた男が目を上げた。


「遠路遥々ようこそ。仕事場にお呼びして申し訳ない」

「こちらこそ、お忙しいところを恐れ入ります」


 黒髪に禍々しい紅い瞳。皺の浮く、厳めしい顔。

 この男こそ、かつて地上を侵略せんとした魔王その人である。


 地上の勇者によって討たれた後、元のように魔界へ戻ってきていた。人間たちは知らないが、“魔界”や“魔王”というのも天上の神が創った存在。必要な世界、必要な役職として、魔王も代替わりでその役目を代々こなしている。

 しかしあまりにも永く瘴気に身を晒す為か、魔王自身が穢れに身を落として地上世界の侵略に走ることがある。それを防ぐべく、天界の者が時折浄化にやって来るのだが、高度な浄化能力を持ち合わせる天使は少ない。天界連合の抱える問題点だ。


 ピーターはまず名を名乗り、次いで来訪の目的を伝えた。双方、穏やかで丁寧なやり取りが交わされる。その間ミカドは口を開かずにただ会話を聞いていた。魔王はやはりミカドに興味を持ったのか、話の流れがどんどん“お隣の部下殿”に移り変わっていく。


「東方の出身だそうだな。“ミン”の国か?」


 とうとう直に問われては、ミカドも答えねばならない。


「いえ、更にその東の“ヒノ国”です」

「ほう、それはそれは。あちらは閉ざされていると聞くが」

「そうもいかなくなりましてね。以前、“世界蛇”が海で暴れなすったでしょう。その影響が祖国にも来まして、他地域の天界とも連携を取り始めたのです。んで、使える連中の中で一番若くて、フットワークも軽くてヒマしてた俺が、こっちの手伝いに出されたんです」


(いやミカド君、決してのではないでしょう……)


 ピーターが何か言いたげに口を動かしたが、諦めたように首を振った。

 魔王は実に楽しそうに笑った。かつて侵略を謀った荒々しさなど微塵も漂わない、朗らかな笑顔だ。


「ヒノ国周辺は我々も迂闊に手が出せなんだ。一度そちらに軍勢を向かわせたが、皆一様に顔色を悪くして戻ってきおってな。以来襲撃に向かえなくなった。あの時何が起こったのだ? 誰も口を開いてくれんのだ」

「俺は直接は知りません。同僚が言うことには、ウチの計画台風が偶然そちらの襲来と重なったようで。夏場は南国から台風を呼び込むんですがね、それをどう勘違いしたのやら」

「あとは地上に火山が多いと聞く」

「列島丸ごと火山みたいなもんです」

「地獄のようだ」

「ちゃんと人間界ですよ」


 ミカドと魔王で談笑が始まってしまった。

 ピーターの咳払いでハッと我に返ったミカドは「何の話でしたっけ」と目的を暫し忘れていた。代わりにピーターがリストを魔王に差し出しながら申し出た。


「魔界でご厄介になっている、三名の迷宮所有者を探しております。閣下にもお力添えいただきたく」

「この二名は顔見知りだ。何度か頼み事をしている仲だ、わしが呼べばすぐ参ろう。問題は残るこの一人……」

「あっ、エロ天使」


 黒く鋭い爪が指したのは、先ほどピーターとミカドの間で雑談に上がった天使だった。


「この者は今、魔界の更に奥――地獄におってな。死者の罪を清算する場での修行を命じたのだが、まあ堕天前の所業も所業、浮ついた勤務態度が頻繁に報告されておる」

「なんと……」

「天界からの遣いが来ていると言うたところで、果たして素直に顔を出すかどうか。わしが直接向かうのが一番良いのだが、生憎こちらも地上侵略の後処理に追われていてな。自業自得とはこのことだ、はっはっは」

「御身を煩わせるつもりはございません。私とミカドで参ります」


 ピーターはあくまで冷静に返した。隣に控えるミカドも、上司の言葉に顔色を変えることはないことを見ると、初めからそのつもりだったのだろう。魔王は顎から伸びる髭を撫でて考えていたが、納得したように頷いた。


「過度な心配は失礼に当たろう。承知した。他の二人にはわしから手続きについて伝えておこう。地獄へは、そこに控えておる執事のグレゴリオを供に連れて行くがいい。わしに長く仕える腹心だ、失礼もなかろう」

「ご配慮、お礼申し上げます。では、これで失礼いたします」


 深々と一礼し、執務室を後にしたピーターとミカドは、城内の案内をしてくれるという執事グレゴリオについて行った。


 ……なお、一人一部屋あてがわれた客間のあまりの豪華さに天使二人が慄いたのは、また別の話。

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