第3話 マトリョーシカ式宝箱

 鼓膜を低く唸らせる轟音と共に、術式の焼き切れたゴーレムは地に沈んだ。

 マルスは肩で息をしていた。巨大な標的を焼き尽くすのに消耗したようだ。しかも興奮気味に術を操ったためか、未だ熱の冷めやらぬ目である。


(落ち着け……もうゴーレムは倒れたんだ)


 興奮を冷まそうと躍起になっているが、浅い呼吸は逆効果をもたらしている。思考がじわじわと麻痺してくるのを感じる。

 その時、


  ──パンッ。


「はいッ! お疲れマルス君! よくやった!」


 ミカドの手が一つ拍を打った。短音ながら高らかに鳴り渡ったその音で、マルスは我に返った。しばし呆けた後で赤毛を掻き、礼を言う。


「あ……ありがとうございます、係長」

「どういたしまして。さあ、ゴーレム討伐報酬の宝箱の確認だ。立てるかいエマちゃん」


 腰を抜かしたエマに手を貸し、三人は連れだって部屋の最深部へと歩み寄った。ゴーレムの立っていた場所の更に奥、ややくぼんだ壁の中に、大きな宝箱が設置されている。


「一応確認しておこう。エマちゃん、最初に渡した登録済みの宝箱一覧、表示して」

「これですね。未回収のものはあと一つなので、数もピッタリです。……さっきの未登録の宝物は抜かした話ですけど」


 チェックの入っていない最後のリスト項目は【大地の聖石】。地属性の魔法効果をもたらす魔石の中でも特に価値が高く、もちろん効果も大きい。地上界ではまず手に入らない代物だ。

 ミカドはその文字を見つめ、首を捻った。


「聖石入れとくにはちょーっとデカすぎない? この箱」

「ですね。裏ボスも噛んでましたし、ナンバー照会してもらいましょう。課に繋ぎます」


 打って変わって冷静になったマルスを、エマは信じられない心持ちで盗み見た。そんなことは露知らず、淡々と電話を掛けてナンバーを教えるよう要求するマルス。

 CW33-378949。復唱し、しばし待機。ふと翠色の目が遠くを見た。


「CW……どこかで聞いたことがあるような」

「マルス、心当たりが? 勉強家だな」

「重複箱みたいなものだった気が──ああはい、はい……あ、重複。分かりました。ありがとうございます」

「ビンゴか。やるじゃん」


 ミカドは上機嫌で部下を褒めた。


「じゃあ、重複箱の特徴を言ってみようか」

「人間界のある地域で伝統の“マトリョーシカ”から着想を得たモデルです。箱を開けると中には一回り小さい箱が入っていて、それを開けると更に小さい箱が……と延々続きます」

「そう。ここの所有者は意地悪だね、苦労して裏ボス倒させた後に、そういう面倒な作業をさせて報酬を与えるなんてよ。大方『忍耐力を試す』みたいな名目なんだろうが……」


 くつくつとミカドから低い笑い声が上がる。


「残念だねえ。これも申告が必要な項目だ。ハイ減点ー! ざーんねーん! わはは」


 部下二人の顔が引きつる。この上司、天使と呼ぶには行儀が悪い。

 お行儀の悪い天使はスーツのジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲り始めた。筋の浮いた逞しい腕だ。そして振り返ってこう告げた。


「それでは、マトリョーシカ宝箱の開梱作業を始めます!」











 何個目だろうか。床には既に二十近い空箱が転がっている。

 マルスはゴーレム討伐の疲れが出たのか、少し離れたところで休憩をとっている。たかが開梱、されど相手は宝箱、中に幾重もの箱が入った箱であるので、それなりの重量があるのだ。


「えー……まだ続くのぉ……」

「さすがにしんどいな。コレもう俺らの忍耐力とかの問題じゃないよね」


 作業を続けるミカドとエマは汗びっしょりだ。ミカドはネクタイを取り去って襟元のボタンを緩めているし、エマもジャケットを脱いでいる。


「たかが聖石だろ? こんなに厳重にすることがあるかね……」

「あ、でも軽くなってきましたよ。そろそろじゃないですか?」

「偉いねえエマちゃん。前向きでいい子だ。俺ァもう期待してねえよ。さ、中身出そう。いち、にーの、さんッ」


 二人で両端を持ち上げ、空箱から箱を取り出す。

 エマが金具を解き、ミカドが蓋を開け──同時に声が上がった。


 見えたのは箱ではなく、上質なベルベットに置かれた、琥珀色の宝石。


「これですか?」

「これだ! やった! やったぞエマちゃん、ハイタッチ!」


 イエーイと両手でハイタッチを交わし、ミカドの空間収納に聖石が仕舞われた。これで回収作業は終わりだ。


「マルスー、動けるか? さっさと機能停止させて帰ろうぜ」

「機能停止ってどうやるんですか? ダンジョンのボスや裏ボスを倒してもまだ機能しているようですが」

「そうね、それも道すがら説明しようか」


 裏ボス部屋を後にした三人は、階段を使って下階へ降りて行った。道案内はマルスに任せ、ミカドの新人研修が再開される。


「ボスや裏ボスを倒して報酬を獲得すると、攻略したパーティはダンジョン外へ強制送還される。組み込まれた転移魔法でな。だが俺らは厳密に言えば“攻略”をしに来てねえ、“管理”の一環で来ている使だ」


 ミカドは首にかけている青紐のネームプレートを摘まみ上げた。所属部署名と名前、顔写真の載った職員証だ。


「ダンジョンの機能はいろいろある。倒されて一定期間経つと、迷宮生物モンスターが自動生成されたりだとか。破損した壁や設備の自動修復だとか、攻略半ばで命を落とした人間の吸収だとか」

「吸収?」

「死体そのまんまにしてると腐るだろ。金品も回収して、一般モンスターを倒した時のドロップアイテムに流用する仕組みだ」


 ということは、冒険者たちは死人の遺品を得ているのか……エマは何とも言えない気持ちが胸に渦巻くのを感じた。


「回収係はな、宝物回収を済ませて、全部の機能を完全停止させるまでが仕事。シャットダウン後は二度と人間は入って来られなくなる。二十年後のダンジョン消滅の時に、内部に人間が残ってたら大変だろ?」

「では、建物自体は残ると……でもそれなら人間界に知らせればいいじゃないですか。二十年後にダンジョン消すから入らないでください、って」

「エマちゃん……それ、うまくいくと思う?」


 下階に到着し、廊下を進みながらエマは少し考えた。分からない。天界からの指示とはすなわち神の宣告。当然従うものではないのか?


「“神の声”っつーか、天界の声を聴けるのはごくごく一部の人間。その彼らの声だって、信仰心の薄い者には届かない。そして“悪いこと”と分かっていても尚やっちまうのが人間だ。『ピンポンパンポン、天界よりお知らせです』ってやったところで効果はゼロに等しいんだよ。大昔ノアに方舟はこぶね造らせて避難させた時に実証済み」

「あー……」



 人間界の歴史で有名な話だ。

 かつて地上に蔓延った悪を洗い清めるため、全体の洪水計画が神より発せられた。心ある者は救おうという神の御心が天使によって伝えられたが、従ったのは直接警告を受け取ったノアとその一族のみ。

 方舟に乗れなかった人間たちは最後までノアたちを嘲り、そして洪水に飲み込まれてしまった……。


 天使学校で習ったことを引き合いに出されると、納得しかしない。エマは苦笑いして頷いた。

 先の方を歩いていたマルスは立ち止まって、壁の石を調べていた。マップと壁とを見比べて、エマを呼び寄せた。


「ここが管理室の入り口。人間に分からないよう、天界の者しか見えない印がついてる。分かる?」

「これですか」


 ある石に白く刻まれた文字を、エマが指さした。マルスは頷いた。


「そこに手のひらを押し当ててごらん」


 言われた通りにすると、瞬く間にざあっと壁が消え失せ、小部屋が現れた。これまでモンスターや宝箱のあったような様相ではなく、モニターやコンピュータ等の設備がある。

 その中に、いかにも「これです」というような、分かりやすく大きなボタンがあった。トラ柄テープに囲まれ、透明のケースに覆われた、赤いボタンが。


「アテンションプリーズ。こちらに見えますのが、機能停止ボタンです」

「でしょうね」


 思わずエマは口走った。


「コイツを押せば、あとは帰って報告書を作成するだけになります。じゃ、せっかくだから、初仕事のエマちゃんに押してもらおう」

「いいんですか?」

「いいよぉ。いっぱい押しな」

「一回でいいからね?」


 にこにこ顔のミカドに慌ててマルスが訂正する。

 おずおずとケースを持ち上げ、赤いボタンに指を伸ばす。


「えいっ」


  ──カチッ。


 すると、地響きと共に部屋が、いや建物全体が振動を始めた。バランスを崩した部下二人を支え、ミカドが言った。


「ボタンを押した時点で、内部の人間は強制的に迷宮外へ転移させられる。見た感じ、ここに人間は残ってなかったようだが、見落とし分があっても心配ない」

「同じように宝物も転移させられないんですか?」

「それな。最初に組み込んどけばよかったのにって、今みんな思ってる」


 やがて振動は止まり、システムが全停止した。モニターは何も映していない。

 それを確認して、ミカドは伸びをした。


「さあこれで仕事は終わり。『開けゴマ』なんつって」


 ミカドが天界へ通ずるゲートを開き、エマとマルスを先に入らせた。

 最後に自身も身を滑り込ませ──金色のゲートは閉じ、あとにはただ、沈黙した迷宮が残るだけであった。

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