第13話 私立迷宮横領事件・その2
一際豪奢に飾られた階段。
それを昇った先に、彫刻の施された大扉が行手を阻んでいる。鍵はなく、押せば容易に開きそうだ。
「ただならぬ気配を感ずるな」
「さすが戦士。そういうの分かっちゃうよねー。ま、これならウチの新人ちゃんでも分かりそうなぐらいだけど」
くく、と低く笑うミカドの黒い目が、鋭い光を宿した。
「どう考えてもトロールじゃねえ。アレハン殿、準備はよろしいか」
「いつでも。ふふ、血が滾りますな」
オリジンミカドとアレックスが大扉をそれぞれ押すと、物々しく軋んでゆっくりと開いていった。無言の合図を受け、まずは形代ミカドが広間に足を踏み入れた。
──次の瞬間。
形代ミカドの体が突然、長い何かに絡め捕られて奥へ吸い込まれた。
「フン、男か。それも食らい甲斐のない、妙にスカスカした肉だ……まあ良い、久々のメシだ。いただくとしよう──」
形代ミカドが飲み込まれる寸前、オリジンミカドが「パンッ」と高らかに手を打った。途端に紙へと戻り、ひらひら床に落ちて行った。
「残念でした。そいつァただの紙だ」
広間に踏み入ったミカドはニヤリと、舌の主に笑い掛けた。彼に続いたアレハ……、アレックスは、怪物を見るや背中の剣に手を伸ばした。
「ミカド殿。こやつ……」
「うん。ヘビだね」
「こやつが人間たちを──ん? ヘビ?」
ミカドとアレハン殿、どうやら微妙に噛み合っていない。
たしかにヘビだ。それも広間全体にとぐろが収まるほどの大蛇である。横に大きく裂けた口から細い舌がチロチロと覗き、滴った涎が床の石を溶かしている。猛毒だ。
「やーおじさん最近忘れっぽくてさァ。君、何て名前ついてたっけ?」
ミカド係長、もはや天使などとは呼べないほどに悪い笑み。わざとらしい声で言うことには、
「たしかー……“パセリスキー”?」
「──バジリスクだッ!」
怒号と共に鱗に覆われた巨大な尾が、ミカドたちのいる床に打ち付けられた。たった一撃で石床は割れ、破片が宙を舞った。
「あー違ったか、メンゴメンゴ」
破壊された床の上に、二人の姿はなかった。めいめい回避し、ミカドは壁から突き出たガーゴイル像を足場にヘラヘラと笑っている。
「それでバジルスキ君に質問が──」
「バジリスクだ!」
「ハイハイ。ここにいたトロールはどうしたの。まさか彼、お引っ越ししたんじゃないよね?」
「引っ越しだと? シャハハ、馬鹿め!」
またも轟音。ガーゴイルが尾先の一撃で崩れ落ちた。
「ワシが喰ったのよ! 一飲みでな! もう何十年も前に腹の中に収めて、とうに溶かしきっておるわ! 残念だなァ!」
「あらまあ、ちゃんと噛んで飲みなさいよ。消化に悪いわよ、バジルちゃん」
またしても躱された
一方アレハン殿は好き勝手に動き回る巨体を躱しつつ、気付かれないようその距離を詰めていた。が、挑発するミカドの真意を測りかねていた。
(どういうつもりだ、ミカド殿)
疑念を心中で唱えた時、ほんの一瞬、ミカドが片目をぱちりと閉じるのが見えた。
──少し待て。
「なるほどねえ。トロール飲み込んでここの主に成り代わったってワケ。それって随分前からなのかい?」
「答える義理などないわ」
「『何十年も前に』ってことは、今までヒマだったんじゃねえの。何して暇潰してたんだい?」
「質問の多い餌だ。そのうるさい口から溶かしてくれよう!」
蛇が大口を開けて息を吐き出した。大漁の毒唾が雨のように浴びせられ、床石の破片がジュワジュワと溶けていった。
バジリスクから距離を取って逃げおおせたミカドは、面倒くさいとでも言いたげなため息をついた。
「せっかく君の暇を紛らわそうと一生懸命お話してるのに。かわいくねえな。ダメでしょバジルちゃん、人に向かって唾吐くもんじゃないわよ」
「舐め腐りおってからに……」
「君の体液、全部毒で出来てるんだな。これならトロールも簡単に飲み込めるわけだ。でもトロール喰っただけじゃそんなにでかくならんよね? ははあなるほど、分かったぞ。この迷宮のボスに成り代わって、攻略に来た冒険者たちをみィんな喰っちまったワケだ」
「シャハハ、おかげで随分腹が膨れたぞ。さあ、貴様ら憎き天の使いも喰ろうてくれる、さすればもっと力を得られようぞ」
「やめときなァ。俺なんぞ食ったら腹壊すぜ」
──今だ。
筋骨隆々の腕が大剣を振り上げ──
「ォオオッ!」
ズバン!
一刀両断、大蛇の体が真っ二つに断たれた。
天井高く血しぶきと苦悶の絶叫が上がり、長い体がのたうち回る、その胴体を更に叩き割っていき、最後に脳天にずぶりと大剣が突き刺さり床に留められた。
「暴れるでない、大蛇よ。我らをそう易々喰らえるなど随分侮られたものだ。なあ、ミカド殿」
「あんた俺より武士っぽいの、ホントなんで? さてさて、事実確認を詰めて行こうか。言っとくがさっきの問答で言質は取ってある。嘘ついて舌ァ引っこ抜かれても文句言えねえぞ」
大蛇の眼前に軽々着地したミカドは、先ほどアレハン殿とチェックしていた査定書類を展開した。
「おおへび君がここに来たのは何年前? 正確に答えてね」
「フンッ、誰が──」
――スパンッ
バジリスクの口から言葉が続くことはなかった。大剣の突き刺さった頭部が次の瞬間、辛うじて顔面だけ残して最後の胴体が細切れに刻まれていた。
「何か勘違いしてねえかい。これは質問じゃない、尋問だ」
ミカドの手には、刀身の露わになった刀。付着した血と肉片を振り払う彼はもう笑みを浮かべていない。
「こう見えて俺、かなーり腹立ってるわけ。本当はアレハン殿みてえにぶった切るつもりだったが、勢い余ってみじん切りにしちまったぜ。おお危ね、これで殺しちまったら元も子もなくなるところだった」
コツリ。
革靴を鳴らして一歩近寄った。縦長の巨大な眼に、ミカドの冷え切った視線が刺さった。
「もう一回訊くね。君がここへ来てトロール食ったのはいつ?」
「……三十、七年前だ」
「それから今に至るまでに食った人間の数は?」
「貴様は踏み潰したアリの数を数えるか? 覚えとるわけがなかろう」
「うんうん。かわいいヘビ君だ。じゃあもう一つ──」
ミカドに残されていた一抹の軽重な空気までもが消え失せた。
光のない低い声で問う。
「この迷宮へどうやって入った?」
「…………」
「ダンジョンってのはな、天界でもトップクラスに高度なセキュリティシステムが組み込まれてんだよ。並大抵の魔物は入り込めねえし、高位の魔物だろうが、たとえ魔王とて、そう簡単にダンジョン内へ立ち入ることは出来ん。まず入ろうとした時点で天界に自動通報が来るはずだ。ところがこのダンジョンからの通報履歴は一切ない」
戦士アレックスは石像のように凍りついて、視線だけをミカドに送った。その事実が示唆することを、彼は察してしまったのだ。
「何とか言えよ。人間たらふく食って言葉使えるぐらいに強くなったんだろ。ほらほら、さっきまでの威勢はどうしたね?」
「…………」
「だんまりか。じゃあいいや。今にお喋りする気分になる」
ミカドの懐からまたも紙きれが取り出された。今度は形代ではなく、何やら紋様の書かれた札である。鳥居のような印が正三角形を成した、朱墨の紋……。
固まって動けない大蛇の額にそれを貼り付け、片手で印を結ぶと、頭が突然シュルシュルと縮み始めた。あっという間に数十センチほどの大きさにまで縮んだヘビは革靴に踏んづけられた。
「はい、封印っと。逃げちゃダメよ、君にはいろいろ訊き出さなきゃならないからな」
「貴ッ……様ァ、何者だ! ワシを封印するとは、天使ではないな!?」
「何をわけ分かんないこと言っちゃってんだか」
小さな檻に入れてぶら提げたミカドは、ゆっくりと、口元に弧を描いた。
「これだからヘビは嫌だねえ」
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