第15話 魔界出張・その1

 エマはデスクで書類を捲っていた。

 今日は実地調査ではなく、事務処理の研修だ。回収係の先輩・ソフィアと一緒に、分厚いファイルの中身をひたすらに、ただただひたすらに確認する仕事。


「ダンジョン停止処理が全然進まないのは、所有者がワケ分かんなくなっちゃってる物件が多いってのも理由の一つでね。ったく、ちゃんと手続きしときなさいよねもう……」


 ソフィアがページに付箋を貼りつけながら、口を尖らせた。


「停止したい迷宮が一体誰に管理権があるのか、どこに撤収作業報告をすればいいのか、マッチングさせるのも仕事よ」

「似たような名前の方がたくさんいて混乱します……」

「早く片付けようだなんて思わなくていいから、とにかく正確さに気をつけて。二重チェックはやるけどね」


 エマは早くも、視界に映る文字たちが踊り出していた。自分の知っている文字に見えない。ゲシュタルト崩壊だ。


 初日に一緒に実地調査へ向かったマルスは、今日は別の職員と班を組んで宝物回収へ出かけている。ミカド係長は課員と共に他部署へ外回り。

 付きっきりで教えてくれるソフィアの他に、事務室では各業務に勤しむ職員たちが呻き声や笑い声(?)を上げているし、頭上には飛ぶ書類……。


 カオスだ。


(……頑張って集中しよう)


 深呼吸をして、エマはファイルに再び目を戻すのだった。











「みんなー、事務作業ご苦労様! 差し入れだよ」


 外回り業務からミカド係長が返ってきた。両手にはジュース類が大量に入ったビニール袋。

 彼を見るや、呻き声ばかり上げていた職員たちが一転、わっと歓声が上がった。


「救世主!」

「冷たい飲み物! 糖分だー!」

「ああー……染み渡るぅ……」


 事務室が束の間安らぎに包まれた。……おい、いいのか天界。ここに地獄がありますが。

 ミカドはエマとソフィアの机にも飲み物を置きに来た。


「ソフィア、ありがとな。事務作業しんどくないかい」

「全然。あっちの地獄に比べれば、ここは天国みたいなものよ。エマちゃんいい子だし」


 ソフィアのブルーの目が、電話対応に追われる一帯に向けられた。あちらは所有者や管理者に、申請書類の催促や不正管理の応対などなどをしている係だ。


 ダンジョンの宝物回収およびシャットダウンは、一部の例外を除いて所有者の承諾が必要だが、期限が差し迫った今も渋る所有者がいる。そういった人に電話を掛けて、


「閉鎖許可して、この通り」

「頼むからうんって言って」

「何でもいいから承諾のサインちょうだい」

「不正とか気にしなくていいからとにかく閉鎖させて」


 ――と頼み込むのが、外部応対係。

 迷宮管理課いち、地獄を見ている係でもある。


「対応係のみんなには、あとで飲み物もう一本ずつプレゼントするわ。エマちゃんも、張り切りすぎて根詰めないようにな」

「らいじょーぶれす」

「うーん、大丈夫じゃねえな。ちょっと休憩行っておいで」


 ミカドはエマにオレンジジュースを握らせて席から追い出した。ふらふらと覚束ない足取りで休憩室へ向かう背中を見送り、エマの椅子に座った。


「どう? 繋がったの、ある?」

「エマちゃんが結構見つけてくれたわ。あたしの方からも二十件くらい」

「わお、大漁じゃん。グッジョブ」

「まだまだ残りはあるけどねー。ああそうそう、面倒そうなのが見つかってね、今ちょうど課長に話しに行こうと思ってたんだけど……これ見て」


 エマたちが見つけたという管理者不明ダンジョンの所有者情報がミカドに差し出された。受け取って目を通した彼は、突然両手で顔を覆い天を仰ぎ、椅子から崩れ落ちた。


「オーゥマイガッ! ホーリーシィーット!!」

「つまりあんたのクソね」


 エマちゃんいなくてよかったと、ミカドの醜態を眺めてソフィアは思った。


「いやマジで! 天界のクソだわコイツ! よりにもよって――」


 そこへ折り悪くちょうど戻ったエマは見た。

 上司が目を血走らせて、天高く吼えるのを。


「天使が堕天してんじゃねえーーー!!!」











 シャンデリア煌めく、【天界連合】合同庁舎のロビー。

 円形広場の中央で大きな砂時計のモニュメントがゆっくりと回転し、周囲に光を配っている。スーツ姿の職員天使や、ひらひらと布を靡かせる妖精が慌ただしく行き交う中、壁際に帯刀したスーツ姿の職員が立っていた。

 ミカドである。


 連合の施設が大陸西側地域に集中しているせいか、職員たちの様相も西方寄りの者が多い。そんな中いかにもオリエンタルなミカドは、たとえ隅の方で存在感を消していようが、浮いているのだ。


「や、ミカド殿ではないか。先日はどうも」


 スーツ姿たちの群れの中から、金色の鎧をガチャガチャ鳴らす軍人が現れた。西方神軍のアレハンドロ、彼も存在感バッチリである。

 浮いている二人は握手を交わした。


「アレハン殿じゃん! こっちに来ることあるんだ」

「滅多にないがな。今日はちとこちらに用があるのだ。……先日の件、やはりの処置が下りた」


 顔を寄せ、声を落としてアレハン殿が囁いた。ミカドが顔を強張らせるのを見て、軍人はますます声を低くした。


「堕天状態で三十年以上も天界に居座った上、人間にも手を出したのだ。それも魔物と共謀してな。妥当な処分だ」

「ってこたァ……魔界送りか」

「天使ならば或いは、更生の見込みがあるのだがな。聖人は余程でなくば戻っては来られまい」


 ミカドが深いため息をつくのを見て、アレハン殿が怪訝な顔をした。


「どうしたのだ、ミカド殿」

「聞いてよアレハン殿。俺ね、これから出張なのよ。行先はなんと――」


 親指を立てた指が、地面へ向けられ。

 光を失った目でニッコリと。


「魔・界・DEATHデス★」

「な……なんと……」


 色の失せた顔でアレハン殿が慄く。ミカドは儚げな表情を浮かべ、鎧の肩に手を置いた。


「嗚呼アレハン殿。我が友よ。俺が堕天しても、友だちでいてくれよ……」

「ミカド君。大袈裟ですよ、一週間くらい出向くだけです。そもそも君、堕天するような人ではないでしょう」

「あっ課長」


 ピーター課長がスーツケースを転がしてやって来た。いつも書類に揉まれて拝めない顔は、鼻筋のスッキリと通る、整った顔立ちだ。ところどころ細い傷が目立つのは無論日々襲い来る紙のせいである。

 課長は軍人に軽く会釈して挨拶した。


「初めまして。迷宮管理課長のピーターです。先日はお力添えいただきありがとうございました」

「こちらこそ。私の出る幕はほとんどありませんでしたがね、ミカド殿おひとりで十分だったのでは?」

「何言ってんのアレハン殿。おおへび君を大胆にぶつ切りにしておいてさ」


 和やかに談笑しているが、組み合わせの奇妙な三人は周囲の目線をよく集めている。

 課長が腕時計を見てミカドを促した。


「待たせてすみませんでした。行きましょう。アレハン殿、ではまたの機会に」


 アレハンという名前ではないのだがな、という言葉は本人の胸に仕舞われた。意外とこの呼び名が気に入っているらしい。

 ピーターとミカドはダンジョン局のある棟ではなく、【空間局】と札の下がる廊下へと向かった。扉を開け、守衛に名を名乗ると職員に案内された。


「お待ちしておりました、迷宮管理課のピーター課長、ミカド係長。魔界行きのゲートへお連れします。お忘れ物はございませんか? 聖水は十分にお持ちですか?」

「大丈夫ですね、ミカド君」


 意味ありげな視線でピーターが念を押す。ミカドは大きく頷き、キャリーケースをぽんぽん叩いた。職員は「聖水が入っている」と捉えたろうが、実際に入っているのは日本酒の一升瓶で、着替えをクッションにして何本も入っている。

 ミカドは天使であるが、諸事情により聖水が合わない体質だ。以前謝って口にした時、三日三晩腹を壊して仕事どころの話でなくなったのだ。代わりに故郷から定期的に送ってもらうこの日本酒が、ミカドにとっての聖水となるのだが……。


 まるで隠し持って行くようなその運び方、密輸入になりませんか、係長。


「注意事項を何点か。地上の迷宮へ繋がるゲートとは違い、転移には数分かかります。その間激しく揺れることもありますので、転移酔いに備え、出発前に必ずお手洗いをお済ませください」


 部屋へ移動しながら職員の説明を受ける。独特な空気感の廊下だ。靴音ばかりか呼吸音までもが響くような中、淡々と三人は歩いていく。


「今のところ、他に魔界訪問予定のある天使はおりませんので、滞在予定の一週間後までゲートが再接続されることはありません。また予定時間にいらっしゃらない場合、天界時間一〇分を過ぎますと、自動的にゲートは閉じられます。ご注意ください」

「もし取り残されたらどうすればいいですか」

「その時はご一報ください。予定変更がある場合もお願いします。ただ、即座開通は難しいので、何日かズレる可能性もあります」


 予定の期間で帰らないと、いろいろと面倒そうだ。ピーターとミカドは目を合わせて頷き合った。

 簡単な手荷物検査やトイレを済ませ、準備の整った管理課の二人は開かれたゲートの前へ進み出た。白金色に輝く光の扉、しかしこの向こうは瘴気に満ちた魔界が待ち受けている。


「それでは行ってらっしゃいませ。ご無事をお祈り申し上げます」


 見送る職員の声を背にし、二人はいざ、ゲートに足を踏み入れたのだった。

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