第12話 私立迷宮横領事件・その1

 ある日、ミカドが部下と共に他部署回りから戻ると、待ち受けていたようにピーター課長が呼び出した。


「おかえりなさい。戻ったところに悪いですが、お願いしたいことがありまして。ミカド君、まだ動けますか?」

「俺ァまだ元気ですよ」

「よかった。ちょっと……元気の残ってる人に頼みたくて」

「お安い御用。お疲れエミリー、付き合ってくれて助かった」


 同行してくれた部下のエミリーにそう声をかけ、ミカドは課長から書類を受け取りパラパラとめくった。


「つまり、後ろ暗い案件ってわけですね。あーなるほど、こりゃあな」

「被害が拡大する前に対処してほしいのです。軍部に二、三人応援要請しましょうか?」

「あまり大ごとにするのも良くないでしょう。一人に留めても十分かと」

「では私から要請しておきますから、準備していてください。今回は刀も携行した方がいいでしょう」

「よろしいので?」

「私が許可します。上に小言は言わせません」

「ヒュウ、カッコいい」


 課長から武器庫の鍵を受け取り、ミカドは出掛ける支度を始めた。




 まず彼が足を向けた先は給湯室だった。

 聖水の入っているウォーターサーバーには目もくれず、冷蔵庫を開けて日本酒の一升瓶を取り出した。銘柄ラベルの上には付箋が張ってあり、でかでかと「ミカド専用!! 天使諸君は飲んじゃダメよ」と書いてある。

 コップに酒を注ぎ入れ、一気に飲み干して満足げに唇を舐めた。かと思うと、あの携帯瓶に注ぎ始めた。――そう、彼は聖水ではなく、酒を飲んでいたのである。


 次に向かったのは、事務室の隣に併設されている武器保管庫。

 鍵を回し灯りを点けると、ズラリと立ち並ぶ数々の武器たちが、誇らしげに光を反射した。

 その中を闊歩し、ミカドは奥で静かに佇む日本刀を手に取った。武器ラックに飾られた煌びやかな装備品とは明らかに異質な、何の変哲もない刀である。ここに保管されている武器や防具たちは、ほとんどが何らかの効果や性能を持っているのだが、実際この刀は。人間でも扱える代物だ。


 鯉口を切り、ゆっくりと鞘から引き抜く。鞘と刀身がこすれる微かな音、光に濡れる刃、手応え、それらにじっと注意を傾ける。

 やがて刀身がすべて引き抜かれ、音と手応えが解放された。天井の灯りに透かして眺め、小さく頷いて再び鞘に戻した。


「うむ。いい感じだ」

 

 最後に鞘を腰のベルトに通し、収まりのいいように刀をずらした。

 細く息を吐き、ミカドは戸締りをして課長の元へ戻った。


「課長。もう出られます」

「現地付近にいる西方神軍の方が協力してくれることになりました。直接現地で合流してください」

「承知しました。そんじゃ、行ってきまーす」


 転移ゲートを開き、ミカドは姿を消した。

 元のように書類に全身を揉まれながら、課長ピーターは「元気ですねえ」と呟いた。











 天高くそびえる石の塔。渦巻く雲を纏う建物の周りを、鳥が飛び交っている。

 その地表に転移し着地したミカドは「おっ」と小さく声を上げた。


「いやあすみません、ご足労いただきまして。迷宮管理課・回収係長のミカドです」

「西方神軍所属、アレハンドロだ」


 入り口の大扉前には、既に到着していた相手がいた。太陽を模した金色の鎧を身につけ、背中には両手剣を背負っている。色の濃い巻き髪と、太く黒々とした眉、そして濃い髭が厳めしい印象を与える、いかにも武人然とした天使だ。

 彼はミカドに向かって右手を差し出した。


「どうぞアレックスと。口調も解いてくれ、私は敬語が苦手でな」

「んじゃ、気楽にやらせてもらいますよ」


 アレックスと握手を交わすミカド。心の中だけで「めっちゃ口調硬ェな」と呟いた。


「私のような軍人が呼ばれるとは、きな臭い案件か」

「ここではちょっと……があるかもしれねえんで」

「では中で伺おう」


 ダンジョンの扉を押し開けて二人が中へ入ると、壁の松明が一斉に火を灯した。同時に背後でバタンと扉が閉じた。

 低く空気が唸る。重苦しい雰囲気に、アレックスが声を落とす。


「して、本件はどのような?」

「このダンジョンは個人が設立した私立迷宮でね。一斉閉鎖に向けてウチの者が調べたところ、利益横領の疑いが浮上した。……未攻略なんですよ、難易度低いくせして」


 ミカドの顔が松明の炎に揺らめく。あの悪そうな笑みも浮かべず、声を抑え、ミカドは目線をダンジョンの奥まった闇へと向けた。


「攻略に来た人間たちを吸収して、不当に利益を得てるって可能性がある。場合によっては死人だけじゃなくも飲み込んでるかもしれんのです」

「天界の者でありながらそのような所業を犯すとは。世界の風上にも置けんな」

「意外とあるもんですよー。事実、停止に至れてない迷宮が多いのって、不正やら未申告やらが圧倒的に多いためです」


 ホント参っちゃうよ、とミカドは頭を掻いた。


「そういうわけなんで、事実確認と原因究明、宝物の回収を済ませ、機能停止シャットダウンさせます。……挙げてみると仕事多いな」

「案ずるな。このアレハンドロ、全霊を以てお力を貸しましょうぞ」

「わお、心強い。じゃあ俺も早速――」


 ミカドは内ポケットに手を差し込み、紙切れを取り出した。人型に切り取られた小さな白い紙だ。それに向かって一つ息を吹き込み、宙に放つと、パッと光が上がりもう一人のミカドが現れた。


「“形代かたしろ”って言いましてね。ほら、西方そちらさんでもあるでしょ、身代わり人形みたいなやつ。あれと似た仕組みのものを、地元じゃ紙を使うんです」

「水と木々の豊かな土地柄と聞く。製紙技術も高いようだ」

「らしいッスね。俺はあんまりピンとこないけど。さ、コイツには人間役をやってもらいましょう。吸収対象に天使も含まれねえと良いんだが」


 形代ミカドが無表情で通路を進む。その後を、物々しく武装したアレックスと、刀一本だけ提げたオリジンミカドがついて行く。

 鎧や靴の鳴る音が、不気味に通路の奥へこだました。






 しばらくダンジョンの様子を観察していたアレックスは首を傾げた。


「もっと迷宮生物モンスターに出くわすと思っていたのだが。案外そうでもないな」

「難易度低いダンジョンなんで、エンカウント率は低めの設定のはずです。……はずなんだが、ちょっとこれは違う気がすんなあ」


 ミカドは宙にマップを表示した。宝箱の在処、トラップ情報、そして管理室の場所などが細かく記されている。形代ミカドに止まるよう指示を出し、オリジナルミカドは顎髭をじょりじょり言わせた。


「なあアレハン殿。俺ら、結構歩いたよね」


 アレハン殿?

 ちょっと意外な呼び名で呼ばれた軍人は戸惑ったが、すぐに「ああ」と返事した。


「階層もいくつか経ているな。何か気になることがおありか」

「俺ら天使だからさ、運はいいわけ。たまたまエンカウントしないってケースも場所によっては起こり得るのよね。だがトラップはそうもいかない。罠はされるものだ。トリガーとなる行為をすれば、動作不良でもねえ限り絶対に発動する」


 無精ひげの散らばる口元が、ニタリと愉しげに歪められた。


「おかしいねえ~。これまで通って来たところ、少なくとも十回は罠にかかってないといけないのにねえ。おやおやァ?」

「……ミ、ミカド殿?」

「動作不良の線もあるが、それならもっと攻略が楽になってるはずだ。最深部に何か鍵があるか? 宝箱の設置の様子も要注意だ。ククク、さあ、楽しくなってきたぞ」


 突然上機嫌になったミカドに、アレックスは戸惑いを隠せずにいたが、また歩き出した背中を慌てて追いかけた。











 情報では、この迷宮は一般フロアが七層、最上階にボスフロアという構造である。

 ミカドとアレハン殿──間違えた、アレックスは既に五層目まで到達していた。その間発動した罠はたったの三回。


「宝箱は今のところ、正しく申請されてるようだな」


 装備品作成に有用なアイテム【エルフの髭】を宝箱から回収し、ミカドはまたしてもニヤニヤした。


「気付いた? アレハン殿。通るのはめちゃくちゃ簡単なのに、宝箱の中身は一つも回収されてねえ。どうしてだろうね?」

「たしかにこれほど攻略が楽であれば、アイテム収集も容易だろうにな。人間が見つけられぬほどでもない」

「開けた形跡はあるんだわ。なのに中身が入ってる……」


 ミカドが抱く違和感はそれだけではないようだ。空になった蓋の箱を開けたり閉じたり、指の裏で叩いてみたり、裏側のシリアルナンバーを確かめたり。

 と思うと、不意に携帯で電話をかけた。


「あ、もしもしリサ? ミカドだけど。ちょっと調べて欲しくてさ。今対応中の迷宮って四、五十年ぐらい前に査察なかったっけ? そう、第七二九迷宮。私立の。――あーやっぱり? オッケー。悪いけどそのデータ、俺にメールで送ってくれる? 今度奢る。サンキューね」


 即座に届けられたメールを開封し、空中にスクリーン展開してアレックスにも見えるようにした。

 表示されているのは査察報告書。設備の磨耗状況、モンスター出現の動作確認、トラップの定期点検の有無、などなどが記されている。


「これによると、ここのボスモンスターはトロール。デカくてパワーもあるが、力技のゴリ押しでも勝てるような、初心者向けのダンジョンにはうってつけのタイプだ。五十年前の査察時にもトロールが設置されてるのを、当時の職員が確認済み」


 次にミカドは査察履歴のページを開いた。


「開業は百年前未満と結構最近。魔王軍の攻防が激化した時期の、比較的新しいダンジョンだ。迷宮建築法での規定通りに、二十年ごとの査察に毎回通ってた優良物件。全撤去が決まってからは査察にストップがかかってんだが……最終査察から今までの、この五十年の間に何かが起きた」

「魔王が倒された三十年前に異変が起きたとは考えられないか? 他の迷宮でそのような事象が起こってはおらんのか」

「調べてみねえと何とも。しかしそうか、魔王討伐……その線もたしかにあり得るか……」


 ミカドは部屋全体を見回し、腰に手を当てて考えた。


(いくら何でも、ここまで来て一回もエンカウントしてねえのはおかしい。トラップ発動率も低すぎる。形代にはまだ異変は起きてねえ……となると)


「やっぱ最深部かねえ……?」

「ボス部屋か」

「例えば魔王討伐の影響でボスモンスターが変異したとか、変異した一般モンスターが取って代わったとか。そんな感じかな、俺が今思いつくのは」


 アレハン殿はマップ情報をもう一度確かめ、髭の濃い口を悪戯っぽく緩めた。


「ではミカド殿。宝物の回収は後に回し、先にから片をつけては如何かな?」

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